第三章 2~3
2
獣化したパティは恐ろしい速度で森を駆け抜ける。
レヴィーは振り落とされないように背中に掴まるだけで精一杯だ。歩くと数日かかる道のりを僅か数時間で駆け抜ける。
途中でメガス達に追いつけるかと思ったが、匂いが途中で途切れてしまった。しかし、その場にかなり手の込んだ魔方陣の痕跡が残されていた事から、恐らく魔方陣を使って移動したことが伺えた。
移動魔法や魔法陣での移動は大変便利だが、術者の体に著しくダメージを与える。その為、魔導師ギルドでは極力使用しないことを推奨している。
「パティ! ハーフェンが見えたぞ」
二人が辿り着いた時には既に夕方になっていた。
街を確認したパティは安心したのかその場に倒れこんでしまう。掴まっていたレヴィーも投げ飛ばされるが、咄嗟に受身を取りすぐにパティに駆け寄る。既に獣化は解けていて、元の小さな女の子の姿に戻っていた。獣化した際に服は破れてしまったので、レヴィーのマントで体を包む。
「おい、大丈夫か?」
抱き起こすと、パティは薄っすらと目を明ける。
「ワタシなら......大丈夫な......のです」
言葉とは裏腹にその声は余りにも弱々しい。レヴィーはパティを抱きかかえたままハーフェンに走る。街の有力者であるメガスの手がどこまで回っているか分からないので、バンダナで顔を少し隠すようにして入出街の窓口へ向かう。しかし、急病人がいると言うことで審査は免れ簡単なサインだけを求められた。念のため偽名でサインをし、街の中に入ることが出来た。
「本当に適当な仕事してるな。でも助かった」
最初、宿屋か冒険者の店に向かおうと思ったが、既にメガス達に押えられている危険を感じ、橋の下に向かうことにした。
本当は盗賊以外をギルドに連れて行くのは良くないが、四の五の言っている場合でもない。幸い橋の下には昨日と同じ男が居たので、合言葉だけ確認してパティを抱えたまま盗賊ギルドへ向かう。
「いらっしゃい。おや、その子どうしたんだい?」
無愛想な女主人も事態の異常を察したのか、それ以上問いただすこともなく、ギルドの内部に案内してくれた。トランプで暢気に博打をしていた盗賊たちも緊迫した雰囲気を感じ、思わず立ち上がる。
するとすぐに奥からハーフェン盗賊ギルドマスターのクレイグが現れた。
「レヴィー坊ちゃん、どうしたんですかい?」
「すまない、この子を看病して欲しい。他に頼れるところが無いんだ」
「とにかくまずは落ち着いて事情を話してくだせい」
クレイグが目で合図すると女盗賊が一人近づいてくる。
「この子に何か着せて看病しますから、こちらへ」
女盗賊の言葉に従い、レヴィーはずっと抱きかかえていたパティの小さな体を受け渡す。パティを預かった女盗賊は扉の一つを開けて奥の部屋に移動する。心配そうに扉を眺めるレヴィーの肩をクレイグが力強く叩く。
「心配しないでください、あれは私の娘です。神聖魔法は使えませんが、治癒者としての心得は持ち合わせております。では、坊ちゃんもこちらへ」
「分かった」
そう言ってパティとは別の部屋に通される。中は華美ではないが、質の良いソファーとテーブルが配置されている小さな応接室だ。まずクレイグがどかっと腰掛けてレヴィーにも座るように勧める。
「で、どうしたんですか?」
「......実は......」
ようやく座ったレヴィーは今までの出来事を洗いざらい話す。
「では、プリシラお嬢様が既にお屋敷に戻ってきたと言う噂は本当だったようですな。そうなると、明日挙式を行うという噂もかなり信憑性がありますな。あの負けん気の強いお嬢様がこんなにすぐに帰って来る筈ないと聞き流していたのですが......」
「プリシラはもう屋敷に戻っているのか?」
「ええ、数時間前にお屋敷付近で見かけた者がおりまして」
「屋敷ってどこにあるんだ?」
レヴィーが財布に手を入れながら尋ねると、クレイグが首を横に振る。
「流石に道を聞かれたくらいでは報酬はいただけませんよ。ヴィオレット伯爵家の場所なんて子供に聞いたって分かりますからな」
「そうか。恩に着る」
「街の東部住宅地区です。その中心に一際大きなお屋敷があって、そこがヴィオレット伯爵家のお屋敷です。行けばすぐに分かる筈でさあ。......しかし、行くのですかい?」
