第9話 灼熱の絶望・前編
——その名に、偽りはなかった。
地面は煮え立ち、空は赤黒く燃え、風すらも炎の刃だった。 ひと息吸えば、肺が焼ける。 それでも、僕たちは進まなければならなかった。
前にも後ろにも、逃げ場はない。 真紅の荒野と、焼け爛れた岩の大地。
バリアを全身に薄く張りながら、魂の力だけで歩を進めていく。
灼熱地獄。 それは、「ただの熱さ」ではなかった。
足の裏に触れる地面は、溶けた鉄板のようにひび割れていた。 踏みしめるたびに、皮膚が焼け、肉が焦げる匂いが鼻を刺す。
「……っ、熱っ!」
陽葵の悲鳴とともに、空気が灼けた。 まるで、吸うたびに金属の液体を肺に流し込んでいるようだった。
ブゥウウウゥン……という熱風のうねりが、耳の中で炸裂し、鼓膜を焼く。 呼吸は凶器。視界は揺れて、地面が歪んで見える。
熱で世界そのものが崩れていた。
——ジュゥ……
踏み出した足の裏から、肉が溶ける音。 バリアの防御力は限界に近く、魂がすり減っていく感覚だけが残った。
「けほっ……っ、かはっ……!!」
陽葵が咳き込む。 血が混じり、焼けた空気が喉を裂く。
焼けた骨の匂い。 焦げた髪が風にちぎれて舞い、灼けた肌にへばりつく。 遠くの方から、誰かの喉が焼けただれたような叫びが響いた。 ——それは亡者の断末魔か、それとも自分たちの未来の音か。
陽葵が、崩れるように膝をついた。
「……もう一歩も、歩けない……」
その瞬間、僕は何も言わずに背中を差し出した。
「陽葵、俺が背負うよ」
言葉は優しく。だけど、目には諦めと覚悟が宿っていた。
この灼熱地獄は、針山地獄よりも地形はなだらかに見える。
だが——
焼け焦げた荒野には、死が満ちていた。 熱風が魂を削り、裸足で進めば地面が皮膚を溶かす。
——ここは、生きてはいけない地獄だった。
陽葵のバリアはもう限界で、魂の消耗が視界の端に現れ始めていた。
「……無理……」
その言葉が、希望を失う合図のように空に溶ける。
そして、見つけてしまった。
それは、あまりにも美しかった。
透明で、冷たそうな——湧き上がる泉。
「ダメだ。あれは——飲んだら終わりだ」
低く、鋭い声で、朔が言った。
「見たことがある。あれを飲んだやつは……胃の中に炎が宿って、永遠に焼ける。助からない」
けれど、陽葵は足を向けてしまった。
乾ききった唇。 揺れる瞳。
「やめろ、陽葵!」
叫んだ時には、もう遅かった。
——ごくり。
水を飲んだその一瞬で、彼女の体がびくりと跳ね、喉を押さえて崩れ落ちた。
「か……はっ、あ……つ……」
倒れた陽葵の身体から、灼熱が溢れていた。 それは魂の内側から燃えるような業火。
地面に倒れ、のたうち回る。 指先から、髪の毛から、皮膚の内側から——火が立ち昇った。
「うあ……あああっ……がっ……!!」
目を見開いたまま、彼女は喉を掻きむしり、地面を爪で削った。 その身体が焼けていく音が聞こえる。 ジュウジュウと、肉が焦げる音が生々しく耳に響く。
「……これはもう、ダメだ……」
朔の目が、ほんの一瞬だけ、諦めを宿した。 彼のような男が、見限ろうとするほどに。
「おい、もう無理だ……! このままじゃ全員が死ぬ。置いていくしか——」
朔の言葉を、僕は遮った。
「……バリアで包めば、炎は少しは抑えられるかもしれない」
そう言って、僕は陽葵を抱き上げた。
自分の魂で張ったバリアを、すべて彼女だけに重ねる。
焼ける背中。 溶ける肩。
それでも歩いた。
「……ごめんね、陽葵。 でも、君を置いていったりはしないから」
その言葉を残しながら、僕はただ、前へ進んだ。
朔が何も言わずに、後ろからついてくるのが分かった。 その背中の静けさが、何よりの答えだった。
これは、生きることを諦めなかった魂の記録。
僕たちは、まだ終わってなんかいない。