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前編

「おはようございます。今日は朝から大変なニュースがあります」

「日本人が快挙!」

「いったいこれから世の中はどうなるでしょうね」

「ねぇ、知ってる? あの話、本当なのかな?」

「ほら、学校が始まるわよ。遅刻しない様にさっさと行く」

加藤(かとう)義弘(よしひろ)氏の猛進はとまりません!」

「計画は前倒しとなる予定です」

「建設を止めろ! 危険な実験は反対!」

「もう、相変わらずね。今日はお弁当、忘れない様にしなさいね」

「記念すべき日がやってきました。今日、本日、遂に、我々の常識は変わります」

「大変です! 実験棟が! 今、現場から―――

(たくみ)! 早く逃げ―――




「おい。おい、タクミ。聞いてるのか」

 男のだみ声がすぐ横から聞こえる。薄暗い石畳の廊下を歩いている最中にその声を聞くのは、彼、タクミにとっては耳障りの良い物では無かった。

「聞こえてるよ、ジャーイング。こんな場所で、気を失うなんて事も無いだろう?」

「へへっ。そうか? こんな暗くてじめじめした場所、長く居たら眠っちまいそうじゃねぇか」

「さすがに、眠たくなる様な場所じゃないけど、居て気分の良い場所じゃないのは確かだ」

 石畳の床は石壁と共に長く続き、碌な灯りも無い。これでしっかりと整備されていれば別なのだろうが、風化が随分と進んでおり、また地上では無く地下の深い場所だけあって、湿気と臭いが酷かった。

 ついでに、隣を歩くジャーイングの髭面もなかなかに不快だ。背丈が低いので、横目に嫌でも映るというのでは無いから幾分かマシであるが、こうやって話し掛けられたら、視線を落として見る必要は出て来る。

「ここまで潜ったのはオレ達が初めてだろうぜ。泥のゴーレムに巣を作ってたゴブリン共。そいつらを餌にするバギオラとまで来ちゃあ、普通の冒険者連中ならとっくに退散してるところだ」

「そこは助かってるよ。腕っぷしの強いドワーフの味方が居てこそだ」

「そうだろう? そうだろう? もっとオレを褒めろよ」

 ジャーイング。石腕のジャーイングはドワーフという種族だ。怪力な小男という印象が強い種族であるが、その例に漏れず、ジャーイングもデカデカとした石質のガントレットを腕に嵌め、それで思いっきり殴りつけるのを得手としている。ついでにやはり髭面だ。

「ま、罠に嵌まる回数をもう少し減らしてくれたのなら、素直に褒めてるところなんだけどね」

「そん時のために、無駄に器用で勘の良いお前が居るんだろう? タクミ?」

「無駄には余計だ」

 器用ではある。そう自身でも評価するタクミは、ジャーイングと違い、人間という種族である……と本人としては思っている。

 大陸中央の王国ワンザーラントの、近年発見されたと聞く地下遺跡。

 モンスターやら太古の遺物などが蔓延り、誰が付けたのやら大量の罠や鍵の掛った扉があるせいで、最奥まではまだまだ未踏のそんな遺跡を、今、このジャーイングと歩いている。

