16. お隣さんへの訪問
最近疲れていたせいか、昨夜はベッドに横になるとすぐに眠ってしまい、今日が覚めた時にはもう昼近くだった。珍しく姉さんが休日に僕の部屋に押しかけてくることもなく、おかげで久々にぐっすり眠れた。
ベッドの上でちょっとぼーっとした後、部屋を出て階段を下り、洗面所で身支度をしようと向かった。
「おはよう!」
階段を降りると、姉さんがキッチンでボウルの中の何かをミキサーで混ぜている姿が目に入った。
「おっはー。何してるの?」
「モンブランだよ。この前のクッキーのお返し」
「モンブランか……」
僕が好きな食べ物って言えば、肉以外だとやっぱり姉が作るモンブランだな。何回食べても美味しくて全然飽きないんだ。
「あずやちゃんも好きでしょ?だから、おやつにする分をちょっと多めに作っておいたよ」
「ありがとう」
「お礼を言うときは『お姉ちゃん大好きだよ』って言わなきゃね」
「いやだよ」
「はぁ、反抗期に入ったか……昔はよく私のこと好きだって言ってたのに……」
「それ、どれくらい前の話だよ?よく覚えてるな」
ちょっとだけ覚えてるけど、それはたぶん小学校以前の話だろう。今となっては、昔そんなこと言ったなんて思うだけで恥ずかしくて壁に頭ぶつけて冷静になりたくなる。
「ふふん、姉として弟の愛の告白を忘れるわけないでしょ?それに、いつ、何時に、どこで言ったかもちゃんと覚えてるんだからね」
姉さんは『ほら、褒めてよ』って言いたげな顔をしていて、こんなことを覚えている自分にやけに自信満々な様子だった。
そんな姉さんを見て、頭に浮かんだ言葉はただ1つ。
「キモッ」
「ひどい、こんなに大切な弟にそんなこと言われたら、姉ちゃんはもう泣いちゃうよ……」
「はいはい、ごめんね」
「肩を揉んでくれたら許してあげる」
どうしようもなくため息をつき、言う通りに従うしかなかった。
モンブランを詰めた紙箱を抱えて隣の家のチャイムを押す。
少し待つと、扉がゆっくりと開いた。
目の前に現れたのは、遥にどこか似ているけど、より大人びた雰囲気を持つ、美しくて若々しい女性。ただ、肌の白さは遥ほどではない。この人が、遥のお姉さんなのかな。
「あ、あの、こんにちは、隣の吉川です……先日、クッキーを送っていただいてありがとうございました。これは、うちの姉が作ったお返しです。どうぞ受け取ってください」
紙箱を手渡すと、そのまま立ち去ろうとした。
すると、呼び止められた。
「ちょっと、吉川くん、あなたはうちの娘の友達ですよね?よく娘からあなたのことを聞いています。うちの娘がお世話になりありがとうございました」
え?まさかこの人が遥の母親だったんだ……こんなに若いなんて全然分からなかった。
「あっ、こちらこそお世話になっております」
「吉川くん、よかったら中に入って座っていきませんか?」
「え?あっ、いや……」
「さあさあ、入りなさい」
今の断りが無視されたのか、それとも聞こえなかったふりをされたのか分からなかったけど、遥の母親は笑顔で歓迎しながら僕を中に招き入れた。
もしかして、遥がそんなにわがままで拒否する余地を与えないのって、母親から遺伝したのか?
遥と似たような性格の人を目の前にすると、さすがにどうしていいか分からない。
はぁ、家族や隣人との関係が僕の冷たさで悪化するのを避けるために、仕方なく従うしかなかった。
てか、親戚以外の家に行ったことなんて一度もないんだよな……なんかちょっと緊張する。
家の間取りはほぼ同じだけど、家具や装飾はあまり多くなく、むしろシンプルだった。
リビングまで案内されると、遥の母親は階段を上がり、ある部屋の前でノックをした。
しばらくして、乱れた髪にコアラのプリントが可愛らしい白いTシャツ、そしてラフな短パン姿の遥が、眠たそうな目をこすりながら顔を出した。
母親が何か耳打ちすると、遥の視線はリビングのソファに座る僕に向き、次の瞬間、驚愕したように『わっ!』と大きな声を上げた。慌ててそのまま部屋に引っ込み、ドアを乱暴に閉める音が響いた。
すると、その部屋から『ドンッ』という、何かにぶつかったような音が響き、すぐに遥の痛そうな悲鳴が響き渡った。
彼女、大丈夫なの……?
