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「今日は何作ろっかなー」
「あっ、それならニルス兄ちゃん、おれが作っても良いか?」
解体を終え手を洗っていたカルロがそう言った。若干不安そうな表情をしたベルタが何か言いたげな顔になっている。まぁ言いたいことは分かるよ。
カルロは料理を覚えようとしているのだ。普段は目の届くところでしか作っていないが、彼の自信が気になるので一人で任せることにした。
「じゃあ任せるよ。食材は何使っても良いからね。俺はあっちで残ってるの解体してるよ」
「おう! 任せとけ!」
料理という概念がなかった世界で、自発的に料理をしようとするとは、とんでもない進歩だ。
やはり、教えるなら大人よりまだ染まり切っていない子供なのが良かったのだろう。
「さ、何が出来るかな」
切り出した肉を加工しているうちに、あたりは暗くなっていた。
ようやく目を覚ましたラウラが小屋から出てくるのと、カルロが料理の完成を告げるのはほとんど同時であった。
カルロが作ったのは、抱えるほどに巨大な白い塊――それはツチブタの塩釜焼だった。
確かに塩釜焼なら微細な味調整が必要ないし、芋塩と水をかき混ぜたもので塊肉をコーティングし、窯に放り込んでおくだけだ。断面などが見えない以上焼き時間の調整だけは必要になるが、そこはちゃんと覚えていたのか、正しい時間で取り出された塊肉は、俺が作ったものと比べても遜色ない、綺麗なピンク色の断面を見せる美味しそうな料理になっていた。
付け合わせは、定番のマッシュポテトだ。絶対に芋を食べないといけないわけではないのだが、栄養バランスを考えると万能食材でかつ旨い芋を主食として使わない理由はない。
感動で涙が出そうになったのを二人にからかわれたが、きっとこの感動は、この世界の住民である二人には伝わらない。
はじめて見る芋でない料理にも恐れることなく口に運んだラウラは、口の中で暴れる肉の旨味に思わず口を抑えていた。
食事に栄養補給以外の目的がないこの世界において美味しいという感覚が分からなくとも、肉の脂による旨味、ただの芋からは感じ得ない塩味は、人間の本能に突き刺さるのである。
(神様、一歩ずつだけど、近づいてるぞ)
松葉茶を飲みながら、心の中でそう呟いた。きっと聞いてくれていると信じて。
カルロとベルタを寝かし、星の光という小さな光源で後片付けを終え食後のタンポポコーヒーを飲んでいると、寝間着に着替えたラウラが近づいてくる。
長年の森生活で夜目が強化されたことで、薄着のラウラが下着を一切着けていないことまではっきり見えてしまい、思わず目を逸らす。
「ニルスさん、いつからここに住んでるんですか?」
「えーと、たぶん17年前から」
「…………おいくつなんですか?」
「たぶん17です。俺、生まれてすぐに捨てられたらしいので」
「そう、なんですね……」
村社会で生きたことのないラウラは、魔憑きが田舎ほど迫害されていることを知識でしか知らなかったのだ。
このような田舎では、生まれたばかりの我が子を森に捨てるほどには嫌われているのが魔憑きである。
「言ってませんでしたが、私も魔力憑きなんですよ」
「……え?」
「大きな街で育ったのと、紋様がこう――隠せるくらいなので、家族くらいしか知りません。ってあぁ、こんな暗かったら見えませんよね」
服をはだけ肩から腕を露出させたラウラが、小さく笑う。
――しかし、はっきり見えた。見慣れぬ艶めかしい女性の肌に、体温が上がるのを感じる。
彼女の痣は、手首でなく、肩から鎖骨に掛けて渦を巻いている。確かにこのくらいの位置ならば人に知られることもないのかもしれない。だが、手首に痣が浮かぶのとは何か違いがあるのだろうか?