「それにしても、奥に行くに従って、むしろ遺跡が頑強になってる気がする。どういう事だ?」

「そりゃあ、奥の方に大事な物を仕舞ってるのさ。こりゃあ、億万長者も夢じゃねえって」

 ジャーイングはそんな夢みたいな事を言っているが、これまでだって、彼と冒険して、その億万長者になれた試しが無い。

 そうだ。彼とももう長い付き合いだと言える。どれくらいだろうか。確か、彼と出会ったのはこの世界に来てから一年は経っていなかった時期だと思うが……。

「……待った。ちょっと立ち止まってジャーイング」

「おおん? どうした? まだ何か罠でも見つけたか?」

「いや……ほら、見て、ここ」

 タクミは続く石畳の床を指差す。

 いや、正確には石畳では無くなっている部分をだ。

「おお? なんだこれ? 金属か? 床も壁も、金属で出来てやがるぞこれ!」

 石畳の床はどこまでも続いていなかった。途中からぷっつりと途切れ、その先に別の異質な空間が続いていたのだ。

「全部が金属で出来てる通路なんざ、故郷のドラガルフでも王族が住まう宮殿くらいだが……あっちは金ぴかなんだぜ? こっちは黒くて悪趣味に見えらぁ」

「確かに、趣味は悪い。けど……」

 これは……明らかにタクミが知る文化圏の建築物ではない。いや、この世界におけるものでは無いと言うべきか。

「……見つけたかもしれない」

「なんだ? なんだってんだ? おい、待てよタクミ。ここ、ヤバいところなんじゃあ……待てったら!」

 ジャーイングの制止を振り切り、黒い金属の道を進む。迷う必要は無かった。それはただ真っすぐと進めば良いのだから。

 妙な予感がした。それがタクミを突き動かしている。道の大きさもそうだ。

 壁、天井の幅からして、これは人間用の道では無いのでは? そんな風に思えてくる。

 もっと大きな、それこそタクミの五倍か六倍はありそうな大きさのナニカが通るに相応しい道だろうこれは。

 そうして、その先にあったものもまた、巨大だ。

「な……なんだい。こりゃあよ。地獄の門か何かか?」

 ジャーイングはそう言いながら、小柄な身体の上にある顔を、必死に上げている。

 道の先には、当たり前に門があったのだ。道の大きさに相応しい、巨大な門が。

「意匠がまったくなくて、ただ大きな門か。これだけ大きいと、もうそれだけで威圧感があるな」

「まったくだぜタクミ。俺はなんだか嫌な予感がしてきた。丁度良く閉まってるし、このまま帰らねぇか?」

「ここまで来て? 馬鹿言うなって。何か、出来る事は無いか試してみる」

 門に近寄って、入り込める隙間すら無い事を確認し、今度は門そのものと、近くの壁にも探りを入れて行く。

 大きさのせいで移動するだけでもちょっとした運動になるが、この世界に来てから鍛えられた身体は、その程度で根を上げたりしなかった。

「もしかしたらここらへんに……あった!」

 金属の壁の一部が蓋になっていた。

 ただ引いて開けるタイプの蓋であるが、その大きさも扉と同じくそれなりの大きさで、明けた先にあったものもまた、大きいと思ってしまうものだった。

「良くまあ、こういう仕掛けをぽんぽん見つけるな、タクミ。お前さん、時々、そういう勘が働く」

 背後からジャーイングが話しかけて来て、肩をびくりと跳ねさせる。彼の存在を忘れるくらいに熱中していたらしい。

「ジャーイング。ちょっとこれから大切な事をするから、暫くうろうろしててくれよ。きっとその方が上手く行く。これは勘っていうより、お前と付き合い続けた結果の経験則だけど」

「わかんねぇなぁ。こんなデカい扉の開け閉めに関する経験なんてどこで積んだんだ?」

「経験を積んでるのはお前が迂闊だって認識の方だ。僕だってこんな扉に関する経験なんて無いさ。けど、文化についてはむしろ……いや、言ったって分かんないさ」

「まーたそれだ。過去の話になるとお前さん、いっつもそれだ。あーあー、嫌になるねー」

 そう言って、言われた通りにそこらをぶらつき始めるジャーイング。ここで深入りして来ないから、存外に長い事上手くやれているところがあるのだろう。

(そうさ。どうせ分からないのなら、それくらいの態度で丁度良い。僕が違う世界から来たなんて話、信じる方がおかしいんだから)

 蓋の先にあったもの。ガラス質の板に幾つかのボタン。この世界ではこれまで見た事も無い、いわゆるディスプレイと操作卓と思われるもの。それがそういう物である事をタクミは分かっている。

 こういうものには馴染みがある。そんな世界からタクミがやってきた。ジャーイングが言う様に、過去の話をしたがらなかったり深入りさせないのは、この世界のあらゆる種族にとって、タクミの過去は異質なものになるからだ。

(僕は、どこかの世界からここへやってきた。それは分かって居る。けど、どうしてやってきたのかと、どうやったら戻れるかは分からない。分からないんだ……もしかしたらこの遺跡に、答えがあるのかもしれない)

 今、目の前にあるもの。もしかしたら金属の壁の向こうからしてそうかもしれないが、これは機械だ。機械文明に作られたものであろう。

 タクミが元々居た世界もまた、あちこちに機械が溢れていた。だからこそ、ジャーイングに分からない物が分かるのだと言える。

(もっとも、この機械にしたところで、僕にとっても異質なんだよな……)

 操作卓に何か反応は無いものかと幾つかのボタンを押すも、一つ一つが妙に大きく手こずっている。

 道にしても扉にしても、妙に大きいのだ。この遺跡……いや、施設は。

(なんだろう。馴染みがあって最初は嬉しかったけど、こうなってくると、嫌な予感の方が先んじてくるな……これじゃあまるで―――

「そこまでよ。手を上げて」

「……っ!」

 背後から話し掛けられ、言われた通り、咄嗟に手を上げる。

 背中に鋭い何かを突き付けられた時、そうする事が一番マシな結果に繋がると、タクミはこの世界で学んでいた。

「そのまま、ゆっくりこっちを向いて」

 女の声だ。そんな風に思った後に、言われた通りに振り向く。この段階においても、言う事に従った方が、状況を良く知れる。

「……」

 黙ったまま、身体ごと視線を声の方に向ければ、ほら見た事か、新しい情報が目に飛び込んできた。

 声の通り女が居た。年齢はタクミより低い……子どもとは言えないが、やや幼さが残りそうなそんな顔付きの、少女寄りの女性。

 こんな武骨な空間に不釣り合いな金色の長い髪を後ろにまとめ、両手には杖を持ちながら、尖端をこちらへ向けていた。

「到底、人を脅せる道具には見えないけどな」

「そうかしら。そういう風に判断したって構わないけれど?」

 女の口から出て来た言葉。それはタクミにとっては肯定し難い話ではあった。

(見た感じ、まあまあ若いんだろうけど、服装に関しちゃあちゃんとしてる。しっかり経験を積んだ冒険者じゃなければ出来ない実用性と機能性に富んだ格好だ。あとついでに、彼女の後ろに転がってるジャーイングだって見逃せない)

 音も無く、ドワーフ一人を気絶させたか、もしくは殺したか。

 手に武器の様に持っている杖でそれを行ったのだろう。

(魔法使いか? ジャーイングをそれでやった? その割には、表情に消耗が見えない)

