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隠者情堕

元々あった章ですが、諸般の事情で外していた話です。

こちらでは復活させることにしました。伏見丹に関する内容の補足となります。


新撰組探索方の活躍(?)をお読みください。

 

 冴え冴えとした月が、夜空を照らしている。


 土塀の作る蒼い影が一層、寒々しさを際立たせている。


 ひゅう――と、切るような冷たい風が、木の葉を巻き上げた。


 思わず山崎は、かじかむ己の手に息を吐く。


 隣を歩く志村が、その様子を横目で見つめる。


 それが見咎められたかのように思え、山崎は反射的に表情を強張らせる。


 眼を離すな――と、鋭い視線で志村を促す。


 すると、肩を竦めながら視線を戻す志村の口元が微かに――嗤った。


 ちっ――と、その様子を忌々しく思い、山崎は内心舌を打つ。


 志村が新撰組に入ったのは、ひと月ほど前の事でである。


 取り立てて、なんの特徴も無い男だった。


 下野の出身だと言う志村は、剣の才があるわけでも無く、かといって算盤が得意なわけでもない。


 中肉中背。覇気があるわけでも無く、といって陰気なわけでもない。有体に言えば、十人並みの一言に尽きる。


 だが、逆に言えばそれは、山崎たちのような役目には強みだった。


 探索方――主に、土方の命によって動く新撰組の間者。隊内を見張ることもあるが、その主たる任務は、京の町に潜む長州を始めとする『尊攘派』を見つけ出すことである。


 時に町衆に紛れ、時に旅の行商に身を扮し、時に攘夷派を気取る。ありとあらゆる手段を講じ、獲物を見つけ出す――それが探索方である。


 そんな探索方にとって、志村のような男は適材であった。


 まだ入隊して日が浅い志村に対し下った命は、旅の行商に扮し伏見界隈に潜伏。伏見丹の密売人を探る事であった。


「密売人を突き止めた」と、志村から報が入ったのは三日前だった。


 日中のことである。志村と同じ駕籠売りに扮した山崎は、偶然を装い志村と合流。


 そこで志村が示したのは、目元の涼やかな肌の白い男だった。


 とても薬の行商のようには見えない。まるで大店の二代目のようである。


 あのような優男風情が――と、思わなくも無いが、かつて副長の土方も家業の薬売りをしていたと聞けば、そのようなモノかと納得できないでもない。


 男は、山崎と志村の眼の前で、三人ほどの人間に伏見丹と思われる薬を売った。


 ひとりは浪士崩れ。ひとりはどこぞの女中風。もうひとりは老人だった。


 山崎はその中の女中風に近づくと、駕籠を売りつけるふりをしながら、懐に忍ばせた薬袋を掠め取った。


 女中は気づきもせず「忙しいので」と、足早に去って行った。


 成程、確かに袋には『伏見丹』の文字があった。これだけでは真贋の程は分からぬが、山崎には何故か確信めいた勘があった。


 どちらにせよ、漸く網に掛かった獲物である。陽も暮れかけたころ、伏見街道を京へと向かう男の後を二人は追った。


「おい、止めんか!」


 微かに唇を震わせるような声で、山崎は窘めた。


 志村が先ほどから飴のようなものを、しきりに口に運んでいるのだ。


 お役目中や――と、志村を睨みつける。


 横目でそれを見た志村は、頭を下げるような肩を竦めるような、微妙な様子で頷いた。


 人を喰ったような態度に苛立ちは募るが、


 お役目中や――と、山崎はぐっと腹に収めた。


 そうこうしているうちに、男は伏見街道を逸れ五条橋を渡ると、六波羅蜜寺の方へと進んでいく。


 六波羅蜜寺を脇に先に進むと、男はある大店の裏木戸の前で立ち止まった。


 咄嗟に、志村の手を引くと、山崎は土塀の影に身を潜める。


 葉沼屋――古くからある薬種問屋である。店主の葉沼屋藤兵衛は、派手な商売をしない堅実な男であると記憶している。


 それ故か、山崎の中で、葉沼屋と伏見丹を結びつけることはなかった。


 盲点やったか――山崎が己の認識の甘さに、舌を打ったときだった。


木戸を潜ろうとした薬売りが動きを止めた。


中から先に一人の男が姿を現した。


