第9話「小さな依頼主①」
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「いやー……」
「ど、どうしましょうね……」
夏を先取りしたような陽射しが降り注ぐ中、茂みにしゃがみ込む日向とエレク。
2人の視線の先には、ダンボールの中で丸まる1匹の子犬と、唸り声を上げながら2人に威嚇する体の透けた1匹の犬がいた。
♢ ♢ ♢
遡ること約1時間前。
ボランティア部での一件から2日が経った日曜日。日向は仕事へ向かう母の香織を見送り、家で1人で過ごしていた。
(午前中に宿題を終わらせて……天気もいいし、久しぶりに本屋さんに行こうかな……)
そんなことを考えながら自室の学習机に教科書を並べていると、
「日向~……」
窓ガラス越しにエレクの姿が見えた。日向が窓を開けるより先に、エレクは窓をすり抜けてふよふよと日向の部屋に入り込む。
エレクの表情にいつもの明るさはなく、手や顔のあちこちに小さな傷があり、普段着ている深緑色のパーカーもほつれていた。
「えっ……ど、どうしたんですかそれ……!?」
日向が思わず声を上げると、エレクは脱力したように壁にもたれて座り込み口を開く。
「犬……犬の浮遊霊にやられた……」
「犬の……?動物も、人と同じように心残りがあったら浮遊霊になるんですか……?」
エレクが頷く。
「らしい。でも野良とかがほとんどで、あんま人前には出てこねーんだってさ。てんじゅをまっとう…?したり人間に飼われたりして愛情を受けた動物は自然に天国に行けるんだって」
天国で仕事してる天使がこの前教えてくれたんだ、とエレクが話す。
「えっとじゃあ……その怪我は野良犬の浮遊霊に……?」
日向の問いかけにエレクは頷いて不満を並べ立てる。
「そうなんだよ、目合った瞬間に吠えてきてさ!ずーっと着いてくるし撫でようとしたら噛み付いたり引っかかれんの!まだ悪霊にはなってねーけど、あのままにすると危ねーし……って訳で、頼れる相棒に相談しに来たんだ」
「あ、相棒なんて、そんな……。でも……何とかしてあげたい、です。わ、私に何か出来るかは分からないですけど……その子に会ってみたいです」
日向の言葉を聞くとエレクはパッと表情を明るくさせた。
「そう来なくっちゃなー!場所はこっからちょっと離れた別の町なんだけど、ほら、この前閻魔が言ってたアプリあるだろ?あれで今から行こうぜ!あ、外だから靴も忘れずにな」
エレクの言葉で日向は、以前閻魔によって自身のスマホに入れられたアプリのことを思い出す。あの後エレクから基本操作は教わったものの、あの日以来使っていないままだった。
「あ、あの時言ってた瞬間移動って……ほ、本当に出来るんですか……?」
「ははっ!そう思うよな。でもマジで出来るんだって!まずアプリを開いて行きたい場所を打って、で、下にある〖転移〗ってとこ押すだけでいいんだぜ!」
説明しながらエレクは自分のスマホを慣れた手つきで操作する。日向も外へ行く準備を済ませた後、恐る恐る画面に指を滑らせ始めた。
「えっと……こう、ですか……?」
エレクに言われた通り操作すると日向のスマホが青白く光り、日向は思わず目をつぶる。
「わっ……!?」
一瞬、キィンと軽い耳鳴りがした後、まるで飛行機に乗って離陸した時のような妙な浮遊感を日向は感じた。
その数秒後、部屋の床とは違う硬い感触を足元に感じると同時に、暖かい春風が日向の頬を撫でる。そっと日向が目を開けると、辺りは部屋から外の景色へと変わっていた。
日向はスマホで位置情報を確認する。
確かに先程日向がアプリに打ち込んだ場所と同じだった。
「な、出来ただろ?」
日向の後に続いてエレクも転移して隣に降り立つ。
「す……すごいですね……。こんなことが、本当に……」
「ワンッ!!ワンワンワン!!」
呆然と呟く日向の声に被さるように犬の鳴き声が2人の背後から聞こえた。
振り向くと、体の透けた1匹の黒い大型犬が唸り声を上げながら2人の元に駆けてくる。その剣幕に日向は小さく悲鳴をあげてエレクの背後へ隠れた。
