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「ニルス兄ちゃん、なんでそんな力持ちなんだ?」
「ん? あー、鍛えてるからかなぁ」
巨大な獣を軽々と持ち上げるニルスを見て、カルロは開いた口が塞がらなかった。
カルロが神から得た凡そ70年分相応の思考力は返却されず、12歳の少年がいきなり大人びることになってしまったが、本人にそのような自覚はない。
長年一緒に暮らしてきたベルタからすると違和感があるだけで、彼女は兄が何も言わないから気にしないようにしていた。
三人での生活が始まって、一月が経過した。
まず最初にニルスは二人をエルテ達に紹介し、二人の生活を邪魔せず、出来る限り手伝ってもらえるよう約束を取り付ける。
二人は子狼らの背中に乗せてもらい森の中をしばらく駆け回っただけで一気に距離が近くなったようで、一月経つ今は子狼と普通に接することが出来ていた。
エルテは大きくて喋るから若干怖いと思っているようで、あまり積極的に近づくことはないのだが。
「お兄さん、トリデムシはどうするんですか?」
トリデムシは一節ごとに30kgほどあるのだが、10歳のベルタはそれを持ち上げることが出来ている。カルロには持ち上げることが出来なかったので、どうやら魔憑きになると身体能力が強化されるようだ。
自分の身体能力が地球人とは比べ物にならないほど高い理由を納得し、魔憑きが迫害される理由が更に分からなくなったのだが。
「トリデムシの甲羅は売りたいから、解体したら中身だけ大鍋に入れておいて貰える?」
「内臓とかも全部入れて良いんですか?」
「うん。甲羅は傷つけないようにしてもらえると助かるよ」
「分かりました。お兄ちゃんはこっち手伝ってね」
「あ、あぁ」
カルロは妹が突然力持ちになったことに驚きつつも、その十倍以上の物を持ち上げることが出来るニルスも居ることで、自分だけ非力なことはあまり気にならなかった。
カルロは思考を担当し、ベルタは力仕事を担当する。その役割分担は、兄の威厳をギリギリで保つことが出来ていた。
神から思考力を与えられたカルロは、二、三回解体作業を見せてもらえばすぐに覚えることが出来るからだ。
しかし、子供の肉体で大きな獣を解体するのは難しい。だが、ベルタのお陰で二人がかりならそれなりに獣を解体出来るようになっていた。
「この内臓、どうするんだ? すげえ臭いけど……」
「醤を作りたいんだよね」
「……ひしお?」
この世界にはほとんどの調味料が存在しない。故に、ニルスは作れるものは全部自分で作ることに決めたのだ。
一口で『美味しい』を理解出来たベルタに、一週間ほど食べ続けることで『美味しい』という感情をなんとなく理解出来てきたカルロの二人が居ることで試食係も増え、ニルスの試作ペースはどんどん上がってきている。
これまで、自分で食べられないものはどうしてもエルテ頼みになったが、エルテの味覚は人間と違い過ぎる。人間は、大抵の生肉も腐りかけの内臓も骨も、美味しいと感じるようには出来ていないのだ。
「肉とか内臓に塩を入れて発酵させると、細菌によって醤って調味料が作れるんだよ。……まぁ、本当に作れるかは分からないけど」
「チョウミリョウって、いつも使ってる塩以外にもあるのか?」
「うん。塩もそうだけど、色んな調味料があると、食材に味や風味を付けることが出来るんだよね。二人のお陰でちょっとずつ時間出来てきたし、いい加減色々作ろうかなと」
「……そんなの、どこで覚えたんだ?」
「…………」
ニルスは、転生したことを二人に説明していない。原始的な宗教観しかない世界では、まず神や魂魄を理解出来るかも分からないからだ。
「お兄ちゃん、お兄さんがよく分からないのは前からでしょ」
ベルタは兄カルロのことを「お兄ちゃん」、ニルスのことを「お兄さん」と呼ぶことにしている。
彼女の思考は10歳の少女相応のものだが、子供の頃は男より女の方が大人びるのが早いからなのか、彼女は相当に賢い子のようである。
