第7話「新しい出会い」
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「日向ーそろそろ起きなー!学校遅れるよー!」
「うーん……」
月曜日の朝。香織の活気のある声が日向の部屋まで届く。
日向はおもむろに体を起こして眠い目をこすりながらリビングへ向かった。
「おはよう、お母さん……」
リビングにいた香織は笑顔で「おはよ!」と返し、食卓に手際よく日向の分のトーストとコーンポタージュを並べていく。
「ほら早く食べて!今日から授業始まるんでしょ?若いんだからシャキッとしないと!」
「そうだね……」
「土曜日はほんとに大変だったみたいだね。あの子……閻魔と話すの苦労しなかった?見た目は可愛いけどよく突拍子もないこと言うから」
まだぼんやりとしている日向に苦笑をこぼしながら香織は言う。
「うーん……。話っていうか、あの2日間で起きたこと全部が初めてのことばかりだったから……正直、まだ頭が追いつかない感じ……かな……」
「あはは、まあ普通はそうだよね!
……本当は、日向まで巻き込みたくなかったんだけどね。私は仕事があるから、あまり日向の傍にいられないけど……何でも力になるからね。それから、無茶は絶対しないこと」
香織は笑顔を見せた後、改まった声で言った。
夜勤専従の看護師として働く香織は勤務時間が夕方から深夜に及ぶため、日向とゆっくり話せる時間は少ない。
日向はこくりと頷いた。
「ありがとう、大丈夫だよ。エレクさんもいるし……」
日向の言葉に香織は何だか嬉しそうに頬を緩ませた。
「例の相棒君ね!ね、そのエレク君ってどんな子?かっこいい?」
「へっ……!?えっと、いい人だよ。優しいし面白いし」
どぎまぎとする日向を見て香織はニコニコとしながら「そっかそっか」と相槌を打った。
「まずは今日、学校でも友達ができるといいね!最初が肝心だから」
「……うん、頑張るよ。じゃあ、行ってきます」
日向は香織にぎこちない笑みを向けて家を出た。
♢ ♢ ♢
(……とは、言ったけど……)
香織に返した言葉とは対称的に、日向の心には濃い不安が影を落としどんどん足取りが重たくなっていく。
日向の脳裏に浮かぶのは嫌な思い出ばかりだった。
(いつまでも引きずってたらダメだ。あの時とは違う。高校には私を知ってる人なんて少ししかいない。せっかく新しい環境になるんだから、自分から変わらないと……でも、どうしたら……)
「ひーなたーっ!おはよーー!!」
「っ!!」
唐突に後ろから伸びやかな大声が響き、暗く沈んでいた日向の思考が一気に引き戻される。
驚いた日向が振り返るとエレクが無邪気な笑顔で駆け寄ってきて日向の横に並んだ。
「エ、エレクさん……!?おはようございます……な、何かありましたか……?」
日向は周りに誰もいないことを確認してから口を開く。
2日前の閻魔との話で基本的に別行動をすることになり、エレクとはあの後「何かあったら連絡する」と言って去ったきり会っていなかった。
日向の問いかけにエレクは首を振る。
「いや、会いに来ただけ!あと日向の学校どんなとこか気になってさ、ちょっとだけ着いていこうと思って!いいだろ?」
「い、いいですよ……」
エレクの眩しい笑顔を見ていると、悩みや不安がすっかり消えたわけではないが、波のように引いていくように日向は感じた。
「よっしゃ!早く行こうぜ!」
遠足に行く小学生のように軽快に歩くエレクを追いかけ、日向も足早に学校へと向かった。
♢ ♢ ♢
教室では皆新しい高校生活に期待を膨らませているようで、様々な声や物音が遠く近くで交差していた。
「へー、けっこー人数いるじゃん!お、こいつ野球部っぽい顔してるなー!あ、こっちの奴は日向と仲良くなれそう!!」
