10.朝食と笑顔
ここ最近、色んなことがありすぎたけれど、昨日はやっと、自分の布団でぐっすり眠ることができた。
蘭明は守華を、あの地下牢などではなく――庭先に桜の咲く、美しい部屋、“桜音亭”に案内してくれていたのだ。
朝、目を覚ますと、小心がそっと部屋に入ってきた。
「守華さま、お目覚めですか?」
「しょーしーーーん!」
守華は迷わず小心に飛びつく。
抱きしめられた小心も、少し照れながらも笑顔で応える。
「蘭皇より、今後も守華さまの身の回りをやるよう命じられました。」
「えーっ、本当に!?嬉しい。これからずっと一緒にいられるんだね!」
守華の目がキラキラと輝く。
「はい!私も守華さまの身の回りのことができて、本当に嬉しい限りです。」
2人はしばらく笑いあい、穏やかな朝の空気に包まれた。
その時、外から声が聞こえた。
「守華さま――」
白鋭の声だ。
「入ってー。」
「蘭皇が、一緒に朝食をということです。準備ができましたら、蘭皇の元へお越しください。」
「うん、わかった。」
白鋭は守華の返事をきいて部屋を後にした。
小心は、守華の身の回りの世話を何から何までしてくれた。
顔をそっと拭き、髪の毛を丁寧にとかし、結び上げてくれる――
まだ人にこんな風にやってもらうことに慣れていない守華は、少し戸惑った。
(こういうのって、身分がある人じゃないとやってもらっちゃいけないんじゃ…?)
「ねえ、小心」
小心の手が止まる。
「なんですか?」
「私、身分もないし、どこの誰かもわからないのに、こんなにやってもらっていいのかな…?」
守華の声には、少し不安が混じっていた。
小心はにっこり笑って答える。
「はい!いいんですよ。昨日、お話して私にはわかりました。守華さまは悪い人じゃないって。それに、蘭皇が置いてくださったんですから、何も心配いりません。」
その笑顔に守華は少し安心する。
「はい!できました。」
小心が手を離すと、鏡の前で髪も整い、服もきちんと整えられていた。
守華はふと、洋服が並んでいる棚のほうへ歩み寄る。
「そういえば、私が着ていた服は?」
小心が指をさして答えた。
「ちゃんと取ってあります。蘭皇から、『綺麗にしておくように』と言われましたので、下の箱の中にあります。」
守華は半信半疑で箱を開けた。
中には確かに、昨日まで着ていた服がきちんと収まっている。
(蘭明が…ちゃんとやってくれたんだ)
安心が胸に広がった。
だって、この時代には、現代の服も、携帯も、化粧道具も、何もない。
ここにあるのは、この服だけ――それだけでも、少し「自分の居場所」ができている気がした。
守華は上に並べられた洋服を指でなぞりながら眺めていた。
どうしてもこの長いスカートには慣れない。
すごく綺麗なんだけど、絶対高価な気がして、ちょっと緊張してしまう。
「小心、着てない服ってない?」
「着てない服ですか?」
小心は斜め上を向いて考え込む。
「あっ、あります!」
「その服、持ってきてくれない?」
小心は少し首をかしげながらも、守華のために服を取りに行った。
数分後、小心が戻ってくると、守華はその服に着替えた。
「守華さま、なんでその服を着るんですか?さっきの服のほうが綺麗なのに…」
「じゃあ、小心が着ればいいでしょー」
小心はびっくりして目を丸くし、ブンブンと首を振りながら「めっそうもないです!」と抵抗する。
「よし!」
守華は気にせず、自分で鏡の前に立ち、全身をチェックする。
「んー、でもやっぱり長いよね…」
そう言うと、守華はハサミを取り出し、長いワンピースのようなヒラヒラスカートをチョキチョキと切り始めた。
「えっ、守華さま、何を…!?やめてください!」
小心が慌てて止めに入ろうとする。
「いいから、いいから」
守華は小心の手を振りほどき、作業を続ける。
心配そうに見守る小心をよそに、守華は大胆にスカートを短く整えた。
「できたー!こっちのほうが動きやすい!」
腰には帯を巻き、袖は長いままだが、とりあえず我慢することにした。
「どう?」と小心に聞くと、
「肌を見せすぎではないでしょうか…」と小心は心配そうに答える。
「えっ?そう?ファッションよ、ファッション!動きやすくお洒落にしないと!これでもまだ長いほうだし、ミニスカートなんてもっと短いんだから!」
「ファッ…ション…?ミ・ニ…とはなんでしょうか…?」
小心が首をかしげるのを見て、守華はふと思いつき、小心のスカートを軽く持ち上げて短く見せてみる。
「きゃっ!」
小心は思わず顔を手で覆う。
「このことをいうのよ」
すぐに元に戻してあげる守華。
「蘭明のところに行かないと、何されるか分からないもんね」
「そのままで行くのですか?」
「えっ?ダメ?」
「さすがにそれですと、私が蘭皇にお叱りを受けます」
