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ところが入学から二カ月が経ち、新生活にも多少の落ち着きが出てきた頃に、操の方から裕也に対して何かと理由をつけては連絡を取り、学校生活を共にするようになったである。始めは、妖怪退治屋として名声を馳せている重圧が大変なのか、というような勝手な妄想をしていたが、本人にそれらしい様子は皆無であった。
裕也は今でも時々信じられなくなるのだが、操は裕也を一人の男性として好いていた。
大学の二回生に上がる頃、操は結婚を見据えた交際をして欲しいと裕也に真剣な告白をしてきた。裕也は当然のようにそれを断った。国民平等が憲法で保障されていようとも、神邊家の本家と分家には、封建時代と変わらない程の身分の違いがあることを理解していたし、そもそも一人の人間としても釣り合わないと思っていたからだ。
けれども、性根が弱々しい裕也が、次期神邊家跡取りとして、その期待に遺憾なく応える様な女性のアプローチをいつまでも躱し続けられるものではなかった。外堀を埋められ、共通の友人たちは全員が操の肩を持ち、身に覚えのない既成事実まで作られた結果、二人は交際をスタートした。それが、二回生の夏休みの事である。
そして二人がまもなく卒業するかどうかと言った時期。操は今度は、結婚をしようと言い出した。裕也は年齢的に尚早であることは元より、妖怪退治を家業にする神邊家の、それも本家の息女と一緒にはなれないし、周りも許さないだろうと言った。だが操の意思は固く、ならば卒業と同時に駆け落ちして、退治屋業から一切足を洗うと言って裕也を説得した。
裕也も散々に悩んだが、二年の交際を経てすっかり操に惚れていた事もあって、駆け落ちを受け入れ、結婚する意思を固めたのである。
卒業してから二人は有言実行し、遠い町で慎ましく生活をしていた。駆け落ちしてすぐに操も妊娠しており、思えば裕也にとってその日々が最も幸せな結婚生活だった。
だが、その生活は三年と続かなかった。真鈴町を根城にしていた妖怪たちが、日を追うごとに凶悪化していったのだ。原因は不明のままだったが、神邊家は総力を挙げて操の行方を追った。政治関係や警察組織にもある程度顔の利く神邊家の追跡をかわすのは、赤ん坊を育てる操と裕也には難しかった。
本家は論なく二人を別れさせようとしたのだが、それには操が猛反発をした。お互いが最大限に譲歩し合った結果、裕也を当主として認め、結婚関係を維持したまま神邊家の本家に戻ると言う折衷案が提示されたのだ。
しかしながら、操を除いて裕也を神邊家の当主として認める者は内外に一人もいなかった。本家筋の者は勿論の事、神邊家に従事する者、退治業の修行として神邊家に出入りする者、果ては退治人の組合的組織からもひどく疎まれていた。
始めの内は、操の見えないところでの嫌がらせなどがあったのだが、裕也は気にしないようにしていた。退治人としての才能が全くなく、毎夜に街に繰り出しては妖怪退治をする妻の傍にもいられないことに、裕也はひどく落ち目を感じていたからだ。操が気にしなくていいと励ませば励ますほど、彼の立場は悪くなっていった。
それは裕也が四十の齢を迎えた今でも、変わらない。いや、むしろ更に悪いモノになっていた。