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「お母さーん。お父さん、帰ってきたよ」
その声に裕也は初めて意識をしっかりと取り戻した。
見ればいつの間にか、朝に出た裏口の框に呆然と立っていたのである。ふと顔を上げると、三女で一番末の娘である冬千佳が廊下の先で裕也の存在に気が付き、母の操を呼んでいた。
双子である千昭と冬千佳はまだ幼さも存分に残っているので、家人の中では割かし裕也には親密な方である。それでも姉や兄の言動を普段から見ているせいか、他の家に比べればやはり父親に対しての接し方ではない事の方が多い。
冬千佳の声を聞き、奥の部屋から操が飛んできた。その後ろにはぞろぞろと他の子供たちの姿も見られる。全員が寝間着というか、家で過ごすための服に着替えていた。
そこで初めて裕也は今の時刻が気になった。裏口にある壁時計を見れば、針は午前10時と時刻を刻んでいた。夜に妖怪退治の仕事をしている神邊家にとっては、夜明けとともに仕事を終え、また次の夜に向けて休息を取る時間帯だ。普通の裕也であれば、半日以上も家を空けてしまったことに罪悪感と焦りとを見せるところだが、どういう訳か頭が上手く回っておらず混乱していた。それでも裕也本人は、何とも冷静で穏やかな気分でいたのだった。
(…あれ? どうなってるんだ? さっきの事故は…?)
裕也の頭の中には帰路の山道での記憶が未だ生々しく残っている。謎の光がぶつかった衝撃も恐怖も崖下に落ちていった時の痛みさえも鮮明にある。だが今いるこの現実には、そんな事が起こったような痕跡がまるで残っていない。
まるで白昼夢のようだと、裕也は思った。
もう一つ不可解なのは、どうやってこの家まで戻ってきたのかまるで不明瞭という事だった。山中での事故の記憶から、今に至るまでの記憶がすっぽりと抜けてしまっている。あの事故は夢だったのか、と裕也を不安にさせるもう一つの要因だった。
「裕也さん!」
「…」
「よかった。帰りが遅いし、連絡も取れないしで心配してたの」
「…」
「どうしたの? 裕也さん?」
操の声は耳には入って来るが、頭には入ってこない。心配する操をよそにフラフラと夢遊病のように、裕也は自分の部屋を目指して歩き始めた。
「ごめん。具合が悪いみたいだ」
その裕也の様子にただならぬ気配を感じたのは操だけでなく、子供たちも一緒だ。ただし心配からくるものではない。悠と夏臣はヒソヒソと操に聞こえぬように、父を罵った。
「なんだアイツ」
「お母さんに心配かけといて」
「浮気でもしてきたのかな?」
「キモイ想像させんな」
と、夏臣は悠に頭を小突かれていた。




