第二章 4
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「昨日も思ってたんだけど、森の中って何でこんなに歩きづらいのかしら?」
プリシラが大またで倒れた木を飛び越えながら文句を言う。結局、昨夜は見張りの甲斐があってか、誰もモンスターや山賊に出くわす事無く夜を明かすことが出来た。
「あっ、プリシラお姉ちゃん。森であんまりジャンプしない方が良いのです」
「そうなの?」
「はいなのです。森は自然のトラップに溢れていますです。迂闊にジャンプして着地したところが泥濘で怪我をしてしまうとかよくあるのです」
「そっかぁ。パティは物知りね」
プリシラがパティの頭を撫でるとパティは耳をぴこぴこさせながら嬉しそうに身をよじる。
「えへへですぅ」
「水を差すようだけど、パティさんは森のプロと言われるレンジャーなのだから、そんなに感心することでは無いのでは?」
「うわっ、セシル君って女心が分かってないのね。そんなんだとモテないわよ」
「なっ!」
「おお、セシルがモテないなんて言われるとこ、初めて見た」
レヴィーが嬉しそうにゲラゲラと笑うとその頬をセシルがぎゅっと掴む。
「いひゃいってば」
「お前、昨日あの後プリシラさんと何かあった?」
「なっなっなっ何かって何だよ?」
瞬間的に頭に血液が上り、これ以上無い位赤くなる。三人が去った後は話をしただけだが、その前の出来事でつい顔が赤くなってしまう。その様子にセシルが意地悪そうにニヤリと笑う。
「そんなに分かりやすく教えてくれなくて良いよ。聞く気も失せる」
「うるせー! 何も無いぞ、このエロ騎士」
「ふぅん。そういう事いうんだ。だったらプリシラさんにお前の小さな頃の話を......」
「すみません、ごめんなさい、俺が悪かったです」
「よろしい」
丁度セシルが満足そうに微笑んだ時に前を歩いていたプリシラ達に声をかけられる。
「何二人でこそこそ話してるのよ! 早く行きましょう」
「へ~い」
昼を過ぎた頃。
今日の行程を確認する為にコンラッドたちがレヴィーたちと合流をしている時、突然モンスターが襲い掛かってきた。
「うわっ! オークか」
「しかも群れの通り道だったようだね」
オークとは猪の頭を持つ人型のモンスターである。力も強く、知能の高い者になると魔法を操る場合もあるらしい。
オークの数は十体。
「こっちは大所帯だ! なるべく一対一で戦わないように気をつけろよ!」
レヴィーがそう言うのと同時に戦闘が始まる。
「プリシラ!」
一体のオークがプリシラを狙う。レヴィーとセシルが同時に守りに向かうが、それより早くプリシラがオークの棍棒を躱す。
「いきなり私を狙うなんて、見る目あるんじゃない?」
プリシラはレイピアでオークの左足を貫き、声にならない叫びを上げるオークから素早く距離を開ける。
「プリシラやるじゃないか!」
レヴィーが声をかける。
「流石に倒すことは難しいけど、これ位は出来るわよ」
これ位と言うが、オーク相手に怯まないというのはかなり凄いことだ。新米冒険者なら怯えてしまうものも珍しくない。
プリシラに足を刺されたオークが近くにいたパティに視線を向ける。パティは腰からよく手入れされたナイフを取り出し構えるが、その腕は小刻みに震えている。恐怖を感じていることをオークに気づかれてしまい、オークは左足の怪我も構わずパティに襲いかかる。
「にゃっ!」
「パティ!」
思わずパティが身を屈めると、その小さな体をレヴィーが抱きかかえ跳躍する。一回転してパティを守るように抱えて背中から地面に転がる。
「うっ」
「にゃっ」
「パティ大丈夫か?」
「すみませんです。近接戦は不得意なのです」
「そうみたいだな。とにかく今はこいつらを何とかしないと......」
レヴィーが体を起こし、オークに切りかかろうとすると。
――どさっ
オークが口から血を流しながら前のめりに倒れてきた。
「うわっ、何だ?」
「貴方たちしっかりお嬢様を守っていただかないと困りますよ」
オークの背後から剣を構えたメガスが溜息を吐いた。
「お前が倒したのか」
「ええ、最初にお嬢様が攻撃していましたし、これ位は何てことありませんよ」
その後も全員で何とかオーク十体を倒すことが出来た。幸い大怪我をした者もおらず、軽傷者はプリシラの魔法で回復した。
「それにしても、コンラッドさんもメガスさんもかなり鍛えていらっしゃるんですね」
セシルが感心したように二人に声をかける。
「まぁ、オレは子爵家出身だからな。庶民と違ってこんなの嗜み程度なんだよ。あんた、見たところ戦い方がスマートだな。もしかして貴族か?」
