9. 言えなかった言葉④
雨宮さんが本当に元に戻れるか少し心配だったので、僕もその後を追うことにした。体育館を出ようとすると、遥が丁寧にナンパしてきた男子を撃退し、追いかけてきた。
さっきの無視に対して、遥は怒ったように力いっぱい僕の背中を叩いてきたけど、実際その力加減は子供よりも弱くて、全然痛くなかった。
職員室に着いたら、藤原先生はここにおらず、少し前に職員室の外で倒れてしまい、保健室で休んでいると知らされた。その知らせを聞いた瞬間、『雨宮さん』の表情は一気に険しくなり、「全部俺のせいだ」といった言葉を口にしながら、足早に職員室を去っていった。
「ち、ちょっ……と……待って……よ……」
足を速めて歩き出してからほんの少ししか経っていないのに、遥はもう足が止まってしまった。この20分間、一度も座って休んでいない上に、さっきからスロージョギングみたいなペースで歩いているのだから、普段運動していないなら疲れるのも無理はないだろう。
「疲れたなら、そこに座って休んでていいよ」
僕は階段を指さした。
「わ、私……全然……疲れてない……!」
疲れてないって、なんで壁に手をついてゼーゼー息切らしてんだよ?
「無理しないで」
彼女の無理を見て見ぬ振りするわけにはいかない。もし一倒れたら、面倒見なきゃいけなくなるじゃないか。
「……おんぶして」
遥がふと小さな声で変なことを言い出した。
「はぁ?」
聞き間違えたのか?
普通、まだそんなに親しくない人、特に異性にそんなお願いをするか?
「……いや、なんでも、気にしないで。早く行って。私はここで待ってるから」
なぜ遥が顔を赤らめて顔を背けたのかは分からなかったけど、僕はそのまま振り返らずに『雨宮さん』を追いかけ続けた。
保健室の外では、キャンディをくわえた保健室の先生が、壁にもたれかかりながら、退屈そうに天井を見上げてぼんやりしていた。
廊下から近づいてくる足音に気づいた先生が、こちらに顔を向けた。
「もしあの子について来たなら、今は入らない方がいいわよ。中はなんだか邪魔されたくなさそうだから」
だから先生は外で待ってるんだな。
うーん、最初は雨宮さんが元を取り戻したか確認して安心したかったんだけど、今の状況だとここで待ってた方がいいのか、それとも先に帰った方がいいのか……外で待つとなると、先生と一緒にいるのがちょっと気まずい気がするし……
「顔色、ちょっと疲れてるみたいね。ちょっと糖分を取った方がいいよ」
先生が白衣のポケットからキャンディを取り出し、僕に手渡してくれた。
「……ありがとうございます」
どう断ればいいのか分からず、つい受け取ってしまった。でも、これで帰りづらくなった。だって、キャンディをもらってすぐに立ち去るなんて、なんだか気まずい。
すると、ドア横に立ち、中での話が終わるのを待つことにした。でも、ドアがちゃんと閉まっていなかったせいで、隙間から中の様子が見える。
『雨宮さん』が本当に中にいるのか確かめるために、少しだけ中を覗いてみた。すると、『雨宮さん』はドアを背を向けて、すでに目を覚ました藤原先生を支えながら、ベッドから起き上がらせていた。
他人の事情を詮索するつもりはないので、確認が済んだらすぐに横に移動した。それでも、保健室の中から漏れ聞こえる話し声が、微かに耳に届いた。
「母さん、ごめん……あの日、もっと冷静になってちゃんと話を聞いていれば、今みたいなことにはならなかったのに」
「一度起きてしまったことは、どれだけ後悔しても過去を変えることはできない。でもね、樹は永遠に私の大切な子供よ。樹が私をどう思おうと、何をしようと、どんな姿になろうと、それだけは変わらない」
「母さん……ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
中を覗き見るのはやめたものの、幽霊のオーラが徐々に弱まっていくのをなんとなく感じ取ることができた。
怨霊の憎しみはもう解けて、ただの幽霊になった。成仏するためには、まだ幽霊としての最後の願いを叶える必要があるのかもしれない。今のところ、その願いは母親にもう一度会って、『ごめん』と言うことだろうな。
「あなた、樹くんと何か関係があるの?」
「えっ?」
なんで先生が急にそんなことを聞いてきたんだ?まさか何か気づかれたのか?
