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「お兄ちゃん、本当にここに人が住んでるの?」
「……そのはずだ。昔近所に住んでたアラン兄ちゃんがそう言ってたんだ」
「でも、アランさんは――」
「…………」
妹ベルタの手首に、ある日突然痣が出てきた。
それが魔憑きと呼ばれる痣ということを知っていた兄カルロは、家族に見つかる前に妹の痣を包帯で覆い隠し、数日のうちは誰にも気づかれなかった。
しかし、怪我をしたのだと勘違いしていた母が夜中寝ているベルタの包帯を交換しようとし、外してしまったのが運の尽きだ。
翌朝起きた時には、両親は家に居なかった。近所に住む幼馴染に、カルロ達の両親は近くの町に住む領主の家に向かったのだと教えて貰ったことで昨晩の出来事に気付く。
両親が帰ってきて魔憑きの噂が広まる前に動かなければいけないと思ったカルロは、ここ数日のうちにしていた準備を整え、二人での家出を決意する。
魔憑きについて知らないベルタは家出を嫌がったが、過去村に生まれた魔憑きの末路を教え、なんとか説得をした。
十数年前村に生まれた魔憑きの子供は、手足を縛られ森に捨てられたらしい。
捨てられた子はしばらく泣き叫んでいたが、森の主である巨大狼に食われたのを数人に目撃されているという話だ。
カルロは、妹がそうなる前に逃げる必要があった。妹が魔憑きになろうが、差別する気はない。しかし、両親が、村人がどう思うかは別なのだ。
どこに逃げようか考えた時に思い出したのが、昔近所に住んでいたアランという兄貴分のことだ。
カルロの5個上だったアランは村の子供たちのリーダー的存在だったが、ある日会いたい人が居るからと村を出て、それきり帰ってきていない。
アランの祖父は森に住む狩人だったらしく、アランは年に一度祖父の住む家に行くのが楽しみだと語っていた。
森の中で迷わないよう目印を付けていると言っていたのを覚えていたので、その目印を頼りに森の中を三日ほど歩き続け、なんとか倒れる前に辿り着いたのがニルスの住んでいる小屋である。
彼らが森に住む凶暴な獣に襲われなかったのは、奇跡なのかもしれない。
だが、先代の狩人が、孫が遊びに来る時のために獣除けの草花を植え数キロにも及ぶ道なき道を作っていたことを、カルロ達は知らない。
一度でも目印を見失い、一歩でも道を逸れれば、あっという間に野生動物の餌食となったことだろう。
ようやく辿り着いた時、その小屋に人の気配はなかった。
しかし、数時間前まで燃えていたであろう薪を小屋の近くで見つけたことで、誰かが住んでいることは確信していた。
小屋は不用心に鍵どころか扉すら開けたままだったので、疲れからかいまにも倒れそうな妹を小屋の中にあったベッドに寝かせ、自分は見張りのつもりでずっと外で待っていた。
小屋の周辺は森を切り開いた痕跡があり、それなりに広い広場のようになっていた。
広場には見たことのない獣の死骸が散乱していたが、不思議とそれを漁る獣は一匹も居ない。
死骸がある以上、ここに人を襲う獣が来ないとも限らない。柵もなければ武器もないので、カルロは何も襲ってこないことを祈るしかなかった。
数時間待っていると、突然森の中から男が現れた。
一瞬、アランかと思った。けれど違った。見たことのない、アランと同じくらいの年であろう青年だ。
「えーと、君達は……」
「ら、ララコ村のカルロです、あと、ベッドで妹のベルタが寝ています」
「ベッド……あぁ、中入ったのか」
「鍵かかってなかったので、勝手に入りました。ごめんなさい」
「いや、別に良いよ。で、君らはどうしてこんなところに?」
知りもしない他人が、突然家に押し掛けたのだ。絶対怒られると思っていた。しかし青年は怒る素振りがないどころか、こちらを心配している様子もある。
心配されている。そう気付いた瞬間、張り詰めていた緊張がとけてしまった。
――丸三日、妹が休んでいる間もずっと不眠で見張っていたカルロの体力は、とっくに限界を迎えていたのだ。気が抜けると同時に、カルロは意識を失った。
*
「……ちっさいからベッドに入るな。良かった」
ヨーアンの使っていたベッドは、既に解体して資材にしてしまっている。そのためベッドは一つしか残っていなかったが、少年らが小柄だったため二人を寝かせることが出来た。
「……ララコ村って、俺が生まれたとこだよな」
ベッドで寝ていた少女の手首に自分と同じ痣があったことで大体の事情を察し、小さく呟いた。
自分だって、生まれてすぐに捨てられたからだ。
ヨーアン曰く魔憑きの痣は生まれた時には既に出ていることもあれば、ある程度育ってから浮かび上がることもあるらしい。少女はきっと後者だったのだろう。
少年の方はどこにも痣はない。妹のために一緒に村を出たのだ。
とはいえ二人から詳しい話を聞かないことには助けられることもないので、一旦放置し、怖がらせると思って離れてもらっていたエルテを呼び戻し調理開始である。
