7. 言えなかった言葉②
放課後、遥は僕に邪魔をせず、他の人と一緒に帰っていった。
姉さんに用事があるから帰るのが遅くなるかもしれないとメッセージを送った後、すぐに保健室に向かった。
助けるとは言ったものの、できるだけ自分が霊能力を持っていると思われるようなことはしたくない。傍観して、雨宮さんが元に戻ったのを確認できたら、さっさとその場を離れたいと思っている。
「あなたは……先ほど、あの綺麗な子と一緒に見舞いに来ていた人ですか?」
保健室の先生は少し考えた後、ようやく思い出した。
普段は存在感が薄くて、クラスの先生ですら僕のことを忘れてしまうこともあるけれど、遥と一緒にいるときっと目立ってしまう。
「またお邪魔してすみません。雨宮さんの様子、今どうなってますか?」
「まだ眠ったままよ。あの子、病気でもなさそうだし、過労って感じでもないんだけど、なんだか少し弱ってる。親には連絡してあるけど、仕事で手が離せないらしくて、少し遅れて迎えに来るみたい。もしもっと弱ってくるようなら、救急車を呼ぶしかないかも」
「えっと、ちょっとお聞きしたいんですが、藤宮先生は今、職員室にいらっしゃいますか?」
「いるとは思うけど……なんでそんなこと聞くの?」
よし、行動開始――僕は背後に手を回し、どこかにいる幽霊に合図を送った。
「行ってくる」
先生に『どうして遥が一緒に来てないのか』っていう質問を答えていると、カーテンが引かれた。雨宮さん……いや、正確には幽霊が雨宮さんの体を操っている状態で、ベッドから降りてきた。
「雨宮さん、目が覚めたの?あっ、ちょっと動かないで。おとなしくして、様子をちゃんと確認させてね」
そう言いながら、先生は引き出しを開けて何かを探している。
雨宮さんの周りに漂うオーラが、暗い色と乳白色が入り混じっているのに気づいた。つまり、善意の幽霊は今まさに一つになったばかりで、まだ飲み込まれていないということだ。しかし、いつまで理性を保てるかは分からない。早急に行動しなければ。
「おかしい、ここに置いたはずなのに……」
どうやら僕と同じ考えを持っている『雨宮さん』は、ドアの方を指差して先に行くように合図を送ってきた。すると、先生が気づかないうちに素早く保健室を抜け出した。
「あれ?あの子は?」
「雨宮さんはもう出て行きました」
「まったく、あんなに急いで……あの、お願いがあるんだけど、その子のこと見ててくれない?もし何かあったら、その子をここに連れてきてくれる?」
「はい、分かりました……」
なんでだろう、今学期からなんかよく頼まれるようになった気がする――そう思った瞬間、こっそりため息をついた。
保健室を出ると、角を曲がった先でサングラスとマスクをつけた頭がひょっこり顔を出していた。僕の視線に気づくと、その人物は慌てるように身をひそめた。
あのバカ、何してるんだ?
静かに角を曲がると、その人物が壁にもたれながら、まだ自分が見られていないとホッと一息ついているのを見つけた。
「他の人と一緒に帰ったんじゃなかったのか?」
「わっ!」
不意に姿を現すと、ちょうど警戒を解いた遥が驚いたようだった。もっとも、驚かせるつもりはなかったんだけど。
「ち、違う人と間違えてる……」
「そうなの?じゃあ……先生、ここに怪しい奴が一人いまーす」
僕は誰もいない廊下に向かって振り返りながらそう言った。
その一言にビクッとした遥が、すぐに僕の服の裾を掴んだ。
「ちょ、待って、私だってば!」
遥はサングラスとマスクを外して、その下から不満げに眉をひそめて頬を膨らませた表情を見せた。
「で、何してるの?」
「ごめん、つけてたんだ……」
「今度はなんで?」
「あなたが疑われたり、霊能力がバレたりするのが心配だったから、危ない時には助けに出て、以前みたいなことが起きないようにしようと思ってたの。でも、雨宮さんの件もできるだけ目立たないようにしてほしいって思ってるみたいだから、影からサポートするしかないかな。だって、私と一緒にいると目立っちゃうって思ってるんでしょ?」
「君、僕のことどこまで知ってるんだよ……」
目のことや霊能力だけじゃなく、僕の過去のことまで知ってるみたいだけど……でも、遥の姿とか声には全く記憶がないんだ。
「秘密」
遥は再びサングラスとマスクをつけた。前回と同じく、どうして僕の秘密を知っているのか尋ねても、教える気はなさそうだ。
……まぁいいか。もう知ってるなら、どこで知ったかなんて詮索しても仕方ないし。
僕の目とか霊能力を知っても、まるで化け物を見るような目をしなかったのは、家族以外では遥が初めてだった。
「そういえば、さっき雨宮さんが保健室から飛び出して、どこかに走って行っちゃったけど……どこに行くか知ってる?」
「……あっ、そうだ、職員室」
危ねぇ、これをすっかり忘れるとこだった。
職員室の近くに着くと、また角を曲がるところで誰かがこっそり現れ、時々職員室のドアをちらちら見ているのが見えた。なんだ、今は角に隠れるのが流行ってるのか?
