第21話 「怒りは言葉ではなく、拳に宿る」
――午後10時30分。
住宅街の裏手にひっそりと佇む古びた一軒家の前で、白いワゴン車が停まる。
そのすぐ後ろ、黒いバイクが静かに姿を現した。
エンジン音を最小に抑えて、その運転者――朔は距離を保ちながら車を見据える。
車のドアが開き、まず現れたのは目出し帽の男。
続いてもう一人。どちらもバットやバールを握りしめている。
最後に降りてきたのは、見覚えのある華奢な背格好――
街灯の逆光の中で、その輪郭を確かめた瞬間、朔の目に怒りではない、深い「何か」が宿った。
(……雫……)
その名を、心の中で呼んだ瞬間、息が止まった気がした。
なぜ、そこにいる。
なぜ、あんな格好で。
なぜ、あんな連中と。
手が勝手に動いていた。
バイクを止め、無言で近づく。
「……雫」
低く、しかし明瞭な声が夜気を裂いた。
その声に、三人が同時に振り返る。
怯えたような、いや、見つかったことを悔いるような顔を見せたのは――やはり、雫だった。
「兄ちゃん……! 違うんだ、これは、その……!」
雫の言葉に、横にいた男が眉をひそめる。
「なんだァ、誰だテメェは。関係ねぇなら――」
その瞬間、朔の拳が唸りを上げた。
目出し帽の男の顎に、真っ直ぐ突き上げるような一撃。
骨が軋む音。
次の男が振り上げたバットより早く、朔の肘が腹にめり込む。
呻き声とともに崩れ落ちる二人。
雫にも、軽く肩を殴りつける。
「いってぇっ! な、なにすんだよ!」
「……それは、こっちのセリフだ。何してんだ、お前……」
怒鳴りはしなかった。
ただ、その声には“痛み”が滲んでいた。
朔は雫の腕を無理やり掴み、車のライトの前まで引きずる。
目出し帽を剥ぎ取ると、涙で濡れた雫の顔があらわになる。
「やるしかなかったんだよ……っ
やらないと、兄貴が殺されるって……!」
「身分証見られて、家も……全部バレててさ。
俺がやらなきゃ、お前も、家族も消されるって言われて……!」
肩が震えている。恐怖と罪悪感の混じった顔。
何より、兄の前で“子どもの顔”に戻っていた。
朔は、その姿を真正面から見据えたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……ゆっくりでいい。説明しろ」
その一言に、雫の唇が何度も震え、噛みしめられる。
「初めは……ただ荷物を運ぶ手伝いだった。 その次は銀行で金を降ろすだけとか……そんなの」
「でも……俺でもわかったんだ。 これ、絶対、ヤバいやつだって」
「辞めたいって言ったら……“ヤクザ舐めてんのか”って…… “お前の家も家族も全部知ってる”って……」
「兄貴にだけには……絶対、迷惑かけたくなかったんだよ……!」
嗚咽が混じり、言葉が滲む。
朔はその場に立ち尽くしていた。
震えていたのは拳ではない。心だった。
「……いいから。そこに、俺を案内しろ」
「え……?」
「何も分からないガキに、ふざけたことをさせたクソ野郎に―― 落とし前つけさせる」
朔は静かに立ち上がり、バイクの元へ向かう。
「……兄貴、まさか――」
「乗れ、雫」
「兄ちゃん、行くのか……!? ヤバい奴らなんだぞ……!」
朔は振り返らずに言う。
「俺がやる。心配するな。」
「……兄ちゃん。無理だけは、すんなよ……」
しばらく沈黙が続いた。 それでも朔は、背を向けたまま、ほんの少しだけ笑ったように言う。
「アホ。さっさ早く終わらせて。
てめえを叱らなきゃいけねえし、夕飯、作り置きしてあるからな」
「……兄ちゃん……」
夜の風が、静かに吹き抜けていく。




