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ハンターギルドに行き、受付で先程の紙を渡すと、受付の女性に随分驚かれた。
こちらの手首を見て魔憑きであることには気づいたようだが、滅多にないことなのか、他の者を呼びに行くといってすぐにどこかへ行ってしまった。
数分待っていると、中から一人の男が現れた。鍛冶屋のオヤジほどではないが、ニルスよりは随分デカい初老の男だ。身長は2メートル弱、体重130キロといったところか。
随分重そうな甲冑を身に付けた男は、こちらをじっと見ると「ついてこい」と言って歩き出す。行き先は、屋外にある訓練場のようだ。
「名前はニルス、職業は狩人――狩人だぁ?」
「何か問題でもあるのか?」
「……まぁ、推薦状持ちなら実力は保証されてるか。お前はハンターになりたいってことで良いんだよな?」
「まぁ、なれるなら」
「……なんだ、ドノバに言われて来ただけか? ハンターが何か分かってんのか?」
「なんか、金になる獲物を狩るんだろ」
「…………まぁ、その認識でも間違いはないが、そうだな、細かい説明よりまずは見た方が良いな。こっちとしても実力がある奴を断る義理はねえ。普通ならそのあたりの剣で模擬戦でもするんだが、狩人なら武器は弓か?」
「あぁ、罠を使うことも多いが、基本的には弓だな」
今回は荷物が少なかったこともあり、愛用の弓を持ってきている。ヨーアンから受け継いだ長弓は、複数の素材で作られている洋弓ではなく、日本に古くからある和弓に近い大型の弓だ。
「なら、ここで見れるのは的当てくらいか。あそこの的は見えるか?」
男が指したのは、100mほど離れたところで棒に刺さって置かれている古びた鎧だ。
やけに細長い形の訓練場とは思ったが、的当ての意図もあったのか。しかし――
「いや近すぎんだろ。あんなので実力が分かるのか?」
「近い? だがあの距離の的でも百発百中になれば、それなりに優秀なハンターだぞ?」
「……そんな認識なのか」
狩人として専門教育を受けてきたニルスだが、あのような的当ての経験はない。狙って当てることは当然だが、動いている生物の急所を的確に狙わなければ反撃されて終わりなのだ。
ヨーアンは言っていた。狩人は巨大な獲物を狩るより、無傷で生還することの方が重要なのだと。
故に精密射撃の訓練より、どうしたら生き残るかに重点を置いて訓練をしてきた。そんなニルスにとっても、100mの距離はあまりに近く思えてしまう。
あんな近くでそれも動かない的など、目を瞑っても中てられる。
弓を構え、くるりと後ろを向いた。的に背を向け、弓を空に向かって引く。
「お、おい的は――」
矢が飛んだ。ほんのわずかに角度を付け、上空に向けて飛翔する矢はあっという間に視界から消えていく。
「10、9、8、7――」
的を見ないまま数字を数える。そしてその数が0になった瞬間、背後から大きな音が鳴る。
ようやく振り返ると、的にされていた鎧に対しほぼ垂直に突き刺さった矢が鎧を両断し、鎧を立てていた棒の半ばまでめり込んでいた。
「あれで良いか?」
「……ん? 今何したんだ?」
「何って、中てたんだよ。あれか? 曲芸にしか見えないなら――」
「…………狙ったのか?」
男がこちらを見る目は、ニルスが魔憑きであることに気付いた時と奴と同じだった。それは、異物を見つけてしまった時の目だ。
「当たり前だろ。こっちは一回でも外すと即死するような獲物を狩ってんだ。この距離で動かない的なんて、俺にとっては的にもならん。的当てさせたいなら、町の外に的を置いてくれ」
「…………合格だ」
「どうも」
なりたかったわけでもなかったが、とかくこの世界において金を稼ぎ社会的地位を得るためには、まず狩人でない立場を手に入れる必要があった。それがハンターだったというだけだ。
そしてギルドに戻ってから渡されたのは、薄い金属のプレートである。
これはこの町のハンターギルドに所属する者であることを示し、基本的に外出する時は首から下げておくように言われた。
どうしてかと聞くと、死体を見つけた時にそれを報告するためだそうだ。見えるところにないとハンターであることを確認するために荷物を片っ端からひっくり返して探すことになるので、善良な人間が死体漁り(スカベンジャー)扱いされるのを防ぐためだそうだ。
