第22話 『静かなる決壊』
夜の街。
薄汚れたビルの二階――そこが、ヤクザの根城だた。
重たい鉄扉の前、朔――蒼月朔は、深く息を吸った。
「ここか? 雫」
「うん……でも、兄ちゃん、本当に行くの? 危ないよ……逃げようよ!」
「お前は、ここで待て。何かあれば警察を呼べ。それだけでいい」
「だったら、警察に頼もうよ?兄ちゃんが危ない目に合う必要ないって」
「……警察なんて、当てにならない。
証拠もない。裏で繋がってる可能性もある」
「でも兄ちゃん、そんなんで……」
「だから俺が行く。俺が終わらせる」
「俺は許せないのさ。お前の気持ちを利用しようとするやつらが」
「雫、お前はここで待ってな」
弟の肩を軽く叩くと、朔は一歩、扉の前へと踏み出す。
「おい、開けろ。話がある」
中のざわつきが鉄扉越しに聞こえる。
──が、次の瞬間。
「……話すのは、てめえらをぶっ倒した後だ」
ドガッ!
扉が開いた瞬間、飛び込んだ朔の拳が、真っ先に出てきた男の顎を砕く!
「何だコイツ!? 舐めやがって!!」
男たちが一斉に襲いかかる!
まずは2人が突っ込んできた。
「てめぇ、どこの組のもんじゃァ!」
「……蒼月組だ、クソ野郎」
──叫ぶと同時に、右の男の拳を軽く外し、
懐へ一歩。
逆に顎へ肘をぶち込む!
左の男が棒を振りかぶる。
朔はすぐ傍の丸椅子に手を伸ばし、横から引き寄せるようにして持ち上げる。
「――来いよ」
振り下ろされる棒を、朔は丸椅子の座面で正面から受け止めた。
ガンッと鋭い金属音が響く。
だが、次の瞬間――
朔は丸椅子をひねるように回し、その脚で棒を絡め取る。
「……もらった」
捻りの力で棒を地面に叩き落とすと、棒がカランと床を転がった。
隙ができた男の腹部めがけ、朔の蹴りが一閃――
吹き飛ばされた男が壁に激突し、そのまま崩れ落ちた。
「チッ、こいつ……やるな。だが、素手にナイフが勝てるかよ」
相手の手元に、ギラリと光る刃物。
朔は鼻を鳴らす。
「上等だ。ナイフを出したってことは……覚悟はできてるんだよな?」
ゆっくりと背筋を伸ばす。
目は、一点を貫いたまま。
「……死んでも、後悔するなよ」
ナイフが突き出される──朔はその腕を絡め取り、そのまま相手の足元を払って投げ飛ばす!
床に転がったナイフを拾い、逆に相手の足に突き刺した。
──さらに奥。襖がガラリと開く。
「おい、なんだコイツ。殴り込みか?」
2人目がスチール棒を肩に担ぎ、笑いながら襲いかかる。
朔は反射的に横にあった木の看板を掴み、
棒を受けながら、そのまま看板で頭部にカウンター!
「……お前ら、そうやって力に酔って、弟を脅したのかよ」
倒れた男を踏み越えようとしたその瞬間――
背後から、ドンッ!
強烈な一撃が朔の背を打つ。
体がよろめく。視界が一瞬揺れる。
(クソ……油断した!)
もう一発、振り下ろされた棒。
咄嗟に近くの机を両手で持ち上げて盾にし、そのまま前方に投げつける!
机ごと吹き飛ばされた相手に、追撃のジャンプキック!
ドカッ!
朔の息が荒い。
「これで……弟には、もう……」
言いかけた、その瞬間だった。
パーンッ――!
乾いた破裂音が、空気を裂いた。
一瞬、世界が静止する。
音も、光も、鼓動さえも、何もかもが遠のく。
(……っ?)
