魔王な兄は私が居なきゃてんでダメ
空は青く澄んでいて、気温は少し暖かいくらい。
木が鬱蒼と茂る森を抜けた私の目の前には、人々の明るい声が飛び交う城下町が広がっていた。
「帰ってきたんだなあ」
しみじみと呟き、自然と弧を描く唇に手を当てる。
あ、あのお店はパンがとっても美味しいところ! ふわふわもちもちでたまらないんだよなあ。私的には黒糖パンが最高にヒットしてるけど、ミルクパンも馬鹿にすることは出来ない…
『リナ。ここがお前の産まれた国か?』
隣から聞こえてきた私を呼ぶ相棒の声に、意識を現実へと戻す。
「そう! ここが魔王が統治をしている国の城下町! 賑やかでいい所でしょう?」
『…そうだな』
低めで安心感を与える、相棒の声。
私にはわかる、きっとこいつは今笑っているのだろう。それだけの長い時を、この相棒とは共に過ごしてきたから。
「ふふ…さ、早く行こう!」
目の前の丘を降りれば、国へと入るための門がある。そして、美味しいパンが私を待っている!!
…でも、心配事が一つだけ。
「お兄ちゃん、ちゃんとやってるかなあ」
____________
「おかえり、リナちゃん。ほら、黒糖パン食べていきなさいな」
「うわあ、おばさん! ありがとう! 神!」
早速一口頬張る。うう〜ん、やっぱりおばさんの作るパンは他とは一味違う!
『おい、俺にも一口食わせろ』
「んー、いいけど少しだけね」
黒糖パンをちぎって、相棒に渡す。ふん、そんな目で見てきてもこれ以上はあげない!
「しゃしゃしゃ、喋った?!」
突然大声を上げ、パン屋のおばさんは椅子から転げ落ちた。
「「あ……」」
私と相棒、もといふさふさの尻尾をもった狼は顔を見合わす。
「おおおおばさん、これにはふかーい訳があって!」
「リナちゃん…次は何を捕まえてきたんだい? 喋る狼を連れてるなんて、厄介な事になるに決まってるよ!」
『次は…ってお前今まで何を捕まえてきてたんだよ…』
「えへへ……」
ちょっと呪いのかかった猫とか、怒り狂った不死鳥とか? いや、でも悪いことにはなってないし。
…おい、相棒。今一歩下がっただろ、距離置いただろ。
「おばさん、こいつのことバレたら騒ぎになるだろうからさ、内緒にしててもらえないかな? 喋るってことさえ無ければ、ただの狼だから!」
「リナちゃんがそういうなら、いいけれどねえ…。ただ、最近王宮の方が騒がしいんだよ。だから、余計に心配になるのさ」
「王宮が…騒がしい…?」
なんだろう、凄い胸騒ぎがする。
「まあ、わしらには関係ないがね、リナちゃんも気をつけるんだよ」
未だ心配そうな目を向けてくるおばさんを横目に、パン屋を出る。
『ただの狼、ねえ?』
「うるさい、そこ突っ込まないでよ。…それより、王宮の方が騒がしいって。心配だなあ…」
相棒の頭を撫で回しながら、考える。
『…行ってみるか?』
「うん。元からそのつもりだったし」
一人と一匹は王宮への道を歩み始めた。
一方、その頃王宮では。
「ねえ、また陛下が女を連れ込んでるって本当?」
「そうそう、その噂。事実らしいわよ」
王宮勤めの侍女による井戸端会議は毎度盛り上がる。侍女とは、盗み聞きと噂が大好きな生き物なのだ。
専らの話題は、最近の魔王のことばかりである。
「えー! てことは、私もチャンスあるかな?」
「やめときなさい。玉の輿なんて、あなたには夢のまた夢よ」
「そうよそうよ。それに聞いたところによるとね…」
一人の侍女が辺りを見渡し、誰もいないことを確認する。察した他の侍女がその侍女の周りに集まった。
「なんか陛下、手当り次第なんだって」
全員が息を呑む。
「えー! 女としてはそういうのは嫌だなあ」
「でもでも、今の陛下さ。前よりカッコよくなったじゃない?」
「「「確かに」」」
「何か~、キリッとしたよね。孤高の存在っていうか」
「そうね、言うなれば『氷の王』て感じ?」
「「「それだ」」」
「でも私は、以前の陛下のほうが好きだったな」
「まあそれも、わからなくはないわね…」
「前はもっと笑顔も多くて、こうなんというか……犬だったよね…」
「「「………」」」
「…あーーっ! 私、お洗濯しないと!」
「思い出したわ、伝言を任されているんだった」
「そうそう、私も用事が」