「まだ藤原先生のところに行ってないの?」
「お前たちか、びっくりした……っていうか静かに後ろに立つなよ」
「理性を保てる時間、もうあまり残ってないだろ?」
乳白色のオーラが徐々に薄れていっている。もうすぐ完全に暗いオーラに変わってしまうだろう。
「確かにそうだな……でも、この状態で母さんに会ったら、何て言えばいいのか分からないんだ」
「母さん?」
遥はまだ今の状況を理解していない。今は説明する気力がないから、仕方なく「後で話すから」とだけ言っておいた。
『雨宮さん』を職員室に蹴り込むべきかどうか悩んでいると、藤原先生がちょうど職員室から出てきた。
藤原先生はなんだかすごく憔悴しているように見えた。顔色も少し青白くて、まるで栄養不足で今にも倒れそうな感じだ。きっと亡くなった息子さんを思うあまり、眠れず食事も喉を通らなくなって、体が弱ってしまったんだろう。
「早く行け」
こんな時になってもまだ迷っている『雨宮さん』を、僕は背中から押し出した。
「くっ……」
「あなたは……今日職員室で私を探していた雨宮さんですよね?体調は良くなりましたか?」
自分の机の物を床に散らかしたことについて、藤原先生は怒るどころか、『雨宮さん』のことを気にかけていた。まぁ、今の藤原先生には怒る元気すら残っていないように見えるけど。
「……母さん。ごめん、昼休みに起きたあのこと、実は俺がやったんだ。この子じゃない」
「えっ?かあ……さん?」
「俺だよ、藤原樹」
「……雨宮さん、どうしてその名前を知っているの?そんな冗談はやめてください」
「本当に俺だよ。覚えてる? 小さい頃、俺がうっかり父さんの大事にしてた盆栽を壊しちゃって、母さんが内緒で似た盆栽を買ってきてくれたこと。結局バレちゃったけどさ」
「どうしてそのことを……まさか、本当に樹なの!?」
「だから俺だって言ってるだろ。ただ今は一時的にこの体に憑いているだけだ。でも、理性を保つのがそろそろ限界なんだ」
藤原先生は涙を流しながら、すぐに前へと歩み寄り、『雨宮さん』を抱きしめた。悲しみに暮れて涙を止められず、言葉すら出なかった。
親にとって、もう死んでしまった子供にまた会えるなんて、きっと涙が出るほど幸せなことだろう。
感動的な雰囲気は長くは続かなかった。突然、暗いオーラが強まり、あっという間に乳白色のオーラを飲み込んでしまった。どうやら、その怨霊はすでに善意の魂を飲み込んでいたのだ。
これから先、いつ暴走してもおかしくない。今からその奴の一挙手一投足に、目を離さずにいなければならない……
怨霊が雨宮さんの体を操り、ふと藤原先生を押しのけた。そのせいで、足をよろけさせ、転びそうになった。
僕は藤原先生を助けようとする遥を止めた。これから先、もし誰か他の人がいたら、その二人は話をうまく進められないかもしれないからだ。暴力的な行動を見せるようなことがあれば、話は別だけど。
「ごめんなさい……まだ私があの時、あなたの味方をしなかったことを恨んでるんだよね?でも、聞いてほしいんだけど、それには理由があったんだ……」
「理由?自分の息子を信じることより大事なことがあるのか!?俺はその時、ただいじめられてる奴を守ろうとしただけなのに、しかも俺が先に手を出したわけじゃないのに、どうして誰も俺を理解してくれないんだ、信じてくれないんだ!?他の奴らはまだいい、でも自分の母親まで俺を信じてくれないなんて……!」
藤原先生は手を伸ばし、雨宮さんの頬に触れて怨霊の感情を静めようとした――すると、払いのけられた。
「お前、俺の本当の母親なのか?なんで俺が真実を言った後でも、味方をしてくれず、あのクソどもに謝って許しを請えって強制してくるんだ!?」
僕みたいな局外者ですら、その言葉がちょっと言い過ぎだと思っちゃうくらいだ。
「本当にごめんなさい……でも、あの時そうしたのは、あなたのためでもあった……」
藤原先生は少し震えた声で泣いている。
自分の子供に本当の母親かと疑われるなんて、10ヶ月も大切にお腹で育てて生み、これまでたくさんの犠牲を払ってきた母親にとっては、きっと辛いことだろう。
「俺は何も間違ったことなんてしてないのに、プライドを捨てて全部の罪を認めて、あのクズどもに謝れって、それが俺のためだっていうのか!?」
そう言い終えると、雨宮さんの体を操ってその場から走り去った。藤原先生が膝をついて泣き崩れても、その姿には見向きもしなかった。
これでますます厄介なことになったな……雨宮さんの体に憑いている怨霊を成仏させるどころか、わだかまりを解ける兆しもほとんど見えないなんて……
手助けするなら、霊能力があるって疑われずに済む方法ってあるのか?
「行こう、手がかりを集めに!」
迷っていると、遥が突然手を取ってきて、強引にどこかへ連れて行こうとした。
もし他の誰かに遥が僕の手を引いてるところを見られたら、きっと彼女を好きな連中に八つ裂きにされる……
「あの、離してください」
「えっ?あ……ごめん、つい無意識で……」
自分が何をしていたのかに気づいた遥は、白くて小さな顔が一瞬で赤く染まると、慌てて手を離した。
たぶん、触れるつもりのなかった相手にうっかり触れちゃったから気まずくなったんだろうな。
僕も少し気恥ずかしかったけど、平然を装って、あの幽霊が藤原先生とどんなことがあったのかを話し始めて、この気まずい雰囲気を変えようとした。
事情を聞いた遥は、なるほどと納得した様子だった。でも、彼女も僕と同じで、さっき怨霊が藤原先生に言ったことは少し言い過ぎだと思う。