二 緑に映える六甲を仰いで集う学舎は
(1)
昭和二十九年四月。花曇りで空気は少しよどんだ雰囲気もあったが、今日は上泉長太郎が兵庫県尼崎市にある塚田小学校に入学する日だった。付き添いは小柄であるが腕や腰の周りに十分贅肉の付いた彼の母方の叔母である。名前は東光寺佐代子という今年二十九歳になるが、既に自分で生涯独身を決めてこんでいる女性だった。留袖の腰周りの締め付けがきついのか歩くたびにぜいぜいと息が上がって、四月初めだというのに額から汗が吹き出していた。
「どうして私がこの子の面倒までみないといけないのかしら」ハンカチで盛んに額の汗を拭きながら声にならない声で一人言しながら入学式に参加した。
激しい雨でも降れば、あちらこちらで雨漏りがしそうな小学校の古い造りの講堂が会場である。長太郎は名前が現わす通りに他の新一年生と比べると背が高かった。一年四組だったがそのクラスの中では最も身長があり目立っていた。その代わり栄養失調気味で体付きは細く顔色も青白くて活発な児童というには程遠かった。
口髭をたくわえた校長先生が燕尾服姿で壇上に立ち新一年生達に長く仰々しいあいさつを始めた。
「早く終わってくれないかしら、昼から行きたい所もあるのに」と佐代子が考えている時に、長太郎が椅子に座ったまま、もじもじと動き出すのが見えた。
上半身をかなり動かし、手をしきりに腹の部分にあてがっている。さらに父兄席の方に目をやり佐代子の姿を必死に探しているようでもあった。
「何しているの。目立ってしょうがないわ」佐代子が心の中で叫んだ時、長太郎の周りの子がざわつき出した。
「くさー」と誰かが言った途端、「うんこ漏らしてはる」というびっくりしたような女の子の大きな声がした。
異変に気が付いた担任の先生が素早く近寄ってきて長太郎を講堂から連れ出して行った。壇上にいる校長先生は一向に動じる気配も無く長い話を続けていた。
佐代子は知らぬ顔も出来ないので、すぐに父兄席を後にして重い体を揺らしながら担任の先生と長太郎が去った扉の方へ足を運んだ。
「小学生の場合、緊張のあまりにお漏らしする児童もたまにいるのですよ。特に入学式の時は緊張していますのでねえ」
教師になってまだ三年目の担任中村千鶴子が職員室で気の毒そうに言った。佐代子は担任の先生が何度も気の毒そうに言うのが次第に疎ましくなりイライラとした表情に変わっていった。
その夜、東光寺家の四畳半の和室に長太郎は閉じ込められた。閉じ込められたと言ってもその部屋は自分が寝起きしている部屋であったし、便所に行くことだけは許された。それ以外の居間や台所や玄関などへの立ち入りは一切禁じられたのである。外出などは論外であった。
佐代子は家の中ではワンマンであった。戦前戦後を通じて一財産を築いてくれた父の智彦は昨年亡くなっており、又母まさは重度のリウマチを患っていて、まともな歩行が出来ないでいたので、一日のほとんどを薄暗い奥の広い和室で座ったり寝たりの状態で過ごしていた。そんな母一人娘一人だけの生活の所へ長太郎が突然に同居することになったのである。
「とんでもない子を押し付けられたわ」佐代子は母まさの居室で散々にぼやいていた。
「生まれた時からボンクラみたいな感じだったけど、小学生になっても何にも変わっていないわ。未だに寝小便はするし、本当に可愛く無い子だわ。罰として今日は夕飯抜きにしたわよ」
「そんな可哀想に。せめて夕食だけは食べさせてあげなさいな。学校で恥をかいてきて落ち込んでいるはずだから」
まさは佐代子の剣幕に押されていたが夕飯だけは食べさせてあげてと盛んに言った。自分がもっと動きさえできれば何でもしてやれるのにと自分の病を憎らしく思うのだった。まさにとって長太郎は可愛い初孫なのである。
「そんな甘やかしてはだめだわ。東光寺家に居候に来た以上、当家の流儀に従ってもらうわ。私に散々恥かかせておいて、とにかく、今晩は何も食べさせないから」佐代子はもう一度宣言して母の部屋を出て行った。