 身の丈は、六尺近いだろう。癖の強い髪を無造作に束ねている。


 腰の剣に手を掛け、大きな身体を丸めるようにして、薬売りと眼を合わせる。


 猫背の男と薬売りは、何やら神妙な顔で言葉を交わしている。


「あれはもしや――」


 坂本か――と、山崎の眼が輝いた。


 党首の武市半平太や、参謀幹部を失った土佐勤王党を、今現在まとめているといわれている男である。


 この坂本が伏見丹で金を稼ぎ、攘夷派へ資金を流すことにより、長州にとの関係を密に図ろうとしているのではないかと、土方は読んでいる。


 もし本当にそうだとするならば、京に潜伏する長州の残党までも釣り上げることが出来る。土方の狙いはそこである。


 眼の前で薬売りと話す男は、伝え聞く坂本の特徴とよく似ている。


 だとすれば、この葉沼屋が薬の製造に関与しており、土佐勤王党とも繋がりがあると考えて間違いはないだろう。


 漸く――掴んだ。


 無意識に山崎が拳を握る。


 その時、坂本と思われる男が薬売りを伴い、再び裏木戸を潜り中に入っていった。


 どないする――ここは思案のしどころである。


 坂本と思われる男は、あの様子では、すぐにどこかへ行くのだろう。


 それを待ち、坂本を追うか――――。


 だが、あの男が坂本であると断定するのは早計である。


 先ずは、葉沼屋と伏見丹が繋がっているのかを確かめるのが先決である。


 ならば坂本を諦めるか――それも否である。


「志村」


 山崎に呼ばれ、志村は気怠そうに顔を向けた。


「わては屯所に戻り、副長(土方)にこの事を報告する。お主はこの場に残り、なにか動きが有れば仔細を突き止めぇ」


 山崎は一度、土方の指示を仰ぐことを選んだ。


 急いでこちらに増援を回してもらい、探索の壁を厚くする。もしもその間に坂本が出て行くようなことがあれば、志村に追わせる。


 志村の尾行には、山崎も一目置いていた。


 だが、事の重大さがどこまで分かっているのやら。志村は懐より飴を口に含むと、怠そうに頷いた。


「えぇな。任せたで」


 一命を賭しても――と、強い言葉で言い含め、山崎はその場を後にした。





 そんな山崎の背を見送り、志村は荷を降ろすと尻を地面につけた。


 ひんやりと冷気が伝わるが、昼間から歩き通しである。いい加減休みたかった。


 火でも焚いて暖を取りたいところだが、せめて腰を降ろすくらいは構わないだろう。


 そもそも、山崎はくそ真面目すぎていけない。


 一緒に居ると肩が凝る。


 適当に役目をこなして、そこそこの給金を貰う――それで良いではないか。


 田舎郷士の五男に産まれた志村にとって、尊皇だろうが佐幕だろうがどうでもよいのだ。


 何にも期待などされぬ気楽な身の上。己が楽をして食い繋ぐことが出来ればそれで充分。お役目といえ、他人ごとに命を懸けるなど愚の骨頂である。


 この様に――と、再び飴玉を口に放り込む。


 飴でも舐めながら張り込むくらいの気軽さがなくて、お役目などやってられるか。


 それにしても――旨い飴である。


 一粒舐めると、(だいだい)よりも爽やかな香りが口中いっぱいに広がる。甘すぎるわけでもなく、微かな酸味が有り清涼感がある。


 だが不思議な事に、舐めていると濃厚なコクが溢れてくる。


 滋養強壮の効能でもあるのか、舐めていると気血に力が漲り、無性に女が欲しくなる。


 これが甘露と言われれば、成程と納得もしよう。


 口寂しくなり、飴を再びまさぐる。


 残りが二つしかなかった。


 ちっ――と、舌打ちし、志村は飴玉をひとつ口に入れる。


 困った。食べ過ぎである。


 だが止められない。


 はて――と、志村は首を捻る。


 そういえば、この飴はどこで買ったのだったか。


 確か、一週間ほど前だった筈だ。


 伏見の稲荷前で張り込んでいた時――そうだ、妙に色気のある飴職人がいたのだ。


 鳥居の脇に店を出していた、若い飴職人が声を掛けてきて、二袋ばかり貰ったのだ。


 御代は結構です――そう言った。


 気に入ってもらえたら、次は御代を頂きますよ――そう言って微笑む若い男の顔に、憶えがあった。


 待てよ――最初から、憶えがあったのか?