「いや、まさか。僕は田舎の小売店の出身ですよ」
「そうなのか? では剣の流派がしっかりしているのか」
「実はもう退役してしまったのですが、一応少し前まで騎士をしておりました」
「おお、やはりそうか! お前、なかなか腕が立つようだし、うちで働かないか? こんな冒険者より儲かるぞ」
「............」
柔らかく微笑んでいたセシルの目つきがほんの僅か変わるのと同時に、メガスが口を挟む。
「コンラッド様、スカウトはこの辺にして、今はお嬢様の儀式の為に全力を尽くしましょう」
「ちっ! 三流貴族が」
あからさまに不機嫌そうにそうはき捨てると、コンラッドは次の目標へと向かっていった。
「メガスさんも強くて、失礼ですが驚いてしまいました」
気を遣ってくれたのは分かったが、そのままお礼を言っては逆に失礼なので、セシルが話を戻す。
「いえ、私なんて。お嬢様をお守りする為に、剣の基礎だけは頑張ってみたのですが。デスクワークの方が性に合っています」
「......そうですか」
「パティちゃん、この短剣はそうやって両手で持っちゃうと使いづらいから、片手でほら、こんな感じで......」
「はにゃー。難しいのですね」
「ん? お前ら何やってるんだ?」
すっかり日も沈み、焚き火の近くで楽しそうにしているプリシラとパティにレヴィーが声をかける。
「あっ、レヴィー。今ね、パティちゃんに短剣の使い方を教えているの」
「そうなのです」
護衛対象に剣術を教えてもらうってどうなのか、レヴィーは一瞬考えてしまったが、二人が楽しそうにしているので、敢えて触れないことにする。
暫く二人を眺めていたが、ちょっとしたことが気になり再び声をかける。
「なぁ」
「どうしたの?」
「今のパティは近接戦闘向きじゃないかもな」
「え? どう言うこと?」
「単純に体格的に厳しいって話さ。パティ、そのナイフをあの木に向かって投げてみてくれないか?」
「木にですか?」
「ああ」
一度レヴィーを不思議そうに見つめてから、パティが十メートル程離れた太い木に向かってナイフを投げる。
――カッ!
「うわぁ」
プリシラが思わず声をあげる。パティのナイフは幹の中央に綺麗に刺さったのだ。
「やっぱりな」
「レヴィー、どう言うこと?」
「パティのナイフは投げナイフなんだよ。まさかこんなに上手いとは思わなかったけど」
「狩りの為に練習したのです。それに昔お父さんに教えて貰ったのです」
群れにいた頃を思い出してしまったのか、パティが少しだけ寂しい顔をする。
「だけど、ナイフ投げだけじゃ心許無いな......そうだ、確かこの辺に......」
レヴィーはテントの中で何やらがさこそと探して、小さな袋を取り出した。
「パティ、これやるよ」
「これは......ショートボウですね!」
袋に入っていた物を取り出し、パティがはしゃぐ。
「俺のサードウェポンだけど、あんまり使ってないし、弓は得意じゃないんだ」
「うわぁ、ありがとうなのです!」
「セシルは弓も結構使えるから、習うならあいつに習った方が良いかもな」
はしゃぐパティの横で、プリシラが頬を膨らます。
「どうしたんだよプリシラ?」
「何でもない」
そう言いながらそっぽを向いてしまう。
「その態度で何でもなくないだろ? どうしたのか言ってみろよ」
「......パティばっかり」
かすかに聞こえる程度の声でプリシラが呟く。
「何だ、お前も弓使いたかったのか? レイピアで充分強いじゃないか......いたっ! 叩くことないだろうが!」
「知らない!」
プリシラは立ち上がると、そのままテントへ入ってしまう。
「パティ、プリシラはどうしたんだ?」
「今のはレヴィーさんが悪いのです」
「え? どういうことだよ?」
「そうですよねぇ、セシルさん......あれれ?」
パティが振り返るがそこにはセシルの姿はない。
「ああ、セシルとシェリーならちょっと見回りって言ってたぞ」
「そうなのですか」
「迎えに行って来るから、プリシラとテントで待っててくれ」
レヴィーが森を歩いていると、直ぐにセシルとシェリーを見つけることが出来た。見回りに出てそんなに時間も経っていなかったし、何処へ行くのか出かけた方向から見当が付いていた。
「おーい、俺を置いていくなよ」
こそこそと歩く二人の後ろから声をかける。
「!」
「誰だ......ってレヴィーか。驚かさないでよ」
「そんなに驚くなよ。何かやばいことでもあるのか?」
珍しくセシルが緊張しているので、レヴィーが不思議そうに様子を伺う。
