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キャンガンの星  作者: 足立 和哉
4/12

四 水清く流れやさしい長良川

 (1)

昭和三十八年三月に長太郎は中学を卒業してそのまま岐阜市内にある町工場、藤宗金属に就職した。自然の豊かな山あいでの約四年間の長太郎の生活は彼がこれまで生きてきた中で一番穏やかな時代であったが、冤罪とも思えるような不良少年による恐喝騒ぎの件で叔父や従兄達との誤解が完全に解けないままになっていた。

藤宗金属の仕事は主にボルトやナットを中心とした工業用基礎部品の製造であった。一年後には東京オリンピックが控えており、ここ数年間は好景気が続いていた。そして藤宗金属の町工場は深夜遅くまで注文に追われる日々が続いていた。上泉長太郎は朝から晩まで金属粉まみれで働いた。

仕事が終わるとまず工場の一角にある小さな風呂に入る。住み込みの工員に許された唯一の楽しみだ。一人がやっと入れる小さな風呂であったので、先輩格の二人が入ってからでないと入れなかったが、職場の中ではトイレ以外で唯一一人きりになれる場所であり長太郎には一番心が安らぐ場所でもあった。

三度の食事は隣に住む近藤宗佑家の勝手口から入り、入って直ぐの土間を簡易食堂にしたてた所で宗佑の妻りくの手料理を食べた。食事が終わった後の食器は自分達で洗って棚にしまうのである。夜は工場の二階の隅にある六畳の部屋がありそこが寝所兼休憩場になって三人が並んで寝る。その部屋の隣には小さな台所があり、電気コンロを使った夜食程度ものなら作ることができた。

住み込みの年長者は十九歳の野中元之で、次は十八歳の坂本太郎であった。二人はこっそり酒を買ってきてはそこで毎晩飲んでいた。当然そこに長太郎も加わった。長太郎は造り酒屋に四年程いたが、酒は一度も飲んでいなかった。未成年者の飲酒については厳格な叔父であった。

「チョウ」と初めて住み込みの夜を迎えた時に野中が呼んだ。長太郎のことだ。

「長い名前だから、おまはんはチョウって呼ぶぜ」と言いながら野中は押入れの中から飲みかけの一升瓶を取り出した。

「今日から同じ釜の仲間だ。一杯飲み干せよ」と言って坂本に目配せをした。

坂本は部屋にある小さな食器棚から茶碗を取り出した。野中はその茶碗に一杯日本酒を注いだ。匂いからして質の悪い酒だなと長太郎は思った。造り酒屋にいて良い酒の匂いだけは自然に身についていたようだ。

「頂きます」と長太郎が不安げに口をつけた。

「一気にごくっと飲むんだよ」坂本は自分も注いでもらった酒を長太郎に手本を見せるようにして飲み干した。

長太郎は酒を一気に飲むのには不安があったが、先輩工員達から言われたので受けざるを得なかった。

手に持った茶碗酒を二人が言うがままに一気に飲み干して間もなく、頭がくらくらと回転して目の前が真っ暗になったかと思うとそのまま朝まで熟睡してしまった。長太郎はそれ以来酒を生涯飲まなかった。飲める体質ではなかったのである。

それを知らない先輩工員の野中と坂本はいびきをかいて声をかけても起き上がろうとしない長太郎を不安な気持ちで見守り、やがて二人は寝不足の朝を迎えるのだった。言葉使いは横暴なところもある先輩二人だが、人は良かったのである。


(2)

八月のお盆がやってきた。宗佑はお盆には従業員全員に休みをやっていた。宗佑一家も毎年この時期に年に一度の墓参りに近藤家の出身地でもある岐阜の美濃市へ泊りがけで出かけた。

野中は愛知県の糠田村の出身で坂本もその隣の作出村の出身であった。住み込み仲間には帰る家があったが、長太郎にはどこにも帰る場所が無かった。約四年間を過ごした上泉幸次郎の家では長太郎は単なる居候の身分であり、そこは自分の故郷でも無かった。宗佑がお盆だから帰っても良いと言ってくれても帰省する場所が無かった。