 専門の知識と技能を持った、不可思議な魔法を使う存在を魔法使いとこの世界では呼ぶが、何でも出来る万能選手ではない。

 彼らはその技能と知識の豊富さこそが武器であり、それを何よりも優先して修めるためか、大概が肉体的には貧弱だ。優先度の問題であり、体力を付けるよりは勉学を重視するのだ。

 一方で魔法の行使にも体力なり精神的消耗があるらしく、使えば息を切らす者が大半……。

「じろじろとこっちを見ているところ申し訳ないけれど、あなたみたいな人間に、私がどういう立場か、知る事なんて出来ないわ。だからただこっちの質問に答えなさい。この扉、あなたなら開けられるの?」

「……どうだろうね。途中で君に止められた」

 言いつつ、様子を伺う。相手とこちら、両方をだ。

 こちらが反撃した時、女が何を仕出かしてくるかは不確定だが、肉体的には華奢に見える。タクミが飛び掛かれば、組み伏せる事くらいは出来るだろう。

 ただ、それには隙が必要だ。こちらにその隙を作る手段は?

 今、両手を上げている状態だとそれも難しいか。

「そうね。妙な真似をする前に言い方を変えてあげる。ここを開けないって言うのなら、遠慮しなくなるわよ。私」

 地面に転がされているジャーイングみたいにか。

 そう返さなかったのは、やはり無駄口は自分の命を縮めると学んでいるから。

「ったく。こっちの世界に来てからずっと、世知辛い事ばかり学ばされている」

「あなた……今、なんて?」

「分かってる。理解なんてされないなんて事はね。けど、そっちの、僕が手を触れていた板の方は向かせて欲しい。扉を開けられる開けられない、どっちにしてもあれに僕が触れる必要があるんだ」

「……」

 突き付けたままの杖で、女はタクミにまた後ろを向く様に促して来る。

(よし、これでこっちの手元は隠せるな)

 別に、大人しく言う事に従うつもりは無かった。最大限に危機的状況は去ったと考えられるので、後はどうやって状況を好転させるかだ。

(一番、今の状況を大きく変化させるのは、この扉を開くって事なんだけど、出来るかどうかは本当に分からないんだよな……)

 とりあえず、パネルとボタンは反応を示している。ディスプレイに映る文字の意味は分からないが、現れる順番で、なんとなくその機能を察しようと努力していた。

(ボタンを押す仕草の途中で、懐に手を入れてみるか? 短剣くらいなら取り出せるかもしれない。けど、あの杖が厄介だな。あれが何を仕出かすか……)

 思考を巡らせ、ついでに手を動かす。ディスプレイの文字とその現れ方を目で追っても居るのだから大忙しだ。

 だがふと、手が止まった。

「……」

「ちょっと、何してるのよ。やっぱり無理だったのね? 期待はしていなかったけど、なら仕方ない。あなたにも眠って―――

「君には他に仲間が居るのか」

「……?」

 答えは無かったが、何やらこちらを訝しむ様な息遣いは聞こえて来た。これで沈黙を続けているというのは、つまり、こっちの言葉の意味がいまいち分かって居ない事を意味している。

「足音が聞こえるだろう。こっちに来てる。僕達の仲間じゃない。そっちでも無いとしたら、君が警戒するべきだ。僕はこんなで、僕の仲間は君がそこに転がしてしまった」

 寝息の様なものが聞こえて来たので、ジャーイングについては生きているらしい。もしかしたら、そういう魔法に掛ったか。

 暢気なものだと思いたいところであるが、そう悠長にもしてられない。

「誰か……来る?」

「だろうね。この遺跡に何かを目当てでやってきたんだとしたら、君が僕にしているみたいに、今度は君が何かを差し出せと命令される番だ」

「お生憎様。ここでこうやってあなたを脅す事が出来る程度に、私、かなり出来るのよ?」

「なら良いんだけど……ほら来た」

 タクミにとっても危機的状況であるが、こちらへやってきていた足音が、近くで止まる。

 いい加減、そっちの方を向く事を許してくれる頃合いだろうとゆっくり振り向けば、女もまたタクミに背中を向けていた。

(おいおい。僕に悪意があったら、それで終わりだぞ。それなりに出来るんじゃないのか?)

 そんな風に思うものの、いちいちツッコミは入れないし、不意打ちもしない。今はそれよりも、足音の方が重要だった。

 今は聞こえない。その音が止まった位置からして、すぐ傍であるはずだが、この遺跡は薄暗く、少し先の闇の中にその足音の主は隠れていた。

「誰だ? こっちは生憎な状況でね、宝の一つも手に入れられてない。そっちで寝てる小男なら好きに連れてってくれても構わないぞ」

「ちょっと、あなたの仲間でしょ」

「仲間だけど友人ってわけじゃない」

 特別に大切にしてあげたいタイプでも無い。ただ、闇の向こうに居る人間が嬉しいプレゼントだと思える物でも無さそうなのが問題だ。

 実際、闇の中から足音の主が一歩踏み出してくれば、ドワーフの男一匹でどうにかなる相手では無さそうなのが分かった。

「兵隊……?」

 現れたのは、武装した兵士だった。この遺跡のあるワンザーラント王国のそれでは無い。鋼を黒で染めた趣味の悪い完全武装のそれは、ワンザーラントの隣国にあるゲイル国の兵隊の装備に見えるが……。