「エ、エレクさん、この子が……?」
「そ、けっこー迫力あるだろ。ほら、日向怖がってっから大人しく―――――いって!!」
エレクが犬の頭に向かって手を伸ばすと犬は勢いよくエレクの手に噛み付いた。エレクはすぐに手を引っ込めたものの、噛まれた箇所から血が滲み、地面に滴り落ちる前に煙のような形に変わり消えていく。
「だ、大丈夫ですか!?血が……!」
「へーきへーき!……でも、やっぱ悪霊化が進んでんな。早く何とかしねーと……」
心配そうに傷口を見る日向に笑顔で返した後、エレクは眉を寄せ真剣な顔をする。
変わらず低い唸り声を上げ続ける犬の体には、以前日向が遭遇した悪霊によく似た黒いモヤがまとわりついていた。
「……」
日向は1歩前に進み出るとしゃがみこみ、犬と目線を合わせた。
吠えながら威嚇する犬に、日向は怖々ながらもゆっくりと自分の手を近づけていく。
「えっと……大丈夫、怖くないですよ」
日向が犬に優しく声をかける。すると犬は吠えるのをやめ、差し出された日向の手に鼻先を近づけた。ひんやりとした感触が日向の手に伝わる。
数秒そうした後、犬はふいと顔を逸らし2人から離れて歩き出してしまった。
「あ……」
手応えが無かったかのように思えたものの、犬はしばらく進んだ後に立ち止まり2人の方を見た。そしてまた歩いては足を止め2人の様子を伺っている。
「……もしかして、『着いてこい』ってことか?」
「い、行ってみましょう……!」
2人が自分の後に着いてきていることを確認すると、犬はもう振り返らずに迷うことなく近くの公園の茂みへと入っていった。
とても人が容易く通れるような道ではなく、すり抜けられる犬とエレクとは対称的に日向は枝葉をかき分けて進んでいく。
「おいおいどこまで行くんだよこいつ……。日向、大丈夫か?」
「は、はい、なんとか……」
「ワンッ!!」
そうしてしばらく進み、やがて犬は「ここだ」と伝えるように短く吠えて2人の顔を見る。
「え……?あ……!!」
着いていくのに精一杯だった日向は顔を上げ、視界に入ったものを見て声を漏らす。
生い茂る草木で隠れるように、1つの小さなダンボールが置かれていた。
日向が中を覗くと箱の底には薄い毛布が敷かれてあり、その上でこげ茶色の子犬が丸まって眠っている。
体はやせ細っており、やや衰弱しているように見えた。
「ダンボール……ってことは、捨て犬か?細いし、あんま元気なさそーだな……いっって!!」
エレクがダンボールの中の子犬に手を伸ばそうとするなり、浮遊霊の犬が飛び出しまたもやエレクに噛み付いた。低く唸り声を上げて、子犬を守るようにダンボールの前に立ちエレクを睨む。
「いやー……」
「ど、どうしましょうね……」
途方に暮れる日向とエレク。
浮遊霊の犬はダンボールの周りをぐるぐると忙しなく回り、鼻にかかったような寂しげな鳴き声を上げる。
「多分この子は……生前、このダンボールにいる子のお世話をしていたんじゃないでしょうか……」
日向が呟き、エレクも首を傾げて思案する。
「じゃーこいつが俺たちをここに連れてきたのって、自分の代わりにこの捨て犬を何とかして欲しい……ってことか?優しいんだな」
俺には優しくねえけど、と不服そうに口を尖らせる。
「こういうのって……ほけんじょ?とか行くんだっけ?あ、でも元気ねぇし先に病院の方がいいのか?」
「そうですね……1度病院で診てもらった方が……。とりあえず、この子を茂みの外まで運びますね」
そう言うと日向は両手でそっとダンボールを抱え持つと来た道を戻り始める。浮遊霊の犬は吠えることなく静かに日向の後を追った。
「おい嬢ちゃん、どうしたんだそれ」
日向達が茂みを抜けて公園の入口まで出た時、たまたま傍を通りがかった大柄な男が日向に話しかけた。
左右を刈り上げたオールバックに大きなサングラス。日に焼けて黒みがかった腕や足には大きな刺青も入れられている。
「あっ……その、えっと……」
日向は視線を泳がせて俯く。
