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私のブックマーク
昨晩の酒でまだ少し酔っていたクロは、アカリをぎゅっと抱きしめた。アカリもクロの端正な容姿に心を奪われ、身を委ねようとしたその時、クロが「ナオミ、まだ私のこと覚えてる?」と声をかけた。その言葉に、アカリは立ち止まり、クロを押しのけた。
朝になり、クロが目を覚ますと、まだ頭がぼんやりしていた。
ガク先生はすでに起きており、机の前で新聞を読みながら穏やかに笑っていた。
「おはよう、クロ。今日は少し疲れているようだな。」
クロは苦笑いを浮かべながら答えた。
「はい、ちょっと眠れなかっただけです。」
その時、アカリが廊下を通り過ぎた。
彼女はクロをちらりと見たが、何も言わずに行ってしまう。
クロは気まずそうに微笑み、軽く手を挙げた。
「おはよう、アカリ。」
しかし彼女は「ふん」と小さく鼻を鳴らし、そのまま背を向けた。
ガク先生はくすくすと笑いながら言った。
「ははは、あの子はお前のことが好きなんだよ。だからこそ、怒っているのさ。」
「やめてくださいよ、先生…」クロは頭をかきながら照れくさく笑ったが、心の中はざわめいていた。
朝食を終えると、クロは先生に別れを告げて家を出た。
雪で覆われた道を、一歩一歩踏みしめながら歩く。
その足音だけが静かな街に響いていた。
クロは昔の仲間たちが集まっていた地区へ向かった。
そこはかつて、彼と仲間たちが暮らし、戦い、笑い合っていた場所。
しかし今はただの廃墟と化していた。
木造の小屋は崩れ、壁には年月の跡が残っている。
クロはゆっくりとその跡地を歩きながら、心の中に浮かぶ記憶の断片を追った。
夜通しの喧嘩、くだらない冗談、笑い声、そして血の匂い――
それらすべてが、今は雪の下に埋もれていた。
通りかかった老人に声をかける。
「すみません、昔ここに何人かの若者が住んでいたと思うんですが…今はどこに?」
老人は手を止め、ため息をついた。
「ああ、あの子たちか…。半年前にここで大きな抗争があってな。六人が死んで、残りは警察に追われてる。聞いた話じゃ、もう五十人以上捕まったそうだ。」
「五十人も…?」クロは呆然とつぶやいた。
「そうさ。二つの組がぶつかったんだ。全部合わせると百人以上はいたらしい。」
クロは黙り込んだ。
冷たい風が吹き抜け、雪と一緒に過去の匂いを運んでいく。
拳を握りしめながら、彼はぽつりとつぶやいた。
「もう…誰もいないのか。」
夕暮れが近づくころ、クロは坂の下にある小さな家へたどり着いた。
そこはナオミの家だった。
古びた木の門の前に立ち、クロは声を張り上げた。
「ナオミ! ナオミ! 僕だ、クロだ!」
だが、返事はない。
雪が降り積もる中、クロはじっと待ち続けた。
やがて、通りかかった老婦人が声をかけてきた。
「坊や、何をしてるんだい?」
「ナオミさんを待ってるんです。ここに住んでたはずなんです。」
老婦人は軽くうなずき、寂しそうに言った。
「ああ、この家の人たちね…。もう引っ越したよ。たしか一ヶ月くらい前だったかね。」
クロの目が見開かれた。
「どこへ行ったか、ご存じですか?」
「いやぁ、遠くへ行ったって聞いただけでね。詳しくは誰も知らないよ。」
「連絡先とかは…?」
「ないね。急いで出て行ったみたいで、何も残していかなかったよ。」
クロは深く頭を下げて礼を言い、家の中へと足を踏み入れた。
そこは静まり返っていて、冷たい空気だけが漂っていた。
壊れた屋根の隙間から、雪が静かに舞い込む。
そのとき、椅子の上に一枚のマフラーが目に入った。
それは昔、クロがナオミに贈ったものだった。
クロは震える手でそれを拾い上げ、胸に抱きしめる。
「ナオミ…どこへ行ったんだ…」
風が吹き抜け、白い雪を舞い上げた。
過去の残響が、静かな夜に溶けていった。
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