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星を見ない恋人

掲載日:2017/12/09

「そういえば、お前なんで天文部なんか入ったんだよ」


 天気は晴れ。日差しは弱く、涼しい風が俺と恭子の間を通り抜けて踊っている。


「急になんですか。そんなの長瀬先輩がいるからに決まってるじゃないですか」


 少し先を歩いていた恭子が振り向きざまに答えた。

 ほんの少し前までは、またバカな冗談を言ってるな、なんて思って聞き流していたのだけど、最近どうも本気で言っているんじゃないかと思い始めている。

 恭子が星に興味がないのは見ていて分かるし、部室にあった古い望遠鏡をバットみたいに振り回して破壊するような野生児だ。部員たった一名の天文部に入った理由なんて、来年で廃部になるのが可哀想だから、くらいしか思いつかない。恭子に関して言えば、それこそそんなこと考えないだろう。


 恭子はにっと笑って俺の手をとった。


「早く行かないと。映画、始まっちゃいます」


 長い髪が風に揺れる。


「あっ、先輩の手あったかーい」


 恭子は俺の手を自分の頬の当ててすりすりしている。こちらとしては出来立ての大福を撫でているような気分だ。


「心が冷たい人は手があったかいって、ホントだったんですね」


 余計なお世話だ。

 恭子は眉を八の字にしてクスクス笑っている。


「さ、いきましょ」


 もしかしたら状況がつかめていない人がいるかもしれないので一応説明しておこうと思う。


 恭子は、俺の後輩だ。


 初めて会ったのは入学式の翌日の部活動説明会の後だったから、5ヶ月程のつき合いになる。(このつき合うには恋人的な意味合いは無い)今年いっぱいでおそらく廃部になるだろうからと、説明会には名前だけ紹介してもらって出席は辞退したのだが、その日の放課後、恭子は部室にやってきた。

 部室棟の最上階。十畳ほどの空間に、机が1つと椅子が2つ。それから部屋の隅に布をかぶせられた古い望遠鏡(故)がある。

 恭子は部屋が揺れたかと思うほど強く引き戸を解放すると「面白そうですね!私も入れてください」なんて言った。このときの俺は、春休み明けのナーバスな気持ちをかき消すほどの、強い希望の光を感じたのである。


 アンドロメダ星雲が云々、ティアマト彗星が云々といった話は、2日で諦めた。それからは、放課後なんとなく集まって、だべって、時々トランプやなんかで遊んで、という日々の繰り返しだった。

 高校時代を浪費しているな。青春ってなんだっけ。などと考えていたある日、恭子が妙な事を言い出した。


「私、先輩のこと、好きですよ。もちろんラヴの方で」


 不覚にもときめいてしまった俺を許してほしい。(誰に?)ともかく俺がなんて返そうかどぎまぎしていると、


「ときめきました?」


 なんて言ってくるのだ。

 最初こそぐちぐち文句を言ったが、回数を重ねるうちに面倒になったので、はいはい冗談ですね、と一括していたら冷たいアンドロイドなどというなんとも許し難い称号を貰ってしまった。


 冒頭でも述べたとおり、これが最近冗談ではないかもしれないと思っている。なぜかっていうと、恭子本人が、俺とつき合っているということを周囲に言いふらしているらしいからだ。からかうだけにしては身を挺しすぎやしないだろうか。前世で俺になにかされたというのなら話は別だが。


 そんなわけで、自分の知らないところで俺には彼女ができてしまった。望遠鏡を破壊するような女は好みじゃないが、世話焼きの友人が映画の割り引券を2枚もってにやにやしていやがる。紆余曲折あって、恭子風に言えば今日が初デート!なのである。

 プランはいささか単純であるが、王道であるが故に洗練された映画デートだ。


 最寄りの駅に集合して、そこから少し歩いて映画館まで行く。この辺りは俺たちの学校のある田舎と違って発展しており、目的なくふらついても1日楽しめそうな雰囲気がある。

 すこし歩いたところで恭子が足を止めた。


「なんだ?」


「先輩はこういうの、好きですか?」


 急になにを言い出すかと思えば、目線の先にあったのはブライダルショップ。大きなガラスの向こうには純白のウェディングドレスが飾られている。


「嫌いじゃない」


「先輩はこういうの着せてくれますかね?」


「機会があればな」


「先輩のことだから、100年経っても無理そうですね」


 恭子はこういう悪態をついてくるのだけど、貴重な天文部の部員だから怒って追い返す訳にも行かない。それ以外に理由がありそうな気がしないでもないが、そういうことは自分自身が1番よく分からない。