しばらくすると、髪を整えた遥が階段を下りてきたが、歩き方が少し不自然だった。おそらくさっき、足をぶつけたのだろう。
「突然お邪魔してすみません」
「ううん、実は私も午後にあなたの家に行こうと思ってたんだ」
その少しぎこちない笑顔を見て、ぶつけたところがまだ結構痛むんだろうなと察しがついた。
「あのさ、ぶつけたところ、冷やしたら痛みが和らぐかも」
「全然大丈夫だって、ほら」
遥は立ち上がり、自分が無事だと証明するかのように振る舞った。しかし、左足を浮かせて重心を右足に移した瞬間、痛みに耐える表情が一瞬顔に浮かんだ。
「君はいつも無理しちゃうよな」
遥の母親が氷袋を持ってきて、遥の足を冷やす手伝いをしようとしたが、遥はその好意を断り、氷袋を受け取ると自分で足首に当てた。
女性の裸足をじっと見つめるのはとても無礼なことだと思い、視線をテレビに移した。
すると、こんな些細な動きにもかかわらず、遥に気づかれてしまった。
「おや?もしかして、女性の裸足を見るのが恥ずかしいの?」
「そりゃ恥ずかしいに決まってるだろ?僕は男なんだから」
「もしあずなら、いくらでも見せてあげてもいいよ」
遥は頬をほんのり赤らめ、恥ずかしそうな表情で僕を見つめながら、白く滑らかな足を軽やかに持ち上げた。
その華奢で美しい脚のラインが目に入ると、胸が急にドキドキし、これ以上見るのはいけないと思って目を逸らした。
たとえ母親が近くにいても、家族の前でいい子を装うつもりは微塵もないようで、普段通りに僕をからかってくるんだな。
キッチンに目をやると、遥の母親が娘がちょっとエロい感じで男をからかってるのを見ているのに、なぜか穏やかな微笑みを浮かべている。
いや、普通なら注意するところだろ?もしかして、この家族って全員変人なのか?
「ちょっと、何も言わずに目を逸らすとかやめてよ!こっちだって恥ずかしいんだから!」
自分でも恥ずかしいって思うなら、なんでそんなことするんだよ?
「ツッコミどころが多すぎて、逆に何から言えばいいのか分かなくなった……まぁ、まとめると、君はバカだ」
「私はバカじゃないもん!」
遥はソファの上のクッションを掴み、ムッとした表情で僕を叩こうと振り上げた。
まぁ、避けるほどの威力じゃないし、そのまま柔らかなクッションがぽふっと体に当たるのを受け流した。
「うちの娘がやっと友達ができて、本当によかったです。吉川くんがこれからも仲良くしてくれると嬉しいな」
遥の母親は笑みを浮かべながら、先ほど持ってきたモンブランとお茶を運んできた。ところで、この母娘は見た目が似ているだけでなく、気持ちが顔に出るところも全く同じだ。遺伝ってすごいな。
その後、僕たちは別の話題に切り替えた。意図したわけじゃないけど、会話がちょっと苦手なせいで、何度か話が途切れてしまった。
最初はお茶を飲み終わったら帰るつもりだったけど、遥が話題を切らさずに話しかけてきて、つい長居してしまった。正直、こうやって誰かと雑談するのは嫌いじゃないし、今みたいな時間は悪くないと思う。
ただ、その間に姉さんから何通も『あの子とイチャイチャして帰るの忘れるな』なんて警告めいたメールが届いていた。
頻繁に届くようになったメッセージを眺めながら、そろそろ帰ったほうがいいかもしれないと思った。もしこのまま放置しておくと、姉さんがブラコンをこじらせてヤンデレ化し、包丁を持って家に帰れと脅しに来る……ありえない妄想だけど、その光景を想像だけでゾッとしてしまった。
「そろそろおいとましようかな」
「えっ?でも、まだ一緒にいたいのに……」
遥が名残惜しそうな可愛らしい表情を浮かべながら、僕の袖を掴んだ。その仕草がまるで『行かないで』と懇願しているようで、思わず心臓がドキドキと高鳴った。
甘えるなんて反則すぎるだろ……もし遥が本当に僕に帰ってほしくないなら、たぶん僕は断れないだろうな……でも、もしそんな状況になったら、姉さんが本当にこっちに来て、帰れって言いに来そうだな。
キッチンで何してる遥の母親を見て、助けを求めるような目で見た。しかし、僕の視線に気づいた彼女は、にっこりと笑って返事をした後、また頭を下げて自分のことを続けていた。
「僕みたいな奴と一緒にいるの、つまらないよ?」
「そんなことないよ。あずがいる空気を吸ってるだけで、私は満足なんだから」
「なんだ、その変態みたいな発言?」
「じゃあ、帰るなら、今度は私があなたの家に遊びに行ったら、また一緒にいられるってこと?」
なんで遥がそんなに僕と一緒にいたがるのか、全然分からない。でも、遥がうちに来たら、姉さんが何をするか分からないな……でも、今までの様子からして、そんなにヤバいなことはしないはずけど。
「まぁ、一応言っておくけど、もし本当に来たいなら、姉さんの前では僕一定の距離をちゃんと取って。姉さんは独占欲が強いから、僕が他の女の子と近づくのは見たくないかも」
「分かったわよ」