 そうではなく最近見た顔の中に、飴職人に似た顔が――と、志村が記憶を手繰っていると、裏木戸が開いた。


 身を屈め、中から猫背の男が出てきた。


 坂本だった。


 手に提灯を持ち、坂本は西に向かい歩き始めた。


 あぁ……と、志村は肩を落とした。


 このまま朝まで出てこなければ楽であったものを。これでは追わぬわけにはいかぬではないか。


 深い溜息を吐くと、志村は地面に指で楔形の印を描いた。楔の一端は長くなっており、西を示している。


 これで誰か応援が来れば、西に動いたと言うことが伝わる筈である。


 もう一度溜息を吐くと、六波羅蜜寺の方に向かう坂本を追って、志村も歩き始めた。


 月の明るい晩である故、気づかれぬよう距離には充分注意をする。


 尾行で大切なのは、なにより対象者を見つめ過ぎない事である。というよりも、意識を向け過ぎないというべきだろう。


 見る。聞く。など、相手に意識を向け過ぎれば、自ずと気が動く。


 やっとうの腕がたたなくとも、そもそも人には、その程度の気配で有れば読む力があるのだ。


 上手に意識を向けないようにしてやれば、距離はあまり関係ない。


 極論をいえば、眼前に居たとしても対象者は認識すらしない事もあるのだ。


 志村は、中肉中背。


 目鼻立ちも凡庸であり、良くも悪くも十人並み。山崎など、それこそが探索方としての志村の武器などと言うが、そうではない。


 この意図的に意識を向けない技こそが、志村の武器なのである。


 だが、前を歩く男は常に周囲に気を張り巡らせている。


 土佐勤王党の残党であるのなら当然のことであろう。


 志村は距離を違えぬよう、最新の注意を払って後を追った。


 坂本は五条橋を渡り、西へ進んでいく。

 本國寺を越え、このまま行けば壬生の屯所も近い。


 まさか大胆にも、この近辺に潜んでいるのだろうか。


 そんな志村の思いを知らずか、坂本はさらに荒れた野辺の方へと進んでいく。


 いつの間にか、月には雲がかかりはじめ、足元も心許ない。


 辺りには人家も無く、ただ枯れた芒の茂る野原である。


 闇が濃くなっていくのが分かる。


 口の中が乾き、志村は飴玉を口に放り込んだ。


 最後か――そう思うと、身体が震えた。


 これで飴が尽きると思うと、ぞっとした。


 お役目どころではない。


 こんなことをしている場合ではないのではないか。


 自分はもう、この飴が無くては、一刻とていられぬのが分かる。


 口の中は爽やかな清涼感から、濃厚なコクが溢れ出していた。


 駄目だ――。


 このまま踵を返し、伏見に向かおう。それで明日の朝一番に、この飴を買うのだ。


 坂本も伏見に向かったのだと、そう報告すれば良いのだ。


 志村が、そう意を決した時だった。


 ふと、先を歩く坂本の姿が、微かに揺れた。


 すると、見る見るうちに、その姿は糸が解けるように崩れ、夜気の中に消えていく。


「な、なんだ、あれは!」


 脚を止め、思わず声に出してしまう。


 坂本と思っていたモノは姿を失い、ぽとり――と、何かが落ちた。


 志村が慌てて駆け寄ると、枯れた芒の中に、四寸ばかりの土人形が落ちていた。


 その腹の辺りに、六芒星が描かれているが、志村には覚えのないものである。


「こ、これは一体……」


 何が起こったのか理解できない。ただ志村の背を嫌な汗が流れる。


 口の中が無性に渇き、懐をまさぐる。だが直ぐに、飴が終わってしまった事を思い出す。


「これを御所望なのでは?」