「まさか、ここにもう冒険者が来ているなどとはな。ご苦労と言いたいところだが、早々に退去して貰いたい。ここは我々、ゲイル国が管理する事となった」

 我々……兵隊がそう言うくらいには、複数人が闇の向こうに居た。

「ちょっと、かなり数が居るじゃない。聞こえた足音って一つだけじゃなかったの?」

「状況を詳しく説明する様な関係性じゃないだろ? けど、確かに多いな。ゲイル国が管理する事になったって言うけどさ、僕らだって一応、冒険者としてこの遺跡を探索する権利があるはずだ」

 大陸にその顔を広げている冒険者ギルドの構成員は、各国が指定した遺跡や洞窟、廃墟等へ武装しての探索が許されている。

 タクミやジャーイング。そしておそらく女もまた、そういう許可の元で今の遺跡に居るはずなのだ。

「ここへの立ち入りが駄目だなんて言う権利は、この遺跡を含む領土の所有者、ワンザーラント王にしか無いはずだけどね。ちなみに、ワンザーラントとゲイルは隣国らしい険悪な関係な事も知ってる」

 武装した兵隊連中が領土内で良くも分からない遺跡を管理するなんて許可を、ワンザーラント王国が出すとは思えない。

 故に、お前達がここに居るのは不当などと言えた義理は、相手には無いはずだ。

 だが……。

「権利ならある。お前達は軽装で少数。我々は多勢で武装している。分かるな?」

 兵隊の一人。恐らく隊長格であろう一人の言葉は、まったくもって単純明快な理屈であった。

 人間は暴力に弱い。暴力からすべての権力は生まれる。そんな理屈。

「ねえ、それなりに出来るなんて言ってた君さ、ここに居る連中全員をなんとか出来る?」

「……」

 沈黙は否定であると今回は取った。なるほど。じゃあ仕方ない。

「ごめん。僕は投降するよ。それで僕の命と……そっちで転がってる髭面の命はこう……助けてくれるって事で良いんだよね?」

「話が早いじゃないか。勿論、礼儀を知っている連中に親切をするのは、国に仕える兵士の義務だ」

 問答無用でここで死ねなんて話では無くて幸いだ。ゲイル国の狙いが何であるかは知らないが。

「ちょっと、あなた!」

 女の方は、タクミの言葉に敵意を向けて来る。そんな感情を向けられる筋合いは無いと思うのだが。

「悪いんだけどさ。無茶してどうこうしようなんて思う程、僕は冒険者として熱意に富むタイプじゃないよ。君はどうだい?」

「私にはやるべき事があるの。この遺跡はね……すごく重要なの。私の願いが叶うかもしれない……」

 そんな事はタクミにとってもそうだ。金銭とか、栄光とか、そういう部分とはまた違う部分で、タクミはこの遺跡にある思いを抱えてやってきた。

 だがそれも、生きてこそだろう。今の窮地を脱する方法を、タクミは大して持っていない。

「諦めも肝心だよ。ほら、兵士さん達がこっち見てる。反抗的だと串刺しだ」

「別に、そこまで残虐を気取るつもりも無いがな。だが、言う事を聞いてくれると、手荒な真似はしなくて済むと言って置こうか」

 まだ、こんな風に話して来るだけ上等だろう。彼らがもっと文明的で無い連中なら、まず浴びせかけるのは言葉では無く矢になっていただろうから。

「まあ良い。君の方は従うつもりなら、こっちに来ると良い。我々が遺跡の外まで保護しようじゃないか」

 友好の証か何か知らないが、何故か腹が立ってくる声を発しつつ、その隊長格の男は、顔をすっぽり覆っている兜を脱いできた。

 タクミ達に顔を見せて来たのである。

 その男の顔を見て、タクミは叫び出しそうになった。

「カトー! あなたもこの世界に来ていたのね!」

 叫び出さなかったのは、タクミでは無く女の方が叫んだからだ。

 タクミが言おうとしていた事と、まったく同じ内容を。

「おっと? いったい急に何かな。失礼ながら、私と君は初対面のはずだが……」

「あなたにとってはそうでしょうねぇ!」

 言いながら、女は激情に任せて手に持った杖を兵士達の隊長……カトーと呼んだ男へと向けた。

「馬鹿! 迂闊だ!」

 一方でタクミは女の行動を制止しようとする。彼女の杖がどれほどの物だと言っても、兵士達には数の利があるのだ。しかも、統制が取れた数だ。

 実際、隊長格の男と女の間に、別の兵士が庇う様に入って来て、杖から出た光に当てられた。

 結果、隊長を庇った兵士は地面に倒れる。ジャーイングと一緒に、地面に転がって寝息を立て始めるであろう事は簡単に予想が付く。

 そうして、一発を放った女を、他の兵士が取り囲む事も。

「さて。君の精一杯の反抗を見届けたわけだが……君のその行動の理由について、詳しく聞かせて貰おうか?」

「くっ……」

 女は歯ぎしりしていた。恐らく、その心の中に浮かぶ怒りを、必死に噛み殺しているのだと思う。

 女の無謀に見える行動も、精一杯の冷静さを引き出してのそれであった事をタクミも知っているのだ。

(ああ、そうだ。君も同じなんだな? 僕と。この男の顔を知って……そうして―――

 そんな事を考えながら、タクミは発生した混乱の中、一歩だけ身体を引いた。

「おっと。そちらの青年も動かないで貰いたい。何と言うんだったかな。こういうの。抵抗は無意味だ。だったかな?」

「いいや、それはどうかな?」

 この状況を打破出来る、大した手段は持っていない。だが、それでも、変化は引き起こせるのだ。

 少なくとも、ちょっとした行動で大きな変化は引き起こせる。そういう方法を、実は一つだけ持っている。

