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まだ日が昇る前だが、目覚まし時計などなくともいつも同じ時間に起きる。まぁ目覚まし時計どころか時計そのものがないので今が何時かは分からないが、体感では5時前くらいだ。
「ふぁ……朝か」
物置から外に這い出て、背伸びをする。ようやく陽が昇り出したくらいの時間だ。
森の陰から僅かに感じる陽の光に照らされた小屋の周囲は、一人で暮らしていた時とは比べ物にならないほど整備されている。
ボロ小屋の前に屋根付きの作業場があっただけだったのに、今となっては巨大な石窯に小屋より広い竈場まであり、解体用の作業場も更に広くなった。
エルテの協力により町から気軽に物資が運べるようになり、一人で生活していた頃からは考えれないほど潤沢な資金を得た。
欲しいものが作れるようになったことで、増築を重ねているのだ。住居兼倉庫の小屋自体は後回しにされほとんど手付かずだが、兄妹用でベッドを二つ追加したので小屋の中に入れてあった道具が入らなくなり、外に物置も作った。
ちなみに、ラウラはしばらく町へ帰らず森の中に居座るつもりのようなので、物置に簡易ベッドを設置している。
簡易ベッドとはいえ小屋のベッドもマットレスなどなく、木枠に羽毛や毛皮をこれでもかと捻じ込んだ程度のベッドなので、どちらも似たようなものなのだが。
そろそろ燻製部屋も作りたいなとか、先に食糧保管庫を作るべきかと色々と妄想を重ねながら朝食の準備を始めたあたりで、カルロとベルタが起床して小屋から出てくる。
「あれ、兄ちゃん、昨日どこで寝てた……?」
眼を擦りながらそう言ったカルロは、ベルタに脇腹を蹴っ飛ばされて転がって行った。妹がどんどん攻撃的になるの、お兄ちゃんはどう思ってるんだろうな。
朝食が完成する頃にはラウラが物置から這い出てきたが、はだけた服を整えないままぼうっとしてたので、ベルタが慌てて駆け寄り、服を整えると水で濡らしたタオルでラウラの顔をごしごしと拭いていた。
ベルタが何か小さく呟くと、ようやく目を覚ましたラウラが顔を赤くし、濡れたタオルで顔を隠す。それを横目に見たカルロは何も分からなかったのか首を傾げていた。
解体要員が増えたこと、カルロが料理を覚えてきたこと、少しずつとはいえ調味料が出来てきたことで、一人であった頃に比べると格段に料理環境も向上している。
最低限芋を食べておけば死なない世界なので、栄養バランスを考えるのは随分と楽だ。芋と肉しか食べない食生活など地球だと即太りそうなものだが、神が作った万能食材である芋は伊達ではなかった。
今のところ、自力での狩りが減って運動量が落ちても、太る兆しはない。芋を食べても太らないとは、何がなんだか分からない。
「今日の朝食はウラチョウの串焼き、それとブラートカルトッフェルンだ」
「ブラ……なんだって?」
「ブラートカルトッフェルン。別名ジャーマンポテト。芋とソーセージ、あと正しいレシピなら玉ねぎを入れたいが、玉ねぎはないから芋とソーセージを焼いた料理だな」
「ふぅん……?」
見たこともない玉ねぎが何かも分からないカルロは首を傾げつつ、巨大なフライパンから自分の分を皿に盛る。
芋を主食、肉を主菜として食べるのも悪くないのだが、道具が揃って食材も増えてきたので、色々な芋料理を作るようにしてるのだ。
芋から作れる片栗粉はともかく、芋と相性のいい小麦粉がないので作れるものには制限はある。それでも、万能食材である芋の特性を利用することで、食感だけでなく味にも違いを作ることも出来るようになってきた。
「「「いただきます」」」
皿に盛り終わると、手を合わせ、声を揃えてそう言った。
最初はニルスしかしていなかった動作だが、いつの間にかカルロとベルタも真似するようになったのだ。恐らく儀式か何かと勘違いしているが、元来似たようなものなので特に説明もしていない。
「あれ、いつもより美味しい気がする」
カルロが食べながらそんなことを呟いた。
フォークで突き刺した芋を眺め、うぅんと唸っている。
『美味しい』という感覚を理解するのにベルタより時間がかかったカルロだが、彼は『いろんな濃い味のするものが美味しい』だと思っている節がある。
「いつも使ってないのだと、ドライバジルとカラシナの種を砕いて入れてあるから、それかな」
「それ、この……ぷちぷちしてるやつ?」
「そう。それがカラシナの種だ」
