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ニルスは狩人という職に就いているが、この世界に食費という概念がない以上、実は自給自足を続けるのなら狩りなどしなくとも生き続けることが出来る。
上水の使用料を取られた記憶はニルスにはないので、小屋を作った者がどこかから勝手に引いてきた水の可能性が高い。
水道代という概念があるのかどうか、一人で暮らすニルスには分からない。
つまり、時間は腐るほどあるのだ。
ニルスが狩りをしないことで人を襲う害獣が繁殖する可能性は、しばらく考えてないで良いだろう。そもそも一人で担当する範囲が広すぎるのだ。
狩りは往復に丸一日以上かかることもザラにあるほど時間を掛けて行うので、生態系を一人でコントロール出来るほど獣を狩れているわけがないのだ。
長期的な目で見たらニルスが狩らなかった分だけ獣は育ち、やがて人を襲うようになるだろう。だがニルスには思い入れのある人など居ないし、生まれてこの方慕っていたのは今は亡き先任の狩人、ヨーアンという老人くらいのものである。
医者に罹ったことなどないので、彼は老衰でなく何かの病気だったのかもしれないが、亡くなる前日までいつも通りに狩りをしていたヨーアンは、ニルスに狩りのイロハを全て叩き込んでから亡くなった。
そのお陰で、物心つく前に親に捨てられたニルスも、一人になってからも狩人を続けられているのだ。
墓を作る文化はなかったのか、それともニルスが教えられていないだけなのかは分からない。死体は森に埋めたが、そのうち森に住む獣に掘り起こされて食べられたのか、いつか見るとぽっかりと穴が空いていた。
それを見て悲しいと思う気持ちがなかったといえば嘘になる。
けれど、悲しんだからといって生き返るわけではないとニルスは理解していた。原始的な宗教観しかなくとも、森に住んだ彼が森に還っただけなのだと、自分を納得させたのだ。
「まずは片栗粉だな」
芋に塩味や甘味がある以上、遠心分離か何かをすれば芋から塩や糖を抽出するのも不可能ではないかもしれない。
しかし道具がないし、何より京三が知らないことをニルスが知っているはずもない。なので、唯一作れそうな片栗粉の抽出を始める。
片栗粉を芋から作るのにまず使うのはおろしがねだ。
しかし、料理という概念がない世界に当然そんなものは存在しないので、片栗粉を作るための道具を作るところから始まる。
幸い、罠を作るために小屋には様々な工具や素材が転がっている。その中から薄い金属の板を選び、蚤と金槌を使って、板に大量の目を彫って立てていく。
昔テレビで職人がおろしがねを手作りしているところを見た記憶があったので作れると思ったのだが、満足のいくものが仕上がったのは作業開始から三時間も経ってからで、その頃には手に無数の傷が出来ていた。
「……ふぅ、こんなもんで許してやるか」
不格好なものだ。イメージしていたものが100点だとすると、12点くらいである。
だが、おろしがねとしての用途で使えるならば多少不格好でも問題ない。もっと完成度の高いものが必要になれば、町に出て金物屋で作って貰えば良いのだ。
庭から芋を掘ってきて、しっかりと洗ったら自作のおろしがねでごりごりと芋を削り出す。
目が粗すぎたせいか思ったように削れないが、少なくともナイフで叩くよりかは楽だと考えることにし、無心で削ること凡そ1時間。
掘ってきた10個ほどの芋を全ておろし終えたので、小屋にあった一番綺麗な布巾で包み、たらいに水を張ってそこに布巾ごと投入した。
おろした芋を布巾ごと揉んだりゆすったりしていると、次第に水が黄色く濁ってくる。これ以上濁らないなというところまで水に漬けたら、しっかり絞って布巾を取り出した。
布巾を開けると、でんぷんが水に溶けてべたべたになった芋の残骸が残されていた。食材に困ってるならこのがらも使いようはあるのだが、この世界で芋が足りなくなることはないのであまり気にしないようにして捨てた。
水を張ったままのたらいをしばらく放っておくと底にでんぷん質が溜まってくるので、濁った水だけを捨てて再び水を張る。その作業を三回ほど繰り返すと、底に溜まったでんぷん質は真っ白で、水に溶けない成分だけが残った状態となる。
水を捨て、固まった沈殿物を軽く砕いてから乾かす。作業開始から半日ほど掛けて、ようやく片栗粉の完成である。