エレクはあちこち飛び回ってクラスの人の顔を覗き込んだり掲示物を眺めている。
日向からするとハラハラする光景だが、誰もエレクに気づく者はいない。
日向は静かに自分の席に着いた。
「なな、誰かに話しかけたりしねぇの?」
「い、いきなりはちょっと……」
日向は周りに不審がられないように小声でエレクに返す。幸い皆各々の会話に夢中で気にもとめない。
「まーそれもそっか!最初に話しかけるならまずは隣の席の奴かな、まだ来てねぇけど」
やがてチャイムが鳴り響き、男教師が教室へ入ってきた。
「席つけー。えーと……桜木は欠席か?連絡は来てないが……何か聞いてる奴いるかー?」
男教師が日向の隣の席を見て周りに問いかけるが、誰も答えるものはいない。
(休み……なのかな)
するとバタバタと騒がしい足音が教室へと近づいてきて、勢いよく扉が開かれた。
左右で縛られた薄茶色の髪を揺らして、小柄な少女が教室へ飛び込んでくる。
「セーーーーーフ!!」
「アウトだぞー」
少女は背の高い男教師に臆することなく口をとがらせて反論する。
「えー!チャイムの最後の音と同時に玄関入りましたよ!!」
「はぁ……なんで遅れた?」
「いやー、これには涙なしでは聴けない深い訳があってですね……」
「よし分かった。後で職員室でゆっくり聞かせてもらうから席につけ」
「え~~~!!」
まるでコントのようなやり取りに、クラスメイト達は苦笑をこぼし好奇の眼差しで少女を見る。
「日向もこれくらい目立てば友達出来んじゃね?」
「む、無理ですよ……!」
真面目な顔で呟くエレクに日向が小さく首を振った。
「こいつが日向の隣かー、仲良くなれるといいな!じゃ、俺そろそろ行くよ。またな!」
エレクはそう言うと窓をすり抜けて出ていった。
「えー、改めて。このクラスの担任になる藤本だ。担当教科は数学と物理。入学したばかりで不安も多いだろうから、分からないことは遠慮なく聞いて欲しい」
少女が席に着いたあと、藤本は生真面目な表情を崩さず話を続ける。
「このまま1時間目のオリエンテーションを始めるぞ。まず一人一人簡単に自己紹介をしてもらう。ある程度自由で構わないが、あまり長くならないようにな。じゃあ浅沼から」
50音順に指名が始まり、日向の番が近づくにつれて鼓動もどんどん早くなる。
趣味や特技、中学の頃の部活や1年の抱負など、各々が自由に自己紹介を進める中、日向は何を話そうかと必死に頭を悩ませた。
「……次、草野」
「あ、は、はいっ……!」
だが日向の苗字である“草野”は50音順になると早い段階で回ってきてしまう。
日向は慌てて立ち上がってクラスメイトの方を見た。周りからの視線を受けてみるみる緊張し、頭は真っ白になってしまった。
(皆見てる……早く、早く何か言わなくちゃ……)
「え……っと、草野 日向です……。あ、あの、1年間、よろしくお願いします……!」
やっとの思いで一言口にした後、日向は顔を赤くしながらそそくさと席に着いた。
周りがまばらな拍手をする。藤本は「もう終わりか?」と首を傾げながらも次の指名を始めた。
(……せっかく、チャンスだったのにな……)
日向はまだうるさく鳴る心臓に手を当ててため息混じりに息を吐いた。
やがて全員の紹介が終わり、授業の終了を告げるチャイムが鳴る。
教室のあちこちで楽しげな会話が聞こえる中、日向が教科書を眺めていると、
「ねーねー!日向ちゃん、だっけ?」
日向の隣に座っている少女が明るい調子で話しかけた。
「は、はい……!」
「私ねー笑那っていうの!桜木 笑那!あ、さっきも言ったけど!よろしくね」
「よっよろしくお願いします……!」
顔いっぱいに笑顔を広げて言う笑那に、日向はあわあわとしながら頭を下げる。