「カラシナ……カラシナ……あぁ、ザルに乗せて干してたやつか」
「そうそう」
物覚えが良いカルロは、あっという間に食材の名を覚えていった。名前や見た目を覚えても味までは結びつかないことがあるが、それは芋以外を口にせず生きてきた以上仕方ない。ほとんどの食材はそのまま食べるものではないからだ。
品種改良がされていないので、生で食べられる野草というのはほとんどない。どうしても京三の知識を利用した調理や加工が前提となっているので、完成した料理の味と、そのままの食材の味を結びつけるのが難しいのだと以前話していた。
ちなみに、カラシナの種を砕き、酢や塩、砂糖を入れたらマスタードが作れる。
ただ現状、この世界で酢を作る難易度が高くマスタードまでは至らないが、カラシナは種だけでもそれなりに辛みや風味、食感を足してくれる良い食材だ。
先日、川辺で自生しているところを見つけたのは舞い上がるほど嬉しかった。カラシナは種だけでなく、野菜としても食べられるからだ。
二人はまだ野菜や野草の青臭さが苦手なようだが、調理方法によっては気にならないらしく、油炒めであったり、茹でてえぐみを抜いた状態で料理に使うことが多い。
むしろ、昨晩もそうだったが、芋でないものもパクパクと口に運んでいくラウラに驚いた。それは、カルロとベルタの二人も同じなようだ。
薬師という仕事柄なのか、単純に彼女が変わった人間なのかは分からないが、恐れを知らないかのように何でも食べる。
曰く、毒のある植物も毒がどのように人体に作用するのか自分を使って実験することが多かったらしく、恐れを知らない性格はそこから生まれたのかもしれない。
「ん? ベルタ、どうしたんだ?」
ゆっくりと芋を口に運びながら、ベルタは難しい顔をしていた。
これまでと違ったものを使っているわけではないので、食べられないほど不味いわけではないと思うが――
「お兄さん、前に料理を広めるには、って話をしてましたよね」
「え、うん」
こちらをじっと見て、ベルタは言う。それは、10歳そこらの少女の眼力とは思えない。
二人には、神からの依頼ということは伏せたまま、この世界に料理を広めたいという話をしてある。
そして、その目的を達成するためにはニルス一人が料理を作るのではなく、料理を売ることで料理という概念を流行らせ、金のため、美食のため、皆が自主的に料理を作り出す状況を作る必要がある、という説明をしたのだ。
まだ10歳そこらの少年少女には理解出来ないだろうなと考えていたが、カルロは高い思考力で、ベルタもこれまでの経験や持ち前の賢さで、目的から達成までに至るステップをぼんやりと理解した。
二人の目は「どうしてそんなことをするのか」と語っていたが、ニルスはそれを説明しなかった。聞かれないなら答えない。聞かれても誤魔化すつもりだ。
ベルタは口元に手を当てたまま、しばらく悩んでから口を開く。
「一応聞くんですが、このソーセージは私にも作れますか?」
「まぁ、作り方教えれば誰でも作れると思うよ。ちょっとコツは要るけど……」
「それなら材料は、私だけでも揃えられますか?」
「……どうだろ、これはツチブタの肉で作ってるけど、素人がツチブタを狩るのはほぼ無理だと思う。俺も最近まで見たことなかったくらいだからね。ただソーセージを作るだけなら別にツチブタじゃなくて良いから、同じものじゃないにせよ同じようなものは作れるはずだよ」
「……そうなんですね」
加工してしまえばある程度は日持ちもするので、そろそろ二人にもソーセージ作りを教えようかと思っていたのだが、それを聞いたベルタの表情は暗い。
「ベルタ、さっきからどうしたんだ? 兄ちゃんの料理美味しいだろ?」
「うん、美味しい、美味しいよ。けど、なんだろう、ちょっと上手く言葉にならないんだけど、なんか違和感があるって言うのかな? 気付いてないことがある気がして」
「それ、料理のことでか?」
カルロの質問に、ベルタは頷いた。
カルロとは違いベルタはまだどこか距離を感じるので、二人の話し合いで解消出来そうならこちらが口を挟むことではないかな。
「……お兄ちゃん、仮にお兄さんが料理を流行らせたら、誰がソーセージを作るの?」
「ん? ソーセージ?」
「うん、別に他のものでも良いんだけど」
「……んー、なら誰でも良いんじゃないか? そんなに難しくないんだろ? 流石に昨日おれが作った塩釜焼よりは難しいと思うけど」
フォークで突き刺したソーセージを掲げ、カルロは言った。
