表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/50

第32話 戦火の大地



 新たな地獄の門をくぐると、そこはまるで砂漠のような荒れ果てた大地だった。


 視界を遮る細かな砂塵が風に舞い、太陽のような球体が天に二つ――灼熱地獄に似た熱気が漂っているが、それよりも湿度を含んだ不快な空気が肌にまとわりついた。


 「……蒸し暑いね。まるで熱帯の雨季みたい」


陽葵がうっすらと額の汗を拭う。肌にまとわりつくような熱気は、まるで魂を焼く灼熱地獄の余韻のようだった。


「今の気温、たぶん五十度近いぞ。けど、灼熱よりはずっとマシだ」  

朔が周囲を警戒しながら呟く。


 陽葵が手を翳し、冷気の結界を張る。四人を包むように涼しい空気が広がり、わずかに安堵がもたらされた。


「ありがとう、陽葵。」


「うん、任せて!でもなんだろう……久々の感覚、お腹、空いた……」


 彼女の言葉に、周囲の全員がぴくりと反応した。


 「――それが、“餓鬼道”だ」


 朔が低く呟く。


 「地獄の中で唯一、食料が必要な場所。飢えと渇きが魂にまで染み込む、最も醜い地獄の一つだ」



 「さらに水も、ないね……」


 乾いた唇をなめる。喉が焼けるように渇いていた。


 その時――


 「……あれ」


 奏多が立ち止まった。


 目の前に、何かがあった。


 白骨化した死体。


 一体ではなかった。二体、三体……いや、それ以上。

陽葵が奏多の後ろに隠れる。


 「……これ、全部……?」


 奏多が呟く。そこら中に、骨が転がっていた。

朽ちた衣服、武器の残骸。中には、まだ腐りきらない死体もあった。


 腐臭が、風に乗って鼻を突く。


 頭が痛くなるような“死の匂い”。


 この場所には、確かに命があった。  そして、それは、跡形もなく奪われた。


「なんて匂い、僕は鼻がもげそうだよ。」



 その時――


 パンッ……!


 乾いた音が空気を裂いた。


 「……銃声だ!」


 朔が振り返り、全員に指示を飛ばす。


 「遮蔽物を探せ! あの岩陰へ!」


 奏多たちは走った。


 バリアの冷気が乱れ、陽葵が一瞬ふらつく。


 「陽葵!」


 「……大丈夫、走れる……!」


 倒れた死体の間を縫うように、岩の裏へ身を隠しながら、小高い丘に登ると、その先に広がっていたのは――地獄の“戦場”だった。


 東と西、二つの勢力に分かれた鬼たちが、粗末ながらも銃のような武器を手に、互いを殺し合っていた。


 ――また、銃声。


 続いて、怒号と、何かが爆ぜるような音。


 「……戦争、してる」


 息を呑んだ奏多の目に、遠くの炎と黒煙が映った。


 すると――遠くから、連続する金属音と地響きが聞こえてきた。


 パン、パンッ……ッ!!