早速大金を持って買い物に行こうかと思ったが、その前に寄るところがあった。馴染みの鍛冶屋だ。
「オヤジ、ハンターになったぞ」
「……おうニルス、どうしてお前がハンターなんかになったんだ?」
他の鍛冶屋でも買い物が出来るようになったら、ここには来なくなるかもしれない。魔憑きであるニルスにも親切にしてくれたオヤジに、その挨拶をしに来たのだ。
「なんかって、どういうことだ?」
「ハンターの死亡率は狩人の比じゃねえ。いや、狩人が死ななすぎるだけなんだが――別にハンターになる気なんてなかっただろ。どうして突然なろうと思ったんだ?」
「あぁ、なれたからなっただけだ。これまで買い物もロクに出来なかったからな。ハンターになれば普通に買い物が出来るって言われたんだよ」
「…………そうか。まぁ、お前がハンターになったってんならこれまで売れなかった物も売れるようになるぞ。どうする?」
「ん? 売れなかったってどういうことだ?」
「こっちも組合に所属してるんでな、公的身分証がない奴には売れない物も多かったんだよ。気付かなかったのか?」
そう言われても、基本的にここでは消耗品しか買っていないから気付かなかった。矢じりや罠の素材などを買うだけで収入をほぼ使い切っていたのだ。しかし、今日は臨時収入がある。消耗品だけで終わることはない。
「あー……そうだな、例えば何が売れるんだ?」
「これまでお前に売ってたのは鏃だけだろ? 矢がそのまま売れるようになる。それに素材の制限もなくなるから、今までみたいな鋳潰して作った安い鏃以外も使えるようになるぞ」
「いや、別に矢は作れるが」
「……分かった、そりゃずっと狩人やってきたお前はそう言うよな。大方、大物狩ったらハンターギルド紹介されたんだろ? 狩ったのは何だ?」
「トリデムシだ」
「……トリデムシか。鉄製じゃ太刀打ち出来ねえが――これくらいあれば足りるか」
「ん? これ普通の矢とは違うのか?」
オヤジがどこかから持ってきたのは、見慣れない鏃のついた矢だ。尾羽はたぶんゲソウオオバか、普段暮らしてる森ではあまり見ない個体だが、狩ったことはある。
「鏃はチタン、矢柄は竹、羽根はゲソウオオバだ。これ一本で9200ドゥラムする」
「はぁ!? 9200!?」
「トリデムシの甲羅はオウラム硬度72、それを超える貫き力ともなると、このくらいは必要だ。まぁ節とか脚を狙うんならもちっと弱くて良いが、それだと一撃で縫い留めることは出来ねえ。集団で巻き狩りするんなら別だが、お前は違うだろ。トリデムシを弓で狩るハンターなら、最低限こんくらいの武器は必要ってことだ」
「…………金が飛んでくな」
9200ドゥラムの矢など、いくら何でも使い捨てるには惜しすぎる。普段から回収出来れば回収しているが、心臓や首に中てると獲物が倒れた時に潰されてしまい折れることが多いのだ。
そうなると、羽根くらいしか回収出来ないことの方が多い。つい最近まで中身は捨てていたから、鏃も使い捨てることの方は多かったのだ。
「そういうことだ。装備に大金を使って、大物を狩る。大物を狩って手に入れた金で更に装備を整えていく。ハンターなんてもんは死ぬまでその繰り返しだ」
「……まぁ、狩人よりはマシなのかもな」
ハンターと狩人の違いがあるとしたら、それは主体性だろう。
狩人は害獣と定められたものを、ただひたすらに狩り続ける。誰に言われるでもなく、誰に依頼されるでもなく、褒められるわけでも貶されるわけでもなく、死ぬまでずっとそれを続ける。それは、そういう職業だからだ。そういう風に、生まれてしまったから。
けれど、ハンターは自分で考え、自分の命のために装備を整え、自分を鍛える。
なるほど。似たようなものだと思っていたが、随分と違いがあるものだ。
「で、どうすんだ? トリデムシはそれなりに大金になったろ? 装備整えるのか?」
「……いや、今はまだ良い。今はハンターとして大成するより先にやらないといけないことがあるんでな」
「ん? 何かギルドで依頼でも受けてるのか?」
「あぁ、まぁ依頼と言えば依頼だな」
この世界に料理を広めること。それが転生の条件であり、堺京三がこの世界に降り立った意味である。
確かに装備を整え、強敵を狩り続け、ハンターとして大成するのも面白そうだ。孫ならば間違いなくそれを選ぶであろう。
