2.アイシャ、ガンスリンガーを拒む
「って訳だからさ、姉ちゃん。今日はモンドをここに止めてやりたいんだ。な、頼むよ」
そのままヴィレッジに行くという男──中途でその名をモンドというのだと知った──を、エリオットは強引に引き止めた。
これからでは道半ばで日が暮れるし、ファミリーの復讐があるかもしれない。それに何より受けた恩がある。兄ちゃんはオレに恩返しをさせないつもりかとがなりたて、半ば引き立てるようにして自宅まで案内したのだった。
少なくとも一泊はしていくべきだ、というのが少年の言い分である。
無論、エリオットの中で何よりも強かったのは憧れだった。幼くして父を亡くした少年は、ガンスリンガーの背中に理想の大人を見た。それを誰が責められよう。
しかし、姉はにべもなかった。
「弟を助けてくださった事にはお礼を。でもだからこそ、あなたを泊めるわけにはいきません」
姉の言い分はもっともだと、そうモンドは思っている。
万が一にも少年の仕業と勘違いされぬよう、チビとノッポは生かして逃がした。二人は仲間を撃ち殺した男の事をファミリーに知らせ、ファミリーは復讐の為にガンスリンガーを追うだろう。
そんな抗争の渦中の者に親しく庇を貸したとあっては、ただでさえ盤石ならぬこの姉弟の立場は更に危うくなるに違いない。至極簡単に読める流れだった。
モンドは頷き、
「エリオットに一頭、馬を預けてある。それを買い取ってもらえないか。水と食料と引き換えだと尚助かる。俺はすぐ発とう」
機械馬は本来、購入時にナンバー登録と騎乗者へのインプリンティングが行われる。しかしシティから離れた荒野で専らに出回るのは、それらが施されていない粗悪品だ。逆に言えば奪って売買しようとも、その出どころは掴めない。
「わかりました。半月分の保存食と、それから水を用意します。少し待ってください」
「姉ちゃん! モンド!」
自分の頭越しに話が進み、少年は抗議の声を上げる。
ガンスリンガーはその肩に手を置いた。自分を見上げる幼い瞳に、ゆっくりと首を振ってみせる。
「君たちはこの地に根付いて生える木だ。だが俺は違う。俺はただの風来坊、風に吹かれるがままの根無し草だ。それぞれにそれぞれの正しさと生き方があって、ふたつは決して交わらない」
アイシャは思わず目を見開いた。
自分どころか神父様の言う事すら聞かん坊のエリオットが、男の言葉にしぶしぶながらも頷いたからだ。
最前の英雄譚を語るが如きはしゃぎっぷりを思い返して、アイシャは弟が哀れになった。今更ながらに彼が、大きな父性を欲していたのだと気づかされる。
「エリオット。買った馬を小屋に入れてちょうだい。それから使っていない小屋に干し藁を取り込んで詰めておいて。どうしてだか明日は雨が降るような気がするわ。あの小屋は戸が壊れていて鍵はかからないけれど、わざわざそんなところに潜り込んで眠る人間もいないでしょう」
「……姉ちゃん、それって」
「ああもう、エリオット、いつも言ってるでしょう。汚れたままでうちに入るのはやめてちょうだい。お湯を沸かして体を綺麗に拭きなさい。タオルと石けんと……剃刀の場所も分かるわね? 出しっぱなしにしてはダメよ。誰が勝手に使うか知れたものじゃないのだから」
「わかったよ、姉ちゃん。すぐに準備してくる!」
重ねられた姉の言葉の意味を、弟はちゃんと察した。威勢のいい返事と笑顔で駆け出していく。
「感謝する、アイシャ」
モンドは帽子を脱いで胸に当て、一礼した。
「なんの事だかわかりません」
対してアイシャはつんとそっぽを向く。気軽に名を呼び捨てられた事への、軽い反発もあった。
「なるほど、立派な少年なわけだ」
ガンスリンガーは小さく笑った。
「エリオットは俺と出会った時、すぐさま俺から離れようとした。怯えたのでも恐れたのでもない。自分が追われていたというのに、俺を巻き込むまいと気遣ったのだ。彼は誇り高い少年だ。そして今分かった。その誇りは、間違いなく君の背を見て育まれた。だから俺は君を尊敬する」
誰にも言われた事のないような賛辞に、頬が熱くなるのが分かった。
「わたしはそんな立派な人間じゃありません」
「そうなのかもしれない。しかしエリオットは君を立派だと信じている。万事はそんなものだ」
首を振って否定すると、モンドは立てた人差し指でくるくるとカウボーイハットを回した。
帽子を見るその瞳には、優しさと懐かしさと、限りない尊敬があった。
「ご覧の通り、こいつはくたびれ果てている。誰が見たって立派じゃあない。だが俺にとってはこの上なく大切な品だ。何故ならこれには思い出が詰まってる。思い出はいい。いい思い出は心を強くしてくれる。そしてエリオットにとっては、君こそがいい思い出の結晶なのだるろう」
言って、同じ目でガンスリンガーはアイシャを見た。思ったよりも、彼はずっと若いのかもしれなかった。
出会ってわずかの時間だが、エリオットが懐くのも分かる。この男に認められるのがなんとなく嬉しかった。少し、どきりとした。
「わたしは、」
そんな思いを振り切って、アイシャは言う。
父が死んだ日に、もう誰にも頼らないと決めたのだ。頼ればその人に迷惑がかかる。アントーニファミリーの余燼が及ぶ。
「わたしは馬の様子を見に行きます。やる事はまだあって忙しいので、今日はうっかり家の戸締まりを忘れてしまうかもしれません。でもここはヴィレッジからも街道筋からも離れていて、夜は人の行き来なんてないような場所ですから、こっそり忍び込んでスープを盗み飲むような人もいないでしょう」
笑んでもう一礼してから、モンドは帽子を被り直した。
外からエリオットが、彼を呼ばわる声がしている。湯が沸いたのだろう。
「ありがとう、アイシャ」
再び名を呼ばれたが、今度は、何の反発も覚えなかった。