「ツチブタの丸焼きも作りたいな」
「まるやき? おいしい?」
「ああ、きっと美味しい」
「まるやきたべたい!」
「まぁ、道具がないけど……今度買って来ないとな」
ツチブタほどに巨大な豚を丸焼きにするのは大変だ。だが、豚の丸焼き自体はだいぶ原始的な道具だけでも作れる。恐らくオーダーメイドでなくとも、代用出来るものが既製品で揃えられるはずだ。
豚の重量に耐えられる金属の棒があれば、後は適当な土台を作って下から炙り、ぐるぐると回しながら焼くだけである。
京三は中華料理における烤乳猪――子豚の丸焼きしか作ったことはなかったが、手順は覚えている。
「ん、いや、作れる……かも?」
必要な材料を考えていたら、金属の棒ではないが代用出来そうな素材が無数に転がっていることに気が付いた。
「これこれ」
先日切り落としまくったトリデムシの脚が、小屋の周囲には転がっていた。脚には身が詰まっておらずエルテも食べないと言われたので、切り落としたものをそのまま放置していたのだ。
拾ってくると、木の棒ほどに軽い脚はちょうどいい長さで、思い切り力を入れても関節がない場所は全然折れる気配がない。
内臓を抜き終わったツチブタに、トリデムシの脚を全力で突き刺した。が、骨に阻まれ全然進まないので、仕方なくツチブタを持ち上げ、自重で串刺しにしていく。
なんとか貫通したトリデムシの脚を掴み、ツチブタを持ち上げた。ずしりとした重さが、命の重みを教えてくれる。
「……折れなそうだな」
内臓を抜いたツチブタの重量は、恐らく100kg程度だ。
それを支えることの出来るトリデムシの脚の強度に驚きつつも一旦作業台に置き、二つの丸太に切れ込みを入れて土台を作る。
丸太を左右に配置し、中央にツチブタをセット。下に薪を重ね、動作チェック。
「って、重ッ!」
トリデムシの脚は関節が一つある。足先の方が長く、胴体側が短い。
足先だけでツチブタを突き刺せたので、胴体側の短い方をハンドルのようにし回そうとしたのだが、流石に丸太で適当に作った土台では限界があったのか、全然回らない。
「やろうか?」
奮闘していると、エルテが近づいてきたので交代する。エルテは鼻先にハンドル脚を近づけると、くるりと何の抵抗もなく回してしまった。
「……おう、凄いな」
「どれだけやるの?」
「えーと、そのサイズだと、たぶん3時間くらいかな」
「…………ながい」
回すのをやめ一言そう呟いたエルテは、森に向かって遠吠えをした。すると、森の中から数頭の子狼らが現れる。どうやら彼らにやらせるつもりのようだ。
エルテとは違い超大型犬サイズの彼らが回すのは大変では、と思ったが、一頭の子狼が前足でハンドル脚をぐいと押すと、ツチブタの串刺しはくるりと回った。……うん、この小さい子らでも俺より全然力あるのな。すげえな。
しばらく子狼らは動きに慣れなかったが、10分も続けていると自然にくるくると回せるようになってきたので、彼らの進歩に驚きつつもツチブタに塩を塗りたくる。
「烤乳猪なら五香粉とか水飴が欲しいところだけど当然ないから、まぁ塩だけで良いだろ」
火は出来る限り弱火にしたが、簡易的な土台では火までの距離が近すぎるので、遠火でぱりっと焼くことは出来ない。そのため皮面が焦げるのはこの際仕方ないものとし、速度重視でただの丸焼きにすることを選んだ。
土台とトリデムシの脚が折れるか心配でちらちらと様子を伺ってしまうが、崩壊の気配はないまま豚の油が溶ける良い香りが漂ってきた。
「なぁエルテ、手伝ってくれてるあの子らにもあげたほうが良いよな?」
最初に肉を焼いた時、子狼らも食べていたのだ。
しかし、先日は子狼らに狩って貰ったにも関わらず子狼らは食べに来なかった。そのあたりの理由がよく分からなかったので聞いてみると、エルテは「うーん」と小さく唸る。
「べつにあげなくていいよ」
「そうなのか?」
「うん、あれってぼくとほとんどおなじこたいだから、おいしいもつたわるんだよ」
「…………え、待てどういうことだ?」
ほとんど同じ個体ということは、まぁエルテだけありえないほど巨大になったのは群れの主になったからとかデカくなったとかそういうので理解出来る。
だけど、美味しいが伝わるってどういうことだ?
「えっと、なんていうんだっけ、どうちょう? してるから」
「……同調? え、ってことはあっちの小さい狼もエルテも、同じ意識があるってことか?」
「だいたいは、そう。あっちからこっちにはつたわらないけど、こっちからあっちはつたわるの。だから、ぼくがたべるだけであじはわかるし、まんぞくもするよ」
「…………え、何だそれ。よく分かんないけどすげえな」
「すげえ?」
首を傾げるエルテは、自分が何を言ってるか理解しているのだろうか。
つまり、エルテと子狼らは電波的な何かで常時通信しており、感情が伝播するということか?