東光寺家には昔からそのような流儀は無く、佐代子の我がままに過ぎないとまさは思ったが口に出しては言わなかった。まさは体の不自由な自分の面倒も佐代子が見てくれているわけだから、佐代子に小言を言える立場では無いと思っていたのである。
四月とはいえ、毛布無しでは寒い夜だった。冬用の布団に包まりながら、長太郎は今日の入学式を思い出していた。三月の終りにこちらに越してきたばかりであったので、入学式でも周りの新一年生は全く見も知らぬ子供達であった。それでも真新しい制服を着られるので楽しみにしていた入学式には違いなかった。
確かに朝からお腹がグルグルと鳴っていた。でもそれ以上の症状は無かったので、叔母の佐代子に何も言わずに入学式に出たのである。講堂の前で整列した辺りから急にお腹が痛くなり出した。出来るだけ我慢をしたのだが、入学式はようやく始まったばかりだった。
どうしようも無い状況に長太郎は追い込まれた。あんなに恥かしい思いをした経験は今までに無かった。前の席にいた男の子が振り返って長太郎を見てびっくりしていた顔がいつまでも脳裏に残っていた。
結局、お漏らしの失敗をした後、怒った叔母が先生の止めるのも聞かず「明日から登校させますので、今日はこれで帰ります」と一方的に宣言して入学式の途中であったが、叔母に引っ張られるようにして帰宅してしまったのである。同じクラスにどんな子がいるのか何も分かっていないのであった。
入学式を途中退席してから水しか飲んでいない長太郎は空腹感を覚えた。柱時計の時を告げる音が居間の方から低い音で八つ聞こえてきた。長太郎の腹も何度か鳴っていた。叔母佐代子は恐い顔をして「お漏らしの罰で今晩の夕食は抜きだよ」と言っていた。佐代子が機嫌の悪い時に言った内容はほとんどが現実になった。便所には行くのは許されていたので便所に行った時、手洗いの水道水を手で掬って腹一杯になるまで飲んで空腹感を紛らわせた。
部屋に戻ると他にすることも無いので夕方担任の中村千鶴子先生が明日迄に用意するものというので持ってきてくれた紙に眼を通した。予め渡されていたお道具箱の道具ひとつひとつに名前を書くようにとか、いくつか準備して持っていかねばならないものもあったみたいだが、長太郎は自分で出来る所までのことだけはしておこうと心に決めて道具箱や教科書に自分の名前を書き始めた。あの叔母さんでは何を頼んでもやってくれないような気がしたのだった。
(2)
父と母が何故急に長太郎を母の実家である東光寺家に預けたのか本当の所は長太郎には分からなかった。父の顔は余り覚えていなかった。父の帰りは必ず長太郎が寝てからだったし、長太郎が起きる前には既に出勤していたからだ。土曜日も日曜日も父は外に出かけており家にいる時間は少なかった。
母は父と会えない理由を「お父さんは仕事が忙しいから」とだけしか言わなかった。父と遊んだ記憶は一切無かった。一方で母は長太郎と弟の純司と三人してよく遊んでくれた。自宅の庭での泥遊びも一緒にしたし、宝塚にある動物園や遊園地にも兄弟を連れて遊びに行ってくれた。かと思えば梅田の百貨店へ一日買物に連れ回されうんざりさせられることもあった。しかし、その時でも母は必ず屋上にある遊園地に連れて行って子供たちを楽しませてくれた。
純司は愛くるしい顔をした二歳年下の弟である。母方の親戚の家にも母と三人連れでよく行ったが、愛想の良くない長太郎よりも可愛い盛りの純司を親戚連中は相手にし純司は彼等の中で人気者になっていた。長太郎は子供心に孤立感を味わっていた。しかし、母はそんな兄弟二人を別け隔てなく公平に可愛がってくれていた。
そんな母から小学校の入学式も間近に控えた三月の終りに「長太郎達はお祖母ちゃんの家でしばらく暮らさないといけなくなった」と聞かされた。
「お父さんが遠い所へ働きに行くことになったの。それでね、お母さんもお父さんの所へ行って暮らしていける準備をしてくるから、長太郎と純司はしばらく尼崎のお祖母ちゃんの所へ行ってお母さんが帰ってくるまで待っていて欲しいの」
母美佐子は子供達二人を前にして諭すように言った。
