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雨情相


 重く冷たい雨だった。


 静かな雨音が、町並みをしっとりと包んでいた。

 

 七刻(ななつどき)――陽の傾き始めるころである。

 雨のせいか町はすでに、夜の帳が降りたような雰囲気すらある。

 時折すれ違う人々は寒さに身を縮こまらせ、家路へと足を急がせている。

 そんな中ひとり、脚を止めたたずむ山南の姿は、京の都に馴染めぬ異物のようだった。



 昨夜――験者(げんざ)崩れの男をつれて壬生の屯所に戻ったのは、四刻を少しすぎたころだった。

 本音をいえば、この様な件をを新撰組に持ち込みたくなかった。


 しかし薩摩藩の京都留守居役へ向けられての呪とあれば、真偽の判断は別にしても、近藤に報告せぬわけにはいかない。

 まして、沖田が一緒だったのだ。山南の一存で無かったことにはできない。


 とはいえ()()()()の類いを厭う土方には、一笑に付されることは明らかである。

 だが、半信半疑に話を聞く近藤に対し、土方は腕を組んだまま、終始無言で耳を傾けていた。

 これは意外だった。

 一通りの話を聞き終えたあと、


「あとはこちらで取り調べよう」


 近藤が口を開くよりも先に、土方が立ち上がった。


「局長、宜しいですね」

「あ、あぁ」


 有無を言わさぬ口調に、近藤は頷くしかなかった。土方にしてみれば、呪殺だろうが斬殺だろうがどうでも良いのかもしれない。


 会津と協力体制にある薩摩の人間に対して敵意を向けたという事実のみこそが、重要なのだろう。

 切れるような瞳に冷徹な光を宿し、部屋を後にする土方の口元が、緩んでいるように見えた。


「わたしも」


 山南の隣に黙って座っていた沖田が、土方を追うように部屋を出て行った。

 部屋に近藤と二人残された。


 すでに事の顛末は話した。無論、若い娘の死体の件も話した。

 だが、葛城柔志狼という男のことと、己の術の事だけは話さなかったのだ。それに対して、沖田はなにも言わなかった。

 

