夫婦政談
たこす様主催『この作品の作者はだーれだ企画』で、私の正答率ゼロ達成に絶大な力を頂いた陸 なるみ様からリクエストを頂戴しましたので、三題噺、書いてみました!
お題は、陸様の投稿作「『前世はお針子』うすらとんかち女子が恋に目覚めるまで。」の登場人物の名前から、
『一』『海』『羽』
をいただきました!
あれこれいじって大岡裁きっぽい落語に仕上がりました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
「南町奉行、大岡越前守様、御出座~」
朗々たる声に、お白州はぴりっとした空気に包まれます。
玉砂利の上に敷かれた筵の上には、歳の頃二十四、五の職人肌の男。
その隣には二十歳そこそこといった気の強そうな娘。
少し後ろに六十くらいの人の良さそうな老人が控えておりました。
「さて、此度は三河町の長屋大家、喜兵衛より再三の訴えありとの事で白洲で取り上げる事と相成ったが、……この願書、奉行俄かには信じられぬ。喜兵衛、今一度訴えを有り体に申すが良い」
「へ、ありがとうぞんじます」
お奉行の言葉に喜兵衛と呼ばれた老人が、一度平伏してから話し始めます。
「この熊五郎とおみつは去年私の仲立ちで夫婦になったのですが、喧嘩をしない日がない有様で、このところは『別れろ』『別れねぇ』『ならいっそ殺せ』『殺さねぇ』と大騒ぎ致しまして、お奉行様にどうにかして頂きたいと……」
「……夫婦喧嘩の仲裁を白州でやる羽目になるとはな……。これも天下泰平の証か……。致し方なし。では三河町大工、熊五郎。喧嘩の理由を申せ」
お奉行が促すと、熊五郎は身体をガチガチにしながら口を開きました。
「へ、へぇ、あ、あの、お喧嘩の、お理由であらせたてまつりますところの、お妻のおおみつがでこざりたてまつりそうろうの、おあっしのお仕事に」
「……何を申しておるのか皆目分からぬ。無礼は咎めぬ故、友に話すように申せ」
「え、いいんですかい?」
そう答えた熊五郎の態度が一気に崩れます。
「ありがてぇ。いやね、こいつがあっしの仕事にケチつけやがるんで、こう、つい頭に血がのぼりやして、喧嘩なんてもんを、へへ……」
それを聞いたおみつが、熊五郎に食ってかかります。
「何よ! お前さんがあたしの話を聞かないのが悪いんじゃないかい!」
「何を言いやがる! 女が男の仕事に口出すもんじゃねぇ!」
「お前さんはあたしの仕事に口を出すのにかい!?」
「俺がいつ口出したってんだよ! 家の事はお前に任せてるんだ! お奉行様の前でウソ八百並べんじゃねぇ!」
「あちこち駆けずり回って晩のおかずにお前さんの好きな鮭を買って来たってのに、『祝い事でもねぇのに無駄遣いするな!』って言うのは口出しじゃないってのかい!?」
「別に食いてぇとも言ってねぇもののために、金と足を無駄に使うなって言って何が悪い!」
「その割にはうまそうにパクパク食べてたじゃないか! 食うんなら文句言うなってんだよ!」
「何を!」
「何よ!」
「控えよ」
お奉行の声に、お白州に静寂が戻りました。
「では妻、おみつ。熊五郎の仕事への不満があるようだが、ここで話せる事か?」
「……は、はい」
「では有り体に申せ」
「えっと、その、お、お私のお旦那であらせられるこのお熊五郎のお仕事でござりたてまつりますが」
「……似たもの夫婦であるな……。おみつも井戸端で女同士語らうように申して構わん」
「本当ですか?」
おみつのガチガチも一瞬で崩れます。
「聞いてくださいよお奉行様! この人大工なんですけど腕がいいんです! なのに仕事の根を詰めて、夕方まで帰って来やしない! 仕事仲間の方から、やれ守銭奴だ、やれ金の亡者だ言われてるのを聞くと、あたし恥ずかしくて……」
「べらぼうめ! 俺がしてぇ仕事をしてるんだから、言いてぇ奴には言わせときゃいいんだよ! それをいちいち気にしやがって……」
「あたしはおかみさん達からも、『旦那が帰りたがらないのは妻のせいじゃない?』なんて言われるんだよ!? 悔しくて仕方がないんだよ!」