「試着ならいくらでもできるぞ」


 恭子はにっと笑って「楽しみにしてます」と言って、それからまた歩きだした。

 なにかおかしい。そう思ったのはこのときが最初だった。しかしそれを口に出すことなく、俺は歩き続けた。左手に感じる柔らかな熱を感じながら。


 信号を3つほど渡って、映画館についた。

 しかし恭子は映画館につくやいなや走り出して、チケット売場でなにやら操作して、チケットを2枚握りしめてこちらに走って帰ってきた。犬か。


「次の上映もうすぐ始まりますよ!早く!スクリーンへ!」


 恭子に言われるがまま、4番スクリーンに走った。受付の人に変な顔をされたのは、走っていたからではなく、上映の30分以上前にスクリーンに入って行ったからだろう。果たして30分というのが恭子にとってもうすぐだったのかどうか謎であるが、もともと変な奴なのであまり気にしなかった。

 シートに着いたタイミングで恭子が言った。


「ふう。とりあえず席確保ですね。喉が乾いたのでジュースお願いします。コーラでいいですよ。あとポップコーンはカレー味ですよカレー味」


 ここまで走らせて、戻って買ってこいというのか。

 まあしかし、チケット代も払われてしまったし、これくらいやらないと男が廃るというものだ。


「ではでは、また後で」


 ではでは、なんて言葉は存在しないだろうけど、恭子はこれをよく使う。本人に聞いてみても、いつから使っているのか覚えがないらしい。


 スクリーンを出て受付の人に半券を見せてから売店に向かった。

 カレー味、カレー味と呟きながら歩いていたせいで、見ず知らずのどなたかにショルダータックルしてしまった。


「あ、すみませ……」


「おい」


「……はい?」


 嫌な予感がする。


「ドコ見て歩いてんの?」


「……あの、すみません……」


 やってしまった。激しいがに股歩きのやつと歩く度に金属の音がするやつにはぶつかっちゃいけないっていうのが死んだおじいちゃんの教えだったのに。しかも相手は2人、ここは人の目もあるし、1対2では分が悪い。さてどうしたものか。


「おいドコ見て歩いてるって聞いてんだよ!」


 不良Aの怒号が響きわたる。だんだん人が増えてきた映画館内では、周りの視線がやや痛い。

 不良Bが俺の胸ぐらを掴んで引っ張った。やめてくれ、この服いくらしたと思ってるんだ。襟元が伸びるだろう。


「どうかされましたかー?」


 ナイス受付の人!俺たちと同じ映画を見るであろう人たちが集結しつつあったのもあり、チャラ男2人組はそれ以上何も言わずにその場からいなくなった。もし映画を見るつもりだったならブルーレイでも買って家で見ていただきたい。途中で寝ちゃってもまた見られるから便利だぞ。


 コーラとカレー味のポップコーンを無事買った俺は、スクリーンに再入場して、席に戻った。


「先輩、混んできましたね」


 これから見る映画、実は今日が公開日。最近よく見る俳優が声優をやるだとか、主題歌を有名な音楽家が手がけるだとかで、公開前の評価はなかなかのものだった。

 もしかしたらさっきのチャラ男もこれを見に来ているのだろうか。だとしたら申し訳ないが、ブルーレイの発売はもう少し先になりそうだ。


「先輩、この映画、下からも横からも見られるらしいですよ。でも横から見たらただのスクリーンですね」


 タイトルの受け取り方が特殊すぎやしないか。たぶんそういう意味じゃないのだろうけど、本気で言っているのだとしたら相当阿呆だろう。俺はまだ手をつけていないカレー味のポップコーンが残り半分程になった所で、映画が始まった。


 控えめに感想を言うと、面白くなかった。


 映画館を出た頃には1時をまわっていて、どこかでお昼を食べようという話になった。

 調べるのも面倒なので、その辺をぶらついてめぼしい店を探すことにした。


「ねえ先輩」


 唐突に恭子がこちらに手を差し出してきた。なんだ、手を繋げと言うのか。

 俺は差し出された手に自分の手を重ねた。


「え? あそこにあるアンティークが気になったので買うお金を下さいって意味なんですが。手、繋ぎたいんですか?」


 こいつ。

 恭子は眉毛をハの字にしてクスクス笑っている。吹き出すのをこらえるために息を止めているので顔が赤い。


「アンティークなんかどうするんだよ」


「先輩にプレゼントします」


「んなものいらん」


「ひどーい。じゃあ自分の為に買うのでお金下さい」


 こいつは俺から金をせしめる為に生まれてきたんじゃないかと思う時がある。やはり前世でなにかしたのだろうか。


「いくらだ」


「1000円でたります」


 俺は財布の中身を確認しつつ千円札をとりだして恭子の手にのせた。


「これっきりだぞ」


「はぁい」


 やけに間延びした返事をして恭子はアンティークショップの中に入っていった。カランコロンと乾いた音がして扉が閉まっていく。

 何を買うつもりか知らないが、俺は外で待つことにした。


◇◇◇


 気づけば、待ちぼうけー待ちぼうけーというフレーズが頭の中をめぐっていた。

 時間を確認しなかった俺も悪いが、どう考えても遅い。もしかしたら店の裏口とかから出て行って、どこかで俺を見て笑っているんじゃなかろうか。

 それはともかくとして俺はお手洗いに行きたいのだ。あの恭子とはいえさすがにアンティークショップの中にはいるだろうから、スマホにメッセージだけ残しておいて、近くの店で用を済ませてこよう。


