第1話「青天の霹靂」
閲覧ありがとうございます。
4月。まだ少し春寒の残る冷たい風が木々の緑を揺する。
今日から晴れて高校生となった少女 草野 日向は、新しい制服に身を包み家を出た。
「あら、日向ちゃん!おはよう!」
「あ……お、おはようございます……!」
庭の花に水をあげていた年配の女性が、歩いている日向を見かけると朗らかに声をかけた。一拍遅れて日向もおずおずと頭を下げる。
女性は、真新しい制服を着ている日向を見ると顔をほころばせて頷く。
「昔はあんなに小さかった日向ちゃんも、もう高校生になるのね~。ほんとにあっという間だわ~」
「あ、 あはは……」
「この前、お母さんの香織さんにもたまたま会ったのよ!章一さんがいなくなってからずっと女手1つで日向ちゃんをこんなに立派に育てて、ほんとに凄いわよねぇ」
「……え、えっと……い、行ってきますね」
「うんうん、気をつけて行ってらっしゃい!」
日向は女性にぎこちない笑みを返すと再び歩き始めた。
(せっかく話しかけてくれたのに、 会話を続けられなかった……。なんて返せば良かったんだろう。 感じ悪く見られちゃったかな……)
そんなことを悶々と考えながら、 日向は早歩きで学校に向かう。
「……もう、変わらなきゃ……強くならなきゃいけないのに……」
日向は自分にだけ言い聞かせるように、消え入りそうな声で呟いた。
♢ ♢ ♢
学校に着き、日向は黒板に貼られていた座席表から自分の席を確認して窓際の席に静かに座った。
春を感じさせる生暖かい日差しが窓から教室へと差し込む。
日向の周りでは新生活に胸を躍らせたクラスメイト達が楽しげに話をしている。日向と同じ中学校出身の者も教室内に数名いたものの、誰も日向に話しかけることはない。
(……何だか、息苦しいな……)
日向は妙な居心地悪さを覚え、胸に手を当てて意識的に深呼吸をした後、教室から意識をそらすように窓の外を眺めた。
窓枠で四角く切り取られた空は青く澄み渡っており、その青を背景に桜の花びらが時折くるくると舞っている。
日向はそれをしばらくの間ぼうっと眺めていると、木々の間を横切っていく青年が視界に入った。
「……え」
今日向がいるのは4階であり、 普通ならば目線が合う高さで外に人が見えるのはありえない。
それでも日向は一瞬目を丸くしただけで、悲鳴をあげることも狼狽えることもなかった。
なぜなら“見慣れていた”からだ。
「私と同い年くらいかな……」
小さく呟いた日向の声は、 周囲の喧騒にかき消されていった。
日向には、祖母からの遺伝で生まれつき霊視能力がある。
幼い頃は同年代の幽霊達と一緒に遊ぶ程深く関わっていたが、ある出来事を境に日向は幽霊達と関わらなくなった。
それ以来、幽霊が視界に入っても見えないフリをしている。
(……でも、本当は、私は……)
日向の思考を遮るようにチャイムが鳴り響き、教室の扉が開かれる。
若い女教師が入ってきてショートホームルームを始めた。
♢ ♢ ♢
特に何事もなく入学式を終え、 日向は帰路につく。
午後の光が薄れ、辺りに夕暮れの気配が混じり始めている。
(……結局、誰にも話しかけられなかったな……頑張ろうって、決めてたのに……)
日向は視線を落とし早歩きで家に向かう。
すると
『___ア……』
葉擦れの音に混じって、どこか不明瞭なうめき声が日向の前方から聞こえた。
「……?」
日向は不思議に思い、落としていた視線を上げて声の聞こえた方へと顔を向ける。
次の瞬間、顔を上げて“目の前のそれ”と目線を合わせたことをひどく後悔した。
日向の目の前に、 “人ではない何か” が日向を見下ろして佇んでいたからだ。
今まで日向が見知っていた幽霊は、体が透けているだけで姿は生きている人間と同じだった。
だが、今日向の目の前にいる“それ”は、辛うじて形状は人の形を保っているものの、 その体は黒いゼリーの様なもので出来ていて、 目と口があるはずの場所にぽっかりと穴が空いていた。
「ひっ……!」
日向は思わず小さく悲鳴をあげる。
すると、日向の目の前に浮いている“それ”は、ゆっくりと首を傾げて―――――にたりと笑った。
正確には、口があるはずの場所にある空洞が、弧を描くように歪んだ。
そしてそれと同時に、低くか細い声が聞こえてきた。
「アぁ……良かッた。やっと、気づイてくれる人に会えた…。
ねぇ、ボクと一緒に遊ボう……?」
そう言って、日向を包むように不自然に長く伸びた両手を伸ばしてくる。
(どうしよう、どうしよう……!足が、震えて……!)
「い……いや……!!」
日向は全身から血の気が引くのを感じる。
体が小刻みに震える。金縛りにあったようにそこから1歩も動くことが出来ず、目の前の“それ”から目を逸らすことすら出来なかった。
そしてそのまま日向を抱え込もうとした、その瞬間
目がくらむほどの青白い電光が目の前の空間を切り裂くようにして“それ”の頭上に落ちたのとほぼ同時に、耳をつんざく様な轟音が響いた。
日向の目の前にいる“それ”は苦悶の表情を浮かべていて、声をあげようと口元の空洞を大きく広げたが、やがてその体全体が黒い靄になって、空気に溶けていった。
「……あ……」
その僅か数十秒の出来事に理解が追いつかず、日向はその場にへなへなと崩れ落ちた。自転車に乗った若い男が、不思議そうに横目で日向を見て、そのまま通り過ぎていく。
今起こった一連の出来事は、周りの人々には見えていないようだった。
(じゃあ今目の前にいたのは、やっぱり幽霊……でも、私が今まで見てきた幽霊は……)
日向は混乱した頭で考えを巡らせ、ふと疑問に思う。
(幽霊はたしか周りからの影響を受けなくて、浮いている間は、人も物もすり抜けられるはず……じゃあ、どうしてあの雷はあの幽霊を……)
『あれっ、なんであいつ座ったままなんだ?まさかあいつにも当たっちまったかなさっきの……おーい、お前大丈夫かー?って、聞こえるわけないか!』
日向の頭上からどこか陽気な青年の声が降ってくる。
その青年は、日向の顔を覗き込むようにして目の前でしゃがんだ。
(あ……)
今朝日向が教室の窓で見かけた、あの幽霊だった。
山吹色に近い明るい髪に、太陽を映したような黄色い瞳。深緑色のパーカーを身にまとったその姿はさながら向日葵のようだった。
「……だ、大丈夫……です……」
日向は生気を失ったようにぼんやりと返事をする。
「え」
青年は、目をぱちくりさせて自分を指さしながら言った。
「お前……俺が見えるのか?」
最後までお読み下さりありがとうございます!