第二章 1
第二章
1
翌朝。
まだ早朝というにも早い時間だが、レヴィーは身支度を整える。
「ん? 出かけるのか?」
その音を気づいたセシルが目を開ける。
「悪い、起こしちまったな」
「別にいいよ、朝食前に朝の稽古をしたかったし。で、お前は朝から盗賊ギルドか?」
「ああ、昨日の邪教徒の事も気になるし、何より水の女神の事も殆ど知らないからな」
昨晩宿屋に着いた後にも成人の儀式についてプリシラに質問した。だが結局、街から二日程度の距離にある水の女神の洞窟に行き、成人の証を得るという事しか分からなかった。全員が酔っ払っていたのが主な原因かもしれない。
「あっ、ついでに昨日山賊から戴いた首飾りも売ってくるかな。じゃあちょっと行ってくるら、あの三人が起きたら適当にヨロシク」
盗賊ギルドとは盗賊達が所属する機関の事である。
所属しなくても問題ないが、無所属の盗賊は街中で盗賊としての仕事をしてはいけない事になっている。正確には、盗賊業を行うと命の保障は無いという事だ。
盗賊は一応、職業の一つとして認識されている。しかし、結局は日陰の仕事だ。ただ、ルール無用で盗みなどしていたら直ぐに街の経済や機能が破綻してしまう。それに盗みに入られる事を恐れる金持ちも多い。そこに漬け込んだ盗賊たちは様々な方法で金持ちから資金の一部を巻き上げ、盗賊ギルドを運営する。残りの運営費は会員の年会費や依頼料、あとは本業などで賄われている。勿論、盗賊ギルドに資金提供している家には盗みに入らない決まりだ。そして、無所属の盗賊が街中で行う活動を監視する仕事も負っている。
ギルドに所属する盗賊達の中にはトレジャーハンターとして遺跡の宝を探したり、諜報員として活動するものも居る。
勿論、レヴィーも盗賊ギルドに所属している。所属するには年会費が必要で、色々と決まりも多く面倒ではあるが、一番のメリットはその巨大な情報網だ。当然、その殆どが有料であるが。
レヴィーは橋の下に居るボロを纏った男を見つける。徐にその男に近づき、声をかける。
「よう兄弟、この辺に鍵は落ちていなかったか?」
そう話しかけると、男が顔を上げる。着ているものに似合わず、その目つきは鋭い。
「......兄弟か。それならそこを真っ直ぐ進んで、右に曲った所に落ちていたよ。目の前の店はクアドリだ」
「そうか、サンキュー兄弟」
男に一シャイン硬貨を男に握らせると、レヴィーは男が指した道に駆け出す。
どの街でも盗賊ギルドは一般人に場所を知られないように造られている。その為、外部から来た盗賊たちは街中に潜んでいる盗賊ギルドのメンバーに場所とその日の合言葉を教えてもらう。
基本相場は場所と合言葉なら一シャイン。合言葉だけなら〇.五程だ。橋の下で浮浪者の様な格好をしたり、公園で読書をしている者など、潜んでいる盗賊ギルドのメンバーは実に様々だ。たまにあまりにも町人に馴染みすぎて盗賊ギルドの会員だと気づかれず、仕事にならない者もいるらしい。上手い者は盗賊にだけ分かりやすいように潜むものなのだ。
そして、盗賊ギルドの場所や合言葉を教えて貰うには、決まった形式の会話をする必要がある。まず出だしに「兄弟」という言葉を入れて話しかける。これが定型分の始まりだ。その相手が間違いなく盗賊ギルドの者だったときは相手も「兄弟」と言う言葉を入れて返事をしてくる。お互いが盗賊だと言うことを確認すると、次は「鍵」という言葉を入れて話しかける。
因みに「鍵」を含んだ言葉の時は盗賊ギルドの場所と暗号を教えてもらえ、「財布」という言葉だと場所のみを教えてもらえる。
問題なく会話が進むと盗賊ギルドのメンバーはギルドの場所、更に店の名前に忍ばせて、その日の暗号を教えてくれる。
「あっ、ここか」
男に聞いた場所には小さな店があった。店は小規模の飲食店のような外見をしている。
「いらっしゃい」
中に入るとカウンターと小さなテーブルがある。化粧の厚い年配の女性が無愛想に声をかけてくる。
「すみません、お手洗いをかしてもらえませんか?」
「ああ、そこの奥だよ」
