19. 元太郎②
午後の太陽がまるで人を溶かしてしまいそうなほど照りつけている。なんで出かけたんだろう、と少し後悔してしまった。
遥が元太郎の散歩を試してみたいと言うので、リードを彼女に渡した。嬉しそうに目を輝かせながら意気込む可愛らしい表情を見ていると、さっきまで太陽に対して感じていたわずかな不満もすっかり癒されてしまった。
「1ヶ月前の私は窓の外の鳥くらいしか見たことがなくて、他の動物に会う機会なんてほとんどなかったし、一緒に遊ぶなんて考えもしなかった。まさか今みたいに、こんなに明るい太陽の下で犬の散歩をすることができるなんて、全然思ってなかったな」
「なんかちょっと可哀想」
「でもそれはもう過去の話。今の私はすごく幸せだ。たぶん、あなたがいるからこそ、私の幸せが倍増した」
「……そんな冗談言ってると、僕は本気にしちゃうかもしれないぞ」
「へへっ」
遥は時々からかってくるから、僕もだんだん彼女の言葉を冗談に受け取るようになった。そうしないと、いつもドキドキしてマジで心臓に良くないから。
街を歩いていると、周りの人たちが次々とこちらを見てくる。やっぱり遥の可愛さが目を引きすぎる。しかも今、うちの元太郎を連れているから、その可愛さは倍増している。そこで、僕も適度な距離を取らざるを得ない。変な視線を浴びないように。
陽の下で超絶可愛い美少女が犬を連れて散歩している――その光景は絵画のように美しい。しかし、その美しい絵画に汚れを塗ろうとするかのように、チャラいそうな大学生風の男2人組が空気を読まずに道を塞いできた。
「こんにちは、ペットの散歩ですか?この子、いい飼い主さんがいて幸せそうですね」
すみません、君が言う飼い主はこっちだよ。
「この辺にすごくいいカフェがあるんだよ、ペットも一緒に連れて行けるんだ。一緒にアフタヌーンティーでもいかがですか?」
「そうだね、友達を作ることだと思えばいい」
やっぱり、この2人の目的はナンパすることだったんだな。
そんな状況に、遥はちょっと困った様子で、何か言おうとするけど、言葉がうまく出てこないようで、結局僕に助けを求めるように振り返ってきた。
僕を見ても、僕一人じゃ何もできないし、逆になめられたり無視されたりするかもしれない……まあいいや、真心で接してくれる友達が困ってるときに、僕が何を迷ってるんだ?
勇気を振り絞った僕は、遥の前に立ちはだかった。
「すみません、僕の妹に何か用があるんですか?」
緊張しすぎて頭が真っ白になって、何を言ってるのか自分でも分からなかった。もういいや、思いついたこと言っちゃおう。
「えっ?妹?」
彼らの視線は、まるで何故こんなに陰気そうな人間が、どうしてこんなにも似ても似つかない妹を持っているのかと疑っているかのようだった。
こんな風にじっと見つめられると、さっきまで湧き上がっていた勇気が一瞬で消えてしまった。
「あ……あの、もし何もなければ、僕たち先に行くから……行こう、遥」
「……あっ、うん!」
彼らは特に問い詰めることもなく、僕たちをそのまま何も言わずに見送ってくれた。
どれくらい歩いただろうか、公園に着いて少し休憩することにした。喉が渇いた僕は自動販売機でジュースを2缶買い、そのうちの1缶をベンチで休んでいる遥に差し出した。
「ありがと、お兄ちゃん~!」
遥は悪戯っぽい満面の笑みを浮かべながら、親しげに僕のことをそう呼んだ。その『お兄ちゃん』が可愛すぎて、危うく僕は死ぬところだった。
「もういいから、そんな呼び方やめろよ。恥ずかしくないのかよ……」
「いいえ、全然。でも、ちょっと残念だなぁ。せっかくだから、アニメみたいにナンパされてる場面で主人公がヒロインを『彼女』って言って助ける展開を期待してたのにさー」
「アニメ見すぎだろ。それに、本当にそんなことしたら、たぶん誰も信じてくれないだろうし。どう見ても、僕みたいなやつに君みたいな彼女なんてありえないだろ」