「社長、俺、ここに居たらいかんですか?俺、どこにも行く所が無いんだ。」

 藤宗金属では毎年工場も住宅も戸締りをして外泊するのが通例であった。宗佑は妹の勝子から長太郎の事情を聞いており、また仕事への態度から見ても真面目な奴だと思っていたので、今まで工員だけを工場に残して自分達が留守をすることはしなかったが、工場二階の住宅部分だけの使用を許可した。

「何か土産を持ってくるから、悪いことしないで待っておれや」先輩格の野中元之と坂本太郎が長太郎をからかいながら真っ先に旅立って行った。二人とも正月以来の帰郷で喜びを素直に顔に出していた。

「今までに社員だけ残して留守にするのは初めてだから、火の始末だけは充分気をつけてくれや。何かあったら裏の持田製菓に行って電話貸してもらってここへ電話してくれ」と宗佑は出発の間際に長太郎にくどいほど注意をし、美濃での連絡先を書いた紙を渡した。

 長太郎は宗佑の善意に感謝し、その連絡先の書いた紙を大事にしまった。


お盆の初日、いつもなら日中は機械の音や金属の擦れる音でうるさい位なのだが、今日ばかりは水を打ったように静かであった。開け放った窓の直ぐ近くに油蝉が飛んできてジージーと鳴き始めたので、上半身裸で昼寝をしていた長太郎は眼が覚めた。全身に汗が浮いていた。午前中に洗濯して窓の外に干しておいたタオルが乾いて揺れていた。

その時、階下で「ごめんください」という若い女の声がした。休業中の工場であったが二階の窓に干してあったタオルで誰かがいると判断したのだろう。

くしゃくしゃに丸めてあったランニングシャツを着ながら長太郎は階段を降りて行くと、白装束を身にまとった高校生位の少女とその後ろにはやはり白装束を身にまとった細身の老人が立っていた。二人とも夏の熱い日に焼けて顔は黒くなっていた。埃にまみれてはいるが装束の白さと顔の黒さは見事に対照的だった。

 長太郎は不思議な物を見るようにその二人の前に立ち尽くした。怪訝そうな顔をしている長太郎に少女が声をかけた。

「お休みの所、突然お伺いしてすみません」少女の声は涼やかであった。

「私達は真現教という宗教を信仰しているものです。真現教という宗教はお聞きになったことがありますか?」

少女は長太郎が黙ったままでいるのを少女の話を聞いても良いという意思表示と捉えてさらに話しかけた。

聞けば彼らは「真現教」という新興宗教の信徒であり、この近所で入信の勧めをして回っているという。少女は真現教がどんなに平和を愛する宗教で人の心を安らげてくれる宗教かを説明しようとした。後にいる老人は黙って立っていたがどうやら少女の話す内容を吟味している様子で、少女の指導役らしかった。真現教を布教する際には新人信徒と経験を積んだ信徒の二人一組で活動をしているようだった。

長太郎は宗教には全く興味がなかったが、自分と歳は大して違わないはずの少女が熱心に宗教の話をしている姿に驚きを禁じ得なかった。高校生位の少女の目はきらきらと輝いて見えた。その目をみて長太郎は美しいと思った。そして額の真ん中にある小さなホクロがチャームポイントだと思った。

「この近所の方ですか?」長太郎は少女の話の腰を折るように聞いた。

「いえ、私は修行のために高校時代最後の夏休みを利用して鳥取県から出てきています」少女は素直に答えた。

高校最後の年と言うと少女は長太郎より二歳年上であったが、それよりは幼い印象を受けた。

「へえ、すごく遠い所から来ているんだ。こっちではどこで泊まっているの?」と長太郎が尋ねた時、それまで後で黙って少女の話を聞いていた老人が急に長太郎の前に出てきた。