「若い女の死体か」


 土方に遠慮していたのだろうか。漸く近藤がその事を口にした。


「なんとも気味の悪いものだ」


 近藤が悲痛な面持ちを浮かべた。

 遺体の件は奉行所に伝えてあり、今頃はそちらが現場を調べている頃だろう。


「正直なところ、山南さんはどう思う?」


 近藤が問うた。


「腹を裂かれた遺体の件ですか」

「高崎殿に(まじな)いを掛けるのに、女の遺体を使ったということなのか」

「地下に潜った尊攘派あたりが、藁をもすがる思いで験者崩れを雇った――そんなところだとは思いますが」

「山南さんは、この手の呪いのようなものが、本当にあると思うかい?」

「さて、どうでしょうか」


 近藤の視線が、真っ直ぐに山南を見つめる。この照れも疑いもなく、一直線に心を射抜くような眼が頼もしくもあり、なによりも怖い。


 一点の穢れもない赤子のような眼差しでありながら、刺すような鋭さで人の心に入り込んでくる。そんな近藤の瞳に見つめられると、つい全てを話してしまいそうになるのだ。


「ある――」

「そうか、あるのか」

「――といえばあるが、無いといえばない」

「どっちなんだい」


 近藤が困ったように苦笑した。


「修験道と忍びの術は、根を同じくするとの話もあります。そのような中には秘薬を用いて、毒殺するようなものも在るのやも知れません」

「毒か」

「殺さぬまでも、薬と暗示により幻惑し、あたかも妖術であるかのように信じ込ませる手段もあるとか」

「呪いとはそのようなものなのか?」

「分かりません。だがどちらにしても、心の有り様であろうと考えますが」

「どういうことなんだ。もう少し分かりやすく話してもらえないか」

「そうですね――例えば……例えばの話です」


 と、念を押し、


「私がある時、病に伏したとします。或いは、なにか不慮の件で怪我を負ったとしてもいい」

「そいつは困る」


 近藤が子供のように慌てた。


「ですから、例え話です」

「そうだったな」


 近藤が笑った。


「時を同じくして、何者かが私に対し呪を仕掛けたとします」

(しゅ)――」


 生々しい言葉に、近藤が唾を飲み込んだ。


「私がそのことを知らなければ、私にとって呪など無いことになる。だが、仕掛けた者が私の病なり怪我なりを知れば、これは自分の呪の力だと言うでしょう」

「尻馬に乗る――ということか」


 近藤が神妙な顔で頷く。


「この前後に、私の周囲で不幸な偶然が重なったり、なにか奇妙な出来事が起きたとします」

「奇妙な出来事?」

「たとえば、私の名の書かれた人形が屯所に投げ込まれ、その腕に針でも刺さっていた。そして偶然にも私の怪我をしたところが、同じ腕であった――」

「おおぉ」

「自分の怪我は、何者かの呪によって引きこされたものであると、認識してしまう。これで因果関係ができ、呪が成立したことになる」

「そうか」


 山南の説明に、近藤はいたく感心した。


「その状況を作り出すのに、薬を用いることもあるということか」

「呪とは概ねそのようなものであろうと」

「成程」

「心の弱っているところに付け込まれれば、つるべ落としのように呪に落ちる者もいるのだと思います」

「では女の遺体は?」

「関係あるともないとも」


 山南が首を振る。


「矢張り薬か――」


 むう――と、近藤が腕を組み、低く唸る。


「伏見丹ですか」


 会津がその件を杞憂していることは、山南も知っている。

 そして久慈が伏見丹を所持していたことも。


「山南さんが捕らえた修験者も、もしかしたら伏見丹に絡んでいるのかも知れんな。だとすれば歳に任せて正解か」

 なにか思う所があるらしく、伏見丹の件は土方に任せることにしたと、近藤は言った。


「成程。薬ならば土方君の方が何かと造詣が深いでしょうから」

 武州にいるころ、土方が薬売りをしていたことは知っている。

 では――と、山南は腰を上げようとしたときだった。


「代わりと言っては何だが、山南さんに調べて欲しいことがあるのだ」

「なんでしょうか」


 うむ――と口を結び、近藤が躊躇いをみせる。


「この若い娘の変死体の一件だ」


 暫し逡巡した後、近藤が口を開いた。


「歳の奴は気にも留めていないようだがな、先だっての遺体の腹には、黒い菩薩像が突っ込まれていた。それも子袋の中に、まるで赤子だとでも言いたげに。そして今夜もだ」


 近藤が、ぎり――と歯を軋らせる。


「歳には笑われるかもしれんがな、俺には気になって仕方がないのだ」

「気になるとは?」

「山南さんが先ほど言ったように、これが人心を惑わせ暗示をかける為に行われた殺しなのだとしたら、あまりにも惨たらし過ぎるとは思わんか」

「同感です」

「これ以上は何事もなく、俺の杞憂(きゆう)に終わればそれでよい。だがこれで済むとは思えぬのだ。この一件、裏が無いか探ってはくれまいか」


 深々と頭を下げた。


「そのような事おやめください」


 山南が慌ててそれを制す。


「このような事は、貴方にしか頼めぬ」 


 近藤さん――と、山南は頬を緩めた。近藤勇がこのような男であるからこそ、山南はついていくと決めたのだ。


「私も気にならぬと言えば嘘になります」


 ありがとう――そう言って、近藤は顔を上げた。


「――ですが、何故に私なのです」

「それは貴方が()()()()だからですよ」


 真っ直ぐな瞳で近藤は答えた。


「出来る限りの事はやってみます」


 そう応えて、山南は部屋を後にした。


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