小規模な店の割にトイレと示されたドアが二つある。レヴィーは顎で示された方のドアを開ける。中は一見普通のトイレだが、当然用を足すために入ったわけではない。まず壁を二回軽く叩く。
「鍵の名は?」
壁の中から声が聞こえる。それを確認してレヴィーは先ほど教えられた合言葉を告げる。
「クアドリ」
レヴィーがそう告げると、ぎーっと壁が反転する。中から目つきの鋭い男が現れた。
「初めて見る顔だな。まぁいい。取り敢えず入れ」
細い通路を抜けてやっと盗賊ギルドに到着する。盗賊ギルドに辿り着くだけで一苦労なのだ。しかし、それだけセキュリティが厳重と言う事である。
中に入ると窓一つなく、昼間なのに真っ暗だ。人影は確認できるが、其々情報交換中らしく気安く声をかけられる雰囲気ではない。
カウンター奥には年配の小柄な男が一人で座っている。手が空いていそうだったので、レヴィーはその男の前に腰掛ける。すると、男が驚いた顔でレヴィーを見つめる。
「坊ちゃん? レヴィー坊ちゃんじゃないですか」
「へ?」
「私ですよ、クレイグです。何度かお会いした事があるんですけどね。覚えていないですか?」
レヴィーは男の顔をじーっと見つめると、記憶のピースがカチリとはまる。
「ああ、よく魚の燻製をくれたおっちゃんじゃないか!」
「思い出してもらって良かった。それにしても大きくなりましたな。おじい様の若い頃にそっくりだ」
「そうなのか?」
「ええ、そっくりですよ。と言っても、おじい様と知り合った時には、既に今のレヴィー坊ちゃんより年齢は上でしたけどね。特にその目がそっくりですよ」
「じいちゃんも釣り目だもんなぁ」
「しかし、坊ちゃんがこの街にいらっしゃると言う事は、やはりあの噂は本当だったのですな?」
「噂?」
盗賊は自分から無闇に情報は漏らさない。普段抜けていると言われているレヴィーでもその位の基礎は押さえている。寧ろ、話を振られたからって無料でほいほい情報を漏らす盗賊なんて怪しすぎるし、他の盗賊に相手にしてもらえない。よってこの場合は、話を振ったクレイグが内容を公開するのが正しい段取りなのだ。
「婚約したそうですな。それもヴィオレット伯爵令嬢と」
「なっ! どうしてそれを!」
思わず大きな声を出してしまうが、周りの視線を感じてレヴィーは何とか声のトーンを押さえる。
「どうしても何も、道端で婚約宣言されたらわざわざ探さなくても情報なんて入ってきますよ。面白い話としてね」
「婚約した記憶は無いが、成人の儀式に付き合うことになったのは確かだ」
これも言うべきか微妙なところだが、婚約しているなんて事でこれ以上話が広まっても困るので、事実を伝えたほうが早い。
「成人の儀式か。坊ちゃんはその事でここへ?」
「ああ、知りたいことが二つあるんだ」
「ほぅ。坊ちゃんと言えども情報は有料ですよ」
「分かっている」
そう言うと、クレイグの表情が仕事用のものに変わる。
「なら良い。それで何を知りたいんだ。このハーフェン盗賊ギルドのギルドマスタークレイグ自らこたえてやるぞ」
「え? ギルマスだったのかよ? それじゃあ丁度いいぜ。何でも詳しいな。まず水の女神の事とこの街での邪教徒の活動について教えてくれ」
「わかりました、では前金で五シャインになりますな」
レヴィーは財布から五シャイン硬貨を出してカウンターに置く。
「水の女神はこの街で崇められている女神で、宗教的には精霊神を崇める精霊教の流派になりまさあ。暗黒時代に伝説の勇者が大魔王を封じる際に、水の女神が手を貸したという言い伝えも残っています。そして大魔王を封じた後はこの地域の守り神になったとされています。それでこの街では男子は十五歳になると女神像のある洞窟へ行き、そこの立て札に書かれている文言を確認して帰ってくるのが成人の儀式とされています。勿論女子も受けて良いが、あまり受けるものは居ませんな。実家から独立したい場合などは受けるようですが......。ただ、ワシらが言うのもおかしな話ですが、最近は周辺に山賊も多く出てかなり危険とされています。ですから絶対に受けなければいけないものでは無くなっていますな。もし受ける場合も常識の範囲内で護衛を付ける事が許されています」