「どうして先生はそんなことを聞いたんでしょうか?」
「藤原母子とは長い付き合いがあるんだ。あの子、さっき保健室であなたが来る前の言動がまるで樹みたいだったんだ。藤原さんが目を覚ましてあの子を見た時、最初に出た名前が樹だった。そして、あなたが今日保健室に3回も来た理由もあの子のことだったし、だからちょっと変だと思う」
「えっと、その樹って人は知らないんですけど、保健室に来たのは雨宮さんが心配だったからです」
霊能力がバレないように、また嘘をついた。たとえ相手が先生でも、警戒を解くつもりはない。
すでに僕の秘密を知っていて、いつ口を滑らせるか分からない奴が一人いるんだから、これ以上リスクを増やすわけにはいかない。
「……そっか。考えすぎたかもなぁ」
助かった、先生がそれ以上突っ込んで聞いてこなくて。本当に、下手に話してボロを出しそうだったから。
静かになった後、また保健室の中から微かに聞こえてくる声が耳に入ってきた。
「もし来世があるなら、俺みたいな悪い子をもう一度、父さんと母さんの子供にしてくれる?」
「あなたはいつまでも私たちの一番大切な子供だよ」
「ありがとう。それに、ごめん。俺の人生は短いけど、息子としてこの世界に生んでくれて本当に良かった」
「もう行くの?」
「うん。俺、もうすぐ消えるよ。父さんには、酒は適量にしないと体に悪いって伝えておいて。母さんも、ちゃんとご飯食べて、夜遅くまで起きてないようにしないと元気が出ないよ。俺は、父さんと母さんがすぐに来るのを許さないからね」
「うん、うん……!」
「俺、父さんと母さんのこと、愛してるぜ。あぁ、もっと早く伝えられたらよかったのにな……じゃあな、今度こそ本当にお別れだ」
これで、幽霊のオーラは完全に消え去った。その瞬間、保健室の中に響き渡ったのは、母親の心の底から絞り出されるような痛々しい泣き声だった。
*
診察の結果、雨宮さんは体が弱っているため、しっかりと眠らないと元気を取り戻せない状態だということだった。
一方、藤原先生はしばらく泣いて感情を吐き出した後、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻し、そのまま静かにそばに寄り添った。
隙間から雨宮さんが無事であることを確認すると、僕はそっとその場を立ち去った。
階段に差し掛かると、遥が膝を抱えるようにして顔を埋めているのが目に入った。
「寝ちゃった……?」
すると、遥はすぐに顔を上げた。
気のせいかもしれないけど、その白くて整った顔に、ほんの少しだけ赤みが差しているように見えた。
「終わった?」
「はい」
「どう?嫌ってた霊能力が役に立つと、案外悪くない気分だろ?」
「手を貸した理由は、僕が無視したせいで雨宮さんが死んでしまうかもしれないって心配だったからなんだけど……まぁ、今は少しスッキリしてる」
自分がずっと忌み嫌い、呪いだと思っていたこの霊能力が、まさか人の助けになる日が来るなんて、考えたこともなかった。
雨宮さんは目を覚ました後、憑依されていた間の出来事を覚えていないし、僕が彼女のために何をしたのかも知らないだろう。それでも、自分にしかできないことを成し遂げられたという実感が、ほんの少しだけ心を温めてくれる。
当然ながら、これができたのも遥の協力あってのことだ。そのことに対して、僕は心から感謝している。
その答えを聞いた遥は、無邪気で純粋な笑顔を浮かべた。
「それは良かった!」
そういえば、彼女は最初からこの事件が幽霊に関係している可能性があることを知っていて、僕が雨宮さんの状況を見たら何もしないわけがないって予測してたから、ずっと保健室に行かせようとしてたのか?もし本当にすべてが彼女の予想通りに進んでいたとしたら、なんだかちょっとムカつく。
でも、助けてくれたことと、その笑顔のせいで、やっぱり許すしかないよな。
次回は2024/12/10更新予定です。
(*´ω`*)




