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「おぉおおお!!!!」


 森を上から見るのは、飛行機などないこの世界でほぼ不可能な経験だ。


「エルテ、すっげぇええ!!!!」


 エルテの背中に必死でしがみつきながら、高速で流れていく地上を眺める。

 数百キロ、もしかしたら数トンあるかもしれないエルテは、足場にもならないほど細い木の枝を踏んで飛び上がると、超高速で森を駆けていく。どうしてこの大きさで空を舞うほどの跳躍が出来るのか、どうしてあんな細い枝が折れることなく足場になるのか、何も理解出来ない。

しかし、そんなことを言えば狼のような生物が一軒家ほどの巨体になることだって理解出来ないのだ。

 ニルスはこれまでの経験から()()()()()()と認識しているが、京三の意識ではそこまで割り切ることは出来ない。しかし、経験してみれば納得出来ることもある。


「こ、これ、どんな速度出てんだ!?」


 車などない世界においては、速度計そのものが存在しない。

 だからニルスは、エルテの移動速度が50キロなのか100キロなのかも分からない。分かるのは、とにかく滅茶苦茶速い、というところだけだ。


「あ」


 エルテが突然呟いた。しがみつくのに必死で進行方向すら見ていなかったが、しがみついているエルテの動きが突然変わったことで全身に重力が襲い掛かる。


「ちょ、なにが」

「げっとー」


 正面から飛んできた何かが、頬にぽたりと当たる。

 速度が落ちたので前を見ると、エルテが空中で何かの鳥類を咥えたということが分かった。いや器用だなこいつ! てか今飛んできたの鳥の血かよ!


「……器用だな」


 そのままばりぼりと人よりデカい鳥をかみ砕きながら、エルテの移動は続く。ひょっとしてこれ、マラソンランナーとかロードレーサーが走りながらゼリー飲料とか食うみたいなアレなのか?


 どうしてエルテの背に乗って移動しているのか。それは、今朝に遡る。





「ちょっと町に行きたいんだけど」

「まち?」

「えーっと、人が多いとこだ。金で物を買ったりできる」

「おいしい?」

「おいしいではない」

「そう……」


 昨日子狼らに狩って貰った肉は、昨晩と今朝とで食べきってしまった。残ったのはトリデムシの甲羅が数枚と、バララドリの羽根くらいだ。

 これを売りに行きたい。いつもなら狩れない鳥獣の素材だ。もしかしたら高値で買って貰えるんじゃないかという淡い期待と、熟練狩人のヨーアンすら狩れなかったトリデムシの素材はどのくらいの価値があるのか知りたかったのだ。

 自分が狩った鳥獣の素材ではないが、エルテは気にしないようなのでありがたく頂戴する。

 そうなると、家で眠らせておくくらいならとっとと売るべきだと考えたのだ。

 とはいえ、往復4日かかる道中である。いつもより荷物は少ないが、それでも時間はかかるので話し相手になっているエルテにそれを伝えると、エルテは言ったのだ。「のってく?」と。


