六 すみれの花咲く頃はじめて君を知りぬ
(1)
平成十二年四月十六日(日曜日)。長太郎の父上泉勇太郎が亡くなった。享年九十五歳という長命だった。小学校五年生の時に叔父の家のある岐阜に父が送ってくれて以来、長太郎は父と会っていなかった。子からは一度も接触を試みたことも無ければ、父から会いに来ることも無かった親子であったが、長太郎の仕事一筋であった人生が父勇太郎の死をきっかけに大きく変わっていくのである。
父の死は意外にも岐阜県高山市にいる従姉の民子が電話で知らせてきた。既に還暦を過ぎ六十二歳になった民子とは年賀状のやり取りをするだけの関係になっていたが、実際に声を聞くのは数十年ぶりだった。
民子の話によると父勇太郎は配送業で一旗上げて以来、更に宅配業として業務を軌道にのせることに成功し一財を成したが、生涯孤独を通していたという。宅配業を後進に譲った後は悠々自適の生活を送っていた。しかし親戚縁者との関わりは常に絶ちひっそりと生計を営んでいたという。
七十歳の時に脳梗塞で倒れるまで日本中を旅して回り、ほとんど自宅にはいなかった。脳梗塞になってからは後遺症で手足も次第に不自由になり訪問介護をうける生活に入る。幸いにして認知症はなく手足も不自由ではあったが何とか自宅での生活ができていた。しかし九十歳になった時に特別養護老人ホームに入所し、その五年後に帰らぬ人になった。
その老人ホームは兵庫県宝塚市の山あいにある施設だった。長太郎が普段生活している川西市の隣の市に父の勇太郎は生活をしていたのだ。この事実は長太郎を驚かせた。宝塚は仕事でも何度か足を運んだ場所だった。宝塚歌劇団の派手な衣装姿のポスターを見るとはなく見て通り過ぎた町だ。
民子は更に長太郎の気持ちを思いやりながらも勇太郎の葬儀の喪主は長太郎がやるのが筋ではないかと電話で言ってきた。
「長太郎さんの気持ちを思うと言いにくいけど、勇太郎さんの血を分けた人がいる限りその人が喪主をすべきだと思うのよ。私達にとっても叔父さんだけど長男の長太郎さんがいるのが分かっているのに私たちが喪主をやるわけにはいかないじゃない」
「小さい時に別れて以来一度も会いに来てくれなかったのに。姉さん、どうしたらいいのだろうか?」長太郎は戸惑いを隠せなかった。
そして、数十年振りに話す民子に対してごく自然に姉さんと呼びかけている自分に対しても軽い戸惑いを覚えるのであった。
既に勇太郎の弟幸次郎はこの世に無く、長男の幸広が他の家族に先行して宝塚に向かう手はずになっていた。造り酒屋「上泉酒造」は幸広と千勢との間に生まれた長男が六代目を継いでおり幸広は既に隠居の身に足を踏み入れていた。
「私の父が亡くなったのはもう十年以上も前の出来事になるけど」と言ってから民子は一息ついた。
「あれだけ分かっていたはずの父だったけれど遺品を調べているうちに、父の別の姿が見えたのよ。だから長太郎さんもきっと勇太郎さんを見直せるかもしれない。これを機会に父親としっかり向き合ってみてはどうかしら」
「四十年だよ。姉さん。長過ぎるよ」
電話の声がしばらく途切れた後「でも、僕しか居ないのなら」と長太郎は気が進まないままに喪主を引き受ける決意をした。民子から宝塚にある施設の連絡先を聞いた長太郎は幸広と阪急宝塚駅で落ち合う約束をした。
長太郎はずっと一人身を通してきた。父母から疎まれるように育った環境が彼を独身のままでいさせたのかもしれなかった。唯一結婚を意識した女性は家柄や学歴のために親の強引な方針のために彼の元を去って行った。そのことがますます彼を結婚から遠ざけてしまった。
疎まれてきたとは言え、民子から死を伝えられた父は肉親だった。「肉親」という言葉は長太郎にとって触れてはいけない宝物のような存在になっていた。既に五十歳を越えた今、自分を捨てた父を恨むよりその存在自体を受け入れる気持ちを強く持とうとした。民子の話から想像する父勇太郎の人生も仕事一筋であり、自分と似たものを感じるのであった。
葬儀は宝塚市内にあるセレモニーセンターの一室で家族葬として執り行われた。すでに連絡も取れなくなっていた長太郎の母と弟は姿を見せなかった。あり得ないはずだったが、風の噂にでも父勇太郎の死を聞いて駆けつけてくれないかと密かに長太郎が期待していたのも事実だった、
「お母様の美佐子さんの居場所は今では全く分からない状態よ。どうされているのかしらね」民子が長太郎の思いを見透かしたかのように言った。そして、久しぶりに会う長太郎の姿を見て民子は涙を流すのだった。