「僕も一緒に行きたいよ」長太郎は母にすがった。弟の純司も「僕も、僕も」と兄長太郎に倣って母にすがりついた。
「長太郎にも何か手伝ってもらえると思うけれど、それは今度一緒に行った時にしましょうね。二、三日経ったらお母さんも帰ってくるから、それ位だったら長太郎もお兄ちゃんなのだから純司を守ってお祖母ちゃんの家で我慢できるでしょう。それからこの家も引っ越してしまうからちゃんとお片づけするのよ。お母さんも帰ってきたらお祖母ちゃんの家で一緒に暮らすからね」
美佐子はあくまでも子供が納得するまで話を続けるつもりであった。それがせめてもの親心だと思うのだった。
「分かったよ。でも、絶対お土産を買ってきてくれるという約束をしてくれなかったら、嫌だよ」長太郎は美佐子の心配をよそに意外と素直に母の言うことを聞いた。
母の前では、小さな子供のように駄々をこねて我がままを通したくはなかったのだ。その代わり交換条件を付けて物分りの良いところを見せようとしたのである。
純司はやはり「僕も、僕も、お土産欲しい」と兄長太郎の真似をした。
「もちろんよ。お土産は何がいいかな。食べ物かな、おもちゃかな」美佐子は上機嫌な顔をして子供達二人を代わる代わる見ながら聞いた。
「あの時、僕は何をお母さんに頼んだかな」
長太郎は思い出せずにいた。母の手前、強がってみせたが本当は不安だったのだ。二、三日だけの留守番で、おまけに弟純司と二人だから大丈夫だと思っていた。しかし実際に預けられたのは長太郎一人だけだったし、一人だけの暮らしも二、三日では済みそうになかった。長太郎はほんの少し前のその出来事を悲しく思い出すのだった。
母と長太郎と純司が母の実家である兵庫県尼崎市にある東光寺家を訪問した三月二十九日は三人で泊まった。以前、訪問した時の夕食では、祖母が色々な御馳走を用意していてくれて叔母の佐代子も愛想よく冗談まじりの楽しい会話で子供達を笑わせながら相手をしてくれていたが、今回はまるでそのような雰囲気がなかった。
大人達の口数は少なく、特に叔母の不機嫌そうな顔が印象に残る暗い雰囲気の中での夕食であった。母も伯母と視線を合わすのを避けるようにしていたのが印象的だった。密かに御馳走を期待していた長太郎はがっかりとしたのである。
翌朝、起きてみると母と純司の姿が無かった。長太郎の隣に敷いてあった布団はそのままの状態であったが、母と純司のいるべき所に人影は無かった。
「あれ」と思い、長太郎は自分の布団を抜け出して廊下へ通じる襖を開けた。
東側の窓から春の朝の光が差し込む明るい廊下であった。家の中はしーんと静かだった。昨晩夕食を食べていた部屋をのぞいたが、電気は点いておらず誰もいなかった。
「お母さん!」と何処へとも無く声をかけてみた。誰も応じる気配は無かった。
「お母さん!お母さん!」と大きく二度呼んでみた。
「ちょっとお。うるさいわね。今何時だと思っているの。こっちは夜通し忙しかったのだからね」廊下の向かいにある部屋の方から伯母の佐代子の不機嫌そうな寝起きの声が聞こえてきた。
「ちょっと、こっちへ来て」命令口調で佐代子は長太郎を呼んだ。
長太郎は廊下の向うにある襖をそっと開けた。薄暗い部屋に寝巻き姿の佐代子が布団の上であぐらをかく様にして座っていた。
「はっきり言わないあんたのお母さんもお母さんだけどね。今日から長太郎だけがこの家で私達二人と暮らすんだよ」佐代子はぼさぼさになった髪の毛を手で寝かしつけながら言った。目は起きぬけで腫れぼったかった。
「え、でも純司は?」と長太郎はまだ意味を飲み込めずに聞いた。
「勘の悪い子ねえ。純ちゃんはお母さんと一緒に出て行ったのよ。純ちゃんもお母さんももう帰ってこないかもしれないからね。そのつもりでいるのよ」
そう言っているうちに佐代子の顔が次第に険しくなっていくのを長太郎は感じた。
「預かるのはあんただけだからね。小さい子供を二人も面倒見られないわよ。分かったらあっちへ行って。私はもう一眠りするから」
長太郎は佐代子が怒った様に言った言葉の意味をようやく理解した。どうやら自分が熟睡している真夜中に母は弟を連れて家を出たらしいのだ。