 恭子の入っていったアンティークショップの隣はリサイクルショップで、エプロンをつけた老人がいぶかしげな表情で新聞を読んでいる。商品を見ていくようなふりをして、まっすぐお手洗いに向かった。

 しかし俺はここで、運命の出会いを果たす。

 さっさと用を済ませてお手洗いから出ると、来たときには気づかなかった位置に、布をかぶったなにかが置いてある。直感で、望遠鏡だと分かった。布を取り、中身を確認する。サイズは小さいが、れっきとした望遠鏡だ。折り畳み式で、かなりコンパクトになるようだ。値札を確認する。5000プラス税。買える!

 小さくなるからこの後の邪魔にはならないし、5000円の出費は少々痛いが昼飯2人分プラスアルファくらいは支払える。


 望遠鏡を抱え、カウンターに持って行き、会計を済ませる。

 これだけあれば、破壊されてしまった望遠鏡の代わりくらいにはなるだろう。少なくとも部活動はできる。


 満面の笑みでリサイクルショップを出た俺は、畳まれてコンパクトになった望遠鏡を一旦置いて、写真を撮りまくった。その最中、恭子が電話なんかかけてくるものだから、電話がかかってきてからコンマ1秒で応答してしまった。


「もしもし、恭子か?今隣のリサイクルショップに…」


『あの、あのね……』


 恭子が俺の言葉を遮るなんて珍しい。声のトーンも何か変だ。なにかあったのだろうか。


「恭子?」


『ごめんね。今別の男の人とホテルにいるの』


「……どういうことだ?」


『だからあなたとはもうお終い。こっちの方が気持ちいいんだもん』


「……そうか」


『じゃあね。ばいばーい』


 なるほど。そういうことか。

 冗談じゃなく言わせてもらうが、2秒で言わされているのだと気づいた。

 まず、恭子は俺に対して敬語を使うし、恭子のよく使う別れ際の挨拶、ではでは、がない。


 俺の知っている恭子が全て嘘だったというのなら話は別だが、それは無いと信じたい。

 それから、遠くで男の声がした。どこかで聞いたことのある声だった。


 ……不良Aの声だ。


 可能性として、不良Aが恭子の知り合いで、映画館で俺にされたことの仕返しをしたいのか?正直そんなこと考えている余裕はない。この辺りはそこまで複雑な作りをいていないはずだから、探せばきっと見つかる。


 いや、見つけるんだ。


 俺は、少しずつ増えてきた人の合間を縫って、走った。

 あの長い髪を、黒目がちな大きな瞳を、大福みたいなその肌を、望遠鏡は振り回すくせに蛙が苦手なか弱い少女を、俺の大事な後輩を、探せ。探せ!


 視界の隅を、なにかが横切った。

 恭子かと思い振り返ったが、そこにあったのはベンチと、くしゃくしゃになった小さな紙袋だった。

 恭子がアンティークショップを出た時に持っていたものだ。ここに置いていってしまったのか、誰かが拾って、ここに置いたのか。


 とにかく、近くに手がかりがあるはずだ。どこだ。考えろ。

 ふと見下ろした地面には、少し不自然な足跡があった。雪の中を歩いているわけじゃないから、そんなにわかりやすいものではないが、たしかに足跡らしきものがあった。近くの街路樹の根本につまづいたのか、その辺りの土がちょうど固まって、失敗したチョコレートみたいな足跡を作っていた。ただ普通と違うのは、片足だけこすったような跡があることだ。転んですりむきでもしたのだろうか。ともかく、重要な手がかりだ。人が増えてきているから、足跡が残っているうちに探し出さないといけない。


 どこに行った、恭子。


「……うわまじで? あの女捕まえてきたん。最高かよ」


「しばらく楽しめそうだろ」


 遠くであの不良の声が聞こえた。近くにいる。

 不良が気持ちの悪い声で笑いながら細い路地に入っていくのが見えた。先に恭子はどこかに縛っておいて、それからもう一人を連れてきた、といったところか。俺は紙袋と望遠鏡を抱えて後をつけた。


