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3.悪漢、悪事に勤しむ

 エリオットが目を覚ました時には、もうモンドの姿は牧場になかった。

 約束通り、朝早くに出ていったのだろう。


「姉ちゃんが意地悪ばっか言うからだぞ」


 よって、少年は大層不機嫌で、しかも眠たげだった。

 アイシャはエリオットが、昨晩遅くまでモンドに張り付いて旅の話をせがんでいたのを知っている。その懐きぶりにはまったく驚くばかりだ。


「だからモンドはすぐ行っちゃったんだ。もっと居てくれたはずだったのに」

「馬鹿言わないの」


 姉はそんな弟の額をぱちんと指で弾いて、


「あの人は御伽話の住人だって思いなさい。困った時に何度も誰かが助けてくれるほど、現実は幸せじゃないわ。私たちは自分の足と自分の歩幅で、毎日を歩いていくべきよ」


 ふくれっ面をするエリオットだったが、勿論そんな彼だって、モンドが自分たちに災禍の及ばぬようにと配慮してくれていたのは分かっている。不貞腐れているのは今日の昼までといったところだろう。


「さ、無駄口はもうおしまい。それより早くご飯を終えて、卵の様子を見てきてちょうだい」


 父が財をつぎ込んだオートメーション化のお陰で、牧場はそれなりの規模ながら、どうにか姉弟ふたりでも切り盛りはしていける。

 更にこの土地には水が湧く。流石にヴィレッジやシティのものと比較できるほどの水量はないが、荒野において水源は貴重だ。最寄りのヴィレッジからの距離にも関わらず父がこの場所を選んだのは、それが大きな理由だった。そしてアントーニファミリーはそれ故に土地の権利書を欲しがっている。父の慧眼が欲得で証明されるというのは、なんとも皮肉な話だった。

 食事を終えて牧場へ駆け出す弟を見送り、アイシャは食器をまとめて台所に立つ。

 ひと組みの食器が、既に洗い場に伏せてあった。モンドが使ったものだろう。

 ふと彼女は、彼の出立を意外なほど寂しく思っている自分に気がついた。


 父の死以来、ヴィレッジの人々は牧場と疎遠になっている。客人は随分と久しぶりだったのだ。

 父の飲み友達だった神父様も、特別に焼きたてを配達してくれたパン屋の女将さんも、いつもオマケをしてくれた雑貨屋のご主人も、エリオットを自分の息子のようだと言ってくれた靴屋の旦那さんも、皆おおっぴらには牧場へは尋ねて来なくなってしまった。

 自分たち姉弟と関わらぬようにと、ファミリーが脅しをかけて回っているのだ。

 辛うじて生活必需品をやり取りする程度の交流は許されていたが、ファミリーが直接弟に手出しまでしてきた今、そんな小さな平穏が一体いつまで続く事か。

 未来を覆う暗雲を思って目を閉じたその時、外から罵声と物の倒れる騒動の音が響いた。


「エリオット!」


 はっとなって走り出る。弟の名を呼び姿を求めると、果たしてエリオットは悪漢どもの輪の中に居た。


「来るな姉ちゃん! こいつらの言う事なんてぜった……」


 姉を見て叫びかけた少年の頬げたが、銃把で殴り飛ばされた。たまらず地に伏すそのこめかみを硬いブーツの底で踏みつけた者がある。アントーニファミリーの首魁にして、近隣のヴィレッジを力で仕切る男。トニオ・アントーニその人だった。


「久しぶりだな、アイシャ」


 嫌な笑みでトニオは言った。彼の肌は白い。荒野の風にも日差しにも焼けていないそれは、生まれた時から暴力的、或いは金銭的特権階級であった事を示す特徴だ。

 日差しを避けて地肌の割れ目に潜む、毒蛇の如き男だった。


「オレとしちゃあな、お前たちにここまで手荒い真似をするつもりはなかった。あくまで穏便なお話し合いで決着をつけたかった」


 お話し合いという一言を、殊更嫌味ったらしくアクセントをつけて嘯くと、取り巻きの悪党どもが下卑た笑いで追従する。


「あなたたちと話し合う事なんて何一つありません。エリオットを離して、ここから出ていってください」


 怯えかけた心を鼓舞し、きっと顔を上げてアイシャは返す。声は、震えてはいなかったはずだ。

 その返答に、トニオはおどけた口笛を吹いた。


「誤解があるな、アイシャ。オレは言ったはずだ。『つけたかった』ってな。もう過去の話だ。もう駄目だ。だってよ、エリオット君はうちのファミリーに手を出しちまったんだ。オレの大事な家族を殺っちまったんだ。あのデブ、あいつはいい奴だった。名前なんぞはこれっぽっちも覚えちゃいないが、とにかく愛しいオレの家族だった。仕出かした事の責任を取るのが、立派な荒野の男ってもんだ」