腹の奥に、焼けつくような熱。
衝撃は、後からやってくる。
「……っ、ぐ……あっ……!」
朔の体がよろめいた。
腹に触れた指先が、熱い液体を感じ取る。
指を離すと、そこには――真っ赤な血。
理解が追いつかない。
けれど、本能が叫ぶ。
撃たれた、と――。
事務所の奥――
ゆっくりと歩み出たスーツ姿の男。
親分格だろう。片手に、拳銃。
「若ぇのに、ようやったな。でも……ここまでだ」
親分格の男が、薄く笑う。
朔は膝をつき、血を滴らせながら、奥歯を噛みしめた。
呼吸は浅く、視界は滲んでいる。
──そのときだった。
事務所の入口が開き、男の一人が戻ってきた。
「ガキが一匹事務所の前にいたので、連れてきましたぜ」
腕を掴まれ、無理やり引きずられるようにして入ってきたのは――雫。
「兄ちゃん!!」
「雫……!」
親分格の男。
「一応話は聞いてやろう、こんなふざけたことをしでかしたな!もうお前の命でも足りないがな!」
「簡単だ!弟に詐欺をさせた落とし前をつけにきた!」
「ハッハッハ、こんなバカいるか?度胸だけは認めてやるよ。」
「お前が俺の下につくなら、今回の事は水に流してやる。」
「さぁ、どうする?」
「つくわけねぇだろうが!」
頭を腕で守り、親分格の男につっこむ!
「バカが死ね!」
バンッ
銃から発泡した玉は、朔の腹のど真ん中に。
それでも朔は、止まらず突き飛ばし、相手は銃を落とす。
朔はそのまま銃を手にし、
親分格が怯えた声を絞り出す。
「まっ、待て……っ!」
だが、朔の目は、冷たい光のまま動かない。
「……遅ぇよ」
カチリ──。
引き金に指をかける音が、やけに大きく響く。
──ズドンッ!!
親分の頭が跳ねる。鮮血が壁を染める。
──ズドンッ!!
もう一発。迷いのない弾が、命を奪い去る。
朔はすぐさま、弟を押さえつけていた男に目を向ける。
「離れろ」
足元めがけて、銃口を向ける。
──バシュッ!!
弾丸が足を撃ち抜き、男が悲鳴を上げて倒れる。
だが、それでも朔は止まらなかった。
弟の肩を掴んでいた手に、もう一発。
──ドンッ!!
「っぐあああああっ!」
今度は、完全に動きを止めた。
男は痙攣しながら、息をしなくなる。
──静寂。
「雫……怪我は、ないな?」
雫が駆け寄る。
「兄ちゃん!!」
「……あぁ……お前が無事で……よかった……」
手が落ちる。
血が、床を濡らしていく。
「兄ちゃんっ、いやだ……兄ちゃん!!」
返事は、なかった。
「……嘘だろ、嘘だよな……!?」
震える声が、夜に響く。
「ちょっと……疲れただけだよな?」
「なぁ、兄ちゃん……目ぇ開けてくれよ……」
「おい……寝たふりしてんじゃねぇよ」
「早く俺のこと、叱ってくれよ……」
「早く帰ろうぜ。兄ちゃんの飯、食わせてくれよ」
「俺、ちゃんと手伝うからさ」
「肩だって揉むし、ちゃんと“ありがとう”って言うんだ……」
「……だからさ、なあ……」
(沈黙)
「……違う……違うんだ……っ……!」
「俺……兄ちゃんのために、やったんだ……!」
「もう……無理してほしくなかったんだよ……!」
「だから……だから俺、少しでも助けたかっただけなのに……!」
「詐欺だなんて、知らなかったんだよ……っ!」
「ただ、金が手に入るって言われて……兄ちゃんが、少しでも楽になればって……」
「でも……!」
「結局、俺が……兄ちゃんを……」
(言葉が途切れ、震える息)
「……なんでだよ……」
「なんで俺なんかを守って、兄ちゃんが……!」
「俺、何ひとつ返せてないのに……!」
「“ありがとう”って、ちゃんと伝えたこともねぇのに……!」
「……死なないでくれよ。…もっとさ……もっと、一緒にいてくれよ……!」
(涙が頬を伝い落ちる)
「これから、俺……どうすればいいんだよ……」
「なぁ……教えてくれ……兄ちゃん……!」
「声聞かせてくれよー」
「うわぁああああああああああああああああっっ!!」
――やけに静かな夜だった。
ただ、少年の泣き声だけが、永遠に残るように響いていた。