「お兄さん、難しい時は難しいって言うから、たぶん、解体よりは簡単なんだと思う」
ベルタは若干不満げな目でこちらを見る。ごめんって。
確かにいきなり100kg超えの獣を解体するのは大変だと思ったけど、なんか賢い二人だから覚えそうだなぁって思ったんだよ。実際数日で捌けるようになったし……。
「それで、ベルタは何が気になるんだ?」
「えっと……そう、ソーセージに使うお肉は、誰が取ってくるの?」
「猟師とかハンターだろ」
「……そうなるよね。じゃあ、なんとか私でも作れそうなソーセージじゃなくて、一昨日食べたオヒタシみたいな料理は、どうやったら広まるの?」
ベルタは、カルロに聞いてはいるが、自分でも結論を出せていないのだ。
最近はフキやカラシナが取れるようになったので、二人の反応を見ながらお浸しを作ったのだ。まだ魚介や昆布の出汁が取れないので、骨出汁を使い、だいぶ洋風になってしまったが。
やはりなんとかして湖に潜りたいところではある。素潜りすることになるのだろうか。
「ん? 取ってくるんじゃ駄目なのか?」
「どこに生えてるの?」
「……森の中?」
「そうだよね。でもお兄さん以外が森の中に入れないなら、流行はお兄さんだけで終わるよね」
「それもそうか。じゃあ、もっと採りやすいものじゃないと駄目なのか」
恐らく、鳥獣の肉を流通させるのはさほど難しくはない。ハンターは狩人と同じ獲物を狩ることもあるからだ。
エルテらの協力によって森に住む鳥獣の味はある程度分かってきたので、その情報を提供することだって可能である。だが、ベルタの言うように野草は問題だ。
森の中に野草の群生地はいくつもあるが、栽培管理などされていない野草は、しようと思えば一人でも採り尽くせるような量しかない。
今は三人分しか採っていないから無くなることはないだろうが、そこが無くなれば、次を見つけられる保証はない。
しかも鳥獣と違って、野草はエルテに協力して貰っても匂いを元に探すのが難しい。ハーブのように強い香りを発さない草花は、全部「くさのにおい」と言うのだ。
日本の山林で素人がきのこ狩りをしても絶滅してしまう心配はないが、業者が入ればあっという間に山からその種は消滅するだろう。
そうならないためにも、自然の恵みは採りすぎてはならないと言われている。養殖があるのもそういう理由だ。
「でも、その条件だと、私には芋くらいしか浮かばないんだよね」
「うーん、芋以外にもあるだろ、たとえば――」
カルロは芋を頬張りながら、何かを言おうとする。
「たとえば?」
「…………ないかも」
「でしょ。だから、お兄さん以外が採れない、お兄さん以外が作れないものを流行らせるのって、相当難しいんじゃないかな」
「……言われてみると、無理かも」
「だから、そうなの、そうなんですお兄さん。難しすぎちゃ駄目なんです」
納得のいく結論に辿り着いたのか、ベルタはこちらを見てそう言った。
「あー…………」
こんな大事なことを10歳そこらの子供たちに教えられるなんて。
61年も生きた京三の意識は、この世界の常識を基準とした場合、子供にも劣るのである。難しいことを知りすぎて、この世界とは違いすぎる世界の常識に囚われてしまっていた。
「そっか、そうだ。ただ料理を作ったところで、俺以外が再現出来ないんじゃ駄目なんだな」
「そうなんです。お兄さんって作り方の心配しかしてなかったので、きっと私はそこに違和感を覚えたんです。難しい料理は、きっとどれほど美味しくても広まらないと思うんです」
ベルタに諭され、空を仰ぐ。手が届かないほど遠い空では、全長何十メートルになるかも分からない巨大鳥が優雅に飛んでいた。
俺は料理を広めることを、地球の、それも日本で度々巻き起こるのブームを起点に考えてしまっていた。
一つのものが流行り廃り、次のものが流行る。ブームとはその繰り返しだが、もっと時代を遡れば違う現象も起きる。
例えばイギリスだ。
一般的にイギリス料理は不味いとされているが、それは時代背景が影響している。産業革命以前から数百年もの間、イギリスの支配層は料理に価値を見出していなかったとされている。
そこで産業革命が起き、大量の人間が街に溢れ、ただでさえ洗練されていなかった料理を大量に作る必要が生まれた結果、味よりも量と早さというイギリス料理の文化が生まれてしまったのだ。
「作るのは、ブームじゃないのか……」
口に出して、考える。この世界で料理という一大ムーブメントを引き起こすためには何を作れば良いのかが一番重要だと思っていた。
