魍魎宴
それは唐突に起こった。
肩にしな垂れかかる小菊の胸元に、高崎佐太郎がそっと手を忍ばせたときだった。
びくん――と、小菊の身体が強張った。
生娘でもあるまいし――耳元で囁くと白い肌を耳まで紅く染め、毎度恥ずかしそうに下をむく。
そんな、いつまでも初心い小菊の反応が堪らなく愛おしい。
「小菊――愛いやつよ」
淡雪のように吸い付く肌を舐り、高崎の指先が固い蕾に触れたときだった。
あっ……と、小菊が吐息を洩らした。
その声に、高崎の身の裡に熱いものがたぎる。
自然と指先に力が籠った――その時。
小菊の白い胸元に、黒い染みが広がった。
「んん?」
興奮しすぎたか――と、高崎が自嘲した。
だが。
小菊の白い肌の上に、更にもうひとつの染みが生じた。
じゅみぃ――
黒い染みが鎌首をもたげ、啼いた。
「ひぃ!」
小菊の口から悲鳴が上がった。
もぞり――と、二つの染みが小菊の胸の上で一つになり動いた。
それは黒い芋虫のように、白い肌の上を蠢いたのだ。
じゅぎゃぁ――と、ぱっくりと開いた口の中で、紅い舌が蠢いた。
「ひぃぃ!」
弾かれたように小菊が振り払う。
ぽとり――と、畳の上に蟲が転がった。
「こ、こいはなんでごわす?」
高崎が震える小菊を抱き締める。
畳の上に黒い染みが、ひとつ、またひとつ――と、数を増していく。
天井から水滴が滴るように、黒い染みが落ちてくるのだ。それが畳に落ちると、もぞりと蠢き黒い蟲へと変じる。
瞬く間に十を超えたそれは、一斉に鎌首をもたげると、
じゅみぃ――
じゅぎゃぁ――
みゅぃ――
と、啼いた。
「な、なんなん……これ、なんやの……」
小菊が身を震わせ後退る。
それを追うように、黒い蟲たちが、ゆっくりと這い寄ってくる。
一匹の蟲が、小菊の着物の裾に取りついた。
そこまでが限界だった。
「ぎぃゃぁぁぁ――!」
逃げようと、立ち上がりかけた高崎に、腰の抜けた小菊がしがみつき、ふたりは縺れるように転がった。
「おまん、離さんかぁ!」
高崎が突き飛ばそうとするが、小菊も必死だった。その腕にしがみ付き離れない。
尚も突き飛ばそうとした高崎の腕に、蟲が取りついた。
「ひいぃ!」
高崎の腕に、蟲が紅い舌を突き立てると、激痛が走った。
「あがぁぁ」
蟲を振り払おうとするが、反対の腕には小菊がしがみ付き、自由にならない。
だが、渾身の力で小菊を突き放すと、高崎が畳の上を転げまわる。
そこへ蟲たちが次々に襲いかかる。
腕や脛――蟲は高崎の肌につくと、次々と舌を突き立てた。
全身を襲う激痛と恐怖に、高崎は声も出せず転げまわる。
その時だった。
突如、襖を開け放ち、山南が部屋に飛び込んできた。後ろに沖田が続いている。
「これは……」
先ほどのモノと似ていた。
だが、あれは蜘蛛の様であったが、眼前に無数いるそれは、芋虫のような姿をしている。
「同じものですよ」
沖田の心中を察したか、山南が事もなげにいった。
「沖田君は、芸妓を――」
と、小菊へと促す。
「あんなに沢山いるのにどうするんです」
「心配ない」
さぁ早く――と、沖田の肩を押す。
山南は鞘に収まったままの剣を眼前に構えると、柄を握った。
眼を半眼に閉じ、呼吸を整えると鯉口を切る。
二寸ほど引き抜かれた刀身が、白銀の輝きを発した。
山南が口の中で何かを呟く。
次の瞬間、山南が叩きつけるように剣を鞘に戻すと、澄んだ音が響き渡った。
すると、黒い蟲が弾けるように、高崎から一斉に離れた。
弾けた蟲たちは、その姿を保っていられない。霧のように姿を解きながら、煙の如くひとつに纏まりはじめた。
山南は懐から符のようなものを取りだした。
再び鯉口を切り刀身に親指を押し当てると、ぷっくりと、珠のように血が膨らむ。
血を拭うのではなく符に指先を走らせると、それを宙に放った。
山南の血の付いた符は、黒い霧を覆うように舞う。
すると不思議な事に黒い霧は、符に染みこむように吸い寄せられていく。
瞬く間に霧は姿を消し、黒く染まった符が畳の上にあった。
沖田はその様子を、小菊の肩を抱くようにして見つめていた。
高崎は呆けたように動かない。
気がつけばいつの間にか、開け放たれたままの襖の向こうに野次馬が集まっていた。
その様子に溜息しつつ、
「大丈夫、針で刺された程度ですよ」
高崎の背を、ぽんと叩いた。
畳の上の符をさり気なく懐に入れると、沖田に声を掛けた。
「気になることが有ります。私は先に帰ります」
そう言い放つや、ざわめく野次馬を掻き分け、山南は座敷を出る。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
駆け寄ってきた茶店の人間に小菊を任せ、沖田もその後を追う。
その様子を、野次馬に紛れるようにして、弓月が見つめていた。
「ここの……お願い」
「はい」
歳のころは、弓月と同じくらいだろうか。
傍らにいる髪をひとつに結んだ女が、静かに頷いた。
化粧っ気のないひどく地味な女である。弓月ら芸妓を牡丹とするならば、野に咲く薊のような女だった。
すっ――と、ここのと呼ばれた女は、溶けるように姿を消した。
「山南敬助――面白い御仁やけど……」
そう呟く弓月の瞳は、仄かに紅く揺らめいていた。




