18. 元太郎①
「あずやちゃん、元太郎を見た?」
階段を下りると、姉さんが床に横たわり、ソファの下をじっと見つめるという変な光景が目に入った。
昼食後、僕はずっと部屋で授業を復習していた。およそ1時間以上が過ぎて、キッチンに飲み物を取りに下に降りたが、その間、元太郎の姿は見かけなかった。
「いいえ。どうした?」
「おかしい……一体どこに行っちゃったんだろう?普段はリビングか庭で遊んでるだけで、今まで脱走したことなんてなかったのに……」
「たぶん、ただ散歩に出かけただけ。満足したら戻ってくるかも」
表面では冷静を装っているけれど、心の中ではどうしても心配が募っていった。
元太郎が初めて脱走したのはどこに行ったんだろう……まさか、誰かにさらわれたんじゃないよな!?
「あ、そうだ、首輪にはGPS機能が付いてたはず……」
まさか一生使うことはないと思ってたGPS機能が役に立つ日が来るなんて。
元太郎の現在地を確認しようとスマホを取り出した。
だが、画面を開いた瞬間、LINEに未読のメッセージが届いているのに気づく。それは遥からのメッセージで、5分前に送られてきた。
メッセージの内容は、元太郎が彼女の家に来ていて、今一緒に遊んでいる、という。
なるほど、隣の家に遊びに行ってたのか……まぁ、昨日元太郎が遥のこと好きそうだったし、こうなるのも全然あり得る話だな。
「さっき遥が元太郎が彼女の家に行ったって教えてくれたから、今迎えに行ってくる」
「なんかあんた、あの子とイチャイチャしそうな気がするんだけど……」
「するわけないだろ」
思わず姉さんにジト目を向けてしまった。
*
隣の家のチャイムを押そうとすると、庭から楽しげな笑い声が聞こえてきた。楽しそうだな。
チャイムを押して少しすると、遥が元太郎と一緒に出てきた。
元太郎は僕の姿を見るなり嬉しそうにワンと一声あげたものの、それでも遥の足元から離れず、僕の方には戻ってこなかった。
ずっと一緒に過ごしてきたのは僕なのに、今やこんなにも遥に懐いて、まるで遥が本当の飼い主みたい。
「この複雑な気持ちって、いわゆるNTRってなのか……?」
「ん?なに?」
「いや、なんでも。迷惑かけてごめん」
「全然迷惑じゃないよ。それに、私も元太郎ちゃんと遊ぶの大好きだし」
遥はしゃがみ込んで、優しく元太郎の頭を撫でた。元太郎はその手にすっかり心を奪われ、喉を鳴らすように甘えている。
そんな様子を見ながら、この僕という主人の存在を完全に無視していることに、なんとも言えない複雑な気持ちになった。
「あ、そうだ、元太郎ちゃんお散歩したがってるみたいだし、今から一緒に連れて行かない?」
「なんで分かるんだよ?」
「直感」
本当かよ、と思いながら下を見ると、元太郎が嬉しそうに尻尾を振っていて、どう見ても散歩に行きたそうだった。でも僕は家に帰りたいだけなんだけど……
「普段は姉さんが元太郎を散歩に連れて行ってるから、姉さんが暇になったらにしよう」
「でも元太郎が今すぐ私たち2人と一緒に散歩に行きたいって言ってるから、一緒に行こうよ〜」
あいつらがキラキラした視線をこちらに向けてきて、その瞬間なんだか妙なプレッシャーを感じてしまった。
元太郎とだけの散歩なら問題ないんだけど、遥まで一緒だと言われると、正直ちょっと気が進まない。別に彼女が嫌いってわけじゃない。ただ、休日の散歩中に学校の誰かに見られたりしたら、面倒なことになりそうな気がして――しかし、そんなことを考えているうちに、あの2つの視線はさらに輝きを増していった。
結局、あの2つの視線には逆らえず、仕方なく家に戻ってリードを取りに行く。
「えっ?あんたが元太郎を散歩に連れて行くって言ったの!?」
リードがどこにあるかを尋ねた途端、姉さんは驚きのあまりソファから転げ落ちた。しかし、痛みなど全く気にする様子もなく、むしろ子供の成長を目の当たりにしたかのような、驚きと感動、そして安堵が入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
「そんなに驚く必要ある?」
「うちの弟がようやく自分から外に出かけるようになった……もう感動しすぎて泣きそう……」
「君は僕のお母さんなの?」
大騒ぎしている姉さんと少し絡んだ後、ようやくリードを持ってきてくれた。
幸いにも、姉さんはなぜ急に元太郎を散歩に連れて行くことにしたのか聞いてこなかった。もし姉さんに遥も一緒に行くことを知られたら、なんだかまずいことになりそうな気がして、少し怖かった――と思った矢先、姉さんが疑いの眼差しで僕を見てきた。
「ちょっと待って、冷静になって考えてみると、なんかおかしい気がする。どうしてあの子の家に行った後、元太郎が一緒に帰ってこなかった上に、急に元太郎を散歩に連れて行くって言い出すんだ……まさか、元太郎を散歩に連れて行くって名目で、実はあの子とデートしようとしてるの?」
怖っ。
姉さんの推理力はマジで恐ろしい。でも、少しは間違ってる。
「デートじゃない、ただの散歩だ」
「……あの子に出会ってから、あんた少しずつ変わり始めたよね」
「そうなの?」
「フンッ。お姉ちゃんとしては、弟が友達を作れて嬉しいけど、もし友達の境界線を超えたら許さないからね」
そう言い残して、姉さんはくるりと背を向け、自分の部屋へと歩いていった。
姉さんって本当に心配性だよな……てか、その言い方だと、僕が遥と一緒にいるのを許してるってこと?