 だからそれを実行した。

「さあ! 新しい世界の始まりだ!」

 我慢していた分、ハッタリも効かせてタクミは叫び……そうして、後方にあった操作卓の、最後のボタンを押した。

 そうして、ずっと閉じていた金属製の巨大な門が開かれる。これが変化を起こせる唯一の手段だ。

 さっき、女に杖を突き付けられた時に、門を開けるであろう一歩手前に来ていたのだ。自分の勘とやらを褒めてやりたい気分であったが、実はそれどころでは無かった。

 門の隙間から眩しすぎる光が発生し、タクミを含めたこの場に居る全員を包み込んで来たからだ。

 強烈な光だ。さっきまで少し先も覚束ない薄暗さの中にあって、この光は目を潰される。

 幸運だったのは唯一タクミ一人のみ。丁度背中を向ける形で、さらにはこういう事もあろうと覚悟もしていた分、行動も早かった。

(一人だけ、やけっぱちだったってだけかもしれないけどな!)

 そう考えつつ、タクミは開いた門の向こうへと走り出した。ついでとばかりに、光の中で混乱する女の手を取って。

「な、なに!? 何が……!」

「僕にも分からないけど……これは賭けだ!」

 光を放つ扉の向こう。その先もまた、明かりの中にあった。

 だが、目が眩むという程では無い。さっきの場所が暗すぎただけなのだ。扉の向こうには、照明があった。それが部屋全体を照らしている。

 とても大きな部屋。やはりどこも金属で出来たそれであるが、さっきまでとは違う物がそこにはあった。

 黒い金属の大部屋の中央。そこに、一体の人型が鎮座していたからだ。

 だが、それは人間ではあるまい。見ればすぐに分かる。だってそれは、部屋と同じ黒い金属で出来ていて、部屋と同じ様に酷く大きかったからだ。

「なに……あれ……巨人……?」

 ぼんやりとそれを見つめる女であったが、構わずタクミは彼女の手を引く。

「悪いけど、まだ悠長にしてられない。早く走ってくれ!」

「走るって、どこへ!」

「あれだよ! あの巨大なロボット……いや、人型の胸あたり、乗れそうに思わないか?」

「乗る!? あの金属の巨人に!?」

 そういう文化が向こうには無いのだろうか。こっちにはある。いや、そういう夢みたいな話が夢として語られている。

 そういう世界からタクミは来たのだ。そうして、この女も―――

「待て! 何をするつもりだ!」

 さっそく兵士達も部屋へ入って来た。だが、もう遅い。タクミ達の方が一歩も二歩も先へ行っている。

 そうして、今や大きな椅子の様な構造物に座る形になっている、金属の巨人の足元へとやってきていた。

 その胸部には、まるで乗り込めと言わんばかりに、蓋が開いていた。

 金属の巨人の足部分からは、巨人のその開いた胸の蓋まで、登りやすい位置で足場となる部位が設置されている。まるでタクミ達を誘う様だった。

(ここまで来たなら行くさ。止まるわけがない。何の因果か偶然か、いや、違う。これは必然だろう。ここには、この世界に無いはずの物が揃っているんだから)

 明らかに異質な金属の遺跡と巨人。明らかにこの世界に馴染めていない様子の女。そうして、この世界の人間ではないと自覚するタクミ。

 この三つがここに揃っている。歩みを止めなければ、必ず何かが起きる。そんな確信がタクミにはあった。

「よっと……うわぁ!」

 足場を登りつつ、転がる様に、巨人の胸の蓋からその内側へとタクミは滑り込む。

「ちょっと、急にそんな……きゃぁ!」

 釣られる様に女もまた巨人の胸の中へと入って来た。

 そこには、さっきの扉を開く装置だった操作卓の様な物が並んでいる。もっとも、さっきと違って随分と小振りだ。

 タクミの手には丁度良い大きさの、そんな操作卓と、椅子が一つ。

「悪いね。これ、一人乗りらしい。狭いけど我慢しておいて」

「一人乗りって……これ乗り物だって言うの!」

「ここは明らかに操縦席だ。コックピットだよ!」

「コックって、胸の中でしょ!? ここ!」

 まったく。向こうは全然文化が違う世界の出身らしい。だが、それでも、話なら会うはずだ。

「そっちは……どういう世界の出身?」

「どういうって……やっぱり、あなたも?」

「ああ、そうだ。僕は、この世界とは違う世界からやってきた」

 そうして、恐らくこの巨人も別世界からやってきた、そういう存在なのだ。

 そんな存在が今、ここに揃っている。

「ここからどうするか……どうにもこの巨人も示してくれてるみたいだね」

 操縦席から見えるディスプレイの一つが光っていた。タッチパネルの様に、その画面を押せと言わんばかりである。

 タクミは席に座ると、その画面を押せば、操縦席の脇から、両手で握り込めるタイプの操縦桿らしき物がせり出て来た。

「とりあえず……うん。なんとなくだけど……」

「何!? 何よ、どういう独り言!?」

「君さぁ!」

「だから何!?」

「名前は? 僕はタクミ。タクミ・カセ。君の名前を知っておきたい」

「私は……マナ・ウィーンザント……だけど、どうしてわざわざ聞くの?」

「ちょっと危ない事になりそうだから、その前にね! 手近な物に掴まってろ! マナ・ウィーンザント!」

 操縦桿を引く。それがこの巨人を、いやロボットを動かす方法だと直感で分かったから。

(いや、異常だろ。そんな事が分かるわけない……けど、実際にこいつは!)