会話の流れが真現教と離れていくのを感じたのだろう、老人は皺を刻んだ乾いた手に持った真現教の紹介記事を書いたパンフレットを長太郎に手渡そうとした。

「とにかく、これを騙されたと思って読んでみてくだしゃれ。今この娘が言った内容が詳しく書かれておりますじゃ」老人は少し呂律の回らない言葉で言った。

「まあ、読むだけなら読んでおくさね」長太郎はぶっきら棒に答えた。

「もし興味が出たらどうしたらいいのかな?」長太郎は少女に向かって聞いた。

「その紙にこの近くの支部の住所と電話番号が書いてありますから、そこに連絡してください」少女は目を輝かせて長太郎を見つめた。そして、別れ際に「是非、そこに遊びに来てくださいね」と強く念を押すのだった。

少女と老人の二人は長太郎と別れるとすぐに「イソホーン・ナグナイック、イソホーン・ナグナイック・・・」と念仏のような言葉を唱えながら歩いて行った。


二人と別れてから長太郎は再び二階に上がり、畳の上に寝転がり退屈を紛らわすために、手渡されたパンフレットを読んでみた。

真現教の宗祖は真田現奘とあった。大正九年生まれとあるから今年で四十三歳になる。兵庫県丹波地方の貧しい農家の三男坊に生まれたが、将来への不安から一念発起して大阪に出て左官業に弟子入りする。

二十歳の頃、建築現場から足を滑らせ落下し頭を強く打ち失神する。その覚醒時に突然悟りを開いたという。世の中が第二次世界大戦に向かい出している最中に真現教を起こし、兵庫県摂北地方の能勢の山あいに荒れた空き家を利用した道場を開設、瞬くまに信徒を増やしたが、徴兵されてフィリピンに渡る。戦地で傷を負い、声が出せない状態になるが復員後修行を積み重ね、ついに三十歳の時、真現教の布教を再開し現在に至るという。

信徒は関西方面を中心に中国地方や中部地方にまで広がりつつあるという。念仏を唱えればすべての人が救われるというのが基本的な教えであり、主な経典としては「真現教妙蓮歌」と「真現教南方赫雨」の二つがあった。「妙蓮歌」の方は現奘が最初に真現教を起こした時に作った経典であったが、真現教の中では既に古典と位置づけられており、最近では現奘が戦地から復員後に作った経典「南方赫雨」を信徒に唱えさせていた。

「イソホーン・ナグナイック、イソホーン・ナグナイック」と繰り返し唱えることが最も重要であると説いていた。この言葉は現奘が迫撃砲の飛び交うフィリピンの戦場の真只中で戦争が引き起こす様々な矛盾に思いをはせている時に突如として一条の明るい光と共に頭に入り込んできた言葉だという。

「なんだか怪しげな宗教だな」と長太郎は思った。

「俺なんか今まで生きてきたが良い思いなどした覚えも無いし、それがこんな念仏を唱えるだけで救われて幸せになれるというのは到底信じられない。現実を直視しないやり方とってやつかな」というのが長太郎の実感だった。

長太郎の脳裏にはさっき別れた少女の小麦色をした端正な顔立ちだけが残っていた。長太郎は読み飽きてしまったパンフレットを丸めて屑篭の中に放り込んだ。日は傾きかけてはいるが、相変わらず外の空気は熱そうであった。


夕方、長太郎は早めの夕食を食べるためにお盆でも営業している近くのうどん屋に行き、その帰りに夜食用の菓子を買いに八百屋に寄った。するとそこには昼間出会った真現教の少女が買い物をしていた。相変わらず白装束姿であった。長太郎は八百屋の店の中での少女のその姿を奇異に感じるよりも清純そのものという印象で捉えていた。