確かにそうなると食べるのはエルテだけで良くなるのかもしれない。腹は膨れないが、それを言えばエルテだって料理だけで腹を膨らませているわけではない。
常に走りながらマラソン選手が飲むゼリー飲料のように野生動物を食い散らかしているので、自分が作る手料理など、一日の食事量全体から見ると一割にも満たないだろう。
今日の数時間の往復だけで、ツチブタより遥かに巨大な謎の獣を10匹くらい食ってたのを見た。泳ぐのを止めたら死ぬマグロとか、笹のカロリーが低すぎて一日中笹を食べてるパンダとかを連想してしまったっけ。
「……まぁ、じゃあ現状はとりあえず、エルテだけで良いか」
その方が助かるので、エルテが良いというのならそれで良いということにしよう。
確かにエルテや他の獣達も地球では考えられないほどの超巨大生物だけど、そんな摩訶不思議な力まであるとは考えていなかった。
心のどこかで、野生動物が巨大なだけで他は地球の生物と似たようなものだと思い込んでしまっていたのだ。
けれど、違う。この世界には地球人の京三の感覚では理解の及ばない、不思議な力が存在するのである。
「まだまだ地球人の感覚が抜けないな」
「ちきゅう?」
「あー……まぁ、いつか話すよ」
エルテはあまり気にした様子ではなく、知らない言葉があったから聞き返しただけのようだ。
ツチブタの様子を見たり、今回狩ってきた他の獣を解体する姿を眺めたりしている。
塩だけでなくハーブやトウガラシを入手し、作れるものの幅が一気に広がったので何を作ろうか考えながら解体に調理を続けていると、いつの間にかあたりは暗くなっていた。
ツチブタの丸焼きを土台から下ろし、流石に作業台に戻す気にはなれなかったのでそのまま地面で解体する。
焦げた皮面は食べるつもりがないから、まぁ今回は妥協しよう。豚から滴る脂で地面が凄いことになるが、それも仕方ない。
分厚いところにナイフを入れて火が通っていることを確認すると、色々な部位を切り出して皿に載せていく。ある程度切り出すと――
「エルテ、残り食べて良いぞ」
そう伝えると、エルテはツチブタの丸焼きに飛び掛かった。
がぶりと嚙みついた丸焼きを明らかにいつも以上の勢いで咀嚼していく。解体から焼きあがるまで数時間かかった豚の丸焼きは、エルテの胃に収まるまでに10秒とかからなかった。
ずっと脂の焦げる良い香りが漂っていたから、エルテも我慢の限界だったのだろう。
「おいしい!」
今度はただの主張なのか遠吠えをすると、口の隙間から脂が垂れてきた。
切り出して皿に載せた自分用の豚肉は、一キロ分もない。だが、他にも肉はあるのでそれを全部食べるつもりもなく、とりあえず一切れ切って口に運ぶ。
「うっま……」
声が漏れた。味付けは塩だけだ。
もっと香辛料の準備が出来ていれば他にも出来ることはあったが、今回は塩しか使っていない。
網で焼いた時より、数倍旨い。
切らずに焼いたことで脂が落ちなかったというのもあるが、時間を掛けて焼いたという情報も脳へのスパイスとなり、味のステージが一段上がった。
脂身がダイレクトに身体に突き刺さり、確実に明日胃もたれするな、と確信しつつも手が止まらない。生野菜のサラダが欲しくなるなと考えていたが、ふと先程採取したハーブの中に使えそうなものがあったのを思い出して漁る。
「あったあった、これたぶんセルバチコだよな」
セルバチコ、別名ワイルドロケットとも呼ばれるハーブは、恐らく日本人が見たら100人中99人は「そのへんに生えてる雑草」と言うだろう。
実際、日本には見た目が酷似した雑草が何種類もあるので、そう思うのも仕方ない。自分だって、齧ってみなければ食用だと気付かなかったほどだ。
そんなセルバチコの味は、ルッコラに大変似ている。
ぴりりとした辛みにゴマのような風味が目立つフレッシュハーブで、ルッコラと同じように生でそのまま食べることが多い。
他の野菜に混ぜてサラダにするならばルッコラの方が合うだろうが、こう、脂身の多い肉を薄く切って巻くようにして食べると――
「うっめぇええええええ!!」
濃厚な豚の脂に、ピリリと辛いフレッシュハーブが口内で混ざり合う。
芋しかないこの世界に、今この瞬間美食が生まれた。そう確信出来る調和だ。思わず叫んでいると、がたりと小屋から物音が聞こえた。
「…………忘れてた」
料理を始めてすっかり存在を忘れていた少年と少女が、小屋の中からこちらを見ていた。




