第19話:確率
幻影は、そこで終わった。
目の前にはこちらを見ているエアルの顔がある。
そして横にはまだぐっすりと寝ている義弟の姿。
「彼女は、辛くはないんだろうか?」
理はぽつりと呟いた。エアルは少し考えた後、静かにかぶりを振った。
「辛くはないと思います。その人を信じているならば・・・信じて、待っている間は来てくれるという可能性はずっと消えないのですから」
時を定めた約束でないのなら、来ることを信じている間はずっと約束は破られていないこととなる。
そう、たとえそれが永劫の時を結ぼうとも・・・
「永遠に不確定な確率か・・・」
理は嘲るように口元に笑みを浮かべる。そんな長い時間を待ちつづけることにどれだけの意味があるのだろう。
「しかし、ゼロにもマイナスにもなりません」
エアルは達観したように言葉を返す。究極の考えだと理は思った。
待ちつづけるなんて自分にはできない。
そんな無駄な希望は母が正気に戻るのではと思っていたあの幼い日に捨ててしまった。
助けはこない、迎えはこない、自分が求め、行動し、手に入れない限りはすべては虚無のように消えるのだ。
だからこそ、こんな世界に落ちた後も自分は行動しつづけた。元の世界に戻る道すらも自分自身で見つけるために。
「あなたは、待つことを恐れているみたいですね」
エアルが理の考えを読んだみたいに呟いた。
彼女が読心力を持っていないことは知っている。しかし、こんな風に言いあてられると少しばかり疑いたくなってしまう。
「でも、少しは信じてみてはいかがですか?待つことによって生まれるゼロでもマイナスでもない確率を・・・そうすることで見えてくる真実だってあると思います」
もしかしたら目の前の女性も何かを秘めているのかもしれない。理は少しだけそう思った。
ガサリ・・・
暗闇の中で遠くの茂みが動いた。
その音に反応するように理は近場にあった剣を手に取った。ただならぬ気配が森の奥から静かに忍び寄ってくる。
ぐっすり寝ていたはずの威はいつのまにか目を覚まし、異変を察知せずに寝ているリデルを起こしている。
「エアル、夜間飛行はできますか?」
理の問いかけにエアルは肯くと、相手を刺激しないように、だが急いで羽を広げた。
獲物が逃げることを気配で察知したのか、忍び寄ってくる『モノ』は近づくスピードを上げた。
「空へっ」
「はいっ」
理の命令と同時にエアルはその身を宙に躍らせた。広がる翼は僅かにある上昇気流を捕らえ、天高く舞い上がる。
がああああぁつ
ぐるるるっるるるる
がうあああう
現れた獣は見事な牙を持った獣だった。
突き出した牙は刃のように硬く、鋭いつめは辺りの木々を切り裂く。体躯を包む毛皮は毛足が長く、黒光りする獣毛はウェーブを持って体を覆っていた。身体のつくりは豹に似ているが、隊列を組んでいるところは狼のようだ。
すでに獲物を捕食するための体制ができているのか、彼らは湖岸に向けて半円を小さくするように近づいてくる。
がおうっ!!
声と共に先発と思しき若き数匹の獣と年老いた獣一匹が襲い掛かってきた。
理はすかさず指揮権を持っていると思われる若い狼を見出し、その腹に剣を叩きいれた。威も理のフォローのために年老いた狼を叩ききる。指揮系統を奪われた先見隊は保々の体で群れの方へと戻っていく。
理は威と共に炎のついたままの薪を焚火の中から取り出し、大きな気配を出している3方向に向かい投げつけた。
ぎゃうんっぎゃんぎゃん!!
そこそこいい場所に命中したのか、半円の包囲網が乱れ始めている。それの証拠に一気に襲い掛かってくると思われた獣たちは個々に理達に向かい襲い掛かり始めた。
ガギィンッ
獣の牙と触れ合う刀がいやな音を立てた。
その瞬間、理の使っていた刀が根元に近い部分で折れてしまった。折れ方を見ると、どうやら最初から何らかのひびが入っていてこの所の連戦で寿命がきてしまったようだった。
理は盛大な舌打ちを鳴らしながら、予備の刀を求めて単身、馬の方に駆け寄る。
そこでは先程投げつけた薪により小さなボヤが起きていて、馬はその炎に脅えてパニック状態になっているようだった。理は暴れる馬の脚を避けながら、リデルの荷物の中から予備の剣を見つけ、急いで手にとると鞘から抜き放った。
「「理(様)っ!危ないっ!!」」
二人の叫び声と共に理が見たのは炎を飛び越えて襲い掛かってくる獣の姿だった。
理vsエアルの確率論でした。どちらが前向きとも後ろ向きとも言い難いと思います。
きっと理のおみくじにはいつも「待ち人:来ず」とでも書かれているのかもしれません。