 興味がないわけではなかったので、ありがたく乗らせてもらうことにする。

 リュックを普段通り背負うとバランスが取れそうになかったのでエルテの胴に紐で縛り付け、自分も安全帯として紐を腰に結びつけながら、全身でエルテにしがみついている。

 結局、徒歩で二日かかる距離を、エルテの背にしがみついていると二時間ほどで到着してしまった。

 今後もこの速度で移動出来るなら、もっと遠いところの町に行くのもアリだなと思うが、ひとまずこの町で調べものをしてからだ。


「ひっ!?」


 エルテの背に乗ったまま町の入り口に飛び降りると、守衛らが慌てて詰所から出てくる。

 彼らはこちらに槍や剣を向けているが、手足が震えており明らかに恐怖が上回っている。

 エルテ以上に巨大な生物を見慣れているニルスはエルテが特別怖くは思えないのだが、比較的平和な町で暮らしてる彼らにとってエルテは恐ろしい獣なのだろう。


「あー、大丈夫ですよ、襲ったりしないので」

「お、おま、魔憑きの!?」

「魔憑き!?」「魔憑きが魔獣に乗って攻めてきたのか!?」「おい応援呼んで来い!」


 エルテから飛び降りて説明しようとしても、どんどん騒ぎが大きくなる。

 ただエルテが町に攻めて来ただけなら討伐するだけで済んだかもしれないが、それを操っているようにしか見えない男が、しかも魔憑きが乗ってきたのだ。彼らの混乱も理解出来る――が。


「エルテ、落ち着け」


 槍を、剣を、殺意を向けられたエルテは、牙を剥きだしにして小さく唸っている。

 これで止めないと、一瞬にして守衛らは全滅することになるだろう。しかも、それは間違いなく自分の責任となる。それは避けたい展開だ。


「エルテ」


 声を掛けても聞いてくれないので、しょうがないので正面に回り込んで顔を抱き込むようにして押さえつける。本気で抵抗されたら放り投げられて終わりだろうが、ようやく我に返ったのかエルテから聞こえる唸り声が少しずつ小さくなってくる。


「すぐ戻ってくるから、離れたところで待ってられるか?」


 落ち着いたのを確認したら腕を離し、問いかける。いつもならすぐに返事してくるはずのエルテは、小さくこくりと頷いただけだった。

 少し心配だが、一緒に入るわけにはいかないんだよな。


「あの、この子最近森で飼ってるペットです」


 守衛の中で比較的落ち着いてそうな人にそう伝えるが、しばらく時間を空けて「は?」と返される。

 いや、まぁ、これで通るとは思ってたわけじゃないけど、なんて説明すればいいんだ?


「元は野生なので剣とか槍突き付けると怒りますが、何もしなかったらおとなしい子ですよ」

「…………本当か?」

「本当です。言葉も分かります。な?」


 エルテに向かって聞くと、エルテは声を発さず頷いた。それで守衛らは意思の疎通が取れることをようやく理解したのか、構えていた剣や槍を下ろしてくれる。


「ここで待ってるより、終わってから呼んだ方が良いよな?」


 エルテは黙って頷くと、胴に着けられたリュックサックを鼻でちょんちょんとつつく。あぁ、そうだな、忘れるところだった。

 リュックサックを外すと、エルテは一瞬にして見えなくなるほどの速度で町から離れていった。俺、あの速度で走ってきたの? マジで?

 まだ混乱したままの守衛らに頭を下げ、町の中に入る。別に法を犯したわけでもなく彼らに危害を加えたわけでもないので彼らに町に入るのを止める道理はなく、領内の人間であることを示す木札を見せただけで素通りである。

 そうして、町に入ると早速買取所に向かった。金にするためである。


「……これ一本で200ドゥラム?」

「あぁ、あるだけ買い取るぞ」


 買取所に居たのは、数日前にも見た男であった。彼にバララドリの羽根を見せると、特に驚くこともなくそう返される。

 アオビマーテンの時のような反応を期待していたが、どうやら狩人が持ち込むこと自体は珍しくなさそうである。

 とはいえ買取価格は即金とは思えないほどに高い。持ってきた全てを売るためにリュックを開くと、上に重なっていたトリデムシの甲羅がぽろりと落ちた。


「……おい、今のなんだ?」


 出店から身を乗り出して男は言う。アオビマーテンの皮を渡した時と同じような表情だ。


「あぁ、こっちも場合によっては買い取って貰おうかと思いまして」

「ゲンゾウカブトか?」

「いえ、トリデムシです」


 あまり見かけないが、ゲンソウカブトも狩人の狩猟対象である害獣だ。人の頭ほどの巨大なカブトムシだが、トリデムシと比べると小さい。

「……いや、そんなわけねえだろ。ゲンゾウカブトの甲羅が割れてそれっぽくなってるだけだろ? トリデムシなんて狩人の武器で狩れる獲物じゃねえぞ」

「本当ですよ。見ます?」

「……見せてみろ」


 比較的綺麗な一枚だけ渡し、男の様子を伺う。

 甲羅は綺麗に剥がせた5枚だけ持ってきており、残りはエルテの腹の中だ。

 エルテ曰く探せば毎日一匹は見つかるほどの獲物らしいので、今回の売上次第では、トリデムシを解体しても欠けないくらいのナイフを購入したいと思っている。まぁ、何度も食べるかは分からないが。


