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6

「じゃ、こっちは甘くないもの作りますか」


 今度は60度でなく100度で沸かした湯を用意し、芋をそのまま投下する。

 ベルタに別の作業を任せ、次に調味料を並べたテーブルから持ってきたのは、瓶詰の液体――酢だ。

 日本人ならば、マヨネーズの自作をしたことのある者は多いかもしれない。

 だが、材料となる酢をゼロから作るとなると実は相当難しい。酢を作るための過程に酢酸発酵というものがあるが、発酵のスターターとして使われるのは酢だ。酢を作るのに酢を使うのである。

 はじまりの酢を作るには、アルコール発酵が効率良い。だが、当然アルコールすら見つけられなかったので、森で見かけたキイチゴ果汁にギリギリまで煮詰めた水飴の糖分を加え発酵させたものを複数の容器に分け、酢酸菌が付いているであろう様々な野草に果実を加え、どれかが偶然酢酸発酵するまでひたすらそれを繰り返すという根気のいる作業であった。

 実に3か月も時間をかけてしまったが、なんとか少量の酢を生成するのに成功していた。


「……ニルスさん、なんですかそれ?」

「グゾエオオブドリの卵です」

「あぁ、あの大きい鳥の。卵生なんですねぇ」


 どうやら、この世界の鳥類は卵生のものより卵胎生の種の方が多いらしい。理由は分からないが、恐らく強大な魔獣から身を守るため、体内で孵化させることを選んだのだろう。

 用意したのは、手のひらより大きな赤黒い塊。これは森では見慣れた大鳥、グゾエオオブトリの卵黄である。

 卵を見かけることは少ないが、子狼に協力してもらえば日に数個は手に入る。

 グゾエオオブドリの卵黄は加熱すると落としても割れないほど表面がかちかちに固まるが、何故か中まで火が入らない。その不思議な性質を利用し、持ち運びしやすいように卵白を除き、卵黄だけを茹でて表面を固めることで持ち運びを容易にしたのだ。


「酢に卵黄と塩を入れて軽く混ぜて」


 卵黄を割り入れたボウルに調味料を注ぎ混ぜ、覗き込んでいたラウラに忠告をする。


「で、油と。――ラウラさん、耳塞いで離れておいた方が良いですよ」

「へ?」


 ホイッパーを手に、ふぅうと大きく深呼吸をする。そして手を、動かした。

 ホイッパーとボウルが擦れるかしゃかしゃかしゃという音は、重なり重なり重なり高い金属音を発生させる。

 作業を見ていた者が思わず耳を覆うほどの不快な音は、黒板を引っ掻く音に近い。人間が不快に感じる絶妙な音を立て、ひたすらかき混ぜ続ける。


「分離っ、させないためにはっ、1分、千回ッ!!」


 グゾエオオブドリの卵黄は、硬い膜を張る性質のお陰で持ち運びには便利だが鶏卵に比べると油分が少なく、マヨネーズが白くなる要因である水を油が混ざり合う現象――乳化を起こす難易度がとにかく高い。

 この卵で乳化させるには、1分間に千回程度油と卵黄を掻き混ぜる必要があり、この作業だけはカルロやベルタには任せられないのだ。

 空気中に残像が残るほどの超高速で動かされる手は、およそ3分で限界を迎える。

 だが休むことなく追加で油を注ぎ入れ、ホイッパーを持つ手を左手に変え再びかき混ぜる。その作業を計4回繰り返し、ようやく白くもったりとしたマヨネーズが完成した。


「はぁ……はぁ……」


 しかし、必死に作ったマヨネーズも30分もすると元の卵黄と油に戻ってしまう。最悪だ。せめて植物性油脂があればもう少し安定させることも出来るのだが、作るのは簡単でも扱いの難しい動物性油脂ではこれで限界である。