不都合な事実は全て水に流し、聞かなかったことにする。侍女たるもの、身に付けていなければいけない必須スキルだ。
…たとえ、それが魔王が犬みたいだということを肯定する行為であったとしても。
「それにしても、姫様早く帰ってこないですかねえ」
「まあ、気長に待ちましょうよ」
「またお話、したいですね!」
三人の侍女は、各々の仕事に戻っていった。
「はあ…。やはり噂になってますか…」
その近くの物陰から、身なりのいい男が現れる。
侍女の井戸端会議は、王宮内の情報収集にはうってつけだ。彼女たちがそれを知らないだけで。
「本当、早く帰ってきて欲しいです。私の手には負えませんよ…」
ため息をつく男の顔から、疲れが滲み出る。
「それに、早く会いたいですしね」
男もその場を去った。
____________
「久しぶりの王宮! 我が家!」
『やめろよ、そう言うと高級感とか無くなるだろ!』
王宮の前にそびえ立つ門は、威圧感を感じさせる。
そう、何を隠そう私の名はリナリス・フォン・シルベチカ、現魔王と血を分けあった妹である。いわゆる王族というやつだ。
だから私がいれば、王宮なんてちょちょいのちょいで入れる。
「入れる…はず! なのにー!!」
『門前払いだったな』
そう。言い分も聞いてくれなかった。どうせ陛下目当ての女だろうとか、何とか。まあ、新人だったから私の顔を知らなかったみたいだけど。
「ていうかお兄ちゃんそんなに女遊びしてるの?! 妹より女ですか?! それってつまり…」
『まあそういうこともあるよな。どんま』
「やったーーーーー!!」
『へ…?』
私は拳を真上に突き上げる。嬉しい、長年の夢が叶った!
『何だよ、悲しいんじゃないのか?』
「だってだってだって! あの兄が、あの兄がだよ!! やっと妹離れしてくれたんだと思うと、もう嬉しくて嬉しくて」
これで解放される…! もう付き纏われなくなる…!!
『…お、おう。色々大変だったんだな』
「大変なんてもんじゃないよ、例えば」
『あーー! で? どうやって、王宮に入るんだよ?』
そうだった。ついついお兄ちゃんの衝撃が強すぎて、忘れていた。
「ふん、何を言っているんだい相棒」
『さっきまで忘れていたくせに、妙に偉そうだな』
「門から入れてもらえないから、入れない? ならば、侵入すればいいだけの話!」
私は大きく胸を張る。夢は大きく、希望は高くだ。
『…いや、ここお前の我が家だよな?!』
「さあ、相棒。協力者の当てはある。行くぞー!」
私たちの冒険は、まだ始まったばかりだ!
____________
「サキ、それが片付いたら洗濯を終えていいわよ」
「わかりました」
侍女長が部屋から出ていくのをそっと見守り、息をつく。
他の侍女仲間の二人とお喋りしていたのがバレて、仕事の量を増やされてしまうとは何たる不覚。しかし、収穫も大きかった。
「あの陛下が、姫様以外の女性に興味を持つとは…」
正直信じられないが、本当だとしたら凄いことである。姫様も喜ぶこと間違いなしだ。
「サキ…サキ…」
でも姫様がこの王宮を去ったのは、随分と前のことだ。まだ私のことを覚えてくれているだろうか。
「サキ…」
そう! 姫様はいつも、このような可愛らしい声で私のことを呼んでくださっていて…
「って、姫様?!」
「やっと気がついてくれた。久しぶり、サキ」
目の前の窓の外には、思い描いていた姫様の姿。隣には大きな狼。
「これは、もしや夢…?」
「現実よ!! …ねえ、とりあえず部屋に入れてくれない? 久しぶりに遊びのお誘いをしようと思って」
姫様が遊びと言ってやることは、大抵とんでもないことばかりである。でも私は、こんな私をいつも誘ってくれる姫様が、大好きで仕方ないのだ。
姫様を招き入れるため、窓を開ける。
「遊びって、今度は何をするんですか?」
姫様は得意気に言い放った。
「魔王の部屋まで侵入しましょう!」
____________
場面は変わり、魔王の執務室。
王宮の中で最も大事な中枢部は、香水のむさ苦しい匂いが漂っていた。
「ねえ、バールベリト様。このお酒は我がアルター家の領地で採れる葡萄を使って作られた、一級品ですの。一口お飲みにならないかしら?」
「私も特産品で作られた、一点物の装飾品を持ってきましたわ。製造方法は秘密ですけれど、陛下になら」