母方の親の家は敷地も広く、家屋も屋敷と呼ぶのにふさわしい位に大きく広かった。東光寺智彦が四十歳になった時に特に希望して購入した広大な土地と大きな屋敷であった。しかし、その後も増改築を繰り返してはいたが基本となる建物は築五十年以上にはなる木造建てであったので全体的な印象としては暗く陰気であり、長太郎にとっては薄気味悪い屋敷という印象が元々あった。そんな家で祖母まさと叔母佐代子と長太郎の三人の生活が始まったのである。
長太郎の日々の家での生活は単調であった。学校から家に戻っても退屈なだけなのでランドセルを置くと直ぐに家を出て、日が暮れるまで外で遊ぶようになった。塚田小学校は尼崎市の北部にあり田園風景の真ん中のようなところにあった。当時の塚田地区には所々に雑木林もあり周囲には綺麗な小川が流れていた。長太郎はその残されている自然の中に身を置いているのが何より好きだった。そして夕日が沈むか沈まないかの時を見計らって家に帰るのだった。遠く六甲山系に沈んでいく夕日を見ながら帰るのも好きだった。
長太郎は近所で仲の良くなった佐野耕輔という小柄な男の子とよく学校帰りや休みの日に近くの小川でザリガニやメダカやドジョウを網で捕りに行った。草亀や鯰も時々姿を見せていた。滅多に捕れなかったが鮒も捕れる時もあり、鮒が捕れた日は一日が楽しく、小川遊びの先輩の佐野耕輔にも自慢げに見せるのであった。ジャブジャブと川の中を歩いて、服やズボンをドロだらけに濡らして帰る日もあったが、その後には必ず伯母佐代子の厳しい叱責が待っていた。そして怒られるのを避けるために自分で洗濯などもするようになった。
畑が広がっている所に菜の花が一面に咲いている季節にはモンシロチョウの幼虫を捕まえては空き缶の中で飼ったりした。一度、誤って肥溜めの中に片足を突っ込み、片方の靴が肥溜めの中に脱げたままになり泣く泣く家に帰った日もあった。長太郎の小学校時代の塚田地区はまだまだ長閑な風景が広がっていたのである。
遊び回って夕方遅くに家に帰っても伯母の佐代子は大抵家にはいなかった。定職についているわけでもないので稽古事か遊びに出かけているらしかった。そのため夕食はいつも遅かった。そんな時、長太郎はよく祖母のまさの部屋へ行き、まさが貯えている菓子を分けてもらった。いつ手に入れた菓子をまさが貯えていたのか分からなかったが、それらの菓子は大抵湿気ていた。それでも長太郎にとっては空腹感を癒す大切な菓子であり、夕方の最大の楽しみでもあったのである。
まさはリウマチの悪化のため体が不自由で近くの便所へ行く時に歩く以外はほとんど椅子に座ったままか寝たきりの状態であった。長太郎がこの家に世話になり始めの頃はまさもまともに話ができて、長太郎の小学校であった出来事の話や近くの小川で友人の佐野君と一緒に捕った魚の話を嬉しそうに聞いていた。
体の調子の良い時は広い庭に出て長太郎に庭木の名前や花の名前を教えたりもしていた。夕暮れ時にカラスが飛んでいる姿を見て、七つの子の童謡を歌ってくれたりもした。まさの歌声は音程もたどたどしかったが、長太郎にはなつかしい思い出として残るのだった。
しかし次第に話す言葉も聞き取りにくくなり会話もうまく交わせない状態になってきた。そして小学三年生の頃にまさが全くの寝たきりになるとまさの部屋には寄り付かなくなった。長太郎は心の底では自分を可愛がってくれたまさを無視している自分を責めていたが、実際に会うと何も話ができないでいた。膝や腰が痛い痛いと嘆いているまさの姿を見ても何もできないでいる自分と祖母が同じ部屋に居るのが耐え切れなかったのだ。
小学校五年生の夏に何かにつけ長太郎を可愛がり、かばってくれていた祖母まさが長い闘病生活の末に他界した。今年の夏の熱さに体が付いていけなかったようだ。長太郎がこの家に来た頃はまだ覚束ない足取りで家の中を歩いてもいたが、ここ二年ほどは全くの寝たきり状態となっており、その世話をする佐代子の負担も並み大抵なものではなかった。そんな佐代子の鬱憤晴らしの相手が長太郎になっていたかもしれなかった。
