014
その夜――
ボロボロになったボクシングジムを後にしてから、ライガはほとんど何も話さなかった。
彼はただ一台の車を呼び、ケニヤをバックパックでも放り投げるかのように後部座席へ押し込み、行き先を告げただけだった。
車は、夜のアメリカを彩る眩いネオンの中を疾走する。
ケニヤは窓ガラスにもたれ、全身の力が抜けていた。昼間に受けた拳の痛みが、まだ身体の奥で鈍く疼いている。
いつの間にか――
彼は眠りに落ちていた。
目を覚ましたケニヤの耳に、最初に飛び込んできたのは――
――「おい避けろって! これ以上フィードしたら俺抜けるぞ!」
――「うるせぇ! 突っ込んだお前が悪いんだろ!」
ケニヤは何度か瞬きをした。
見知らぬ天井。
広々とした部屋――高級マンションの一室のようだが、散らかり方は完全に“男二人暮らし”。
彼は勢いよく起き上がった。
目の前では、ライガが床にあぐらをかき、ゲームコントローラーを握っている。
だぶだぶのTシャツに短パン、髪はボサボサ。
その隣には、二十代前半ほどの筋肉質な青年が座り、同じくコントローラーを持って口汚く叫んでいた。
ケニヤ、完全にフリーズ。
……は?
数時間前まで――
壁を粉砕し、屈強なボクサーたちを恐怖で震え上がらせていた男。
そして、今の光景。
――「……え? これがライガ?」
思わず口に出してしまう。
ライガがちらりと視線を寄こす。
――「起きたか。そこ座れ。画面遮るな」
ケニヤ:「…………」
完全に幻想崩壊。
あんなに強くて、怖くて、貫禄ある大人なのに――
家ではただのゲーム廃人みたいじゃないか。
ケニヤは咳払いをしてソファに座る。空気が少し緩んだのを感じ、前から気になっていたことを口にした。
――「なあ……ライガ」
――「何だ」
――「なんで日本にいないんだ?
大きな一族の人間で、しかも当主の弟だろ。
向こうの方が成功しやすいんじゃないのか?」
言い終えた瞬間、
ライガはゲームを一時停止し、ケニヤを見た。
その目――
ケニヤの背筋が、ぞくりと冷えた。
――「ガキのお前に、何が分かる」
短い一言。
だが、露骨な侮蔑が込められていた。
ケニヤは一瞬固まり――
――「はぁ!?」
顔を真っ赤にして立ち上がる。
――「誰がガキだ! 俺は次期当主候補だぞ!」
ライガは眉をひそめる。
――「うるさい」
――「タイマンだ! 正々堂々! 気配なしでな!」
空気が、ちょうど半秒止まった。
バゴッ――!!!
次の瞬間、ケニヤは部屋の反対側まで吹き飛ばされ、背中を壁に強打し、そのまま床に滑り落ちた。
――「がっ――!!」
ライガはため息をつく。
――「面倒くさい」
隣の青年が苦笑する。
――「坊主……命知らずだな」
ケニヤは頭を抱え、痛みと悔しさで涙目になる。
いつもこれだ……。
しばらくして、ケニヤはよろよろと戻ってきた。
青年が声をかける。
――「俺はマーカス。あのジジイの相棒だ」
――「相棒?」
――「ああ。アメリカで五年間、一緒に戦ってきた」
ケニヤは小さく息を呑む。
戦闘……五年?
マーカスは笑った。
――「見た目はアレだけどな。
ゲーム中はアホそうでも、戦場じゃ本物の怪物だ」
ライガは否定しなかった。
その時、ケニヤはテレビ画面に目を留めた。
表示されているタイトルに、心臓が一拍跳ねる。
――「……待て」
一歩近づく。
――「このゲーム……?」
画面には、はっきりと映っていた。
《至高スキル(オーバースキル)》
ケニヤの全身に鳥肌が立つ。
間違えるはずがない。
前世で――
彼はこのゲームの世界ランキング1位だった。
ライガが眉をひそめる。
――「知ってるのか?」
ケニヤは答えない。
ただ静かに、三つ目のコントローラーを手に取った。
――「俺にやらせてくれ」
マーカスが笑う。
――「坊主、このゲーム甘くないぞ――」
十分後。
部屋は、死んだように静まり返っていた。
ケニヤのキャラが1vs2を制し、
信じられないほど滑らかな操作、フレーム単位のコンボ、未来を読んでいるかのような回避。
ダブルキル。
パーフェクト。
ライガは目を細め、
マーカスは口を開けたまま固まる。
――「……なんだ、こいつ」
ケニヤは背もたれに寄りかかり、淡く笑った。
――「悪い。ちょっと手が慣れてて」
その夜、初めて――
ライガは、心から面白そうに笑った。
――「どうやら……今回の旅は、修行だけじゃ終わらなさそうだな」