クレイグの目が鋭く光る。口にははっきりと出さないが、その目が止めておけと忠告しているのはレヴィーでも分かった。しかし、レヴィーは強く頷く。
「ああ、一応婚約者候補らしいからな」
「おやおや、すっかりご立派になりましたなぁ。こりゃあ、おじい様に曾孫を見せる日も近そうですなぁ」
「いやいや、あのじいさんに見せたら、俺みたいに生まれた頃から鍵開け道具を玩具として与えられちまうよ。そんじゃあ、パティの事よろしくお願いします」
からかうクレイグに一度お辞儀をして、レヴィーは盗賊ギルドを飛び出した。
3
盗賊ギルドから外に出ると、時刻は夕方から夜へと変化していた。
商業地区の食堂からは美味しそうな匂いがしてくる。いつものレヴィーなら釣られて店を梯子するところだが、それらには目もくれずに目的地に走り出す。
クレイグの言う通り東部住宅地区に入るとすぐにヴィオレット伯爵家の場所は分かった。危険だとは思ったが、自分一人だけならどうにかなるだろうと判断し、レヴィーはヴィオレット伯爵家の門番に声をかける。
「本日はどなたかとお約束ですか?」
「約束はしていないが、プリシラ......プリシラお嬢様に用があって来ました」
「お約束がないとお取次ぎ出来かねます」
全く相手にされない事に焦り、レヴィーは門番に詰め寄る。
「いいから! レヴィーが来たって言えば分かる!」
「......分かりました。一応、屋敷の者に確認してまいります」
門番はレヴィーを一睨みして屋敷に駆け込む。すると控え室からもう一人の門番が現れ、まるでレヴィーを見張るように立ちはだかる。どうやらこの隙に内部に入り込まれると疑われてしまったようだ。
暫くすると屋敷に行っていた門番が壮年の男性と共に戻ってきた。その様子を見て、レヴィーを見張っていた門番が慌ててレヴィーを門番達の控え室に通す。
控え室はそんなに広くないが、伯爵家の門付近に設置されているだけあって、なかなかいい造りをしている。待合室を兼ねる事もあるのだろうか、ゆっくりと座れる応接セットが用意されている。
まず壮年の男性が腰掛けて、次にレヴィーに座るように勧めてきた。門番の一人はその場に残り、もう一人は持ち場である門の前へ戻って行った。
「君は確かレヴィー=シュバルツ君だね」
「そうですが、貴方は......」
「ああ、これは失礼。普段名乗る機会なんて無いから、うっかりしていたよ」
男性は立派に蓄えた髭を揺らし笑って話を続ける。
「私はこの地域の領主、ウィリアム=ヴァイオレットである」
「え?」
まさか領主直々に登場するとは思っていなかったレヴィーは、驚きの余り口を閉じるのを忘れてしまう。
「まぁ、そんなに緊張する必要は無い。これを」
ヴァイオレット伯爵はテーブルに皮袋を置き、レヴィーに向ける。
「これは?」
「受け取りなさい」
「どう言う事ですか?」
中身は見ていないが、置いた時の音からして、大量の現金であろうことは想像に難くない。
「娘は帰ってきてから直ぐに結婚すると主張している。勿論相手は君ではなく、私の側近でもあるメガスだ。だからもう娘には会いに来ないでくれ」
「そんなわけ無いだろ! あいつ矢が刺さって......」
「矢? 何の事だね? とにかく、もう明日には挙式を行うのだ」
「挙式だって?」
「ああ、あれは男手一つで育てたからな。負けん気が強く、嫁の貰い手を心配して修道院に入れた甲斐があったというものだ」
「結婚するってプリシラが言ったのかよ?」
言葉遣いの酷さに伯爵は一瞬眉を顰めるが、その点には触れずに話を進める。
「そうだ。すっかり大人しくなって、メガスに寄り添って報告してきたぞ」
「だから、メガスは邪教徒なんだ。仲間が術かなんかでプリシラを操っているんだ! 一度会わせてくれれば分かる」
「メガスが邪教徒だと? 冗談も休み休み言いたまえ。彼は私の優秀な秘書だ。それに、娘を一目見れば術にかかっているか分かるだと? 君は娘とはそんなに古い仲なのか?」
「一昨日会ったばかりだ」
その言葉を聞いて、ヴァイオレット伯爵は思わず鼻で笑う。
「いや失礼。予想より大分浅い仲なので驚いてしまったよ」
「別に会ったばかりだって浅い仲とは限らないだろ?」
「まさか、貴様娘に何かしたのか?」
急にヴァイオレット伯爵の血相が変わる。レヴィーは一瞬何を尋ねられているのか理解できなかったが、数秒考えて言いたい事を把握して赤くなって否定する。