「さっきはどうも」と八百屋を出てから少女に声をかけた。

少女は驚いたように長太郎を見た。すぐには思い出せないようだったが、長太郎が「昼間に工場で会ったけど」と言うと少女も思い出した。

「食事用の買い物?」長太郎は買い物カゴにあるトマトやキュウリを見て聞いた。

「明日から岐阜市内を離れて飛騨地方に向けて旅立つので買出しをしていたのです」少女は素直に答えた。

「信徒さんの家に寝泊りするので、修行してもらったお布施で食料を買ってその家に持って行くのですよ」

「さっきのじいさんはどうしたの?」長太郎は彼女が一人きりでいるのを確認しながら聞いた。

「じいさんは失礼ですよ。あの方は岐阜市の真現教の幹部をしておられる偉いお方なのですから」少女は長太郎を諌めるように見つめた。

頬を膨らませるように怒った顔をする少女の顔が可愛いと長太郎は思った。

「人は見かけに依らないか。ごめん、ごめん」長太郎は素直に謝った。

「さっきもらった真現教を紹介した紙を読んでるうちに興味が湧いてきたんだけど、あの紙を見ながらもっと詳しいことを教えてくれる?」

長太郎は彼女を居宅にしている工場に誘った。長太郎に男としての下心があったわけではなく、人恋しさのあまりに話し相手として誘ったと言った方が正解であろう。

「私で分かることなら何でも教えますよ」少女は急に生き生きとした顔になった。

 夏休みの修行期間中にある一定の数の信徒を獲得するノルマが彼女には課せられていた。真現教に盲目的な彼女は長太郎の後をすぐに付いてきた。新しい信徒を獲得する機会かもしれないと彼女は思ったのである。その時は長太郎の心よりも真現教信徒である少女の心の方が打算的と言えた。

 工場への道すがら彼女は自分の名前は遠藤園子だと名乗った。中学の時に真現教信徒である両親に入信を勧められて以来、真現教の虜になったそうだ。この夏休みの初めに一度だけ宗祖の真田現奘にも会い修行をしてもらい、その時は言葉を発することが戦傷で出来なくなった代わりに手振り身振りで色々な表現をする宗祖にいたく感銘を受けたという。

 長太郎は園子を工場の二階にある自分が寝起きしている部屋に上がらせた。午後六時半近くで外はまだ明るさを残していたが、部屋はけだるい位に暑かった。

「暑いでうちわであぶったるわ」と長太郎は棚からうちわを二つ取り出して右手のうちわを自分に向けて、左手のうちわを園子に向けて懸命に扇ぎだした。長太郎達の部屋にはまだ扇風機はなかったのである。

 長太郎のうちわを扇ぐ仕草さが可笑しかったので思わず園子は笑った。しかし、その時初めて園子は薄暗い部屋に自分が男と二人きりで居る事実に気づいた。そして屑篭に捻りこむように丸めて捨てられている真現教のパンフレットを見つけた時、園子は違和感を持った。

 この人は真現教の詳しい内容を聞きたくて私を呼んだのでは無いと直感的に思ったのだ。

「ここじゃなくて、外に出て話しましょうよ」咄嗟にこのまま部屋に二人きりでいる状況は危険だと感じ取りながら園子は言った。立ち上がり階段を降りようとした。

 長太郎は自分で何をやろうとしているのか全く判断が付かなかった。本当は自分の部屋で女の子と二人きりで話をする雰囲気を楽しみたかっただけだったが、今、部屋から急に逃げようとする園子の態度に逃がしてはならないという思いが瞬間的に働き、思わず背後から園子に抱きついていた。その時、長太郎は逃げる獲物を捕らえる猛獣のような気持ちがした。

 ぷーんと汗の臭いがした。それが園子のものか自分のものかは分からなかった。

「やめて」と園子が小さく叫んだ声が聞こえたが、長太郎は彼女を自分の部屋の万年床になっている蒲団の上に押し倒した。倒された勢いで園子が着ていた薄手の白装束の前のあわせが簡単にはだけ、日に焼けた顔や腕とは対照的な白い太腿が見えた。さらに肩に手をかけた勢いで白装束が肩から落ちた時、痩せた体の割に白く豊満な乳房が長太郎の目に飛び込んできた。長太郎は無我夢中で園子に覆いかぶさり「やめて下さい」と再び声を押し殺しながら抵抗する彼女を無視して男の本能に任せた行為をした。