「なんで敬語なの?もしかして緊張してる?」
「え、えっと……これは癖っていうか……あ、緊張もしているんですけど……」
笑那はさして気にしていない様子で話を続ける。
「あははっ、そっかー!ね、中学どこだった?趣味は?部活は入ってた?さっき全然話さなかったからもっと日向ちゃんのこと知りたい!せっかく席隣だし!あっ日向って呼んでもいい?」
「あ、あの……!」
矢継ぎ早に繰り出される笑那の質問にどれから答えようかと日向は視線を泳がせる。
『笑那、その子困ってるじゃん。もっと落ち着いて話しなよ』
すると低く落ち着いた声が2人の後ろから聞こえ、2人が振り向くと目の前にもう1人の少女が立っていた。
肩上まで切り揃えられた濃い藍色の髪に目鼻立ちの整った顔立ち。思わず背筋をピンと伸ばす日向をよそに、笑那は親しげに声をかける、
「あー皐月ー!皐月ももっと自己紹介話せばよかったのにー」
「あんな公開処刑みたいなの、さっさと終わらせた方がいいでしょ」
サラリと言った後に皐月が日向の方を向く。
「ごめんねこいつが煩くて。笑那とは中学一緒でさ。あたし細谷 皐月。まあよろしく」
「は、はいっよろしくお願いします……!」
それまで表情を変えずに淡々と話していた皐月だったが、日向の顔を見ると目を丸くして呟いた。
「……まって。似てる……」
「?」
「あたしの最推しに、すっごい似てる……!!」
「さいおし……?」
馴染みの無い言葉に不思議そうな顔をする日向に、「えっとねー、アイドルグループとかキャラクターの中で1番推してるメンバーのことかな」と笑那が説明する。
その間に皐月が手早くスマホを取り出して指を滑らせ、1人のキャラクターが写った画像を日向に見せた。
先程までの冷静な様子とは打って変わって、演説のような熱のこもった口調でマシンガンのごとく語り始める。
「ほらこの子!みのりちゃん!!アイドル育成ゲームのキャラなんだけど雰囲気すっごい似てない!?髪色とか制服のデザインは違うけど、真面目で大人しくて恥ずかしがり屋でほんっと可愛くて!!周りのキャラより華はないけどそれを努力でカバーしててほんとに推せるの!ほら、これも見て!オフのときとか草野さんと同じような眼鏡かけてるし普段敬語だし、声も似て……」
「おーい皐月ー、戻っておいでー」
笑那の声で皐月はハッと我に返る。周りはすっかり静まり返って、皐月に視線が集中していた。
「……おわった……」
皐月は呆然と呟いた後に耳まで顔を赤くして手で顔を覆い隠す。
「あははは!皐月、黙ってたら美人なんだけど中身めちゃくちゃヲタクなんだよね!普段は上手く隠してるのに珍しー、よっぽど似てたんだね!いやー、すみませんお騒がせしましたー!」
笑那がケラケラと笑い声をあげながら周りのクラスメイト達に平謝りしている横で、皐月は日向に深々と頭を下げた。
「いやほんと……ごめんなさい、みのり……じゃない、草野さん」
「だ、大丈夫ですよ……私は全然、気にしてないので……!!」
この世の終わりのような顔をする皐月を宥めるように声をかけていると、予鈴が鳴り響き藤本が再び教室へと入ってきた。
「授業始めるぞー席つけー」
「あ、また後で話そう!ほら、皐月も早く立って戻りなー」
「消えたい……」
藤本の声で日向と笑那は席につき、皐月もガックリと項垂れたまま自分の席へと戻っていく。
(……こんな風に、学校で誰かと話すの久しぶりだな……)
この2人となら仲良くなれる気がするという微かな期待が、日向の心に芽生えた。
♢ ♢ ♢
「へー、日向って歩きで通ってるんだ!私と皐月はバスだから別々だねー」
帰りのSHRが終わり、日向は笑那と皐月と途中まで一緒に帰ることになった。
廊下を歩きながら笑那がバスの時刻表を見て時間を確認する。
