1.エリオット、ガンスリンガーに出会う
赤い砂風の吹く荒野を、少年は必死に走っていた。
自分が捕まれば姉に迷惑がかかる。そればかりを思っている。
少年の名はエリオット。ヴィレッジからは遠く、シティからは更に遠く離れた土地で牧場を営む一家の一人であった。
だが一家といっても、姉のアイシャと弟のエリオット。今はもうそのふたりしかいない。
母はエリオットが10になる前に病で儚くなり、父は──。
思った時、銃声が轟いた。着弾はエリオットから大分離れた位置だったが、だからといって狙い撃たれる恐怖が薄れるものではない。
それでも荒野の男、幼いながらも一人の男としての矜持から悲鳴は漏らさない。
ただ一度だけ振り返り、後ろを見た。
デブとチビとノッポの三人が、笑いながらやってくる。銃を持っているのはデブだけだったが、例え銃がなかったとしても、子供の力ではとても敵う相手ではない。
そう、大人も、大人だった父もあいつらに殺されたのだ。
証拠はない。姉弟の訴えも虚しく、その死は事故として処理されてしまった。けれどそれはあいつら、アントーニファミリーの仕業に違いと誰しもが思っていた。奴らはそういう連中だ。
近隣のヴィレッジに勢力を拡大しつつあったファミリーは、父の、姉弟の牧場を欲したのである。
そして父の死から数年、なお圧力に姉弟が屈しないと見て、彼らはまた新たな魔手を伸ばしてきたのだった。
「逃げるなよぉ、エリオット」
「そうだぜぇ、仲良くしようエリオット君」
「オイラたちはちぃっと、君とお話したいだけなんだ」
嫌らしい声が絡みつく。少しでも離れようとする足がもつれる。息が切れる。
三悪党は全員が機械馬に乗っている。大人の足であっても逃げ切れるものではない。
それでも自分が捕まれば、自分をダシに姉に不当な圧力がかかるに違いなかった。それだけは避けねばならない。断固として避けなばならない。何故なら男とは家族を守るものなのだ。
それからエリオットは姉を思った。彼女が弱音を吐くのを、生まれてこの方見た事がない。自分はその弟であるのだ。ならば決して不当には屈するべきではないと考える。
しかし少年は未だ少年である。心は折れずとも、体力が先に尽きようとしていた。
エリオットは射線を逃れるべく手近の岩の後ろに飛び込んで、そして息を呑んだ。
そこに、男がいた。
唇はひび割れ、頬は痩け、無精髭は伸び放題の有様だった。まるで物のような気配のなさは、鉢合わせの至近距離でも死体と見紛うばかりだ。
男は膝を立て、岩陰の地べたに直接座り込んでいた。けれど背筋だけはぴんと伸ばして、その姿勢はどこか張り詰めたものを感じさせる。
装いもまた手ひどい。荒野を旅する者が身につけるブーツとマントは、手入れこそされてはいるが汚れ切り、黒いカウボーイハットの鍔回りはぼろぼろに破れ果てていた。
おそらくかつては水と食料が詰められていたであろう、空きっ腹のボンサックが小脇に転がっている。
馬はどこにもいなかった。
荒野を渡るのならば、機械馬は何よりの必須品だ。整備不良か、それとも野盗、猛獣の類に襲われたかして失ったのだろうかと思われた。それは旅に置いては致命傷であり、男のやつれた様相はその為であるのに違いない。
帽子の下からアイスブルーの瞳が少年を見返した。
少年は、そこで初めて彼の顔を見る。ふたつの目には尋常ならざる精気が輝いていた。それは誰にも屈さず最後まで諦める事を知らない、父と同じ荒野の男の眼差しだった。
そこで少年ははっとした。
まずい、と思った。男はきっとファミリーとは無関係の旅人だ。
踵を返して駆け去ろうとするエリオットの腕を、しかし彼の手が掴んだ。
「馬鹿、離せ! 離せってば!」
振り解こうとしたが、男の手はまるで万力だった。少年の抗いをそよ風のように無視して、目を閉じ耳を澄ます。
「蹄が聞こえる。三つだ」
