十二 エピローグ
平成十三年六月。今日は私、佐々木純司の五十一歳の誕生日で家族達が誕生祝をしてくれた。現在兵庫県警に勤務しており、不規則な生活にも関わらず親子四人に私の母を加えた五人で、私からいうのもなんだが仲よく暮らしている。
長男の将は地元の国立大学工学部の大学院に通っている。私とは異なる分野だが科学者として電子工学の道を進むようだ。長女千夏は今年成人式を迎えた。彼女も長男と同じ大学の薬学部に在籍している。我が家はどうやら理系の血が流れているらしい。妻の祐子は私の二つ下で職場結婚をした。しばらくは共働きをしていたが、子供が生まれてからは専業主婦として陰に日向に私を支えてくれている。母の美佐子は今年八十四歳になる。物忘れはひどくなりつつあり耳も少し遠くなってはいたが日常生活を送る分には問題は無かった。父の五郎は母と同い年だが五年前に脳梗塞を患って以来、身体も不自由になり更に認知症が進み、現在は市内にあるグループホームに入所している。
私はこれまで自分が担当してきた事件を守秘義務違反にならない程度に自分用の回顧録として残しておくつもりでパソコンのデータに残してきた。実際には見てはいないが見てきていたようにも記載はしているのが難点ではある。今日も出来上がったばかりの最近の回顧録を長男の将に見せていた。
「父さん。誕生日おめでとう。子供もまだ学校卒業していないから、まだまだ元気で働いて下さいね」妻の祐子が私のグラスにビールを注いだ。
テーブルの上には妻と娘千夏の共同作業による豪華な手料理が並べられていた。
「お父さん。おめでとう。私が大学卒業するまでは元気に働いてね」今年成人式を迎えたばかりの千夏が無邪気に語りかけて真っ先に乾杯のグラスを私に差し出した。
「結構年なんだからなあ、あまりハッパをかけるなよな」私は苦笑いしながら乾杯を受けるグラスを差し出した。そして娘のグラスにカチッと自分のグラスを合わせると「また、先を越されたな」と長男の将がニヤニヤしながら乾杯のグラスを私に差し出してきた。千夏は何をやるにしても兄の将の先を越していく。
「父さん、なんとか例の回顧録を読み終わったよ」将が言った。
「速読だね。将は」夕食前に将に渡した最新の私の回顧録をもう読み切ってしまったという。それは直近の真現教大宗主殺害事件の回顧録だった。
「この事件は半世紀という歳月をかけて解決した事件やからね。僕はすごく印象に残ったな。上泉勇太郎という人は真現教の『イソホーン・ナグナイック』という念仏が世の中を小馬鹿にしたような言葉と言ってたのに、実は自分の妻を象徴とするような念仏だったわけやからね。まさに皮肉と言うか、やるせない気持ちになるわ」将は回顧録を私に返しながら言った。
「それ私も見てみたいわ。ずるいわ、兄さんに先に見せるやなんて」と千夏が割って入ってきた。
「さあさあ。みんなおしゃべりしてないで、私と千夏がせっかく作った料理を食べて」妻が皆を促す。
「分かったよ」私は目の前にあった娘が作った料理をまず一口頬張った。娘が作ったにしては意外と美味かったので思わず「うまいな」と言った。しまったとは思ったが口にでた言葉は戻せない。娘を図に乗せると後の自慢話が長く続いて始末が悪いのだ。しかしその娘が何かを言う前に母の美佐子が切り出した。
「今、『ゆうたろう』と言ったかえ?」
「ええ、母さん。将に見せていた僕の回顧録の中で最近の事件の犯人の父親の名前が上泉勇太郎と言う男だったのですよ」私は母に聞こえやすいように低い声でゆっくりと話した。
「上泉勇太郎が父親というと、その犯人と言うのは上泉長太郎かえ?」母は今までに見せたことの無い怖い表情で私を見据えて再び聞いた。
「祖母ちゃん、なんで犯人の名前知ってるの?まだ親父の回顧録を見てもないのに」と将が言った途端に母の顔からは見る見る血の気が引いていき、今にも失神してしまいかねない状態になった。
「お義母さん、大丈夫ですか」心配した妻が慌てて母の近くに寄ってきた。
「あまりに驚いたものだから」と言う母の表情はこわばり青ざめていた。
「お母さん、本当にどうしたのです?」私は思わぬ母の行動に驚いていた。
そんな家族の心配を他所に母の美佐子は細かく震える手で老眼鏡を懸け、私の回顧録の真現教大宗主殺害事件の記録を手に取り、私が示した上泉勇太郎と長太郎に関する記事に目を通し始めると静かに涙を流し始めた。それはなかなか止むことはなかった。
「純司や。この上泉長太郎はあなたの実の兄さんだよ」
しばらくして母は涙声で私を見ながら言った。
「お母さん、何を言っているのですか?」私は母が何を言っているのか分からなかった。突然気がふれたのではないかとも思った。
「上泉勇太郎さんは私が最初に結婚した男性です。そして、その人との間に二人の男の子ができたのです。それが長太郎とあなたなのよ」
「ちょっと、お祖母ちゃん。変な冗談言わんといて」千夏が横から口を挟んでくる。
「冗談じゃないの。本当なのよ。死ぬまで私の心の中だけに仕舞いこんでおこうと決めていたのに。こんな結果になるなんて。私は卑怯者です。長太郎を見殺しにしたひどい女なのよ」母は泣きながら椅子から崩れ落ちるようにして床にしゃがみこんだ。
私は妻と二人で慌てて母に寄り添いながら、家族全員で母の寝室に連れて行った。妻と娘が母の介護にあたり、私と息子はリビングに戻ってきた。
「お袋が再婚だったとは今まで一度も聞かされていなかった。両親とも正式な結婚をする前に僕が生まれたとは言っていた。今でこそ公然と言われているが“出来ちゃった結婚”だと思っていた。ともかく事情があって正式な婚姻届がかなり遅れたらしいが、自分がお袋の連れ子だとは思い巡らせられなかった」私はリビングに戻って椅子に座るや将に話しかけずにはいられなかった。
将は黙って相槌を打っていた。
「母方の親戚は血統的には既に絶えてしまって、近い親戚はいないと幼い時から聞かされていたからそれが当然と思っていた。人間一端思い込むとそれが当たり前となって疑問すら差し挟まなくなるものだと今更のように思うね」私は苦笑しながら言った。
原戸籍の写しを取り寄せれば別だが普段使用するような戸籍抄本ではそこまで複雑な過去の記載は無かったのだ。
「僕には兄の記憶がまるで無い。取調室にいた彼が僕の兄だなんて考えも出来ない。お袋は何もかもを封印して僕たち家族と接していたのだな」私は予想外の展開に明らかに戸惑っていた。
「僕は回顧録の中で因果応報という言葉を使っていたね」と私は続けた。
「ああ、犯罪の原因を考える時にはいつも因果応報を感じると書いてたね」将がようやく返事をしてきた。
「なんの因果か僕は実の兄を殺人犯として逮捕していたわけだ」私は自分の表情が次第に強張っていくのを感じていた。 (了)