しかし、見方を変えればどうだろう。
「農耕も畜産もなければ、芋以外の食料は当然枯渇する。だから――」
「はい。きっと、芋料理以外は作らない方が良いんです」
「……あぁ、そうだ。ベルタの言う通りだ」
資源の枯渇。それは人類が最も恐れていることだ。
そもそも、この世界は大昔に大飢饉が起き、食料が世界から消滅したことで神が万能食材を生み出してしまった。同じことをまたするわけにはいかないから、神は料理人を異世界に派遣することに決めたのだ。
しかし、考えなしにブームを起こしてしまえば、当然採取や狩猟だけで食料を賄うことなど不可能だ。
農耕も畜産も、地球では数千年の歴史がある産業である。しかし、この世界における農耕とは、芋を切って地面に埋める、ただそれだけである。肥料どころか、水やりすらしなくとも勝手に増える。
つまりこの世界の住民は、芋以外を増やすことが出来ないということになる。
「作るのは、芋に付随する料理。そして、一つの食材に依存しないもの――」
「兄ちゃん、ソーセージはどんな肉でも作れるって言ってたもんな」
「あぁ作れる。これに使ってる腸だって、別に羊じゃなくても構わない。……そうか、作ってもこのくらいに留めておかないと駄目なのか」
ブラートカルトッフェルン。芋に、ソーセージやベーコン、それに玉ねぎを炒めたドイツ料理。ドイツ人の芋とも呼ばれ、日本でも馴染みの深い芋料理だ。
これの良いところは、とにかく材料が少ないところ。そして調理手順が楽なところだ。
「芋を使わない料理は、流行らせられないってことか」
「そうですね。たとえば昨日お兄ちゃんが作った『塩釜焼』はお肉があれば作れるけど、『ツチブタの塩釜焼』は難しいと思います」
「食材が高難易度の狩猟に依存してるからか。あー、ほんと賢いな二人は……」
こちらにもニルスと京三で二人分の意識があるはずなのに、ベルタのカルロの二人が導き出した結論に辿り着けなかった。ショックのあまり寝込みそうだ。辛い。
「っていうか、二人に農耕とか畜産なんて説明したっけ? 記憶にないんだけど」
「農耕は、芋を埋めて増やす時みたいに、食べられる草とかを育てるやつだろ? たぶん、オヒタシに使う草も、なんか上手いことすれば育って増えるんだよな」
「畜産は、ツチブタみたいな生き物を増やす――ちょっとやり方は分からないんですけど、そういうことですよね」
「……なんで分かったの?」
「「なんとなく?」」
二人揃えて首を傾げてそう言った。あ、やっぱりこの二人、めっちゃ賢いわ。
ニルスの口から発されるそれらはこの世界にない言葉だから、これまでのニルスがどのような文脈で使ったかをパターン解析することで、表現から言葉の意味まで把握するに至ったのだ。異国の言葉を、辞書も通訳も無しで覚える時と同じやり方である。
「まぁ、農耕も畜産も、俺がやり方を知らないから教えようがない。もしかしたらどこかに知ってる人が居るかもしれないけど、望み薄かな」
そう呟いて芋を口に運んでると、ずっと黙って話を聞いていたラウラが「え」と呟く。
「草木を育てるくらいなら、薬師でもやってますよ?」
「え」
「流石に自然の恵みだけで作るのは時代遅れなので、栽培管理をしている草木はいくつもあります。例えば――この軟膏。打ち身によく効くドゥイチ薬学会における人気商品ですが、これに使う素材のうち7種は薬学会が自家栽培しています」
ラウラがどこかから取り出したのは、小さな缶に詰められた黄色のクリームだ。
「……マジか」
「はい。恐らくニルスさんは、食用の草木を栽培する話をしてるんですよね? 流石に未知の植物ともなるとすぐ量産には至らないでしょうが、ノウハウ自体は薬師が持っているので、生えている現物があればそのうち栽培出来るようになると思います」
思わぬところからの援護射撃に、じんと来てしまった。
きっと、薬師にとって当然の知識だから彼女はそれを何とも思っていないのだ。だが、芋以外の農耕の存在――それは料理を広めるにあたって、かなり重要なことだ。
「先程カラシナといっていたこの小さな種子――薬師がトゥルペと呼んでいる草の種子に似ています。ただトゥルペの種子はここまで刺激が強くはなかったので、処理の問題か品種の違いはあるかもしれませんが、似たようなものを栽培してますよ」
「え、えぇー……」
何この人、変な人だとばかり思ってたけどもしかして超絶頼もしい助っ人なんじゃないか?