同じ子供の立場で母親の面倒を見なければならない長太郎の母美佐子は駆け落ちしたままで連絡先も知らせて来なかったので、佐代子は姉美佐子に対する恨みつらみのはけ口を姉の子供である長太郎に向けてしまっていた。
この家に来てからというもの、長太郎は毎日のように叔母佐代子から嫌味を言われたり、いじめを受けたりし、更に佐代子の気分次第で変わる家の規則や家訓にも耐えなければならない日々が続いていた。母まさが他界して介護のストレスから解放されたはずの佐代子であったが長太郎に対するいじめは一層激しくなっていった。
そんな長太郎の心を癒してくれるのは小学一年生の時の担任中村千鶴子だった。
「長太郎君、ちょっと今日はうちに来ない?」
ある土曜日の下校時に千鶴子が長太郎を誘った。千鶴子は小学一年生から四年生まで長太郎の担任であったが、五年生になってからは別の学級を受け持っていた。学校から程遠くない所に千鶴子の家はあった。
土曜日の昼は叔母の佐代子は稽古事かなにかで大抵いなかった。昼食も朝の残りをおかずに一人で食べるばかりであったので長太郎は千鶴子の誘いにのった。
千鶴子の家は閑静な住宅地にあり、一戸建て住宅であった。当時は新婚間もない頃で子供はまだいなかった。
「長太郎君はたくさん食べている?先生心配しているのよ」
今は担任ではないが気遣いをしてくれる千鶴子に長太郎はほのかに恋心のようなものを抱いていた。千鶴子は昼食用にとホットケーキを焼いてくれた。そして朝出勤前に準備していたという蜜豆を冷蔵庫から取り出して長太郎に振舞った。ホットケーキの優しい肌触りと暖かさが長太郎の食欲を満たしてくれ、蜜豆の甘さが今までに味わったことのない至福の時を過ごさせてくれた。
「先生、ぼくこんな美味しいのを食べたのは生まれて初めてやわ。美味しいわ」
普段は無口な長太郎であったが千鶴子に精一杯の喜びを表わした。
「一杯食べて行ってね」千鶴子はやせ細った長太郎の腕を悲しげなまなざしで見た。
「普段はどんなものを食べているの?」千鶴子はそう聞かざるを得なかった。
「叔母さんは、あんまり料理作ってくれないから、目刺しとか卵焼とか野菜の煮たのとか、時々カレーライスを作ってくれるのが一番好きだなあ」長太郎は無邪気に答えた。
「お父さんやお母さんとは時々会えている?」千鶴子は更に聞く。
「全然会わない。叔母さんは父さんの悪口ばかり言っているし。昔、母さんが父さんは仕事で遠い所へ行っていると言っていたけど、叔母さんは父さんが家を飛び出して遊び回っていて今は何処にいるのかも分からないと言っていた。母さんの様子を叔母さんに聞いても仕事で遠くへ行って帰ってこられないと言うだけだし、弟も母さんと一緒にいるらしいし。なんで僕を連れて行ってくれなかったのかなあ。もう叔母さんの所にいるのは嫌だ」
しかし、長太郎は思わず言った自分の言葉を直ぐに訂正した。
「でも叔母さんも忙しいのに僕の面倒みてくれているから、そういう風に言ったらいけないんだよね」
千鶴子は長太郎のその言葉で胸が熱くなった。千鶴子は長太郎の両親の動向をかつて家庭訪問の際に祖母の東光寺まさの口から一度だけ聞いていた。
(3)
父親の上泉勇太郎は一度結婚していたが前妻とは死別しており、佐代子の二歳年上の姉東光寺美佐子と結婚して長太郎と純司の二子をもうけた。
結婚した当時の上泉勇太郎は岐阜県で小さいながらも配送業を経営していた。自動車を利用した事業が時代の要求に合って経営も上向きになり、かなりの資産も出来ていた。その経営状態の中で勇太郎は関西方面への進出を計画していた。一方、東光寺家は関西北部の北摂地域で土地売買を主たる生業とした資産家ではあった。しかし経営は苦しく衰退傾向にあった。
そのような折り、代表取締役社長の東光寺智彦は仕事仲間から上泉勇太郎を紹介された。智彦はすぐに勇太郎が取り組む事業の先見性を見抜いた。勇太郎をうまく取り込めば東光寺家の繁栄は維持され、行く末は過去の栄光をとり戻すのも夢ではないと思ったのだ。彼の直感は正しかった。確かにその後、勇太郎は宅配業界でも一、二を争う事業を展開した。