どうしてか惹き込まれる、それは深い声だった。
「追われているのか」
少年が答える間はなかった。問いから間を置かず、三悪党もまた岩を回り込んでやってきたからだ。
三人は男を認め、エリオットと同じく驚いたようだった。だが相手は単身であり、しかも大分弱っている。そう見てとって、すぐさま高圧的な態度に出た。
「おう、なんだよエリオット。そいつはなんだ。新しいオトモダチか」
「つれねぇなあ。オイラたちにも紹介してくれよ、そのアンちゃんをよ」
「ま、すぐにお別れになるかもだけどよぅ」
「うるさい馬鹿。こいつはオレとは関係ない!」
エリオットの叫びを、悪党どもはにたにたと嫌な笑いで聞き流す。それは間を置かずして、男への嘲りへと変じた。
「無関係? 無関係か。そいつぁいいや、手間が省ける」
「おう聞こえたろアンちゃん、エリオット君はおいらたちと先約だ。とっとと失せろ」
「命だけは助けてやるぜ。ま、その有様じゃ、すぐに行き倒れるかもしれねぇけどな」
男は無言。
青い瞳だけが動いて、値踏みするように三人を射る。
「聞こえなかったか、鈍間野郎。その手を離せ。小僧を置いてとっとと失せろ。そうすりゃこの場じゃ命をなくさずに済むってんだよ!」
苛立ったチビが胴間声を張り上た時、ふっと男が動いた。
掴んだままのエリオットの手を引き、少年をその背に庇う。その動きでマントが揺らぎ、男の腰のホルスターが露になった。リボルバーが一丁、そこには収まっていた。
「おい、こいつ拳銃持ちだ!」
ノッポの声に、空気が一瞬緊迫を孕む。
「安心しろ、骨董品だ。こいつとの差が理解できるか? 次動いたら風穴開けるぞ?」
が、デブはすぐさまに笑い飛ばした。己の得物をひけらかす。
彼の手にあるオートマチックピストルは発掘されたての最新式だ。本来ならシティの保安局で管理されるべきそれを、驚くべきか、アントーニファミリーは24丁所持している。示威としてはこの上ない行為のはずだった。
しかし、男は意にも介さない。
「──誰も彼もが我先にそれを欲しがる」
独り言めいて囁きながら、滑らかな動きですっと立った。
「だが正しく扱える人間は、極わずかだ」
再び、空気に緊張が充満した。まさに一触即発。エリオットはごくりと唾を飲む。
「何言ってやがる? 頭オカシイのか? それともビビってトチ狂ったか? こいつが目に入らねぇのかっつってんだよ!」
銃を振り回すデブに対し、男はわずかに腰を落とした。
片手を上げ、軽く帽子の鍔に触れる。強く乾いた風が吹き、マントがばさりと翻る。
「お前が握るのは地獄への切符だ。放り捨てれば命は助かる」
一瞬気圧されたデブが、次の瞬間屈辱と怒りに顔面を紅潮させた。悪党の引き金は軽い。荒野に銃声が轟いた。
「……は?」
「……へ?」
チビとノッポが揃って間抜けな声を漏らす。
馬上から後ろ向きに吹っ飛んだデブは、背中から落ちたままぴくりとも動かない。眉間に風穴が開いていた。その銃から弾丸は放たれていなかった。男の銃は既にホルスターに戻っている。
──ガンスリンガーだ!
エリオットは直感する。この男はガンスリンガーだ。父から寝物語に聞いた事があった。
ただ暴力装置として拳銃を振り回すだけの輩とは一線を画した生き様を送る者。誇りと信念を胸に、信義と自由の道を行く、男の中の男。それがガンスリンガーという生き物であると。
引き金にかけた指より早く、触れてもいなかった銃を抜き撃ち、そして収める。今の目にも止まらぬクイックドロウは、きっとその神秘の技の一端に違いなかった。
「少年」
呼びかけられて我に返ると、男は肩越しにこちらを見ていた。
「馬には乗れるか」
咄嗟に言葉が出なかった。エリオットはただ幾度も頷く。すると男は薄く笑って、
「なら、もう一頭必要だな」
聞くなりチビとノッポは、我先に鞍から飛び降りた。