葬儀に訪れた長太郎の従兄たちは皆年を取り、往年の生き生きとした雰囲気は失われていた。中学校時代の恐喝事件の冤罪も当の昔に誤解が取れていたが、岐阜の親戚連中とはあまり親しく話をする雰囲気では無かった。
民子だけが長太郎が仕事で様々な成功を収めた話を聞きたがり、長太郎も民子には心を開いて話をした。
「長太郎さん、覚えている?私が結婚する前に話したこと、随分昔になるけれど、今もなんだか変わらないわね」民子は二人とは離れた場所で話をしている自分の兄達をそっと見ながら長太郎にささやいた。
「兄さん達とはうまく話せないけど、姉さんなら何でも話ができることだね」
何十年という時を隔てて会っても当時の関係がそのまま当てはまった感じになっており、長太郎にはそれが可笑しかった。
(2)
火葬が行われている間に精進料理を食べたが、その時も長太郎と民子の会話だけが盛り上がっていた他の列席した者達には何となく白けたようなムードが漂っていた。
お骨拾いが終わった後に特別養護老人ホームの担当者がわざわざ火葬場にやってきて、勇太郎の遺品を長太郎に手渡した。
「上泉さんは身の回り品も少なくて、衣服を処分しましたらわずかな物しか残りませんでしたよ。うちのホームに来られてからの上泉さんは静かな生活を送られていました。最後まで周りの人とは打ち解けた感じにはなれなかったようでしたねぇ」
「そうですか」とだけ長太郎が答えた。
ホームの担当者は長太郎があまりに気の無い返事をしたためか「寂しそうな印象のある方でしてね」と付け加えて会話を続けたそうな素振りを見せた。
しかし長太郎は事務的な会話をその担当者としただけで終わった。最近の父の様子など特に知りたくも感じなかったからだった。衣服などは既に処分してくれるように頼んであったので手渡されたのは書類や小物類の入った一箱の蜜柑用段ボール箱だけだった。
岐阜の親戚達との話し合いの結果、今後の法要や墓の問題などの一切合切が長太郎に任せられた。一連の儀式が一通り済んだ後、岐阜の親戚達は帰りの新幹線に間に合うようにそそくさと会場を出発した。
「是非、高山の家にも訪ねて来てね」民子だけは別れる際に長太郎に涙声で言い残して去って行った。
長太郎は一人で川西市の自宅に戻り、小さな骨壷を前にして棺の中に納まった父の最期の顔を思い出していた。長太郎にとっては何十年も顔を合わせていなかった父であり、顔すらはっきりと思い出せないでいた父であった。久しぶりに見る父の顔は皺だらけで萎縮した小さな顔になっていた。不思議な物を見るような感覚でもあり既に遠い昔に赤の他人になっていたという感覚もあった。悲しみもましてや憎しみすらも浮かんで来なかった。
初めて葬式の喪主をして疲労を感じる長太郎だったが、父の遺品の入っている段ボール箱のガムテープを剥がしてみた。中には愛用した腕時計、老眼鏡、髭剃りセット、預金通帳、表紙の磨り減った単行本が数冊、十数冊の古ぼけた日記帳、古ぼけた小さな一冊のアルバム、その他の小物類、そして一体の小さく古ぼけた顔付きも判然としない木像の観音像が入っていた。
長太郎は遺品の中の古ぼけた日記帳の一冊を手に取った。日記帳を見れば父が自分を始めとして家族のことを一体どう思っていたのかが分かるかもしれないと思ったのである。それはA5版の大きさの大学ノートに書かれていた。昭和二十一年の大晦日の夜からその日記は始まっていた。最初は鉛筆書きだったが、途中から万年筆のインクの文字に変わっていく。長太郎は悪筆だが、父勇太郎は達筆だった。父の字を見るのも初めてだった。
従姉の民子が電話で亡き父の遺品を整理していく内に父の違う面を見つけたと語っていたが、長太郎は父の事を全く知らないと改めて思った。どんな字を書き、どんなしゃべり方をし、どんな考え方をし、何が好きで、何が嫌いだったか何も知らないのである。
日記の文章には所々に難解な旧漢字や崩し文字が使われており読むのには難儀したが、長太郎は数日をかけて十一冊ある父の日記を読み切った。そして長太郎は自分の父が最初に結婚した女性の復讐のために自分の生涯を費やしていた事実を知った。
それは父自身の生活や再婚後の妻や子供さえも犠牲にする壮絶なものだった。この上泉勇太郎は本当に自分と血のつながりのある実の父親なのかと驚きを禁じえないほどの忍耐力と行動力を持った男だった。