並の大人を超える思考力を得てしまったカルロの方が考えすぎて分からなくなることでも、ベルタは子供の直感であっという間に理解することがあるのだ。
「まぁ、そうだけどさぁ。ベルタは作ったこともないのに作り方が分かるのがなんでなのか気にならないか?」
「そんなの、別に私達が知らなくていいんじゃない?」
「そうかぁ……?」
二人の会話は、作業を止めないままに進む。
力の要る作業はベルタが、細かい作業はカルロが行うことで、トリデムシの甲羅をニルスよりずっと綺麗より剥がすことが出来ている。
二人に買い与えたナイフがニルスの常用しているナイフより良質なこともあるが、常に他事を考えながら急いで作業するニルスと違い、二人は一つの作業に没頭することで時間はかかれど丁寧な処理が行えるのだ。
「トリデムシで醤が作れたら、なんて呼ぶんだろうな……」
醤で最も有名なものは、魚醤であろう。
大豆から作る醤油が主流となった日本においても、郷土料理では今でもしょっつるのような魚醤を使ったものがいくつもある。
湖で魚を釣って魚醤を作ることも考えたが、どうやら鳥獣とは違い、湖の魚は巨大化していないようなのだ。故に、エルテらは魚を食べる習慣がなく、水を泳ぐこともしないらしい。
となると、自分で魚を捕まえる必要がある。原始的な釣り竿は簡単に作れるが、一人では量が釣れない。だから一旦湖の魚を狙うのはやめ、森の中でエルテや子狼らが狩れる獲物を使うことにしたのだ。
「虫醤? いやでもトリデムシって言うだけで虫じゃないかもしれないしな……」
トリデムシの生態は、正直よく分からない。
外見が獣というより虫に近いのは間違いないが、トリデムシほど巨大な虫はこの森には生息していないのだ。
他の虫が巨大化しない以上、巨大化しているということは鳥獣であると認識しているが、町のハンターギルドでそのような生物は魔獣と呼ばれることを以前聞いた。一応、分類上は獣扱いらしい。
「肉醤、で良いか。まぁ出来たらだけど」
一人でそう呟きながら、ニルスはかまどを作っていた。
町で職人を雇って彼らに作ってもらいたいと思っていたが、町の職人にはいくら積まれても絶対に森には入らないと断られてしまったのだ。
故に、作り方を聞き、材料を揃え、自分で作ることにしたのである。
幸い耐火レンガは町で揃えることが出来たので、まず作るのは石窯である。
ピザ窯のようにドーム状に組んでいくのは素人では難しいと言われたので、かまぼこのような半円状の石窯を作ろうと悪戦苦闘している。
これに関してはエルテの力も借りれないし、当然ベルタやカルロが手伝えることでもない。不格好でも壊れなければ良いと考え、耐火レンガを積んでいく。
結局石窯に火が入れられたのは、作成開始から一週間は経ってからであった。
解体や調理手順を数度見せただけなのに覚えることの出来るカルロには驚かされた。
この世界に料理は存在しないから、彼らにとっては意味の分からない話なのだ。
それなのにカルロは、たった一月で焼き加減まで自分で調整出来るようになっている。
石窯が使えるようになったことで直火焼きから卒業出来たが、火起こしさえすればすぐに食べれる網焼きも捨てがたい。そのため、追加で耐火レンガを購入して小屋の外に竈場を作った。
石窯に比べれば網焼き用の石組み竈は簡単に作れたので、調子に乗ってレンガをありったけ使い、四つも作ってしまった。
その甲斐もあって、三人の食事だけでなくエルテも満足出来るほどの量の料理が作れるようになり、子狼らにもおすそ分けが出来るほどになってきた。
毎日のように色々な鳥獣を食すことで、何が人向けで、何が人向けでないのかも分かるようになってきた。
二週間もすると仕込んだトリデムシ製の肉醤も完成したが、異臭が強くカルロとベルタには不評であった。
京三も醤を作ったことは無く見様見真似であったが、料理人として見知らぬ物を食べるのには慣れていたので、海外の調味料と思えば食べられる程度ではあった。
とはいえ現地人二人が嫌がるので一旦封印することにする。もう少し改良が必要なようだ。




