21. 元太郎④
場面は薄暗く、鼻をつくような嫌な臭いが漂うリビングへと戻った。その匂いが一瞬で僕を現実に引き戻した。
目の前には、幽霊となったおばあさんと、大きく成長した元太郎。
体が少しずつ光の粒となって消えゆくおばあさんは、まるでいつものように元太郎の頭を撫でようと手を伸ばしていた。しかし、元太郎には霊能力がないため、おばあさんの手の感触を感じることはできない。それでも、まるで撫でられるのを楽しんでいるかのように、おとなしくその場に座っている。
『前よりもずっと健康そうで本当に良かった……これからもお利口さんで、あんまりいたずらして今の飼い主さんに迷惑をかけないようにね』
「ワン!」
おばあちゃんの顔には、優しさに満ちた笑みが浮かべる。すると、完全に光の粒となって消えていった。
元太郎は、もしかしたらおばあさんが今度こそこの世界から完全に消えてしまったことを感じ取ったのか、元太郎は悲しみをこめた遠吠えを上げた。
「……あず!」
遥が小さな声で僕の名前を呼んでいるのが聞こえた。
僕が反応したのに気づくとほっと安堵の息を漏らした。
「どうしたの?ぼーっとして」
「なんか元太郎の過去が見えた気がする……」
さっき見たことが一体夢だったのか、実際に起こったことなのか、分からないし、なんで急にあんなのを見たのかも分からない。
状況が多すぎて、頭が全然ついていけない。
「ちょっと待って、お前、過去見たんか?」
あの男が急に近づいてきて僕の両腕を掴んできた。もし遥にこんなことをされたら、もしかしたらドキッとするかもしれないけど、相手が男だとちょっと不快だ。しかも、彼の力加減が結構強くて、思わず過去に残ったトラウマがふと思い出されて、少し怖さを感じてしまった
「そうですけど……どうしましたか?」
「もしかしてお前、霊能者なんか……?」
なんでバレたんだ!?幽霊が見えるなんて、そんな素振りは全然見せてないはずだろ? なんでさっき、ただ元太郎の過去を見たって言っただけで霊能力がバレるんだ?
とにかく、これから先また会うか分からないけど、ここで過去を全力で隠し通さないと。
「すみません、何のことか分かりません。あと、離してください」
「あっ、悪い」
そう言うと、ようやく腕を離してくれた。
しかし、今度はなぜか遥が僕の袖を掴んでいて、しかも頬をぷくっと膨らませている。まるで僕が他の誰かと触れ合うのを嫌がっているようだ……たぶん気のせいだろう。
「自己紹介しとくわ。俺は松本結翔、ほんまもんの天才陰陽師。今回は雇い主からの依頼で、時々感じる『存在せえへん視線』を消しに来た」
陰陽師の身分が本物かどうかは一旦さておき、この世界には自己紹介のときに自分を天才って言う人がいるんだな。しかも全然恥ずかしがってないみたいだし。
「さっき地面にあった陣は、超自然的な存在、例えば幽霊とか妖怪を退治するためのもん。その陣が発動したとき、その範囲内に霊能力がある人は過去のことが見えるようになるんやで」
もし言ってることが本当なら、今僕が自分に霊能力があるって認めたことになるじゃないか。これでどう弁解すればごまかせるだ……
「あず、陰陽師って本当に存在するの?」
「僕に聞いても……」
「俺は絶対嘘は言ってへんわ。それと、何か問題があったら直接俺に聞いてくれよ」
「あの、そういうことは正直どうでもいいんですが、さっき僕が見たことはもしかしたらただの妄想かもしれません。ですから、おそらく勘違いされていると思います。僕には霊能力なんてありません」
「ありえへんやろ。陣が発動したからって過去に誰かに起こったことを妄想するとか、そんな都合よくいくわけあらへんやんか」
どうしても僕に霊能力があると言い張るので、僕もこれからどうすればいいのか分からなくなってしまった。
もしこんなことが広まったら、トラブルを引き起こすかもしれない。最悪の場合、以前みたいに笑われたり、いじめられたりするかも。
「あの、私もあなたが勘違いしていると思います。あ、そういえば、私たちには後で大事な用事がありますので、そろそろ失礼しないといけませんね」
どうしたらいいのか困っていると、また遥が出てきて僕を助けてくれた。彼女って、もしかして天使なの?
遥までそう言うのを聞いて、彼は何か考え込むように僕を見つめてきた。その探るような視線に耐えきれず、思わず視線をそらそうと俯いてしまった。
そして、彼は名刺を取り出し、僕に差し出した。受け取って目を通すと、そこには住所だけが書かれていた。
「もし本当に霊能力があるんやったら、その才能を無駄にせんといてや。いつでもここに来て俺を訪ねてくれてええ」
彼にとってはそれが才能かもしれないけど、僕にとっては呪いだ。もしこれが才能なら、どうして過去にこんなに多くのいじめを受けて、まるで化け物を見るような目で見られたんだろう?
名刺を返そうかとも思ったけど、なんだか失礼だと思われそうな気がして、結局そのまま受け取ることにした。
それから、僕は悲しそうに地面に伏せている元太郎のもとへ歩み寄り、しゃがみ込んで頭を撫でて慰めてやった。しばらくそうしていると、元太郎はようやく少しだけ元気を取り戻したようだった。
帰り道、普段なら僕が決めたルールに従って一定の距離を保つはずの遥が、今回は突然僕に近づいてきて、そっと僕の袖を掴んできた。
「大丈夫?」
「ん?」
「さっき、あの人のことちょっと怖がってたみたいだったけど」
まさか見抜かれるとはな……暗い場所だったし、表情なんて読めるはずないと思ってたのに。
「あの時、あんな風に急に掴まれたから、過去のことを思い出して無意識に怖くなった……まぁ、笑いたいなら笑えばいい」
「私は他人が怖がるのを見て喜ぶような人じゃないよ!」
何気ない一言が遥を怒らせたのか、袖を引っ張る力を少しだけ強めてきた。
振り返ってみると、その頬はいつも以上にぷくっと膨れている。どうやら今回は本気で怒っているらしい。でも、怒っているはずなのに、その表情もなんだか可愛い……なんだか無性に、その膨れた頬を指でつつきたくなってしまった。
「あっ、ごめん」
すると、遥はまるで僕に手も足も出ないように、深いため息をついた。どうやらもう怒っていないらしい。やっぱり、先に謝るのが正解だったみたい。
「もう、こんなに長い間一緒にいるのに、まだ私がどんな人間か分からないの?」
えっと、ただ1週間って長い方なのかな……?
それに、遥にはまだたくさんの秘密や変なところがあるから、彼女がどんな人間かは断言できないんだ。
「とにかく、僕は大丈夫だ。気遣ってくれてありがとう、それにさっき手伝ってくれたことも」
「本当にもう大丈夫?」
「うん。だから、もう離してくれない?学校の人に見られたら、僕マジで終わるかもしれないし」
「こんなこと、嫌なの?」
少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、僕に嫌われたくないと心配しているその顔、そして甘えるような口調に、僕はどうしても嘘をつけなかった。
「……別に嫌じゃないけど、好きってわけでもない」
「じゃあ、このままでいいよね?」
そう言って、遥は僕の袖を引っ張る力を少し緩めたものの、決して放そうとはしなかった。
遥には逆らえないから、学校の人に出くわさないよう祈るしかない。もし偶然でも誰かに見られて、噂になったら――明日の登校が僕の人生最後の日になるかもしれない。