「それは──」

「まさか『それは通りすがりのガンスリンガーの仕業です』なんて言いださんよな? このご時世に御伽話じゃねぇんだ。ロハで他人を助けるヤツなんぞいねぇ。それに逃げ帰ってきたうちのモンもちゃあんと証言してるぜ。オレのファミリーはエリオット君に殺されました、ってな」


 何もかも、殆どがトニオの手のひらの上だったのだ。

 アイシャは唇を噛む。

 エリオットを追い回し、反撃させ、それを理由に報復を行う筋書きだったのだ。恐らく弟を狙った三人は、どうでもいいような下っ端だったのだろう。それに銃だけを与えて調子づかせて、体のいい釣り餌にしたのだ。

 モンドの存在と、うち一人が殺されるまでは予想外だったはずだが、事態は概ね彼の筋書き通りに推移してしまった。父の時もそうだった。一分の理さえあればファミリーはそれを真実にしてしまうだけの力がある。この近辺で彼らの暴力に、銃には抗える者はない。

 シティの保安局を頼ろうとて無駄だ。彼らはこんな僻地の一村まで救おうとはしてくれない。

 状況はただ絶望的だった。


「さて、頭のいいお前の事だ。現状は把握出来たな? ゴンズ」


 トニオが名を呼び顎をしゃくると、取り巻きの巨漢が進み出て、エリオットを靴の下から引き出した。まだ抵抗しようとする弟を気絶するまで殴りつけ、頭だけ出した格好で麻袋に詰め込むと肩に背負いあげる。

 何も出来なかった。一部始終を、ただアイシャは見ている他になかった。


「おっとっと、殺すなよ? オレの義弟になるかもしれんガキだ」


 気障ったらしく髪を撫で付け、トニオはアイシャに向き直る。


「この牧場な、やろうと思えばいつだってオレのものにできた。お前たちを日干しにするのも行方不明にするのも、その気になれば実に簡単だ。だがそうはしなかった。何故か分かるか? 何故だか分かるか? お前が居たからだ。紳士的だろう?」


 

己の体を這い回る粘っこい視線に、アイシャは半歩退く。思わず自分の肩を抱いた。


「オレはお前が気に入ってるんだ、アイシャ。お前という女は、このまま荒野に埋もれるには惜しい花だ。そして花は愛でられてこそ価値がある。そう思わないか?」

「……」

「明日の昼までまってやる。それまでに決心をつけてヴィレッジに来い。ヴィレッジの教会に来い。分かったな? オレの言いつけに従うなら、弟はそこで返してやる。ついでにオレに逆らってお前たちと付き合っていた連中も見逃してやる。神父にパン屋に雑貨屋に靴屋だ。だが来なければ──」


 そこでトニオは言葉を切って、続きを咀嚼(そしゃく)させるだけの沈黙を用いた。

 自分の台詞がアイシャに与えた衝撃をじっくりと検分し、満足して唇を舐める。



 弟を拉致した悪漢どもが立ち去り、その蹄が起こす土煙が見えなくなってもまだ、アイシャは影のように立ち竦んだままだった。

 涙など出なかった。

 どこへも逃げられないのだ。考えないようにしていたけれど、薄々感じてはいた事だった。

 幼い頃はただ信じていた。

 世の中には正義というものが確かにあって、正しい者は報われるのだと。しかしそうではないのだと、父が死んだ時、存分に思い知った。誰かが窮地を救ってくれるほど、現実は幸福に満ちてはいない。

 膝を屈そうと思った。

 ひとりひとりの顔を思い浮かべた。自分さえ折れれば彼らは無事なままで済む。生きてさえいてくれたら。皆とあの子が生きていてくれさえしたら。

 うなだれたまま、家に戻った。

 どうしてかふと胸を、あのガンスリンガーの顔が過ぎった。

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