 コックピットの壁は透明になった様に外の景色を映し始める。映る景色はさっきまで居た、照明に照らされていた部屋。そうしてその先にある、このロボットが出るために用意されていたであろう巨大な扉。

 その扉に向かってロボットは駆け出す。いや、背後から何かの推進力を発揮した様に、疾走した。

「ぐぐっ!」

「きゃあっ!」

 身体が椅子に押し付けられる様な反動。女、マナ・ウィーンザントもまたその強さに悲鳴を上げていたが、それでも止まらない。

「このまま……遺跡を出るぞ!」

 扉を出た先。そこに転がるジャーイングをロボットの手で拾い、囲んでいたはずの兵士達も蹴散らして、タクミはそのままロボットに遺跡を疾走させていた。

(ここからだ。予感がする。ここから、漸く始まる。僕達が元の世界へ戻るための第一歩が!)

 苦しい身体を騙す様に、タクミは自分の欲望を心に浮かばせる。

 やはり奇妙な事であったのだが、そんなただの欲望は、あながち、的外れでは無い様に思えていた。




 ワンザーランド王国は大陸中央部にあるだけあって、陸路での流通の中心でもある。

 気候は乾燥しており、国土の一部は砂漠ではあるものの、緑がまったく無いわけでも無く、その王都は頑強で極彩色の建築物と、多くの人で賑わっている。

 大陸中からあらゆる産物が舞い込んで来るとはこの王都を表現するのに相応しい場所で、大通りには様々な露店が所狭しと並び、食料から武器、何か分からぬオブジェまで、数多くの物が売りに出されていた。

 そんな大通りを一人、タクミは歩いている。

「さてと……次は宝石かな? 手持ちで買える手頃な物があれば良いんだけど」

 メモを一枚手で挟み、タクミは並ぶ店を眺めている。

 冷やかしでもなんでも無く、現在買い物の途中であり、手に持った買い物袋を店の主人達が見れば、うちに寄って行けとの声を幾つも投げかけられる。

(なんでも買える程、金持ちにも見えないだろう? そんなに上客じゃないんだよこっちは)

 と、心の中で悪態を吐きながら、目当ての店を見つけてその店の商品を眺める。

 店主はあからさまに高そうな赤い石を売りつけて来ようとするが、タクミは断って隅にある鈍い色の、見ようによってただの石にすら見えるそれを購入する。

(試すだけってのなら、こういうので十分だろうしね)

 必要以上に店の前に居れば、店主からさらに面倒な買い物を勧められるだろうから、早々に店を離れた。

 そうしてまた大通りに戻る。そのタイミングでタクミに話し掛けて来る声があった。

「お疲れ様。そっちは順調に行った?」

「……背後から急に話し掛けて来るのって、そっちの趣味なのかな?」

 振り返ってみれば、そこには先日、遺跡で出会った女、マナ・ウィーンザントの姿があった。

「わざわざ前に回り込んでからの挨拶の方が良かった? なら、これからはそうするけど」

「いや、こっちが慣れる事にするよ。これでも、周囲の環境に馴染むのは得意なんだ」

「それって、この世界に来てから身に着けたものよね?」

 と、マナがタクミの後方から隣へと並んできた。

 彼女の方を見れば、マナにしたところでいろいろと買い物を終えた後らしく、タクミと同じ様にパンパンに膨らんだ買い物袋を持っている。

「君だって、それなりに馴染んでる。しつこい露店の店主を上手くあしらって逆に値切るくらいは出来るんだろう?」

「まあ、ね。こっちに来てから何年になるか……時々、こっちに居る時間の方が長くなるんじゃないかって思えて怖い」

 横目でマナの姿を見る。タクミよりはまあ年下だろう。その上で、彼女は数年前にこちらの世界に来たという。

 それこそ子どもらしい子どもであった頃の出来事になるのだろうか。

「私の故郷はね、ここよりもっと、魔法で色んな事をしていた世界だったわ。この杖もその世界で使ってたもの。こっちじゃあ珍しいデザインでしょう?」

 言いながら、腰に下げている彼女愛用の杖を目で示される。魔法使いが主に使う杖というのは木製が多いのであるが、彼女のそれは陶器に似た質感を持っている。色も赤みがかっていて、なんとも派手だ。

 本来、この世界における魔法使いの杖とは、使用する魔法を補助したり強化したりが出来るものなのだが、彼女の赤い杖は一味違うらしい。

「確か……人を眠らせるのも、君自身の魔法じゃないんだっけ?」

「そう。この杖には三種類程の魔法が込められているの。それを自由に使える。本当はもっと色々出来るんだけど、この杖の先端にあるはずの物がねぇ……」

 と、赤い杖のその先。何も無いその場所をマナは見ていた。

「こっちの世界に来た時、それを無くしたとか?」

「いいえ? こっちの世界に来た時はちゃんとしてたの。この杖を持って、友達とみんなで空を飛んでいたら、急に世界が真っ白になった……いえ、多分、私の周囲がそうなったんだと思うけど……」