「でもそういうのって、普通は外に教えちゃいけないんじゃないのか?」
何を栽培出来るか、優先順位は――そんなことを高速で思考していたら、カルロが気付いて声を上げる。
「あー、えー……そうですね、言われてみると、薬草の栽培方法は門外不出のものも多いですね。種を植えておけば勝手に増えるような強い植物もありますが……」
「それどうやったら教えて貰えるんだ? それとも、こっそりニルス兄ちゃんに話しちゃっても良いのか?」
「…………まず浮かぶのはニルスさんに薬学会に入って貰うことですが、栽培部署に配属になるかは……。ほぼ確実に、ニルスさんの実力なら栽培でなく採取部署の配属になるかと思われます。ハンター上がりの方はほとんどそちらに居らっしゃるので」
「…………」
割とちゃんと会社組織になっていることに驚きつつも、そうなると逆にいくつも障害が発生してしまう。なぁなぁで済ませられたものが、大組織では通じないことも多いのだ。
「あとは、私がこっそり教えるか、という話ですが、トゥルペ――カラシナのように、似た植物の存在に気付く者はそれなりに居ると思われます。そこで私から漏れたと知られると、はい、まぁ、そうですね……。バレなきゃ良いのかな……?」
「……ニルス兄ちゃんにこっそり教えるのは危ないってことか」
「えぇ、はい。ただ、教えなくても知ってしまう――という可能性がないわけではないです」
「どういうことだ?」
ラウラは視線を泳がせる。そういえば、初めて会った時にしていた片眼鏡をしてないんだなと今更気付いたが、伊達だったのだろうか。
「えぇと、あの、はい、えぇと……」
しかし、何故かラウラは言葉に詰まったままだ。それどころか、僅かに頬を染めているように見える。そこで口を開いたのは、ベルタだった。
「結婚していれば、って話じゃないですか?」
「「ん?」」
全くその発想に思い当たらなかった俺とカルロの声が重なった。
当たりだったのか、ラウラは誰がどう見ても赤面していた。
「結婚して一緒に暮らしていれば、たとえば庭とかで薬草を育てているところを見て栽培方法を知ってしまう可能性はあると思うんです。ラウラさんが言いたいの、それですよね?」
「え、えぇ、はい。あの、そうです。そゆことです」
「……照れすぎですよ」
「や、いやー、はは、はははは」
ベルタに指摘されようやく赤面していることに気付いたのか、ラウラは両手で顔を覆って泣きそうな声で笑う。
「どうしたんだ?」
しかし、何も気付いていない様子のカルロが追撃をする。
普段は大人顔負けの思考力を持つカルロだが、根底となる意識は12歳かそこらの男子のものだ。分からないのも無理はない。
「行き遅れのオバサンが、17歳の男性に結婚すれば栽培法も教えられるよって突然言いだしたら、普通に気持ち悪くないですか……?」
俺は、赤面したまま小さく呟くラウラを見て、不覚にも可愛いと思えてしまったのだった。彼女はニルスより一回りは年上だろうが、それはそれ、だ。
そもそも、京三という61歳の記憶が取り込まれているニルスは、実年齢以上に大人びており、10代後半の男とは言い難い。
京三には妻も子も、それどころか孫まで居たが、それはニルスにとっての妻子ではない。ニルスの認識において京三は前世の自分などではなく、あくまで自分の中に取り込まれた他人の記憶なのだ。
ラウラは、赤面したまま指の隙間からちらりとこちらを見てくる。
「言うほどオバサンには――」
カルロが口を挟むと、ベルタがカルロの頭を小突いた。
ただ常人離れした筋力で小突かれたものだからカルロは普通に吹っ飛んでいったが、とりあえず死んでないから放っておこう。
「お兄ちゃんは黙ってて!」
「お、おう……」
弱々しい声で返事をするカルロをベルタが引きずって小屋の方まで行ってしまった。残されたのは、二人だけ。
「……空気読まれちゃうとより恥ずかしいんですけど」
「あー、ははは……」
「あははは……」
気まずい空気になるので、必死に京三の記憶からこのような状況の対処方法を考える。えぇと、何だっけ。プロポーズした時? いやその前、付き合う時? 駄目だ、思い出補正がかかって正確な記憶が残ってない。えぇと――
「その、することもしちゃいましたし、こんな私で良ければ貰って頂けると、嬉しいです」
「え、あ、はい。その、宜しくお願いします……」
京三のロマンチックなプロポーズは、本人による数十年分の思い出補正がかからなければ、もしかしてこのくらい雑なものだったのかもしれない。
そう思えるほどに自然な、あるところに落ち着いた――くらいの感覚であった。
その日俺は、ようやくこの世界に根を張ったのだと思う。