「成程な。それで邪教徒の事なんだけど」
クレイグがテーブルに人差し指だけ付ける仕草をする。レヴィーは財布から1シャイン硬貨を取り出す。するとクレイグが続きを話し始める。
「邪教徒ですか。恐ろしい事にこの地域は多いですぞ。富裕層を中心に広まっています」
「富裕層なのか?」
「ええ。邪教の教えが弱肉強食だからな。強い立場に居る者ほど惹かれてしまう一面があるのは確かでしょうな」
「そうか。あと、話は全然違うんだがこの首飾りを買い取ってもらえないか?」
そう言ってレヴィーは山賊から戴いた首飾りをテーブルにじゃらりと置く。
「ほぅ......チェーンは切れていますが、なかなか良い品ですな」
「この街に明るく無いから、どこに売ったら良いのかも分からないからさ」
「......坊ちゃん、これはここに持って来て正解でしたよ」
「どういう事だ?」
「この首飾りの裏をご覧になりましたか?」
「裏?」
レヴィーは目を凝らしてみる。すると、首飾りの裏面に何やらメッセージが彫られている。
――楽園を作ろう
強き者だけの――
「これは、この地域の邪教徒に広まっている標語のようなものですな。全国的なものでは無いので、坊ちゃんがご存じないのも無理ないですな」
「......そうなのか。山賊から戴いたんだが」
「きっと、その山賊も金持ちの邪教徒から戴いたんでしょうな。まぁ、宝石自体は良いものですし、呪いの類も無さそうですし......。九〇シャインでどうですか?」
「キリの良い所で一〇〇シャインでどうだ?」
「宝石台が使えませんからな......。では、間を取って九五シャインって事で如何ですかな?」
「分かった。それで頼む」
「支払いは今で大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
するとクレイグが素早く九五シャインをテーブルに出す。レヴィーは一瞬で金額を確認し、こちらも素早く財布に入れる。
「さてと、色々教えてくれて助かったよ。今日はこの位にしておくよ」
時間も丁度いいし、大体のことは分かったのでレヴィーが席を立とうとすると、クレイグがレヴィーの腕を掴み、耳打ちする。
「ここからは、プリシラ伯爵令嬢の第三の婚約者である坊ちゃんへのサービスです。ヴィオレット伯爵は民衆の事を思いやる良い領主ですが、その側近であるメガスには気をつけてください。あいつはかなり優秀で、本来のプリシラお嬢様の婚約者候補ですからな」
「メガス?」
「昨日街中で会っているはずですぞ」
「......ああ、あいつか。側近って割りに若いな」
昨日プリシラを追いかけてきていた七三頭の青年の顔を思い出す。珍しいリーゼント頭の印象が強すぎて、七三頭の事は忘れかけていたのだ。
「貴族といってもそれ程でもない家柄出身です。それなのにあの年齢でそういう地位を手に入れている。その上、ヴィオレット伯爵に気に入られて、ずっと修道院に預けていたお嬢様の婿になる予定でした」
「そこにあのリーゼント頭が乱入したらしいな」
「その通りです。コンラッド=トリロビーテ。トリロビーテ子爵家次期当主です。今はこの街に住んでいますが、領地は東部にあります。プリシラ伯爵令嬢とは年齢が近いこともあり、幼い頃から交流がありますな。しかし、婚約という話は元々は無く、プリシラ伯爵令嬢が修道院を出るという発表が出た直後に、突然婚約者候補として名乗り出ました。家柄的にもコンラッドが最有力候補と言われていますな」
「だけど、メガスの方も婚約者候補の辞退はしないんだな」
「メガスは仕事も出来るし、伯爵に誠実で信頼も得ています。それにあの外見ですからね。 街娘たちからも人気がありますよ。周囲の人気が高いので、辛うじて辞退には至っていませんな」
「そうか......」
「まぁ、坊ちゃんもなかなかのものですよ。自信持ってくださいな。それに恋敵の情報くらい土産代わりですよ。それではまたいつでも来てくださいね」
景気づけにと背中を強く叩かれる。そしてクレイグに見送られ、レヴィーは隠し通路であるトイレを通って宿屋へと戻ることにした。