「……確かにゲンゾウカブトとは違うな。だがトリデムシとも言い切れねえ」

「どうしてですか?」

「まず第一に、魔憑きの狩人が狩れるような獲物じゃねえからだ。本当にトリデムシってんなら――おめぇ、どうやって狩った?」

「……言わないと買い取って貰えないなら、他に持ち込みます」

「他っつっても、魔憑きから買い取るのはここくらいだろ」

「他の町に持ってくって意味ですよ。別にこの町に拘りがあるわけでもないので」


 男の態度から、強気に出ても良いと判断した。こういう場合は、舐められたら終わりだ。相手がいくら魔憑きのことを馬鹿にしていようが、差別しようが、今回は関係ない。

 熟練の狩人であったヨーアンが狩れないほどの獲物である。その素材の価値は、いかほどか。

 これはヨーアンの未練を晴らすためでもあるのだ。彼のためにも、ここは引けない。


「……一枚、7000ドゥラムだ」

「じゃあご縁がなかったってことで」


 7000と聞いて飛び跳ねそうになった心を宥め、男の手から甲羅を奪い取る。にやけそうになる表情を必死に取り繕い、平静をアピールする。


「……じゃあ、1枚15000だ。これ以上は出せねえ」

「5枚で10万。それ以下なら帰る」

「…………8万」

「どうせアンタが懐に入れる分があんだろ。10万」

「85000!」

「もう諦めろ。俺は10万じゃないと売らないし、二度とこの町にも来ない」

「……言ったな?」

「こっちは毎日でもトリデムシを狩れんだ。こんなちっせえ町に留まってる理由もねえんだよ」

「ま、毎日だと!? まさかあの森に巣でもあんのか!? それとも――」

「言う必要はない。が、まぁ――金積まれたら口が軽くなるかもな」


 吐き捨て、ついでに先程渡したバララドリの羽根も回収すると、リュックを背負って立ち上がる。本当なら今すぐ全部売りつけて大金持ちになりたいところだが、ヨーアンのためにも、ここは譲れないのだ。

 魔憑きだろうが狩人だろうが、持ち込んだこちらの方が上だと思わせなければこれまでのように買い叩かれるだけである。

 男はしばらく俯いて唸っていたが、しばらく待つと「だぁぁあ!!」と叫び声を上げた。


「5枚で10万払う! んでさっきのバララドリの羽根も1本900で買い取る! これでどうだ!?」

「……売った!」


 なんと、予想外なことにバララドリの分まで価格が吊り上がったので驚いた。そっちは別に満足だったのだが、1本900ドゥラムだと、合計いくらなんだ? リュックの中身を全部取り出し、男に数えさせる。


「72本か。こっちの19本はB級品だから200のままだ。そこは文句言うんじゃねえ」

「あぁ。良いのか?」

「良い。ここではした金を懐に入れるより、トリデムシを狩れる優秀なハンターとの縁を繋いだ方が得になるって判断しただけだ」


 男は溜息交じりにそう言った。

 納得は出来ない様子だが、それでも熟練の狩人ですら狩れないほどのトリデムシの素材を持ち込んだことは事実なのだ。それは事実として受け入れるのだろう。

 まぁ、実際はエルテが、それも子狼らが狩ってきた獲物なので、手柄を横取りしたようなものなのだが。


「ところで、俺は狩人だが」

「この足ですぐにハンター登録してこい。狩人のチャチな装備でトリデムシ狩れる奴が狩人やってる必要はねえだろ」

「ハンター登録したら、なんか良いことでもあるのか?」

「……そんなことも知らねえのか? まず、登録証があればこれまで魔憑きに何も売らなかったような店で買い物が出来るようになる。魔憑きであることより、ハンターであることの方が重要だからだ。ただハンターには誰でもなれるわけじゃねえし、普通の奴は試験で落ちるらしいがな。まぁ、トリデムシ狩れるんなら余裕だろ」