そう言って、小心は包帯のような布を取り出し、守華の膝まで丁寧に巻き上げた。
さらにその上からブーツのような靴を履かせる。
準備が整い、守華は小心にお礼を言い、蘭明の元へ向かって歩き出した。
「おっはよー!」
右手を高くあげながら元気に挨拶して、守華は蘭明の部屋に入っていった。
部屋には蘭明、八軒、白鋭の3人がいた。
3人とも口をあんぐり開けて、完全に固まっている。
八軒はすぐに後ろを向き、視線をそらした。
白鋭はまだ固まったままで、八軒が無理やり後ろを向かせる。
守華はそんなことお構いなしに、蘭明の前にどんと座った。
「わー、朝からいっぱいだね。さすが皇子」
にこっと笑って蘭明に微笑む守華。
それでも蘭明は少し固まったまま。
「おーい」と手を蘭明の目の前で振ると、ようやく我に返った様子。
「守華、その服はなんだ?服ならたくさん準備しただろう」
白鋭はゆっくりと小心の方に近づく。
「小心、あの服は何?」
「私も止めはしたんですけど、守華さまなりのファッションというものらしいですよ」
「ファッション…?」
白鋭は小声で小心と話し、振り返って守華をじっと見つめ、またすぐに後ろを向いた。
「素敵でしょー!」
守華は立ち上がると、くるくる回って蘭明に見せつける。
蘭明は顔を背け、恥ずかしそうに手を「そっち行け」と振る。
「くるくる回るな」
守華は回るのをやめ、もう一度蘭明の前に座り直す。
「だって、このほうが動きやすいんだもん。だめ?」
「ダメだ」
「えー、なんで?」
「はしたない」
「そんなことないよ!じゃー、私の部屋にある服、全部切ってやる!」
「なっ!」
蘭明は思わず守華の方を向く。
守華はおねだりポーズで見上げた。
「分かった。でも、この屋敷だけにしろ」
「はーい!」
そのとき、ずっと後ろを向いていた八軒が声を上げた。
「あのー、蘭皇、私たちはそちらを向いてもよろしいでしょうか?」
「かまわん。守華はこの服でいるらしい。そのうち見慣れるだろう」
しかし3人は、どこに目をやっていいのか分からず、部屋の中をウロウロと落ち着かない様子だった。
守華は座ったまま、ふと視線を上にあげて言った。
「ねーねー、ここのカーテンじゃなく垂れ幕?って開けてもいいの?」
蘭明は瞬時に眉をひそめる。
「そのままにしろ」
守華は蘭明の言葉は無視して垂れ幕に手をかけ、ひらりと開けて外の庭を眺める。
「わぁー、桜がすごくきれい!」
思わず声をあげる守華。
桜を見ていた守華が蘭明のほうに振り返り、
「よーし!じゃあ今日はこの服で動き回っちゃおう!」
「待て!」
蘭明は慌てて守華に近づくが、守華はすでに部屋の端に走り出している。
「ちょっと待て!ここは屋敷だぞ!」
守華は振り返りながら無邪気に笑った。
「えー、ダメなの?さっき屋敷ならいいって言ったじゃん」
八軒と白鋭は顔を見合わせ、思わず肩をすくめる。
「…蘭皇、どうしますか…?」
「…今日は好きにさせるしかないな」
蘭明は困惑しながらも、守華の自由さに少しだけ呆れ笑いを漏らす。
守華は満足げに窓際でくるくると回り、ブーツを踏み鳴らして声を上げた。
「ふふーん、動きやすくて最高!」
白鋭は目を細め、守華の動きを警戒しつつも、少し笑みを浮かべる。
「…蘭皇、やはり守華さまは普通ではありませんね」
蘭明は小さく溜息をつき、目を守華からそらせる。
「…普通ではない、では済まん。自由奔放すぎる」
蘭明は小さく肩を落とし、守華の後ろ姿を見つめながら心の中で呟いた。
(…これが本当に“勝利の女神”なのか…)
部屋の中を動きまわっていた守華は、さっき目の前に並べられた朝食の料理の前に戻り
「食べてもいい?」
「もちろんだ。守華のために、いつもより多めに用意した」
守華は少し後ろに倒れ、目を丸くして料理を見つめる。
「まさかこの中のどれかに毒が…」
「私も食べるんだ。そんなわけないだろ」
蘭明の言葉に守華はホッとした顔を見せる。
「ですよね〜」
そう言って、守華は箸を取り、料理を口に運ぶ。初めて見るものばかりだが、どれも美味しかった。
蘭明はそんな守華の様子をじっと眺めている。
「あんなに軽いのに、よく食べるな」
「美味しい!蘭明は食べないの?」
守華は蘭明の問いかけなど聞いていない様子で、パクパクと食べ続ける。
守華は食べても太らない体質で、周りの人からよく羨ましがられていた。
ふと、守華は料理の一品を手に取り、蘭明に向かって笑顔を向ける。
「あーん」
戸惑っている蘭明に、もう一度、
「ほら、あ〜ん」
少し口を開けたところに守華は楽しそうに料理を口の中へ運ぶ。
食べさせ終えると、守華はにっこりと笑い、再び自分の料理に手を伸ばした。
「美味しい〜!」
その元気な声に、蘭明は少し困ったように眉をひそめながらも、どこか嬉しそうに見つめていた。