元太郎が僕に向かってワンと一声。何かを訴えたいのだろうけど、僕には犬語なんて分かるはずもない。ところが遥はまるで理解したみたいに、「でしょでしょ」なんて相槌を打っている。
「ほら、元太郎ちゃんもあなたは自信なさすぎだって言ってるよ」
「君、本当に犬語が分かるのか?」
「とにかく、あなたは自分で思ってるほどダメじゃないんだから!だから、もっと自信持ちなさいよ!」
この目と霊能力、それに体の傷跡にまつわる話を完全に受け入れない限り、自信を持つなんてそう簡単にできるものじゃない。でも、遥がこんな風に慰めてくれるのはありがたいと思う。
それより、今元太郎の様子が少しおかしくなった。耳を立て、キョロキョロと周りを見渡して何かを探しているようだ。すると、ある方向に向かって走り出そうとしたが、遥の手にあるリードに引っ張られて逃れられず、振り返って僕たちに吠え続ける。
「元太郎ちゃん、どうしたの急に?」
「なんかどこかに連れて行きたいみたい……とりあえずついて行ってみよう」
元太郎に導かれるまま公園を出て、細い路地を抜けていくと、ついに辿り着いたのは、塗装が剥がれかけた古びた家の前。
雑草に覆われ、いたるところにクモの巣が張り巡らされていた。どうやら長い間誰も手をつけていないらしい。窓のカーテンはすべて閉じられ、内部からは微かな光さえ漏れてこない。周囲に漂う暗い雰囲気が、まるで人の気配すら感じさせない。
元太郎が突然、どこからか力を振り絞ったかのように、遥を引っ張って他人の家に突進していった。その様子を見て、僕もどうしようもなくて、心の中で『すみません』と呟きながら、後ろについて行くしかなかった。
元太郎はなぜか玄関のドアをひっかいて、まるで中の人にドアを開けてほしいと頼んでいるかのようだった。
「もうやめろよ、誰もいなー」
言い終わる前に、ドアが突然開いた。
「誰やねんお前ら?」
玄関のドアを開けたのは、狩衣を着た僕とほぼ同じ身長で、関西弁の爽やかな茶髪イケメンだった。その青い瞳はまるでサファイアのように美しい。
見た目は長いこと誰も住んでないみたいな家だけど、ちゃんと誰かがいるのか……ちょっと待って、なんか彼に覚えがあるような気がする……でも、どこで見たのか全然思い出せない。
「ねぇあず、これってもしかしてコスプレってなの?」
遥は僕の耳元に近づき、低い声で尋ねた。声はかなり小さかったけれど、、目の前の男にはしっかりと聞こえてしまったようだ。
「失礼やな、これコスプレちゃうわ!まぁ、凡人に説明しても信じんやろけど。さっさと行け、俺の仕事の邪魔すんな」
「ごめんなさい、今すぐ出ます。ほら、元太郎ちゃん」
しかし次の瞬間、元太郎は突如として一気にダッシュし、リードの束縛を振り切って、屋内へと駆け込んだ。
「ほんまに、何してんねん?」
「本当にごめんなさい」
元太郎がこんな風に暴走するなんて今まで一度もなかった。ちゃんと元太郎をしつけていない僕にも責任がある。
元太郎を探しに中に入ろうとしたけど、あの男に止められてしまった。
「一般人は立ち入り禁止。ここ、危険な場所になるかもしれんから、入れるわけにはいかへんねん」
「危険?」
「でも、元太郎ちゃんが…」
「安心して、俺がなんとかして出すから、絶対に入ってくんなよ」
話している間に、家の中から何かが落ちる重い音が響いてきた。
「ちょ、待て!儀式用のもんに触るな!」
儀式?もしかして、こいつは中で何かヤバい儀式でもやろうとしてんのか?
彼はもう僕たちのことを気にかける暇もなく、すぐに背を向けて音が聞こえた方向に走り出した。そのまま、ドアを閉めるのを忘れて。
元太郎のことが心配だったけど、彼がそう言うなら、外で待つしかない――でも、遥は警告を無視して勝手に家の中に入っていった。
本当に面倒くさいな……仕方なく、ついていくことにした。