「そういう光は僕も見た。こっちは最初、眩しいって感じたよ。で、それが収まった時、この世界に来ていた。街の近くだったのは幸運だったかもしれない」

 お互い、別の世界から来た人間である。それを彼女と出会ってからずっと確認していた。

 話している内に分かる事は、今の世界に来た時の状況は似ているが、元々居た世界は違うものであるという事。

 マナの世界は、今の世界にも存在する、魔法という力があったらしく、さらに発展もしていたとの事。

 道具……主に杖にその魔法を込めて、自由にそれを発動できるレベルであったらしい。

「私の方はちょーっと不運だったわ。街の近くじゃなくて街の中。浮浪者みたいにさ迷って、食べ物にも困った時、詐欺師みたいな奴に杖の先を売っぱらっちゃったの。三日分くらいの食糧費に変わった」

「なるほどねぇ……」

 いろいろあったわけだ。辛酸を舐めた上で、この世界でも生きる道を選んだ。そういう部分も、タクミとマナの境遇は似ていた。

「で、これは肝心要の確認なんだけどさ。君は元の世界に、帰りたいって思う?」

「何度も聞かないで。勿論、そのために全力を尽くしてる」

 その答えを聞いて、タクミは笑った。久方ぶりに気分の良い笑いだったかもしれない。

「その点、僕と君は同志ってわけだ」

 この世界。どうにも剣と魔法のファンタジーで溢れる世界から、自分が生きていたはずの世界に戻る。

 そのために、タクミもまた、この世界を旅しているのだ。




 自分にとって、物語らしい物語がどこから始まったのか。

 語り始めなければならないとすれば、タクミにとってのそれは学校への通学途中であったと言える。

 何時もと変わらない退屈さと眠気と、倦怠感だって覚えるその道の途上。忘れ物の多い自分の背後から、嫌な予感がやってきた。

 その足音は母親の足音だ。

 親の干渉を嫌がる年頃だった当時のタクミは、母親が家の外でこちらにやってくるという事に辟易としていた。

 弁当を忘れたのは自分の責任だと言うのに、世話を焼く母を面倒くさがる、そういうどこにでも居る小僧だった頃の自分。

 だが、その時、母を睨む様に振り返った事を今でも後悔している。

 母に見せた最後の表情がそんなものであったのは、タクミにとっての人生の汚点だ。正すべき事だった。

(たくみ)! 早く逃げ―――

 そんな、自分を心配する言葉を母の方は掛けてくれていたというのに、タクミはその母親の姿を良く確認する前に、白い光に包まれていた。

 その後については、マナ・ウィーンザントと一緒だ。

 気が付けば、この世界にやってきていた。この世界に来る前の恰好そのままで。

「ま、状況は違えど、お互い変わらない立場だっていうのは、嫌な程理解出来たわね」

 タクミの頭の中の景色は、思い出の中のそれから、現実の視界へと移る。

 隣にマナ・ウィーンザントが居て、目の前に砂漠の砂に埋もれた鉄の巨人の上半身。思い出の中と同じく、碌な景色では無いと笑いたくなる。

「自分がどうしてこの世界に来たか。それすら分からないってのは難題だね。こいつをあの遺跡から持ち出せば、何かしらの進展があると思ったんだけど……」

「勢い良く遺跡から飛び出して、そのまま暫く滑空した後、砂漠に落着したなんて笑える話よね。その後、うんともすんとも言わなくなったのは笑えない話かしら」

 不幸中の幸いは、その砂漠は王都の近くにあった事だろうか。おかげで、乾いたり飢えたりする事は無くなった。

 もっとも、このまま立ち往生が続けばそれもどうなるか分かったものでは無いが。

「おおーい! 二人とも! 戻ってたのならさっさと言いやがれよ!」

 鉄の巨人の顔部分からジャーイングが顔を出して来た。相当荒っぽく、遺跡で眠る彼もついでにここへ落ちたのだが、頭にたんこぶ一つ作るだけで元気そのものの彼を見ると、人生ってなんだろうと思えてくるから厄介だ。

「ごめんごめん! それで! そっちは何か分かったか?」

「ぜーんぜん! こいつの身体がすげぇ頑丈だって事以外わかんねー!」

 ドワーフは一応、冶金や鍛造技術に優れる種族であるのだが、それでもさっぱり分からない高度な技術。この金属の巨人、タクミにはロボットにしか見えないそれは、そんな技術で作られているらしい。