「お兄さん、こっちは準備できました」


 ベルタに任せていたのは、他の素材の下準備だ。

 ソーセージは刻んで焼き、庭から持ってきたいくつかの野菜や持ち込んだ香草を刻み、茹で上がった芋も同じような大きさに刻んである。

 そこに作ったばかりのマヨネーズを流し込み、さっとかき混ぜ塩で味を調えれば、完成だ。


「オリヴィエ・サラダ、完成です」


 爆音上映会はどうやら建物全体に響き渡っていたらしく、図らずとも集客となったようで、昼時と同じ面々が再び集まっていた。


「これ、こうやって作ってたんですねぇ……」


 調理過程を最初から見たのは初めてだったか、ラウラが皿に盛りながらそう言った。


「別に他の卵でもマヨネーズは作れるけど、外でとなるとどうしてもふつうの卵は持ち運びが難しくて、グゾエオオブドリの卵使うことになるんですよね」


 オリヴィエ・サラダは、ロシアの伝統的なポテトサラダである。

 日本で食べられているポテトサラダの原型になったといわれているサラダであり、材料に大きな違いはないが、材料を角切りにすること、日本のポテトサラダでは一般的な薄切りハムでなくソーセージや鶏肉などの肉を使うこと、芋を潰さないよう混ぜることといったいくつかの特徴がある。


「舌がぴりってするぞ!?」

「それにこの……何? 色んな食感と味があるけど、これってアゥイラかしら?」

「言われてみると、確かにアゥイラの香りがするな。刺激は気になるが、俺は結構好きだぞ」


 試食係の薬師達は酢の香りに慣れないのか、食べる速度はこれまでより遅い。だがごろごろと入った食材の中に見覚えのある野菜が混ざっていることに気づいたのか、それを話題に出しながらも食べ進めている。


「兄ちゃん、こっちももう煮詰まってきた!」

「オッケー、交代するよ、カルロも食べてな」

「おう!」


 ちなみに、カルロははじめて酢を舐めた時、普通に吐いた。味覚の発達していないカルロにとって、酢は刺激物だったのだ。

 乳化しマヨネーズになれば普通に食べられるようだが、酢をそのまま使った料理が作れるのは、まだしばらく先になることだろう。

 カルロが煮込んでいた甘露煮をひょいと拾い上げ口に運ぶ。うん、サツマイモと砂糖を使った甘露煮ほどではないが、じんわりと甘味が広がる。先ほどの大学芋のような強い甘味でなく、やさしい甘味が体に染み渡る。

 水あめを追加し火を強め照りを出し、オリヴィエ・サラダを食べ終わった者が出てきたあたりで別皿に甘露煮を盛る。


「はい、これは芋の甘露煮です」


 オリヴィエ・サラダの塩味に酸味、それに続く甘露煮の温かく優しい甘味だ。

 甘味と塩味を交互に食べれば永遠に食べ続けられるような錯覚を覚えたことはないだろうか? 狙いはそれである。


「ダイガクイモと比べるとずいぶん優しい味だな……」

「どっちも芋なのに、どうしてだ……?」

「これが、芋か……」


 心なしか、試食係のリアクションも落ち着いてきたような感じがする。そう、このように、甘い芋料理だけでも何種類もあるということを知ってもらいたいのだ。

 それに、まだ芋の形を残したものしか作っていないので、まだまだ作れる芋料理はある。


「ラウラさん、オリヴィエ・サラダの方はどんな感じでした?」

「うーん、どうでしょう、大学芋と比べると、はむ、はむ、微妙かもです。やっぱりオスの酸味が気になるんでしょうか」


 ラウラは甘露煮を食べながら教えてくれる。なんとなく『お酢』の発声が違った気がするが、それを表す言葉がない以上は仕方ない。この世界に存在しない調味料を表す言葉は、ほとんどが音を当てはめた創作言語のようなものなのだ。

 料理を手伝えるほど覚えていないラウラには配膳や聞き取りを頼んである。調理場から見えるところで食べている者だけではないのだ。

 見知らぬ男が感想を聞いても忖度される可能性があるが、同僚であるラウラが聞き取れば本音が聞けるという判断である。


「んー、酸味を知らないはずなのに、やっぱり不快に感じることはあるのか……?」


 酸味とは、たいていの場合食材が腐った時に感じるものだ。だが、この世界にある食材とはそれすなわち芋を表す。

 彼らは腐らせた芋を食べるくらいなら捨てて新しい芋を食べるし、ならば酸味とは無縁のはずである。だが、それでもやはり本能的に酸味を避けるようだ。


「不快……そうですね、未知というよりそちらに近いのかもしれません。ここで作ってる風邪薬とかもそうなんですが、飲むと鼻がスン……って通る感じがして嫌いって人も多いんですよね。それと同じかと思います」

「あー、ミントとか……? 言われてみると鼻に来るか。んー……」


 とはいえ、このような感想は貴重である。少しずつ様々な調味料に慣らしてきたカルロやベルタなら気にせず食べるようなものでも、大人が食べるとそうでなかったり、慣れない者が食べられないことを知るのは重要である。何せ、自分にはそのような感覚はないからだ。