しかし、先約があるのだ。
「この金で、作ってもらいたいものがある。金さえありゃなんでも作るんだろ?」
全財産が入った革袋を置き、オヤジに伝える。
「あぁ。……何を作るんだ?」
必要なのは、調理器具だ。
自作出来たものもあるが、どうしても作れないものはある。必要なものを伝え、何に使うんだという質問には答えられないまま、大量の注文をしていく。
オヤジは怪訝な顔にはなるが、金を貰えるのならと注文を受けてくれた。試作が必要だからしばらく町に居るように言われたが、すぐに帰るとエルテに言っていたのもあるので今回は注文だけにしておいた。
また三日後に町に来るのでその時までにある程度作ってもらうよう頼み、オーダーメイドである必要はない解体用ナイフだけ購入し、鍛冶屋を出た。
町を出ると、すぐにエルテが走ってきた。どうやって呼ぼうか悩んでいたが、その必要はなかったようだ。軽くなったリュックを背負いエルテに跨り、小屋に戻る。
*
「エトロア森の狩人、か」
「それ、今日の新人さんの話ですか? あの、トリデムシを狩ってきたとかいう」
ギルドマスターのハイドラは、今日会った若者のことを思い返す。背後にある的に曲射とも言えない曲芸のような頭上打ちで命中させた、魔憑きの狩人である。
「あぁ、魔憑きは生来身体能力が高いとは聞いたことがあるが、あそこまでなのか?」
「……あの歳なら、狩人としての経歴は長くても10年くらいですよね。私はその曲射を見ませんでしたが、狙ってやったのだとしたら、ハンターランクS級の化け物じゃないですか」
「しかも、見たところ何の加護もないただの弓と矢だ。それであんな真似が出来るハンターが居るとしたら、それはもうSどころじゃねえ、英雄級のハンターだ」
ハイドラは、訓練場での出来事しか知らない。故にどんな男だったのか聞こうと、最初に対応した受付嬢を呼んだのだ。
この後、買取所で彼に推薦状を書いたドノバという男と合流することになっている。
「そもそも、エトロア森なんて危険度A級の危険領域です。あそこで生きて獲物を狩っていたなんて事実なんでしょうか? そんな人が、どうしてこれまで無名でいられたんでしょう」
「……恐らく、魔憑きだったからだ。昔から買取所では魔憑きからの素材買取価格を法外なまでに下げるという風習があると聞いたことがある。それでこれまでロクな収入を得られなかったが、A級魔獣のトリデムシを単独で狩ってきたとなると、それはもう森の狩人の領域じゃないからってこっちに送ってきたんだろう」
「……自身の実力に気付けないまま、トリデムシを倒せるところまで育ってしまった、と」
「そういうことだな。トリデムシなんてのは、A級ハンターがパーティを組んでようやく討伐出来るような魔獣だ。言ってしまえば、格が違う。エトロア森にはノーブルウルフまで住んでるって噂だ。あんなダンジョンまがいの魔窟に住んでたら、感覚も狂ってくるんだろうな」
魔獣と獣には、絶対的な差がある。それは、魔力を持つという点だ。
魔力を帯びた獣はいつしか魔獣と呼ばれるようになり、異常種でしかないそれは強大な能力を得たことで固有主族として確立されることがある。
ニルスという青年が狩ってきたトリデムシだけでなく、エトロア森の万人たるノーブルウルフも魔獣だ。『群体操作』という特殊な能力を持つノーブルウルフは、群れの中の一匹が王として君臨し、配下となる同種の群れを自身の指のように扱えるようになるという話だ。
エトロア森でも、一軒家ほどに巨大な狼の目撃証言がある。恐らく、それが彼らの王なのだろう。
「……ただのスーパールーキーであってくれたら、どれだけ嬉しかったろうな」
しかし現れたのは、異常者だった。
何故あれほどの力を持ちながら魔憑きと蔑まれても大人しくしていたのか、ハイドラには理解が出来なかった。常人が勝てる相手ではない。弓の腕しか知らないが、彼は狩人だ。武器が弓矢だけのはずはない。
常人とは比べ物にならない実力の男が、罠も地形も環境もあるものを全て利用し、襲ってくるのである。彼に狩られる獣からしたらたまったものではないだろう。
ドノバはこれまでの買取記録をまとめてくると言っていたから、まだしばらくかかるか。それまでは、この重い空気のままだ。
ハイドラの溜息は、ギルド中に響き渡るほど大きかった。