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やがて門徒がぞろぞろと屋上に集い始めると、操はテキパキと後処理の指示を出したり被害状況の報告を聞いたりしていた。こうなってしまっては裕也には、ここに留まる理由はない。
裕也は今のたたりもっけとの戦いを終えて、今日限りで夢を見るのを止めようと決心した。一月の間、操から言われた言葉の意味をずっと反芻しては思案していた。それの言わんとすることが、今の戦いでようやくわかったからだ。
「Good Bye」
短い別れを口にする。それは神邊家の全員にも自分自身にも言ったつもりだった。ほんの一度きり、時間にすれば十分にも満たない間であったけれども裕也は家族のみんなと共に妖怪と戦い、妻子を守るという長年の夢を叶えられたことを餞にすることにした。
しかし裕也の決意とは裏腹に、去ろうとする彼の手を取り歩みを引き留める者がいた。
「待って」
「What,Ms…?」
操は門徒を掻き分けてツカツカと歩み寄ってくる。そして裕也の前で止まると深々と頭を下げてきた。
「子供たちを助けてくれたお礼をいたします。ありがとうございました」
「いえ…」
普段から見慣れた妻の顔のはずなのに、裕也は無性に照れくさくなった。顔がアシクレイファ粘菌で覆われている事に感謝したくなるほどによく分からない表情になっている。
少しでも早くこの場を去りたいはずなのに、心の中に芽生えた微かな期待感がそれを邪魔してしまい、中々足を動かすことができない。その内に操の方が次言を放った。
「ここに居合わせたのは偶然ではないですよね?」
「ええ。この前の事が大分堪えましてね、あなたの戦いを見させてもらいました。何か分かると思って」
「そうですか」
「痛感しましたよ。僕は戦い方も自分自身の事も分かっていない上に戦う相手の事すら分かっていない。あなたの言う通り、ふと授かった力を面白おかしく使っていただけだ」
ペラペラと自分の心情を吐露できるのは、きっと全てを諦めたせいだろう。
神邊裕也としてもMr.Facelessとしても、妻には敵わないのだと痛感する。この人と共に過ごす事ができる日々を与えられただけで十分じゃないかと、裕也は自分のことを肯定した。
だから粘菌で覆い隠したとびきりの笑顔で、清々しく告げる。
「けど少しだけでも夢が叶ったから満足です。それでは、もう会う事もないでしょうけど」
「待ってください」
「え?」
「少し手伝ってほしい事件があるのですが」
その言葉に裕也だけではなく神邊家の全員が驚いた。Mr.Facelessの活動については賛否両論あったものの、その中で操はかなり否定的な立場を貫いていたからだ。特に耳に胼胝ができるまでMr.Facelessには近づくなと言われていた子供たちは目を丸くしている。
「お母さん、本気で言ってるの?」
悠の問いかけに操はニコリと笑うのを返事とした。
そして操は向き直り、襟を正してから毅然とした態度で言った。
「詳しくお話します。その気があるのであれば、明日の午前一時に雨込神社の境内へいらしてください」