 長太郎は初めての経験であったが園子に出血は無かった。園子は黙って立ち上がると白装束を身にまとい、まだ寝そべっている長太郎の裸身を寂しそうに眺め何かを言おうとしたが、結局黙って階段を降りていった。身を挺して信徒を獲得する手法を使うにはまだ園子は幼かったのである。

「イソホーン・ナグナイック、イソホーン・ナグナイック・・・」と念じる小さな声が次第に遠ざかって行った。

 けだるい疲労感が長太郎を襲っていた。そして窓際に寄り、残照の西の空の下を遠く去って行く園子の後ろ姿を眼で追っていた。


(3)

 やがて夏が終り、秋も瞬く間に過ぎ去り、その年の暮れが来た。仕事は時折深夜近くにまで及ぶ場合もあった。世の中の景気は上昇していた。同室の二人と長太郎の仲も順調であった。

 最近では何をするのも三人で行動を共にするようになっていた。正月休みに入る前に三人してピンク映画を見に行こうという意見になり、師走の岐阜市内の繁華街を歩いた。正月用の買い物をする人達で商店街は大いに賑わっていた。

 薄汚れた小劇場でそのピンク映画は上映されていた。十八歳未満の長太郎だが、年の割に長身であったのが成人として見られたのか、すんなり劇場の中に入り込むことができた。二時間余りの内に三本立ての映画はあっという間に終わってしまった。映画館を出ると歳の暮れの夜の街に吹く風は冷たかったが、長太郎は夏に体験した園子との情事を思い出して体を熱くした。

 その時、事件が起こった。裏通りを歩いて工場に帰る時に、坂本太郎が前から歩いて来た男と肩が軽く接触した。坂本は軽く一礼して通り過ぎようとした。

「黙って行くんか?」肩が接触した男が突然どすの利いた声で坂本に呼びかけた。

 その男はかなり酒に酔っていたようである。その男の連れも二人であった。さっと上げた男の腕のシャツの袖口から手首付近までの刺青模様が見えた。相手は刺青者であったが酩酊状態になり足元も覚束なくなっているので大した相手では無いと見下した長太郎達若い三人は、言いがかりをつけてきた三人組に反発し、口論となり、とうとう殴り合いになってしまった。

 付近にいた通行人の一人がいち早く警察に通報したらしく直ぐに警察官が二人駆けつけてきた。刺青男達は素早く逃げてしまったが、長太郎達は逃げられなかった。三人の内、長太郎だけが刺青男達の一人が持っていた匕首で右腕を切られて出血していたからであった。救急車で病院に運ばれ治療を受けたが、どうやら手の神経をやられたらしく右腕が思うように動かなくなっいた。


「手におぼえあらへんか?それはまずいやね。仕事に響くぜ。大晦日から正月三が日は仕事が無いから良いが、しばらく様子を見るしかないな」驚いて病院に見舞いにきた社長の近藤宗佑は苦りきった顔をした。

「社長、腕が動かなかったら、俺、クビですか?」長太郎は恐る恐る社長を見た。

「右がだめなら、左で出来る仕事を何か探すしかないな。とにかく様子みて、動けばめっけもんというわけだ」

 宗佑は造り酒屋時代の冤罪らしい話も妹から聞いており、長太郎の運の悪さを思ったが、無茶をするなという懲らしめの意味も込めて、少し脅かしたのであった。

 大晦日から正月三が日も長太郎はお盆と同様工場の二階の居室で過ごした。他の二人の住み込み工員は郷里に戻っていたが、正月は自宅で過ごす宗祐一家はいた。元旦は彼らと一緒に正月を祝った。宗佑の妻りくが作るおせち料理は豪華であった。宗佑夫婦の好意に感謝しつつも長太郎は思うように動かせない右腕のせいで心からは楽しめなかった。