 乾いた音が空に溶け、すぐに悲鳴と怒号が重なる。


 「援護しろォ!! いいか、逃げるガキも撃ち漏らすなッ!!」

「ヒャッハアアッ! 女と子どもだろうが皆殺しだァッ!!」


乾いた連続音と共に、銃口が火を噴く。

土煙の向こうで、西の集落――逃げ惑う者たちの列が、次々に崩れていく。


老いた鬼が杖をついて逃げようとした瞬間、銃弾が太ももを貫いた。


脚がちぎれたように吹き飛び、老鬼は悲鳴すら上げる間もなく地面に叩きつけられる。


「……た、助け……っ」


「うるせェ、ジジイが喋んなよォ!」


東の兵が笑いながら銃口を向けると――

老鬼の顔面が破裂した。


「やめてぇぇええッ!!」


陽葵の絶叫がこだまする。


その目の前で――母親が、幼い我が子を抱いて逃げる。

だが、その背中に、無慈悲な銃弾が突き刺さった。


「――っ!」


肉が裂ける鈍い音。母親の身体がぐらりと傾き、

子どもごと地面に倒れ込む。

泥に染まる髪。真っ赤な血が、泥と混じってどろどろに広がる。


「ママァ……ママ、ママ……ッ!」


腕の中でもがく子ども。

だがその背中にも、容赦なく――パン、と銃声。


――ピク、ピク、と震えた身体は、すぐに動かなくなった。


「やっべ、当たっちゃったよ〜? ま、いいか。ガキもいずれは兵になるんだろぉ?」


「きゃははッ! ほら見ろよ、親の死体の上で泣いてるとこ、マジうける!」


兵士たちの笑い声。

それは狂っていた。

この世界では、殺すことが正義であり、殺される側が悪なのだと錯覚させるほどに。


陽葵が走り出そうとした。


「行かせて! あの子たちが、あの子たちが――!」


「ダメだッ!!」


朔がその腕を掴む。怒鳴るように。

その手は震えていた。


「間に合わん……行っても、おまえも……ただの的だ」


銃声は続く。

呻き声が、断末魔が、地鳴りのように響く。


「……っ!」


 見ているしかなかった。耳を塞いでも、銃声は止まらない。

 血飛沫と断末魔と、狂った笑い声が入り混じる。


 子どもを守ろうとした鬼の父親が、頭を撃ち抜かれた。母親は声を上げながら、血だまりの中に沈む。


 逃げ遅れた少女が、瓦礫に足を引っかけて転ぶ。


「待って……っ! やだ……やだよぉぉ……!」


 その小さな背中に、男たちの銃口が向けられる。


「撃つなよ〜? 俺が一発で眉間、当ててやっからさァ……!」


「よし、外したら次は“好きにしていい”ってルールでなァ!!」


ひとり、またひとりと、命が泥の中に沈む。


少年が弟を庇い、背中に十発以上の銃弾を受けて崩れ落ちた。

鬼たちの死骸は、すぐにただの“肉塊”へと変わる。


「うっ……ぐ……ッ」


奏多も拳を握る。

 母親の死体。吹き飛ばされた子どもの頭部。逃げようとした老人の胸を貫いた銃弾。

 地面が、赤黒く染まっていく。


 そんな中、ぽつりと、理玖が呟いた。


 


「“地獄に落ちた”ってのは……まさに、これのことだねぇ」


 


 低く、乾いた声だった。


「理玖……」


 奏多が思わず名を呼ぶ。

 けれど、理玖は続ける。


 


「“見捨てたら後悔して、助けようとして死んでも意味がなくて”、最悪なルールの世界だよ。……あーあ、笑えるくらい、何もできない」


 


 顔に笑みはない。


「いつもの調子で喋るな……!」

 朔が押し殺すような声で言う。


 


「いやいや、これが“素”だよ、朔? 笑ってないだけマシってやつでしょ」


 


 銃声がまた響いた。

 今度は、逃げ遅れた幼児を踏みつけ、顔面を蹴り潰すように殺した兵士が、興奮気味に叫ぶ。


「このクソガキ、潰れる音、最高じゃねえかッ!」


 狂気だった。

 怒りよりも先に、吐き気が込み上げる。


 陽葵が震える声で呟いた。


「……どうして……こんなの、地獄より酷いよ……」


 


 理玖は一歩、陽葵の横に立つ。


「……うん。でも、逆に言えば――地獄の底ってのは、誰かが“こうして作る”ってことだよ」


 


