箱根の敗報 (秀吉軍視点)
駿河の陣所、豊臣秀吉の仮御座所。絢爛な屏風に囲まれた室内で、秀吉は家臣たちと軍議を開いていた。そこへ、浅野長政が泥と汗にまみれて飛び込んできた。箱根の先遣隊を率いた若武将の顔は青ざめている。
「殿、申し訳ござらぬ! 箱根の山道にて、北条の軍勢に不意を突かれ、先遣隊が大敗を喫しました!」
秀吉の眉がピクリと動く。隣に控える黒田官兵衛(如水)が、冷静に口を開いた。
「大敗とはどの程度だ? 兵の数は?」
「三千を率いて関所を越えようとしたところ、北条の僅か三百に襲われました。左右からの矢と騎馬の突撃、後方からの奇襲で五百以上が討たれ、荷駄も焼かれ……我らは退却を余儀なくされました」
広間にざわめきが広がる。秀吉は扇子を手に持ったまま、目を細めた。
「三百で三千を破っただと? 氏直め、何か企んでおるな」
長政は額を畳に擦りつけ、声を震わせた。
「敵の動きが異様でござった。まるで我が軍の進路を全て見透かしたかのように、地形を活かし、こちらの動きを封じてきた。氏直自ら馬を駆り、槍を手に先頭を切る姿は……まるで鬼神のようで」
「鬼神だと?」
秀吉が笑い声を上げたが、その目は冷たく光っていた。
「氏直は優柔不断な若造と聞いておったが、どうやら様子が違うらしい。官兵衛、どう見る?」
黒田官兵衛が静かに進言する。
「北条氏直がこれほどの策を弄するとは、確かに予想外です。補給路への襲撃も頻発し、兵粮の運搬が滞り始めております。単なる籠城を挑む気はないのでしょう。早めに手を打たねば、我が軍の勢いが削がれるやもしれません」
「ふん、面白い。ならば本隊を動かし、小田原を一気に叩くか。長政、もう一度機会をやる。立て直せ」
長政が頭を下げ退がる中、秀吉の脳裏には一抹の不安がよぎっていた。「北条氏直が、これほどの手強い敵に化けるとは…」