072
クロは闘技場を後にした。額にはまだ汗が滲んでいたが、その口元には冷たい笑みが浮かんでいた。彼は振り返り、倒れた相手を一瞥する。
「それだけか? トップ10って噂された男が…結局その程度か。」
クロは鼻で笑い、さらに言葉を突き刺すように続けた。
「お前ら兄弟、確かに似てるな。弱さまで一緒とはな。」
観客席は一瞬静まり返ったが、次の瞬間には再び爆発したように歓声が上がる。だがクロは気にも留めず、そのまま歩みを進め、賭博場へ向かった。
――そこは、試合前に全財産を賭けた場所。
狭い部屋の中では、数人の男たちが壁に掛けられたテレビを食い入るように見つめていた。画面には、つい先ほどのクロの決定的な一撃が繰り返し映されている。
扉を開けた瞬間、空気が凍りついた。
全員の視線が、まるで幽霊でも見たかのようにクロへ注がれる。
店主――肥えた中年の男は口を開けたまま呆然とし、やっとのことで声を絞り出した。
「お、お前……本当に勝ったのか?」
答えの代わりに、係員が渋々倍額の金を運んできた。部屋中にざわめきが広がる。
十四歳の少年が、自分自身に全額を賭け――そして勝ったのだ。
クロは淡々と金を受け取り、外套の内に仕舞うと、振り返りもせず立ち去った。周囲の驚愕も賞賛も、彼にとってはただの雑音だった。
その瞬間、クロは確かに感じていた。
――自分は自由だ。誰にも止められない、と。
それは、彼が生まれて初めて味わう幸福の一日でもあった。
クロは小さな菓子店に駆け込み、白いホールケーキを一つと甘い菓子をいくつか、そして数本のロウソクを買った。胸に抱えた箱を落とさぬよう、大事そうに部屋へと戻る。
暗い部屋の中で、クロは一つひとつ丁寧に飾り付けをした。
リボンを吊るし、机にケーキを置き、ロウソクを立てて灯す。
小さな炎が部屋を暖かく照らし出し、彼の顔を黄金色に染めた。
「今年の誕生日プレゼントは……最高の勝利だな。」
クロは小さく呟き、両手を合わせて目を閉じると、フッとロウソクの火を吹き消した。
静寂が訪れる。
やがて彼は瞼を開け、笑みがゆっくりと消えていった。
「……もし、帰れる家族がいたら。」
その言葉とともに、胸の奥が締め付けられる。
――今日でクロは十四歳になった。
彼は左側を見やった。そこには母親が優しく微笑み、ナイフでケーキを切っている姿が見える気がした。
右を見れば、妹が嬉しそうに手を叩いているように思えた。
しかし、それは幻影に過ぎない。
彼らはもう、この世にいない。
クロの頬を、温かい涙が伝った。
甘いケーキを一口食べても、その味はしょっぱさにかき消されていく。
部屋にはロウソクの火が小さく揺れ、パチパチと音を立てて燃えていた。
クロはただ一人、黙ってケーキを食べ続けた。
――十四歳の、孤独な誕生日の夜だった。