勇太郎には死別した妻がいたが、今は独身だと知った智彦は自分の娘を嫁がせるという手段で勇太郎を自分の支配下に取り込もうと考えた。
当時、勇太郎は四十二歳で決して若くなかったし、智彦の長女美佐子は勇太郎より十三歳も年齢が下だった。しかし智彦は勇太郎が関西に進出して事業を展開したいという思いを巧みに利用して自分の長女美佐子と婚姻させる目論見を実現させ、見かけ上東光寺家の安泰をはかったのだった。
婚姻の成立に喜んだ智彦は勇太郎に仕事用の土地と新婚生活用の一戸建ての住宅を西宮市の一等地に提供した。
しかし結婚したものの勇太郎は家の外に出る機会が多く、更に子供を二人もうけたものの家にはほとんど寄り付かなかった。元々、外に女が居たのではないかと親族らの陰口が誠しやかに囁かれていたが、勇太郎が展開する事業の成功の上に現在の東光寺家が成り立っているという事実を知る親族らは勇太郎をあからさまに非難しなかった。
美佐子も勇太郎との結婚は決して自分が望んだものではなかった。いわば父智彦の強引な主導下の政略結婚であったため、美佐子は当時付き合っていた恋人と別れざるを得なかった。美佐子は何度も実家のまさの元に来ては、自分が決して幸せな結婚生活を送っているわけではないと切々に訴えていた。
やがて次男の純司が生まれて間もなくの頃、かつての恋人と町で偶然に出会い、日々の不満をその恋人に話をするようになった。かつての恋人も美佐子の存在を忘れられずにいて、二人は密かにデートを重ねるようになっていた。
そしてある日、美佐子はまさの元を訪れて勇太郎と離婚したいと相談した。当時は父智彦も生きており決して許される願いではなかったので、まさも気持ちを入れ替えて辛抱するようにと美佐子を強く説得するしかなかった。間もなく智彦が急性心筋梗塞で急死した。父の急死という家族の一大事にもかかわらず、この時を自分の思いを遂げる千載一遇の機会ととらえた美佐子はかつての恋人のもとに行く決意をした。
東光寺家の大黒柱が亡くなった矢先に美佐子が子供二人を実家に押し付けて他の男のもとへ行くと言い出したのだから、あまりの身勝手な話にまさは怒りで体が震えたと述懐した。結局、まさと美佐子と佐代子の女三人で話し合った末に、まだ幼い次男の純司は世話がかかるので、年上の長太郎をまさと佐代子に預け、美佐子は純司だけを連れてかつての恋人のもとへ走ってしまった。
まさは自分の娘ながら美佐子の奔放で身勝手な態度に憤りを禁じえず、婿の勇太郎には娘の行為の負い目もあって孫の長太郎を東光寺家で引き取る決心をしたのだという。しかし、まさの思いと妹佐代子の思いは全く違っていた。
とりあえず長太郎を東光寺家が面倒をみる形になったが、佐代子はただで引き受ける必要が無いと言って、上泉勇太郎に連絡をとり長太郎の養育費の支払いを要求した。元より父親である勇太郎も自身での養育は拒否していたので、相当額の養育費を東光寺家に支払うという条件で長太郎を母方の実家にて養育させることが正式に決まったという。この勇太郎との交渉の際には佐代子はしたたかな一面を見せていた。
千鶴子は長太郎の母美佐子が祖母まさが言うような奔放な女性であったかどうかは分からないと思った。父から無理矢理押し付けられた歳の離れた男との結婚であり、そのために当時付き合っていた恋人と別れなければならなかった結婚である。自分の思いを犠牲にした結婚生活がわずかでも幸せを感じられる生活であれば問題は無かったのだろうが、事実はそれとは逆の生活が待っていた。そんな結婚生活が私に耐えられるのだろうか?千鶴子は美佐子の思い切った行動に出た心情が分かるような気がした。
「あんまり遅くなると叔母さんにまた叱られるから、僕帰ります」長太郎は千鶴子に言った。
午後三時を過ぎようとしていた。千鶴子はぎゅっと長太郎を胸に抱きしめた。長太郎は千鶴子先生の洋服を通して感じる乳房の柔らかみに母の温かさを思い出し懐かしく感じるのだった。