 今ではどんな料理にでも使っている醤だって、醤油ほどあっさりとした風味ではないので、そのまま舐めるには向かない塩味である。刺身に醤油をつけるような食べ方は出来ないのだ。

 それに京三も、魚醤の作り方を知っている程度で自作したことはなかったから、この世界でニルスが試行錯誤した結果生まれたものである。これが正しいのかなんて、誰にも分からない。


「他の人が作ってくれたらなぁ……」


 調味料作りは、得意分野ではない。

 京三がテレビで見た、本で読んだ程度の知識でなんとかするために必死になって様々な調味料を作りしまいには酢を自作するところまで至ったが、別に調味料を作りたくて作っているわけではない。料理を作るために必要だから作っただけだ。


「あ、それなら私が作りましょうか? 薬を調合するイメージで、こう……行ける気がすると前から思ってたんですよね」

「え、お願いします」

「はい、お願いされます」


 あっさり得意そうなラウラにバトンを渡せた。


「例えばこの醤は、別に何の動物の内臓でも作れるんですよね。食材に含まれる蛋白質――すみません、それをなんと表現すれば良いのかはよく分からないんですが、それを塩とかで熟成発酵させると作れます」

「えっと、確かこれ、トリデムシの内臓から作ってるんでしたっけ」


 ラウラが醤油に鼻を近づけて香りを嗅ぎながらそう言うと、話を聞こえるところに居た他の薬師が一様に「え?」と反応をした。


「トリデムシですよー、トリデムシ。胃痛によく効く粉薬の」

「な、内臓……」

「俺たちはさっきから何を食べてたんだ……!?」


 震える薬師達。うん、ごめんね変なの食べさせて……。トリデムシはエルテの好物だからよく捕まえてくるんだけど、珍味だからあんまり食べられないんだよ……。もったいない精神で塩漬けしてると癖が薄まって割といい感じの醤になるんだよ……。

 そんなことなど気にもしていないラウラは、小さく何かを呟いている。


「原型を留めていないということは、恐らくトリデムシが内臓に持つ細菌による自然発酵……なら他の酵素で無理矢理発酵させてしまえば内臓である必要はない……?」

「よ、よろしくお願いします」


 ぶつぶつ呟くラウラを見て、危ない人間に任せてしまったのかもしれないと少しだけ後悔しつつも、調味料作りに割いてた時間を料理研究に割けることを考え、止めないことにした。


「試してみないことには確証は持てないんですが、これって動物性の素材からじゃなくても作れますよね?」

「そのはずです。何が向いてるのかまでは分からないんですが」


 醤には、液体のものとそうでないものがある。液体は魚醤や醤油、そうでないものは味噌や豆板醤、コチュジャンのようなものだ。

 残念ながら京三の知識では、どんな植物を使えば醤油や味噌が作れるのか調べることが出来なかった。だが、薬師という料理人でないある種の専門家の手にかかれば、どうだろう。


「室長、ちょっと意見下さい」


 ラウラが室長を呼びつけ何かの相談を始めたので、こちらも立ち上がって作業を再開する。


「最後は、やっぱりあれか」


 最後はやはり、日本人に最も根強く残っている芋料理を作ろう。


「肉と野菜を軽く炒めて、芋を投入。そこに醤と水飴、出汁を入れて――」


 日本人なら誰もが大好き――というわけではないだろう。特に、京三の孫くらいの若い世代だと、家庭の味とも呼ばれないこともある。

 だが、京三が小さい頃から母親が作ってくれたその味は、京三を他人と考えるニルスの中にだって残っている。


「温度が高すぎると塩気が強くなるから、弱火でことこと煮込む」


 時間がかかる料理だ。時短手段はいくらでもあるが、加熱温度が高ければ高いほど塩味が強まる芋の特性を思うと、じっくりと時間を掛けて作らざるを得ない。

 こうなると、万能食材でなくてもいいから、普通のジャガイモも欲しくなるものだ。

 万能食材の芋ならば複数の芋の役割を一つで担うことが出来る代わりに、その特性から元のジャガイモに出来た調理法が使えなかったりする。

 上手くやれば低温で煮たり茹でたり焼いたりは出来るので塩味を発生させないまま火入れを行えるが、蒸しや揚げといった調理法はどうしても高温である必要があり、低温調理には向かなかったりといった具合にだ。