「あなたの様な田舎の特産品になんて、陛下は興味をお持ちでないのよ! どうですか、陛下。私の…」
何人もの美しい女が、一人の男に群がる。女は皆、有力な貴族の娘であり、それなりの身分を持つ者ばかりだ。彼女たちの目からは闘争心がありありと読み取れ、互いを蹴落とす隙を常に狙っている。
そして、そんな彼女らに囲まれている男もまた美形であった。
一つに結われた白銀の長髪、陶磁器のような白く艶やかな肌。しかし、その切れ長の目から覗く冷ややかな視線がこの場の雰囲気を凍らせる。
女一人一人を品定めするような視線。貴族の娘達もそれなりの緊張を感じていた。
「バールベリト様。いい加減仕事をして下さい。書類がどれだけ溜まっていると…!」
私の言葉に、視線を女からこちらへ移す。氷のような威圧感を感じさせる瞳に怯みそうになる。
が、ここで負ける訳にはいかない。
「あなたが仕事をしないと、国に影響が出るんですよ。そうすれば姫様も」
「その名前を出すな」
まただ。この王様が三年前のあの日以来、反応を返すのは姫様の事だけ。きっとこの女たちのことも、何とも思っていないのだろう。
「ですが仕事を怠けることで迷惑を被るのは、間違いなく姫様を含む王族の方々です。分かっているでしょう、バールベリト様」
私の忠告にも耳を傾けて下さらない。こんな使い物にならない王より、弟のアルフレッド様のほうが何倍もマシだ。性格には難ありだが。
「バールベリト様。姫様の心配なさっているのなら、問題ありませんわ」
王に群がる女の中から、一際派手な者が颯爽と現れる。度胸のある女だ。命知らずとも言う。
「貴方様を置いていってしまった姫様とは違い、私はずっとそばにお仕えさせていただきます。ですから、リナリス様より私をお選びに」
「その名前を出すな!」
耳障りな音と共に、机の上のグラスが割れる。グラスからこぼれ落ちたワインが、絨毯を赤く染め上げた。
沈黙が場を支配する。握りしめた王の手は、机の上で震えたまま解かれることはない。
「あっれ〜? どうしたのこの空気」
男にしては少し高めの声。陛下の冷たさを感じさせる瞳とは違い、ぱっちりと人懐こい瞳が扉から顔を覗かせた。
「ていうか兄さん。まだそのツンツンモードなんだ」
「お前に兄などと呼ばれたくない」
そう。何を隠そうこの方は魔王バールベリトの弟、アルフレッド様。可愛らしい外見と社交力の高さから、貴族の女性の圧倒的支持を得ている。
「ふーーん。僕も仕事してないサボり魔さんの弟だとは思われたくないね」
まさに売り言葉に買い言葉。アルフレッド様がやって来て柔らかくなった雰囲気がまた冷え込む。
「目障りだ。お前がいると仕事が出来ない。さっさと自分の執務室に戻れ、アルフレッド」
魔王の鋭い眼光がアルフレッド様に突き刺さる。しかしさすがは魔王の弟。少しも怯む様子を見せない。
「はいはーい。姉さん、戻れって言われちゃったから僕の執務室に行こうか」
アルフレッド様は後ろを振り返り、そこにいた女性に………え、姉さん?
「えー! それじゃあ冒険は失敗?」
「冒険って姫様…。そんな甘いもんじゃないでしょう、早く帰りましょうよ!」
この声、この姿、瞳の色、髪の色、まさか…
「リナッッ?!?!?」
まず反応したのは、魔王。さっきまでの『氷の王』モードは何処へいったのやら。目を見開き、素早く立ち上がった。背後で倒れた椅子がその勢いを物語る。
「あ、お兄ちゃん。久しぶり。後で意中の女性、紹介してよね!」
「リナ! い、いつ帰ってきたんだ何処に行っていたんだ!!」
見事に会話が成立していない。それに姫様の言う、魔王の意中の女性とは…?
「姉さん。兄さんの事は放っておいて、せっかくだからお茶でもしよう。姉さんがいつ帰ってきてもいいように、美味しい紅茶を用意してあるんだ」
「ほんとっ?! いくいくー!」
『お前、茶菓子につられただけだろ』
低い、安心感を与える声が姫様の後から聞こえる。…聞いたことのない声だ。
「待て! その声は誰だ?!」
「は、何で執務室で抜刀してるんですか陛下?!」
待て待て待て。これ以上、城を壊されては修理費が足りなくなる。しかもその刀、代々魔王に伝わる魔剣とか何とやらでしょう!