 突如、背後で低い声が響く。


「――ひっ!」


 前方に転がるようにして、志村が振り向く。


「お気に入り頂いたようで、何よりです」


 闇の中に、あの飴の袋が浮かんでいた。


「お試しの期間は終わりですから。御代をきっちりと払っていただけるのなら、幾らでもご用意させてもらいます」


 そこには、伏見から追ってきた薬売りが立っていた。


「あっ!」


 思い出した。あの飴職人――誰かに似ていたのではない。伏見丹の売人の薬売りが、飴職人に似ている――否。目元涼やかな薬売りこそが、飴職人だったのだ。


「このような場所まで来てもらえるとは嬉しゅうございます。それほどまでに気に入って頂けたのですね。この――」


 伏見丹を――と、薬売り(飴職人)が言った。


「ふしみ……丹?」


「はい」


 薬売り(飴職人)が慇懃に頭を下げる。


 その時だった。


 まるで幕を引くように、月を雲が覆い、闇がその匂いを濃くした。


「探していたのでしょう」


 ――と、闇の中に声が響いた。


 薬売りの背後に、白い幽鬼の姿が浮かび上がった。


「新撰組探索方、志村信吾」


「お、おぉう!」


 名を呼ばれ、反射的に答えた。


 その瞬間、金縛りにでもあったように、身体が硬直した。


 白い幽鬼の横に、黒い大きな獣と、肌の蒼白い若い女が現れた。


 逃げなければ――本能的にそう思うのだが、身体は痺れたように硬直したままだ。


「求めよ。されば与えられん」


 幽鬼の言葉を合図にしたように、薬売りが闇の中に下がっていく。


 入れ替わるように、黒い獣と諸肌を脱いだ女が前に出る。


 女の手には、黒い観音像が握られていた。


「な、ななんだよぉ……」


 カチカチと、歯の根が合わない。


 女が白い指先を伸ばし、志村の顎先を撫でると、蕩けるような甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


 すると、痺れて動かぬ身体の中で、股間の物だけが熱を持ち、硬く上を向いていく。


硬く熱を持っていく。


「さぁ、第四の宴を始めましょう」


幽鬼の血のように紅い唇が詠う。


刹那。


 女の顔が切なそうに――歪んだ。


 その瞬間、女の白い腹から刃が突き出した。


「ひぃぃぃ――――」


 それは刃ではない。女の背後に立つ黒い獣の爪だった。


 ゆっくりと、鳩尾の辺りから飛び出した爪が、女の恥骨に向かって下がっていく。


 ぞぶりと、それを追うように腸が零れていく。


 うふふふふふ――――。


 女が恍惚に濡れた顔で悦に浸っていいる。


「おぉぉぉぉぉあぁぁ――――」


 その異様な光景を目の当たりにし、志村自身も猛っていた。


次の瞬間。


 驚くことに女は、手にした観音像を、裂けた己の腹の中に捻じ込んだ。


 はぁ――と、安堵の表情を浮かべ、女は愛おしそうに腹を抱える。


 その姿はまるで、子を抱く母の様であった。


「主よ。来ませり」


 幽鬼の声が闇に響いた。


 最後に憶えているのは、生木を裂くような異様な音だった。


 獣の爪のひと薙ぎが、志村の首を吹き飛ばした。


 志村が耳にしたのは、己の肉が千切れ骨の砕ける音だった。


 ぼとり――と、志村の首が、二間ほど向こうの草むらに落ちた。


 首を無くした身体から、吹き上がる血を浴びて、女が恍惚の表情を浮かべたまま崩れ落ちた。

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