「いや、ちょっと周辺警戒する位のつもりだったんだけど......コンラッドさんのテントが静か過ぎるねってシェリーさんと話していたところだったんだ」
「まだ寝るには早すぎるし、見張りがいないのもおかしいな」
コンラッドたちのテントは、レヴィーたちのテントからかなり離れたところはられていた。そして、そこから少し離れたところにメガスたちのテント。森の中なので、どうしてもまばらになってしまうのだ。
セシルの言うとおり、コンラッドたちのテントからは何の物音も聞こえない。後方にあるメガスのテントからは僅かながら話し声が聞こえる。
「取り敢えず開けてみよう」
「え? いきなり?」
レヴィーが素早くテントへと向かう。それをセシルとシェリーが急いで追いかける。
「......おい、これはどういう事だ?」
テントに入ったレヴィーは驚きの声を上げる。
「どうした? ......あれ?」
続けて入ったセシルも驚いたように中の様子を見つめる。
「中にはコンラッド殿だけか。しかも、かなり深く眠っているな」
シェリーの言うとおり、コンラッドが一人で大きなイビキをかいて眠っている。シェリーがそっとコンラッドに近づき、瞼を開かせたり、口臭を確認し始める。
「これは......」
「どうしたんだ?」
言い淀むシェリーをレヴィーが問いただす。
「これは恐らく薬で眠らされている。自分は専門外だからパティ殿に確認した方が良いかも知れないが......」
「そう言えばレヴィー、パティさんとプリシラさんはどうしたんだ?」
「え? テントに置いてきたけど......まずい!」
言いながらレヴィーが血相を変える。コンラッドを護衛していたのは五人。その五人はここにはおらず、護衛対象のコンラッドは薬で眠らされている。五人が今、何処にいるのか。
「プリシラたちが危ない!」
コンラッドのテントから飛び出し、大急ぎで自分たちのテントへ戻る。
「二人とも、足音気をつけろよ」
テントまで近づいた時にレヴィーが二人に声をかける。視線の先にはコンラッドの護衛たちがおり、護衛たちはレヴィーたちのテントの様子を伺ってるところだ。
「よう、俺らに何か用?」
レヴィーが物音一つたてずに護衛たちの背後に回る。
「お前!」
「どうして?」
「質問しているのはこっちだぞ」
レヴィーが腰の短剣を抜く。
「あれ? 何の音?」
騒ぎが聞こえたらしく、プリシラとパティがテントから顔を出す。
「バカ! 二人ともテントに入っていろ」
「え、どうして? あれ? 護衛さんたちも?」
「全員、撤退だ!」
プリシラに顔を見られた為なのか、護衛のリーダーが撤退を指示する。
「そうはいくか!」
レヴィーが追いかけようとするが、五人が別々の方へ逃げるので、一瞬誰を捕まえるのか迷ってしまい、取り逃がしてしまった。
「くそっ! 変な連携取りやがって」
森はあっという間に静けさを取り戻す。
プリシラとパティに事情を説明しながら、再びコンラッドのテントへ向かい、コンラッドをたたき起こす事にする。
「おい! 起きろ!」
揺すっても叩いても起きる気配が無いので、最終的に顔に水をぶっかけて起こした。
「ぐはっ!」
「おっ、やっとお目覚めか」
「何だ? オレの護衛たちはどうしたんだ?」
「あいつらはどういう経路で集めたんだ?」
コンラッドの質問には答えずに、レヴィーが質問をする。
「どういうも何も、我が家の護衛の中から適当に見繕っただけだ」
「お前が選んだのか?」
「いや、プリシラさんの護衛をする話と同時に決まっていて、詳しいことは分からない。どうしてこんなことを訊くのか説明してくれ」
「お前の護衛たちがプリシラを襲おうとしたんだ」
「何だって?」
「捕まえようとしたが、逃げられた。お前は本当に何も知らないのか?」
「オレの護衛たちが......。しかし、本当に何も知らないんだ。夕食を食べて気づいたらお前たちに起こされていた。それに、オレはプリシラさんを守る為にここに来たんだ。進んで危険な目に遭わせるわけがないだろう」
レヴィーとコンラッドが視線を交差させる。
「どうやら本当に知らないらしいな。こんな森の中で置いていくわけにもいかないし、俺たちのテントに連れて行こう」
「レヴィー!」
セシルが声を上げる。
「でも、俺とセシルでお前のことは見張らせて貰う。お前の護衛がプリシラを襲おうとしたんだからな」
「ああ、庶民の言いなりになるのは癪だが、プリシラさんを危険な目に遭わせたというならやむを得ない」
手早くコンラッドのテントを撤収し、六人でレヴィーたちのテントへ戻ることになった。