 不良が入って行ったのはもう誰も住んでいないと思われる廃屋で、至る所に家裁道具が放置されて散乱していた。しかしよく見ると、先週発売されたばかりのマンガ雑誌や、お菓子の袋が落ちている。要するに、不良の溜まり場か。


 ある部屋に入った所で不良A、Bが足を止めた、物陰から様子を伺うと、奥に恭子が座らされていた。あまりキツく拘束されていないあたりを見ると、やはり知り合いなのだろうか。


「お、おとなしく待ってたみてえじゃねえか。やっぱ俺の味が忘れられないってか」


「ふざけないで。もしこれで先輩になにかしたら許さないから」


 先輩。俺のことか。


「ほー怖い怖い。昔はあんなに求め合ったのによぉ?」


「あんたが無理矢理やっただけでしょ?調子に乗らないで」


 なあ恭子?どうしてそうやって煽るのかな。

 嫌いなのは分かる。昔嫌なことがあったのも分かる。でおそんなに煽るとな?


「自分の立場考えろ!!」


 不良Aが怒鳴った。

 このままでは恭子が危ない。だからといってこのまま出て行って顔をさらせば、後でなにがあるか分からない。


 なんだ。あるじゃないか。


 何もかもが最初から計画されていたのだとすれば、きっとこれはそのシナリオ通りだ。俺の手元には、全て揃っている。

 紙袋を頭に被り、目の位置に穴を空ける。中に入っていた小包は大事にポケットにしまい、望遠鏡を組み立てる。そして、両手で抱えるほどの大きさに変形した望遠鏡を、装備した。


「まあいい。お楽しみタイムだぜぇ」


 気持ち悪い声の不良Aを、後ろから一発。望遠鏡で殴り倒した。


「いってぇ! てめぇ、なにしやがる!!」


 状況を飲み込んでいない恭子はぽかんとしたままこちらを見ている。後頭部の痛みに耐えている不良Aめがけて、さらにもう一発。死ぬといけないので丸まった膝に横からかました。声もなくもだえている。


「お、お前何者だ!?」


 俺か?さすがに本名は言えないが。


「俺はただの天文学部だよ」


 不良Bはおもったよりもヘタレだったようだ。泣きそうになる不良Aを連れて逃げていった。


「大丈夫か?」


 恭子は一瞬みを振るわせて後ずさりした。

 忘れてた。

 俺は紙袋を取って見せた。


「せ、先輩……!!」


「全く、心配かけさせやがって……っておい!?」


 恭子は立ち上がり俺に抱きついてきた。

 拘束がゆるいっていうか、されてすらなかったのかよ。


「怖かった……です…」


 いつの間にか恭子は目に大粒の涙を堪えている。


「なんにも、伝わらないまま、終わっちゃうんじゃないかって、怖くて……」


 伝わらない?なにをだ?


「私、色々あって、ひねくれてるし、素直になれないし、とにかく、だめだめで……」


「待て待て、なんの話をしている。分かるように言ってくれ」


「だから、私は、先輩のことが……!」


ーぐぎゅるるるるる


 恭子の腹から怪物のうめき声が聞こえた。

 そういえば昼食もまだだった。気づけば4時をまわっている。


「お腹、空きました……」


 そうだなと笑って、恭子をもう一度抱きしめた。


 ちなみに、望遠鏡がへし折れていることに気がついたのは、廃屋を出てすぐのことだった。


◇◇◇


 俺は、穴の開いてしまった紙袋を綺麗にたたんで棚にしまうと、机の上におかれた小さな望遠鏡に目をやった。アンティーク調のもので、台座の部分がなんと鉛筆削りになっている。これが1000円もしたと思えないが、恭子なりの気持ちだろう。

 あの初デート以降、恭子は、自分が俺の彼氏だと言いふらすのをやめてしまったらしい。なんだかさみしいような、ほっとしたような、少し複雑な気分だ。


 それから、折り畳み式の望遠鏡は星になってしまったので、しばらくバイト漬けで更に新しい望遠鏡を買った。なんだか愛着が湧いてしまって、こうして朝磨きに来ないと不安になってしまうのだ。しかし無情にも始業のベルが5分後に鳴ってしまうのだ。

 さて、朝の望遠鏡磨きはこれくらいにして、そろそろ教室に戻ろう。

 俺は専用のクロスをケースにしまい込み、望遠鏡を丁寧に丁寧に箱に戻して、隠した。また破壊されてはこまったもんじゃない。ただ最近は恭子も星に興味を持ち始めたらしいから、こんど一緒に星を見に行こう。


 俺が部室棟を出て、学校の正門に向かう。


「先輩、おはようございます」


「おはよ。恭子」


 もしかしたら状況がつかめていない人がいるかもしれないので一応説明しておこうと思う。


 恭子は、俺の恋人だ。

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