「え? あっ、そう言う事じゃない。別に長い付き合いだから深いって訳じゃないだろ? お互いがもっとだなぁ......」
何を言いたいのかレヴィー自身でも分からなくなってしまう。言いかけている途中でヴァイオレット伯爵がもう結構とばかりにレヴィーの発言を制する。その時、ヴァイオレット伯爵が出入り口に視線を向けていたので、レヴィーもそちらに振り返る。
「プリシラ!」
そこにはプリシラが立っていた。レヴィーは立ち上がろうとするが、門番に強く肩を押さえつけられ強引に座らされてしまう。
「プリシラ、大丈夫だったのか?」
レヴィーが必死に声をかけるが、プリシラは瞬きすらせず、全く生気を感じられない。水の女神に体を乗っ取られた時とも様子が違う。目は開いているのに、まるで眠っているような印象だ。すると、その傍らに控えていたメガスが、プリシラの代理といわんばかりに話し始める。
「お嬢様は私と正式に婚約をして、明日には夫婦になります。どうか、ご理解ください」
「誰が理解できるかよ! プリシラに話してるんだ」
レヴィーが怒鳴ると、メガスが大げさに呆れた素振りをする。
「やれやれ、お嬢様に話す価値も無いと思われているのに気付かないとは。哀れな男ですね。......お嬢様、嫌でしょうが彼に諦めて頂く為にもお話ください」
メガスがプリシラの肩を軽く叩くと、プリシラが口を開く。
「先日はお世話になりました。この度結婚することになりましたので、どうぞ祝福してください」
丁寧にお辞儀をするが、その声には全く抑揚が無い。
「プリシラ......」
レヴィーが話しかけようとするが、メガスに遮られてしまう。
「これでご理解いただけましたか? お嬢様の事はお諦めください」
その言葉を聞いてヴァイオレット伯爵が頷く。
「これから結婚する娘に悪い噂が立つと困る。二度と娘には近づかないように。......さて、お客様のお帰りだ」
ヴァイオレット伯爵が門番にそう言うと、門番が力強くレヴィーをソファーから引き摺り下ろし部屋から追い出そうとする。
「おい、おっさん! 自分の娘の様子がおかしいって分かんないのかよ? それでも親なのかよ?」
「黙ってろ!」
「ぐほっ」
叫ぶレヴィーを門番が殴りつける。
「............」
その時、プリシラの唇が微かに動いた事をレヴィーは見逃さなかった。
「......あり......がと?」
確かにプリシラの唇はそう動いた。しかし、それ以上その場に居る事が出来ずに部屋から引きずり出される。
「プリシラ! 絶対助けるから諦めるな!」
「いい加減にしろっ!」
再び殴りかかられるが今度は左腕で軽く押える。
「ぐっ」
門番がもう一度殴りかかるが、今度は軽く避けてしまう。
「仕方ないな」
そう言って門番が笛を鳴らすと、他の場所に控えていた警備兵達がぞろぞろと現れる。
「さあ、皆様はこちらへ避難して下さい」
警備兵長らしき男がプリシラ達を部屋から避難させる。
「プリシラー! ぐはっ!」
十名近い警備兵達に羽交い絞めにされ、流石のレヴィーも全く身動きが取れない。体力が万全であったならやり合えたかも知れないが、既に体力も限界に近かった。そのまま引きずられるように敷地から追い出される。
「うわっ!」
門の外で尻餅をついたレヴィーに門番が皮袋を投げてよこす。
「私達庶民が一生働いても手に入らない程の金額です。お嬢様とどういう付き合いをしていたかは知りませんが、手切れ金には充分でしょう」
しかしレヴィーは中身の確認すらせずにその皮袋を門の中に投げ返す。なかなかお目にかかれない金貨が地面に落ち、もう一人の門番が慌ててそれを拾う。
「くっ!」
それを横目にレヴィーが素早く立ち上がり門の中目掛けて駆け出すが、金貨を拾っていない方の門番と警備兵が即座に門を閉めた為、レヴィーは体ごと突撃してしまう。
「ぐはっ!」
最後の食事から随分時間が経っているので、胃液しか出ない。口の中の酸っぱい感覚にますます気持ち悪くなる。
「次、此処を通ろうとしたら命の保障は出来かねますよ」
少しだけ開いた隙間から門番が、地面に向けて胃液を吐くレヴィーに冷たく言い放つ。レヴィーは残った胃液をまとめて吐き出すと、よろよろと立ち上がる。
暫く門番を睨み付けたが埒が明かない事を悟り、その場を後にした。