 羽根の選別が終わり、トリデムシの甲羅の傷を調べながら男は言う。トリデムシを狩れる前提の戦力を期待されたら困るが、そこは大丈夫なのだろうか。


「トリデムシを狩ったのは偶然とか、死体を見つけただけとは思わないのか?」

「もしそうなら、俺の見る目がなかったってだけの話だ」

「……そうか」


 全て検品を終えると、男は金を用意するために本部に戻ると言い出したので、ちょろまかされないように着いていくことにした。

 そこで、これまで見たことのないほどの大金を受け取る。

 買取合計額は16万ドゥラムを超えた。これまでの一月の売上が500から1000ドゥラム程度だったので、実に数十年分の収入をたった一日で得てしまったことになる。

 これはトリデムシとバララドリの買取価格が高かったというのもあるが、男がこれまでしていた中抜きがないというのが大きい。


 金の受け渡しには小部屋を案内されたが、部屋の壁にはハンターが持ち込む素材の買取額が書かれた札が下げられていた。識字率の低い狩人やハンター向けなのか、買取札には文字だけでなく絵も描かれている。

 トリデムシを探してみると、そこには甲羅一枚が18000ドゥラムと書かれていた。今回は一枚2万で買い取らせたから、僅かながら規定額を超えている。苦渋の決断だったのだろう。

 とはいえ即金買取は売上の半分と説明されたから、この買取所はこれから倍近い値付けをして外に売ることになる。男の個人的な中抜きが消えたところで実に50%中抜きが発生しているわけだが、誰にどう売るかも分からないニルスにとって大して重要ではない。

 狩ってきてくれた子狼らにご褒美で美味しいものでも買っていきたいと思考が移るが、残念ながらこの世界において気軽に買える高級ペットフードなんてものはない。

 そもそも、ペットという概念があるのかすらニルスは知らないのだ。

 人が芋しか食べない世界で、ペットに様々なものを買い与える飼い主が居るのかどうか、ちょっと分からない。


「で、これがトリデムシの買取証明書だ」

「……そんなものあるのか?」

「ある。お前は知らねえだろうが、ハンター登録するには認定者からの推薦状が必須だ」

「認定者?」

「この買取所もハンターギルドに加盟してんだよ。だから買取担当には、俺含めて数人認定者が居る。ただし、俺がこの紙作ったのは5年ぶりだ。狩人からハンターになる奴なんて、普通居ねえんだよ」


 男がこちらを見る目が、明らかに前回と違う。蔑むような目はなく、どこか認めてくれたような、そんな雰囲気を感じるのだ。

 たとえそれが手柄の横取りだろうと、人にこんな目で見られるのはこの世界に来てから初めてで、少しだけ嬉しく感じてしまう。


「で、ハンターギルドってのはどこにあるんだ?」

「町の中央に教会あんだろ。そこの横にあるでけえ建物だ。受付にこの紙渡せばあとはあっちが説明してくれる」

「ありがとな。……って、なんだよ」


 紙を受け取ろうとしたが、男は紙から手を離さない。


「だから――今後も俺のところに持ってこい。で、とっとと大物狩れるようになれ」

「……あぁ、分かったよ」


 その実力が自分のものでないとしても、この言葉に嘘はない。実力が後からついてくることを信じ、男の手から紙を奪い取った。そうして、ハンターギルドに向かう。

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