 淡々と、ただ事実を言うように。

 それが、彼なりの怒りだった。



 目の前で起きているのに、何もできない。


 罪悪感が、胸を焼いた。


 銃声が止まない。  どれだけ叫んでも、どれだけ願っても、この世界では「力がない者」から順に壊されていく。


 「これは――現実にも、あった地獄なんだろうな」


 奏多の声は、震えていた。


「僕たちは……ニュースの中でしか、知らなかったけど」


 画面越しに流れた戦争の映像。

 小さな子どもが泣き叫び、母親が血まみれで倒れ、街が焼けていく――。


 でも、あれはただの“映像”だった。

 スイッチひとつで消える、どこか遠くの話。


 今、目の前で広がっているこの惨状は……その“地獄”が、確かに存在していたことの証明だった。


 目を逸らさなかった陽葵は、静かに言った。


「……見なかったことには、できないね」


 その声は、泣いているようで、泣いていなかった。


 「……くやしい」


 小さく、唇が震えていた。


 「くやしいよ……。どうして、弱い人から殺されなきゃいけないの……」


 痛みと怒りと、どうにもならない無力さと。


 そのすべてが混じった声だった。


「……昔来たときは、ここまでじゃなかったはずだ」

朔が苦々しく呟いた。



「……とりあえず、先に進もう」



 黒煙の向こうから銃声が響いたあとも、しばらくはその場から動けなかった。


 やがて、静寂が戻る。


 それでも、空気は変わっていた。


 焦げた匂い。熱。漂う“死”。


 やっとのことで朔たちは歩き出し、戦場の余波を避けるように、南へと進路を変えた。







 そして、しばらく歩いた先――


 一軒の掘っ立て小屋を見つけた。


 「……誰か、いるのかな……?」


 陽葵が不安そうに呟く。


 朔は周囲に目を配りながら、慎重に扉を叩く。


 「……開いてる」


 中から、かすれた声が返ってきた。


 そこにいたのは、やせ細った白髪の鬼の老人だった。


敵意はなさそうで、むしろ優しげな眼差しでこちらを見つめていた。


 「よく……ここまで来れたのう……。あんたら、旅人かね……」



 「もしあれば水を……水をくれないか?……」



 老人のような人がよろめきながら手を伸ばしてくる。だが、彼らも水を持っていない。


 「……待って。氷なら、作れる……!」


陽葵が手を翳し、空中に氷を生み出す。


陽葵が困ったように周囲を見回し、小さく尋ねる。 「……あの、何か、水を入れるものって……ありますか?」


老人は少し驚いたように目を見開き、それから腰の袋をごそごそと探ると――

布で包まれた、古びた金属のコップを差し出した。


奏多が氷を溶かしてコップに水を入れ、それを陽葵が丁寧に渡す。

老人はその場に膝をつき、ぶるぶると震える手で口元へと持っていく。


嗚咽をこらえながら、泣きながら水を啜った。


 「……ありがとう……ありがとう……」


 安堵と感謝のこもった声。


「じいさん、この地獄に何があったんだ?」


 そして彼は語り始める。


「ここはな……もともとは、ただ飢えに耐える地獄だったんじゃ。

けど……10年ほど前から、鬼たちの戦争が始まった。


昔、ここには大きな町があったんじゃ。

けど50年ほど前、新しく来た鬼どもが、その町を武力で奪いおった。


そしたら今度は、元々住んでた鬼たちが、銃を手にして奪い返そうとしたんじゃ。

それからは、もう地獄も地獄じゃ……子供も母親も、皆、戦いに巻き込まれて死んでいく……」 


その話を聞いた陽葵は、再び決意を込めて言った。


 「……朔お兄ちゃん、奏多お兄ちゃん、理玖お兄ちゃん。もし、またさっきみたいなことが起きたら、私は見て見ぬふりなんてできないよ」


 朔がゆっくりと陽葵に視線を向ける。


 「陽葵、それは……全ての鬼と戦う覚悟がいる。お前も、今まで以上に苦しむかもしれない。それでも助けたいか?」


 陽葵は迷わず、静かに、けれど強く頷いた。


 「私は、みんなに救われた。だけど、あそこにいる子供たちは――“みんなに出会う前の私”と、同じなんだよ」


奏多が頷き。


黒墨理玖が、照れたように笑いながら肩を竦める。


 「……僕も陽葵ちゃんの言葉に、打たれちゃったわ〜。仕方ない、僕も力を尽くしちゃうか♪」


「奏多お兄ちゃん、理玖お兄ちゃん」



朔は答える。


「そこまで覚悟があるなら、わかった。

やれるだけ、やってみよう。」




 「君たち、本当に行くのか? そこは……ここ以上の地獄だよ。」


おじいさんの声には、深い哀しみがにじんでいた。


「ああ、俺達には立ち止まるって選択肢はないんだ」


「おじいさん、心配してくれてありがとう」


陽葵が微笑むと、老人は少しだけ目を細めた。


「なら今日は良かったら、泊まっていきなさい。

何もないとこじゃが、せめて身体を休めることはできるはずじゃ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