「で、これを――」
おろしていないそのままの芋と、ナイフを手にする。
太めの拍子木切りにし、片栗粉をまぶしてから加熱しておいた油に投入した。
じゅわっと一気に音が鳴る。油が跳ね、沈んだ芋をしばらく泳がせておくと、水分が減り浮かんでくる。片栗粉作りで手の空いた時に作っておいた穴あきおたまで芋を掬い上げた。
「あつ、あつ」
手で摘まみ上げ、口に放り込む。
揚げ立ての芋は軽くなり、生で食べた時とも蒸かして食べた時とも違う食感が生まれた、片栗粉の衣によって外はザクザクに、中はほっくりとしたフライドポテトだ。
「旨いな。ただ明らかに塩味が強い――もしかして、温度か?」
蒸かしたり茹でた時と比べると、明らかに塩味が強い。
何本食べても同じだ。芋の種類が複数あるわけでもないので、変化した、としか思えない。
理由は分からないが、生だと甘いのに蒸かすと塩味を感じることだって、常識的に考えたらおかしい。
しかしこの世界の芋は、神が作った万能食材である。どのような特性があるか教えられたわけではなかったが、少ない試行回数でも熱による変化に思い当たる。
「生だと甘い。蒸かしたり茹でれば僅かな塩味、揚げればはっきりとした塩味――」
舌がそう感じるだけでなく、実際に甘味や塩分量が変化している可能性もある。この芋を作ったのは神で、京三の常識で測れるものではないのだ。
故に、理屈ではなくこれはそういうもの、と考えれば良いのである。
「超高温で加熱して砕けば、塩みたいな塩味が生まれるのか……?」
考えてはみたものの、すぐに問題にぶち当たる。まともな調理器具すらなく自作するしかないような状況で、油以上の高温で加熱するのは中々難しいからだ。
「石窯なら薪でも400度を余裕で超える。ただ耐火レンガでもないと作れないんだよな」
耐火レンガはどうだろう、この世界にあるだろうか。料理に関連するほとんどすべてのものが存在しない世界だが、逆に言えばそれ以外はあってもおかしくはない。
金属加工の技術はあるようだし、狩人が弓矢を使っていることから銃や火薬のようなものはないかもしれないが、料理だけでなく金属を加工にする時にだって火は使う。
おろしがねに使った薄い金属板や、矢じりだって金属製。つまり、何かしら高温の炉が町には存在しているはずだ。
ニルスの記憶から町の様子を思い出そうとしても、ニルスが興味ないものに関しては解像度が低く、雰囲気だけしか思い出せない。今度町に行った時に調べてみるしかないだろう。
「……いや、別に塩が欲しいなら岩塩でも海水塩でも良いだろ。何考えてんだ?」
あまりに芋が万能すぎたことで、芋ありきの思考になってしまっていたことに気付いてしまい、頭を抱える。
「この世界には農耕も畜産もない。でも自然食材の採取なら出来るだろ。ただ、売ってないとなると探すしかないのか……」
塩は、歴史と切っては切り離せぬ調味料である。
しかし、歴史を遥か遠くまで遡れば、塩がない時代も存在したのである。それでもその時代から海はあったし、岩塩もあった。
ただ単に、その時代の人間は塩を必要としなかっただけである。食材から摂取する塩分だけで十分に人が生きられたのだ。
この世界も、状況としては似たようなものである。塩を外から摂取する必要がないから、塩の重要性が分からない。
海があっても海水塩を作ろうとはしないし、岩塩があってもただの岩としか思わない。そのような状況で、塩が流通している可能性は限りなく低い。
「塩の、調味料以外の用途……」
腕を組みしばらく考えてみたが、残念ながら風呂に入れるとか、雪の日に道路に撒くくらいしか浮かばなかった。
ならば人に探してもらおうにも、料理という概念がない状況では、塩を説明するのも難しい。すぐ傍に海でもあれば別だが、ニルスの記憶に海を見た記憶はなかった。
仮に「塩辛い」という表現を使ったとしても、「塩」も「辛い」もこの世界には存在しない言葉なのだ。
日本語はニルスの言語野によって自動的にこの世界の言葉に変換されているようだが、恐らくニルスの知らない言葉はそのまま日本語の発音になっている。
「はぁ……」
少し冷めてきたフライドポテトを齧る。
こんなことなら、孫と一緒に見たアニメでよく使われていた、『ちーとすきる』とかいうものでも貰えないか交渉するべきだったか。
安請け負いしてしまったことに、京三は溜息を漏らすのであった。