「あ、そうだ。お兄ちゃんにも紹介するね。一年前に出会った私の相棒のフェンリル。名前が女っぽくて嫌だから、呼んで欲しくないんだって」
『お前、にやけながら言うなよ…』
驚きのあまり、声が出ないとはこの事か。執務室にいるほぼ全員が、息を呑む。
フェンリルといったら、名高い狼の神獣が思い出される。今、目の前にいる、狼が、神獣だというのか。
「ふん、リナにまとわりつく男で無いなら構わん」
そう言い。陛下は刀をおさめた。
「それより、アルフレッド! 俺を置いて茶会を開くとはどういうことだ!」
「えー、だってさ。魔王様は仕事がたーくさん溜まってるだよね? それを邪魔しちゃいけないでしょ。ね?」
アルフレッド様は確認するように、こちらを向く。
…え、こっちに話を振ります? バールベリト様もこっち見ないで。
「早く行こうよ、久しぶりにアルとも話したいな」
「そうだね、姉さん。ついてきて、良いものを見せてあげる」
二人と一匹が、執務室から去る。カオスな場に、ようやく静寂が訪れた。
「バールベリト様。そんな目で私を見ても、責任はあなたにありますからね…」
「わかっている…またアイツの策略に…」
未処理の書類を机に並べていく。さあ、これで仕事がまた捗りそうだ。
アルフレッド様には感謝しなくてはならない。
____________
アルに連れられてやってきたのは、薔薇園。この城を去った三年前と何も変わっていなかった。
「誰かがお世話してくれたんだ?」
「…姉さんが一生懸命育ててた薔薇を、枯らせたくなかったからね」
吸い込んだ薔薇の香りは、我が家に帰ってきたという実感をもたらした。
『だからそういうと、高級感とかもろもろ無くなるだろ』
「いーじゃん。薔薇の香りの我が家、最高!」
紅茶を持ったメイドがやって来て、薔薇園に設置された机に置く。そばにある椅子に私たちは腰掛けた。
さすがアルが用意した紅茶。色も香りも申し分ない。
「さてと、姉さん」
「ん?」
視線を紅茶からアルへと移す。
「帰ってきたということは…覚悟は出来てるんだよね?」
「…へ?」
アルはにこりと微笑む。
あ、これダメなやつだ。聞いちゃダメなやつだ。
「おおお姉さんには大事な用事があるから、そろそろ行かなくちゃ」
「黙って、座って」
「はい……」
大人しく席に戻る。一応姉なのに…年上なのにこの扱い! 慣れたけど!
「三年間もどっかほっつき歩いてたうちの姉さんにも、しなきゃいけない事はたーくさんあるよね? それこそ、兄さんのことを馬鹿に出来ないくらい」
「そ、それは…」
「ところで、明後日パーティーがあるんだけど。ダンスの踊り方とか忘れてないよね? この僕がエスコートするんだから、失敗は許されないよ?」
お、弟の笑みが黒いいいいいぃぃぃ!!!
紅茶のカップを持つ手が震える。姉さんは豆腐メンタルなんだからね!
「それ飲み終わったら1曲踊ろうか、久しぶりに」
「あー、うんソウダネ」
「僕の足踏んずけた回数分…うーん何してもらおうかなあ」
「お手柔らかにオネガイシマス…」
この後、紅茶はゆっくり時間をかけて美味しく頂きましたとさ。
____________
夜の静けさの中。
何処かの魔王は書類に覆い被さりながらうたた寝をし、何処かの魔王の妹は旅とダンスの疲れで爆睡している…そんな時間。ひっそりと蝋燭が灯された部屋があった。
『これで良かったのか』
「ああ。ありがとう、フェンリル。おかけで姉さんは無事に帰ってきた。邪魔な兄さんの対処も出来た。全て予定通りだ」
魔王の弟である青年と、神獣である狼。蝋燭の頼りない光が双方を照らす。
『その名で呼ぶなと言っているだろう』
「君は姉さんと一年間も一緒にいたんだ。少しぐらいいいだろう?」
青年は狼に手を差し伸べる。導かれるように狼は青年の足元に侍る。青年は狼の柔らかい毛をその手で掻き回しながら、口を開く。
「それにしても相棒だなんて。僕にはなかなか懐かなかったくせに」
『お前は心が濁りすぎてるからだ』
「心外だなあ」
くすくすと笑い声が部屋に響いた。
「…で、相棒さん。姉さんにはいらぬ事を言わないでね」
『…わかっている』
「ならいいけど」
青年は狼の背から手を離す。窓から見える欠けた月は部屋の中を照らし、青年の言葉を夜の闇に隠した。
「だって、姉さんは何も知らなくていいんだから」
そう言って蝋燭の明かりを吹き消す。城は全て闇に染まった。
…ああ、私は一つミスをしてしまった。どうやらこの話の題目をつけ間違えてしまったらしい。
兄と妹は魔王な弟がいなきゃてんでダメ、これが全ての真相であろう。
ブクマ、評価をすると宇治が喜びます(お願いします)
侍女Bあたりが一番美味しい役職。