 正月休みが明けても長太郎の右腕はうまく動かせなかった。指の細かい作業が出来ないのである。右手で支えて左手である程度の細かい作業をするような仕事しか当面できそうになかった。

「本当、近頃の若い衆は馬鹿なことするねえ。まあ馬鹿なことするのが若い衆の仕事かもしれんがね」宗佑の妻りくはあきれながら長太郎の顔を見るたびに言った。

 宗佑は工場内で長太郎に左手でも充分にできる仕事を優先的に与えてやった。長太郎は宗佑に感謝した。ここをクビになったら長太郎は万事窮すだと思った。


 その春、藤宗金属で副工場長を務めている土林友昭が近藤宗佑からの要請で大阪に転勤になった。取引先の一つで大阪に本社がある会社が地元で同じ業務系統の工場を作りたいという意向があり、出資は藤宗金属と折半して、そこの工場長に土林を抜擢しようというものであった。土林は四十四歳で、若い時から副工場長の立場にあり、最近、万年副工場長という自分の立場に飽き足らないものを感じている男であった。

「長ちゃん」と長太郎はある日の仕事終りに土林に呼び止められた。長ちゃんとは藤宗金属で土林が長太郎を呼ぶ時に使っている愛称であった。近くの鰻屋に連れて行ってくれるという。長太郎は酒類が飲めないので、土林一人がビール瓶を前にして飲んでいた。

「長ちゃん、わしと大阪に行かんか。今度、大阪に新しい工場ができるので、わしがそこの工場長で行くことになったがや。わしの遠い親戚が関西におるし、長ちゃんも元々関西の出身だと聞いたから社長に長ちゃん連れて行くのを提案したら、それは良いかもしれんと返事があったものだから、長ちゃんを誘うことにしたんや」と土林が言い出した。

 長太郎は右手が完治していないのが不安であったが、それを承知で誘ってくれる土林に感謝した。

「俺はどこでも働いて食べていけさえすれば、こだわらないですから。連れて行ってください。でも右手が治ってないですけど大丈夫ですか」

「それは何とでもするさね。じゃあ承知ということでいいね」紅い顔をした土林は満面の笑みをして長太郎を見た。そして、その日は長太郎が滅多に食べられない鰻丼を二杯も食べさせてもらったのだった。

翌日、早速土林は技術職として一番身の軽い長太郎を連れて行く案を社長の宗佑に正式に伝え宗佑も了承した。その頃には長太郎の右腕も随分と治ってきており、指も以前のようには動かないが日常生活には困らないまでに回復していた。

 関西は長太郎にとって生まれ故郷であった。小学校五年生の時、父勇太郎に連れられて岐阜へ引っ越して以来久しぶりに関西での生活が再び始まろうとしていた。しかし、父や母からの連絡は全く途絶えていた。母は父や長太郎を捨てて、そして実家までも裏切るようにして弟を連れて他の男の元に行って生活をしている。そのような内容の話が今にして思えば、岐阜の山あいの町にいた頃に叔父夫婦や従兄姉達が話していたのだと思い至った。今長太郎の脳裏にある母の顔は、小学校に入る直前に尼崎の祖母の家を訪問した際の夕食の時に見せていたおどおどと怯えた顔であった。それは母との最後の日に見せた顔だった。

 父も長太郎を自分の弟宅に連れてきて以来、一度も顔を見せなかった。中学を卒業し就職のため岐阜市内に移った後も全く顔を見せなかった。冷淡とも言える父の態度であった。従って父が今何をしているのか長太郎は知りたいとも思わなかった。父という存在も今の長太郎の意識からは無くなりつつあった。

 今の会社以外に頼る術のない自分は何が何でもこの会社の方針通りに生き抜くしかないと長太郎は決心するのだった。


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