「はい……あ、あのっ今日は話せて楽しかったです……!」
「うん!私も……うわっ!?」
笑那が日向に言葉を返そうとした時、スマホを見ながら歩いていた青年と勢いよくぶつかり危うく転びかける。
「ってー、よそ見すんなよ」
「はー!?そっちだって歩きスマホしてたじゃん!!」
青年はぶつけた場所を手で押さえながら怒りを込めて笑那を睨みつけ、負けじと笑那が言い返した。
「うっせ……てか、そこにいんの草野じゃん」
「!」
彼の胸元に付けられた名札には『竹田』と書かれており、小学の頃に日向のことをからかっていた男子と同名だった。
日向は咄嗟に皐月の後ろに隠れて彼女の制服の裾を掴む。
「はっ、推しが私を頼って……!!じゃなくて、草野さんに何かした?怖がってるけど」
皐月は一瞬嬉しそうに目を輝かせた後、我に返って目の前の竹田を睨みながら言った。
「別に?なー草野、お前まだユーレイ見えるとか言ってんの?」
馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて日向の方を見る。
「はぁ?」
「何の話?」
日向が答える前に笑那と皐月が怪訝そうな顔で聞き返した。
「こいつさぁ、小学の時━━━」
日向のことを貶めるように話に尾ひれをつけた竹田の話が、呆然と下を向く日向の耳を通り抜けていく。
(ああ、また……せっかく仲良くなれたのに……)
先程まで日向が抱いていた楽しいイメージは音を立てて崩れていき、屈辱感ややりどころの無い怒りが入り交じり日向の目に涙が滲む。
(きっとこの2人も、今までと同じように私のことを……)
2人の反応を見る前に今すぐここから逃げ出したい気持ちに駆られ、日向が掴んでいた皐月の制服の袖を力なく離すのと、竹田が話終わるのはほぼ同時だった。
落ち着き払った様子で笑那と皐月が口を開く。
「……で?」
「それがどうしたのさ」
思っていた反応を得られず竹田は眉間にしわを寄せる。
「は?い、いやだから……気持ち悪いだろフツーに考えて」
「その話が本当か知らないけどさ、本当なら小学のことずっとネタにしてからかう方がどうかと思うけど?普通に考えて」
「そーだそーだー!私だって小さい時に空想の友達作って遊んでたりしてたし!その時と今とはもう違うじゃん!」
皐月が冷ややかな口調で言い放ち、笑那もそれに乗じて言い返す。
「なんだよ、つまんねー……帰るわ」
そう呟くと竹田は不機嫌な様子で去っていった。
その後ろ姿を見送った笑那が呆れたようにため息を着く。
「いやー、高校生にもなってあんな子供っぽいのいるんだなー」
「あんたそれ人のこと言えないからね。みの……草野さん大丈夫?あんなの構う必要ないよ」
皐月は間髪入れずに笑那に突っ込んだ後、日向の方に振り返り声をかける。
日向は2人に向かってぺこりと頭を下げた。
「ふ、2人とも、ありがとうございました……!」
笑那と皐月はニッと笑って同時に口を開く。
「お安い御用さ!友達だもん!!」
「気にしないで。推しだもの」
「いやー皐月!今のは友達って言う流れだったじゃん!」
「ごめん、つい」
「あー!てかバス行っちゃう!2人とも急ぐよ!」
笑那はスマホで時間を確認すると慌てた様子で1人走り出す。
「あーあー、またぶつかりそう。追いかけよっか。あ……あのさ、あたしも日向って呼んでいい?」
たまに無意識で推しの名前で呼ぶかもだけど、と付け足して苦笑いする皐月に、日向も緊張が緩んだように笑みを浮かべる。
(信じてみても、いいのかな。今度こそ上手くやっていけるって……)
もしかしたらこれからの日々は今までとは違って楽しくなるかもしれない。暗かった心の中に一点の明かりが点じられたように日向は感じた。
最後までお読み下さりありがとうございます!