 それの対策で、あらかじめ低温で茹でて甘味を確定させるといった無駄な動作が加わってしまう。ただ便利なだけではないのだ。もう少し考えて食材を作って欲しかったぞ神様。


「糸こんにゃくが欲しくなるな。こんにゃくってどうやって作るんだったかなぁ……」


 ぶつぶつと呟きながら火加減を調整し、鍋を時折掻き混ぜる。

 ラウラは調味料の作り方を室長や他の薬師達と話しているようだ。専門用語が多すぎて何を言ってるのかさっぱり分からないので、聞き流すことにした。

 ゆっくりと煮込みながら、時折質問に来るラウラに答え、余っている食材で料理の練習をするカルロ達に教えながら、およそ1時間。煮汁が少なくなってきたので、ようやく完成だ。


「最後の品は、肉じゃがです」


 ごろごろと大きめに切られた芋、細かく刻まれた肉、庭から取ってきた人参などいくつかの野菜が入った肉じゃがが完成した。

 普段森で作っている時はほとんど茶色くなるのに、庭で人参を作っていてくれたお陰で彩りも悪くない。

 森の中では高麗人参のようなウコギ科の根菜は見つけられたが、食べなれたセリ科の人参は見つけられなかったのだ。ここの庭ではどちらも育てられているが、セリ科の人参も薬草として使われていることは知らなかった。ラウラ曰く、主にうがい薬に使われているらしい。


「あぁ……やっぱ肉じゃがだよなぁ……」


 肉じゃがは前日に仕込んでおくのが美味しくなる秘訣である。とはいえ、のんびり料理が出来る森の中で暮らしているわけでもないのなら、作ってすぐ食べることになってしまう。

 ほくほくとした甘辛い芋は、調味料が足りない状況にも関わらず京三の記憶の中にある肉じゃがより美味しく感じる。

 それはきっと、芋そのものががあちらの世界のものと比べて美味しすぎるからだ。芋だけを食べる生活が広まるのも当然といえよう。芋料理ならば、多少調味料や食材が足りなくとも美味しく食べられるのだ。

 動物の肉だって、あちらの世界の高級食材並みの味のものはいくつもある。ただそれは、野生動物の種類が多すぎるから、その中から美味しいものを見つけられたというだけの話だ。

 別に全部が全部美味しいわけではないし、肉食動物の肉はあまり美味しくなかったりもする。選んだ末美味しいものを見つけられる肉は、誰が作っても美味しい芋とは事情が違うのである。


「ほっこりしますねぇ……」

「ですねぇ……」


 長椅子に座って、ラウラと並んで肉じゃがを食べる。

 肉じゃがに合わせるなら米も良いが、やはりこう濃い味付けだと熱燗が欲しくなる。酒は酢を作るためにそれらしいものをキイチゴから作ったが、日本酒のような澄んだ酒を作るには、やはり米が必要だ。あちらの世界と同じような野菜は多いから、どこかに米もあるのだろうか。

 そもそも、米って原種からああだったのか? 分からない。でも弥生時代には稲作をしていたのだから、原型を留めないほど品種改良されているわけではないはずだ。

 逆に言うと、トマトやバナナ、トウモロコシのように原型を留めないほど改良された野菜や穀物は、農耕文化が残っていないこの世界には確実に存在しない。それは大変残念なことだ。


「話弾んでましたけど、収穫ありました?」

「ですね、調味料作りに使えそうなものにはいくつか心当たりがあるので、色々試してみます」

「よろしくお願いしますね。やっぱ、専門外なので作れないものも多くて……」


 返事がなかったのでふとラウラの方を見ると、彼女は不思議そうな表情をしこちらを見つめていた。


「……()()()?」

「あ、えーと、あー……」


 確かに、ラウラからするとおかしな言葉だ。これでは、まるで調味料を作る専門家が他に居るかのような表現になってしまった。

 カルロやラウラには、料理自体が狩人ニルスによる創作物であり、全て個人の思い付きだと考えられているので、それを考慮すると明らかにおかしな発言である。


「……今度、話してくださいね」

「はい。……今夜にでも」


 婚約をしたというのに、彼女には隠し事をしたままだ。

 説明しなくても良いことと、説明していないだけのことを混同してしまっていた。結婚して一緒に暮らすのなら、もう隠し事などしない方が良いだろう。


 結局、最後に作った肉じゃががすべて薬師達の腹の中に納まるまで、それほど時間はかからなかった。ラウラとこれからの話をしながら、皆が楽しそうに食事をする光景を眺めていた。

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