灰の時代のサバイバル
世界が灰に沈み、
文明が風の骨だけを残して崩れ落ちた時代。
人々は散り散りになり、
火は忘れられ、
水は隠れ、
言葉は凍りつき、
身体だけが最後の羅針盤として残っていた。
名も、歴史も、祈りさえも失われた。
ただひとつ、
大地の奥底にだけ、
微かな温もりが残っていた。
倒れ込んだ旅人の掌が触れた熱は、
火ではない。
石の温度でもない。
それは――
かつてここで生き、
眠り、
傷つき、
愛した誰かの
身体の記憶だった。
旅人は悟る。
身体とは孤独ではない。
過去と他者と世界が
幾重にも編み込んだ
生の網なのだ。
その熱に導かれ、
旅人は灰の荒野を歩き始める。
忘れられた火起こしの跡に手を重ね、
先人の動きをなぞるように、
身体をゆっくりと思い出させる。
火が蘇る。
炎が立ち上がった瞬間、
空気がわずかに重くなる。
喉が渇き、
皮膚に汗がにじみ、
脈が少し速くなる。
火は与え、
火は奪う。
その両方が、
生を支えていた。
身体の奥で、
水を求める感覚が軋んだ。
旅人は谷へ降りる。
そこで見つけたのは、
焼き固められた、欠けた器。
乾いた掌では留められない水を、
そのかたちは静かに受け止める。
解かれることのない両手のように。
器を抱えたとき、
灰の霧の向こうで、
かすかな気配が揺れた。
もうひとつの火が、
呼吸するように瞬いた。
そこにいたのは、
旅人と同じ灰にまみれた他者。
旅人は足を止め、
しばらく距離を測り、
静かに器を掲げる。
敵意のないことを示す、
最古の身振り。
他者は震える指で器に触れ、
二つの孤独が、
触れぬまま、重なった。
言葉はない。
しかし、
火を挟んで座り、
風を遮り、
枝を選び、
くべるその動きの中で、
二人の呼吸は
少しずつ重なり合う。
灰の上に描かれる二つの円。
触れない距離に置かれた二つの石。
胸に手を当てる仕草。
それらすべてが、
声よりも古い
対話の技法だった。
かつて旅人のものであった火は、
いつしか二人の火となった。
その揺らぎの奥で、
世界のどこかで失われたはずの
「沈黙」が、灰の底から、
そっと息を吹き返す。
まだ名を持たぬ影は、
世界の静寂の中で、
夜明けの気配をそっと抱きしめた。