「毎日吉原に入り浸りってんならともかく、ここ一年俺は一日たりとも家に帰らなかった日はねぇぜ!? 言われる筋合いはねぇってんだよ!」
「だったらもうちょっと早く帰っておいでよ! あたしは飯炊きにお前さんのとこに行ったんじゃないんだから!」
「何を!」
「何よ!」
「控えよ。……頭痛がして参った」
お奉行は頭を片手で押さえて溜息をつきました。
「まず熊五郎。お主は何故そこまで仕事に根を詰める? 奉行が聞くに江戸の職人は、昼には仕事を切り上げられるのが腕の良い証となっているようだが」
「そりゃ嫁貰ったんですから、食わせていかねぇといけねぇんでさ。それをこいつは無駄遣いを……」
「待て待て、また言い争いになっては話が進まん。……おみつ、熊五郎はお主の為に仕事を多く引き受けておるようだが」
「それで身体を壊したり、周りから付き合いが悪いなんて言われてこの人が辛い思いをするのが我慢ならないんですよ。それをこの人ったら」
「待て待て。そこで一言多いからお主達は喧嘩をするのであろう」
お奉行は溜息を重ねます。
「……お主達、夫婦になったのは嫌々であったのか?」
「いや、その、嫌ってわけじゃねぇんですよ。ただ子どもん時から一緒にいるもんで、こう、なんか遠慮がないと言うのか……」
「あ、あたしだって熊ちゃんのお嫁さんになるのが夢だったし、嬉しいけど何だか落ち着かないっていうか……」
溜息をもう一つこぼして、お奉行はまず熊五郎に話しかけます。
「熊五郎。唐の詩人に白居易という方がいる。その方の詩に『天に在りては比翼の鳥となり、地に在りては連理の枝とならん』とある」
「えっと、『天気晴れたらひよこは鳥となり、日が暮れたら便利な枝にならん』……まじないですか?」
「そうではない。比翼の鳥とは片方の羽しか持たず、夫婦でしか飛べない鳥の事。連理の枝とは、二つの木が絡まって一本の木のようになる木の事。夫婦とは二人で助け合い、支え合うものという話だ」
「……むつかしいですね」
「……ではこう申すか。一緒に仕事する仲間が、隠れて自分のために仕事をしていたらどう思う?」
「そりゃ水くせぇって背中の一つも張り倒して、……あ」
「分かったようだな」
「……へい……」
次にお奉行はおみつに語りかけます。
「おみつ、お主が熊五郎を思う気持ちは尊い。だがだからといって思い通りにしようとしてもうまくはいかん」
「……でも思って言ってるんですから、聞いてほしいですよぅ……」
「気持ちは分かる。だがそれは漁師が海に怒るようなものだ」
「へ? 海に?」
「そうだ。漁師が海に網を打ち、魚が取れなくて怒っていたらどう思う?」
「そりゃ怒ったってしょうがないですよ。魚が取れるのは当たり前じゃないんですから」
「お主も同じ事だ。思いが伝わらなくとも、海を相手にしていると思えば腹も立つまい。根気よく網を打てば、いずれ魚も取れよう」
「……! はい!」
二人を満足そうに眺めたお奉行は、咳払いを一つ。
「しかしかような些事でお上の手を煩わせた事、何も罰せねば天下の法が泣く」
「ば、罰ならあっしが!」
「いいえあたしに!」
「お前はすっこんでろ!」
「お前さんこそ!」
「……懲りておらんのかお主達は……。ともかく、今後奉行所はどんな理由があろうとも、二人の離縁を認めん。何があっても生涯を共にせよ。良いな」
「は、はい!」
「ありがとうございます!」
「これにてお調べはここまでー! 一同立ちませーい!」
お辞儀をして出て行く二人と喜兵衛を見送ると、お奉行はくたりと肩を落としました。
「誰か、茶を持て。濃いのが良い。いやはや何とも馬鹿馬鹿しい調べであった。夫婦喧嘩と見せてその実、惚気を聞かされたようなものだ。この越前、たった一膳で胸焼けを覚えた。はっはっは。……おぉ、済まぬな」
お茶を一息に飲み干したお奉行。
「あれは確かに犬も食わない」
読了ありがとうございます。
はい、夫婦喧嘩は犬も食わない、そんな話です。
知られざる大岡裁き! 嘘です。こんな事でお白州は使われませんて。
もっといただいたお題を活かせたらという悔いもあるのですが、今はこれが精一杯……。
こんな古典の皮を被った新作落語ですが、お楽しみいただけましたら幸いです。