「……ひょっとして、見えてます?」
僅かに頬を赤らめたラウラがそう聞いてくるので、正直に頷いた。
「あ、あー……すみません汚い肌見せちゃって」
「い、いえ! いえいえ! 綺麗です!」
「あー、ははは、いえー、なんかすみません……」
はははと二人で小さく笑いあう。
女性に対する免疫が一切なかったことに今更気付いたが、それは仕方ない。生まれてすぐに捨てられ、京三ほどに年を取ったヨーアンと二人だけで暮らしていたし、ようやく増えた異性の同居人も小さな子供である。
それに気付かなかったのは、生きるのに必死だったのと、現代日本で生活していた京三の意識があったから。
だがそれでも、ニルスという個人は女性に慣れていないのである。
「その、ラウラさんはどうしてここまで来たんですか? 別に、食事に興味があったわけじゃないですよね」
あの時ラウラが反応したのは、肉を食べているというところではなく、エトロア森に住んでいると伝えてからだ。
確かに未開の地ではあるかもしれないが、ハンターや他の狩人であれば中に入って出るくらいは出来るはず。魔憑きでないヨーアンが一人で数十年生活し、ヨーアンの死後ニルスが一人になっても生きていけたのだ。
「あー、えっと、興味本位――ですね」
「それは、魔獣とかの生態について、ですか?」
「あ、いえ、違いまして。……その、自分以外の魔憑きに会うことほとんどなかったので、その、親近感と言いますか……」
それはつまり、興味の対象は肉でも魔獣でも森でもない、ニルス個人に向けた興味だった、というわけである。
「……都会暮らしでもそうなんですね」
ラウラは、小さく頷いた。
「まぁ私や父は隠して生活出来る程度なので、他にもそういう人は居たかもしれませんが」
「え、遺伝するんですか?」
知らない事実だ。
ヨーアンには、魔憑きは突然変異だと教えられていた。だが遺伝するということは遺伝子に結びついているということになる。そうなると、迫害される理由は――
「はい。遺伝します。はじめ手首に浮かんだ紋様は、血が薄まり、代を重ねるごとに心臓に近づいていきます。そうなると、どうなると思いますか?」
ラウラに、黙ってタンポポコーヒーを淹れたカップを手渡した。
カップを受け取ったラウラは一瞬細目になり、透明な水でなく真っ黒な液体であることを確認し、ちょびちょびと飲みだした。一応水飴を溶かしているが、苦みに慣れていないカルロは飲めなかったものだ。
「私が生まれたばかりの時は、痣は二の腕あたりにあったと聞いています。ですが、もうここまで来てしまいました。このままだと、あと10年もかからず心臓に届きます。届いてしまいます。末端に魔力が固まっている程度ならほんの少し寿命が短くなる程度で済みますが、私くらい魔力憑きの血が薄くなると、1代のうちにそこまで昇ってしまうんですね」
どこか寂しそうな表情をしたラウラを見て、察した。魔憑きとは、身体能力が上がるだけではないのだ。当然、デメリットが存在するのである。
迫害されるのも当然だ。その血が、自分たちに混ざってしまえば――
「私が調べた限りでは、魔力憑きの証である紋様が現出したのを初代とすると、3代先、ひ孫あたりまでは寿命を全うします。ですがそれ以降は魔力を操作する能力はなくなり、いつ溢れ出るか――つまり、いつ死ぬか、分からなくなります」
魔力を操作する能力はない。なのに、いつ暴発するか分からない火薬庫が身体の中にある。
考えただけで最悪だ。そんなもの、メリットに比べてデメリットが大きすぎる。魔憑きが迫害されるのは、その血が周囲に混ざるのを避けるため、当然のことだったのだ。
「その目印になるのが、心臓ですね。紋様が心臓まで辿り着いて生きている魔力憑きは確認されていません。その前に死ぬからです。私も一応魔力憑きですが、ニルスさんのような力は何もないんですよ。ほんのちょっぴり人より目が良いくらいです」
「辛く――ないんですか」
「……辛くないと言えば、嘘になります。ですが、物心ついた時には両親に教えられたんです。あなたは早死にすると。幸い進行が遅く29まで生きることは出来ましたが、もしかしたら、明日には目を覚まさないかもしれないんです。なので、後悔しないように生きています。知りたいことは後回しにせずすぐに調べて、やりたいことはすぐにやるようにしています。ニルスさんに着いてきたのも、そういうことです」
「…………」
そんな覚悟で生きてきた経験は、ニルスにも、京三にもなかった。
確かに、どんな人間でも突然死ぬ可能性はある。けれど、自分が突然死ぬことが分かっている人間など居ないのだ。
――彼女は、分かっている。いつ死ぬか分からないということを。自分が、天寿を全うすることが出来ないことを。
「寿命を伸ばすことは、出来ないんですか」
「…………一応、あります」
タンポポコーヒーを一気に飲み干したラウラは、顔を見せないよう俯いて呟く。
「魔力憑き同士が、結ばれることです」
「…………それだけで?」
「えぇと、その、はい。その、子を成す――という行為によって、固まった魔力が解かれると言われています。ですが、魔力の濃い方に魔力波形が整ってしまうため、魔力憑き同士が結ばれることが出来るのは、お互いが最初の一人目だった場合だけ、とされています」
「……えぇと」
「しょっ、処女と、どど、童貞が性行為を行った場合だけ、ということです」
顔を真っ赤にしたラウラが、どもりながら、恥ずかしそうに教えてくれた。