(どうしよう、なにか言わなきゃ……そうだ、病院の場所を聞かなくちゃ……でも……)
するべきことが頭では分かっているものの、日向は声も出せずに立ちすくんでしまった。
男は眉間にシワを寄せて近づき、俯いたままの日向の様子を伺う。
その様子はさながら肉食獣に狙われた小動物のようだったが、エレクだけはいつもと何ら変わらない調子で日向に声をかける。
「ひーなた、大丈夫。俺もついてるからさ。1回深呼吸しようぜ!」
「……!」
日向は意識的に呼吸をし、速くなっていた鼓動を抑える。
そして恐怖をぎゅっと押し込めて目の前の男と目を合わせ口を開いた。
「……あ、あの……この子が、公園に捨てられてて、それで……よ、弱ってるから、病院に連れていきたくて……」
日向の声は木々のざわめきに掻き消えそうなほど小さなものだったが、幸い男の耳には届いたようだった。男はスマホを手に取りなにやら調べ始める。
「動物病院か……。この近くだと車で10分位ってとこだが、さすがに嬢ちゃん1人で知らないおっさんの車に乗るのは不安だろ?今タクシー呼んでやっから待ってろ。ついでに保健所にも連絡入れとくからよ」
男は日向の返事を待つより先にスマホでタクシーを手配した。
「い……いいんですか……!?」
「おう。目の前の困ってる奴を見過ごすなんざ、組の仁義に反するからな」
「く、くみ……」
屈託の無い笑みを見せる男に対し、日向はサッと全身の血の気が引くのを感じる。人を見かけで判断してはいけないとはよく言ったものだが、この場合は見かけ通りというわけだった。
「あ、幼稚園であったよなー、きりん組とかひまわり組とか」
(絶対そういうのじゃないです……!!)
横で話すエレクに日向は心の中でツッコミを入れる。
「ああ、怖がらせたか?でももうとっくに足洗ってっからよ。今は結婚して娘もいて……そうだ前に撮った娘の写真、見てくれるか?これが可愛くて……」
言いながら男はスマホのギャラリーから無邪気に笑う少女の写真をいくつか日向に見せる。楽しそうに話すその様子は、子を想う父親そのものだった。
そうこうしているうちに、公園の前に1台のタクシーが止まる。日向達は動物病院へ向かうことになり、浮遊霊の犬もするりと車内に入り込んでダンボールの傍で丸まった。
♢ ♢ ♢
「あの、すみません……診療代まで払って頂いて……」
「気にしなさんな。……しっかしどうすっかな。保健所で預かってくれんのはたったの3日か……」
男が神妙な面持ちで呟く。
幸い子犬は軽度の脱水症状で体力が落ちていただけで、感染症や外傷などは無かった。たまたま院内に居合わせた保健所の職員が日向と男から事情を聞き、そのまま子犬は保健所に引き取られることとなった。
しかし一定期間経っても引き取り手が見付からない場合、子犬は殺処分されると職員が告げる。
(それは絶対に避けなくちゃ……)
「俺のとこはペット禁止だしなあ……嬢ちゃんは?あてはあるか?友達とか親戚とかよ」
「あて……。あ」
男が日向に聞く。日向はしばらく考えて、1つ、思い浮かんだものがあった。
「ある……かもしれません……!」
日向が言うと男は「そうか」と頷き、ポケットからメモ帳を取り出すと自分の名前と連絡先をスラスラと書いて日向に手渡す。
「俺も色々あたってみっから、もし何かあればここに連絡くれや。俺はこれからちょっと用事あるんだけどよ、嬢ちゃん1人で帰れるか?」
「は、はい……!大丈夫です。あ、あの……色々と、ありがとうございました……!」
「いいってことよ。じゃあな」
日向が男に深々と頭を下げると、男はにっと笑って軽く手を振り、大股に歩いて去っていった。
「いい人だったなー、あのおっさん!
でさ、さっき言ってたあてって、笑那と皐月のことか?」
病院を出た後に問いかけてきたエレクに、日向は周りに人がいないのを確認してから静かに首を振り口を開く。
「えっと、いえ……その2人だけじゃなくて……」
「ボランティア部に、話してみようと思って」
最後までお読み下さりありがとうございます!