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呪念寺


 三条大橋の中ほどで、山南は足を止めた。


 すでに雨はやみ、往来を行き交う人々の姿があった。

 欄干に手をかけ、山南は大きな溜息を吐いた。


 先ほどの出来事が脳裏から離れない。

 天羽四郎衛門ーー異国帰りの商人。


 北原の言葉に嘘があるとは思わない。だがそれを鵜呑みにするには、天羽の纏う雰囲気は、あまりにも常人離れしていた。とてつもない恐怖に直面し、髪の色が一瞬で抜けるーーあり得る事なのだろう。ましてや、幼き時のことである。その後を異国で育ったとあれば、仕方がないことなのかもしれない。


 だがそれを差し引いてあまりあるほどに、天羽四郎衛門という存在が異質である。全てが、どこか作りもの(芝居がかっている)のように見える。


 先ほどの出来事は、天羽四郎衛門という看板役者のいる舞台に上げられてしまったように感じた。


「式鬼——」


 懐から濡れた紙片をとり出すと、山南は視線をおとした。

 天羽は何故に、あれ持っていたのだろうか。間違いなく、山南の放った式鬼の一つである。

 濡れて力を失っていたものを偶然見つけたのだろうか。だが、駕籠の中にいた天羽がそれを手にする機会は、限りなく低いだろう。ならば何時、どこで手にしたのか。


 なにより、式鬼というものの存在を知っていたのは何故だ。

 式鬼がなんであるのかを理解したうえで、山南に見せたのだ。それどころか、式鬼を打ったのが山南であることを確信しているかのようだ。

 なんにしても、只者ではあるまい。


 そういえば、弓月も式鬼を知っていたようである。一介の芸妓である弓月がなぜ。


 だがそれにも増して山南が気に掛かるのは、弓月から感じた感情の乱れだ。


 怒り怨み悲しみ恐怖――様々な暗い感情が混ざり合ったようなあれは、天羽に向けられていたようだ。あの二人に接点があるとも思えなかった。

 いずれにせよ、弓月という芸妓も只者ではなさそうである。


「もう一度、会ってみる必要がありそうだ」


 ふと、山南の胸に、柔らかな温もりが甦った。

 己の口角が緩んでいることに、山南は気が付いていない。

 さて――と、山南は顔を上げると、昨夜の破れ寺へ急いだ。




 案の定、奉行所の検分の済んだ破れ寺に人の気配はなかった。


 奉行所には呪術のことは一切話していない。裸の変死体として報告したのみだ。


 薩摩と会津の同盟の立役者でもある高崎を狙ったと伝えれば、いたずらに騒ぎを大きくする。ましてや、験者崩れが呪殺を謀ったなどといえば、一笑に付されるのが関の山だ。


 それに、多分に政治的な問題が絡む以上、会津の意向を確認せぬわけにはいかない。今頃は近藤が、黒谷に報告に行っているはずである。

 

 であるならば、奉行所にとってこの一件は単なる『殺し』である。

 同様の手口から、先日の変死体と同一犯による事件として扱うだろう。ならば、いつまでもこの場所にこだわることはない。

 誰もいないのは納得である。


 崩れかけた山門を潜るも、昨夜のような不快感はなかった。昨夜とは空気の澱みが違う。

 山南は、町方によって踏み荒らされた境内を通り、本堂へ入った。


 矢張りここも、昨夜の瘴気は微塵も感じられなかった。


 験者の仕立てた祭壇の周囲を調べるが、当然の如く変わったものはない。

 女の遺体のあった須弥壇へ向かうと、床にはまだ、血の跡がどす黒く湿っていた。

 その手前に腰を降ろすと、山南は両手の指を絡め、印を組む。

 瞼を半眼に閉じ調息すると、懐から符を取りだした。

 右手で剣印を組み、符をまだ湿る床におく。


「ちはしりて けがれよみ ときしらせ とくみせしらせ――」


 急々如律令――と、山南が唱えた。

 すると、文字の書かれた符が床より浮き――ふらりと、揺れた。

 だがそれも一瞬のこと。糸が切れたように床に落ちる。もしこの場に、なにか強い念や氣のようなものが残留していれば、符が反応したはずである。だがこの場には何もない。


 奇妙なことである。


 つい半日ほど前まで遺体があったのである。濁った氣が残留していて当たり前のはず。しかも呪詛まで行われていたのだ。濁った澱のように痕跡があるのが普通である。


 だが何もない。清浄というのとも違う。

 不自然なまでに、なにも無い。


 例えるならば、氣の真空状態――

 自然(じねん)の氣までもが、この場からかき消されているといえば近いだろう。


 小首を傾げ山南は立ち上がる。

 面白い――とでも言いたそうに、山南の口角が微かに上がる。


 何度か頷き、本堂を後にするべく振り返ろうとしたその時だった。

 須弥壇の下になにか光るものが眼にはいった。


「おや?」


 良く見れば、床板の隙間に小さな瓶が挟まっていた。

 拾い上げると、透明な硝子の瓶の中で、瑠璃色の液体が蠱惑的に揺らめいた。


「これは……」


 仄かに光を発しているような液体に、山南は訝しげに眉をひそめた。

 

 瓶は木で栓がされ、その上に油紙を被せてあった。中の液体は油のようでもあるが、蜜のようにどろりとして、粘度が高そうだった。


 蓋を開けようと油紙に指を掛けた時、山南は奇妙な気配に気がついた。


 首の後ろを、蜘蛛の糸のようなものが、そろりと撫でたのだ。

 極細の蜘蛛の糸の先端が風に流され、一瞬だけ触れたような感触――隠していた気配が揺れ、思わず漏れ出してしまったのだろう。


「どなたです?」


 振り向かず、山南は声を掛けた。

 その声に気配が揺れた。


 本堂の入口――


 振り返りもせず、山南は傍らに転がる板片を投げた。

 同時に山南は動いていた。

 欠片が戸に当たるのと、山南が飛び出すのは、ほぼ同時だった。


「待ちなさい」


 荒れた草地を、風のように走り去る背中が眼にはいった。

 女――白いうなじが妙に艶めかしい。

 その背中を山南は追った。

 刹那――草むらに人影が沈み込んだ。

 

 次の瞬間。

 人影は猫のように跳ねると、崩れかけた瓦に手を掛け、その身を塀の向こうへと躍らせた。一瞬の躊躇いもない動きだ。


 山南は慌てて門を飛び出すが、すでに気配はない。

 あの身のこなしは、普通の女とは思えなかった。


「さて、何者なのでしょうかね」


 ひとつ息を吐くと、山南は夕闇に暮れる空を仰いだ。


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