「これってつまり、頑張って買い出しした意味はあったって事かしら?」

「どうだろうね。それはこれからの結果次第だと思う」

 言いつつ、タクミとマナは抱えている買い物袋を一旦砂地に置く。

 中には一切の統一感が無い、王都の雑多感に合わせたかの様な、様々な物が入っていた。

「これ。ここ見てくれる? 丁度、埋まってない脇腹部分に、こいつ、蓋があるんだ」

 タクミは下半身が埋まったロボットの脇腹付近へ近づき、一連の装甲になっている場所の一部分が、微妙にズレている事を指摘する。

「あら本当。けど、これが買って来た物と関係があるのかしら? 確か、目に付いた拳大程度の物を買って来いって話だったけれど」

「この蓋さ、開けてみると……見ての通り、穴が中に続いているんだ。丁度、拳大の大きさでさ」

 一度は動いたはずのロボットが、急に動かなくなった。その事とこの穴を結び付けて、タクミはこの穴が燃料口か何かだと考えたわけである。

「こいつがどんな存在かは分かんないけどさ、動いたって事は、動くために必要な何かを外から補給する必要があると思うんだ。だからそれを入れてやれば……」

「なるほどね。また動ける様になると……けど、そうなったとして、何か進展はあるのかしらねぇ」

 マナの心配通り、そこも不確定だ。上手くこのロボットが動ける様になったところで、タクミ達にとって何か大切な事を教えてくれるとは限らない。ただし、何も無いという事も無いとタクミは思うのだ。

「こいつに乗った時、こいつの動かし方がどうしてか分かったんだよ。頭の中に、直感みたいに響いてくる感じで。僕って大概、勘が鋭い方だと思うけど、さすがにそこまでは異常だと思う」

「この巨人が、あなたに話し掛けた……そんな風に思うわけね」

 正解である。ロボットはタクミに何かを伝えてくれるのでは無いか。そう思うのだ。

 だからこそ、今は試す時だろう。

「とりあえず、穴にいろいろ入れて行こう。こいつの好物が何であろうと、試してみない事には始まらない」

「そうね。とりあえず、やってみましょうか」

 言いながら、買い物袋から買って来た物を取り出して行く。燃える水などと呼ばれる珍品や、夜に勝手に光る石等々、試せるものはすべて試して行く段階が今だった。

「なんだー? そんなんで上手く行くのかー?」

「五月蠅いなぁジャーイング! 髭面は役に立たないんだからそこで休んでおけよ!」




 さて、では結果はと言えば、色々と表現の仕方はあるだろう。

「駄目かー!」

 端的に言ってしまうならそういう言い方にはなるが、きっと、言い方はあったと思う。

 寒くなって来たと思えば、もうすっかり夜がやってきていて。そんな夜空を砂地に仰向けに倒れて見上げている。

「そう諦めるのは早いんじゃない? あと一つ。この鉱石はまだ試してないもの。うん。駄目だったけどね?」

 見なくとも、マナの声を聞くだけで分かる。購入してきた物すべてが燃料口にすべて放り込まれ、一切の反応が無い。

 つまり金銭を使って、時間を無駄遣いした形になるのだろう。

「参ったなぁ……何かしら、今後に進展があると思ったんだけど」

 何時までも仰向けで居ると寒くって仕方なくなるので、身体を起こす。

 夜空に星と月が輝き、凍える夜の闇がやってくるそんな砂漠の景色は、無性にタクミを寂しくさせてくる。

「今日は何もかも無駄だったけれど、明日に賭けましょうよ。ついでに、夕食とテントも買って来てあるし」

 言いながら、マナは荷物袋から甘そうな果実を取り出してくる。が、タクミは首を横に振った。

「ごめん。まだ何か食べる気分にはなれない」

「そ」

 タクミの返事を聞いて、マナはこちらに差し出した果実を元の荷物袋に戻した。そうして、こちらの顔を彼女は覗いてくる。

「根気良く行くのは、まだ慣れてない?」

「どうだろうね。慣れていた気持ちだったけど、目の前に餌がぶら下がっているのを見ると、そうは行かなくなった」

 これまで、この世界に来てからずっと、元の世界に帰る方法ばかり探して来た。そんな活動の中で学んだのは、それが一朝一夕には叶わぬ願いであるという事であった。

 魔法なんかがある世界なら、世界を飛び越えたりする魔法だってあるだろうと考え、試しに学んでみたが、そう万能な力では無い事だけを知る。

 伝説的なアイテムがあると聞けば、それを探す冒険者にもなった。経過はと言えば、伝説的なアイテムは伝説らしく、尾ひれが付いたものばかり。

「どこか、もしかしたら諦めても居たんだ。けど、こいつを見てそれが出来なくなった。なら、出会わなきゃ良かったのかもしれない」

 ロボットを見上げる。一度は動いたはずのその巨人は、砂漠の夜に眠っているかの様だった。

「センチな台詞なんて、私は聞きたくないわよ。それに、進展ならこの巨人以外にもあったでしょう? 忘れたの?」

「それは……確かにその……君も見た事だよね?」

 目の前の問題にだけ対処しようとして、あえて考えなかった事だ。だが、ロボットの方が動かないとなると、そっちを考える必要が出て来る。

 タクミと元の世界を繋ぐもう一本の線。確かにあの遺跡にはもう一つ、それがあった。

「加藤・義弘……あそこで会った、ゲイル国の兵士の隊長。その顔は……僕が良く知ってるそれだった」

「私も知ってる。名前はミスター・カトー。あらびっくり。名前まで同じね」

「姓の方だと思うけど……いや、そっちではそうなのか」

 とりあえず、ロボットが動かない以上、加藤・義弘について話をするのは良いかもしれない。

「君の世界の方は分からないし、この世界で会ったのと、君の世界のそれと、僕の世界の加藤が同一人物かは分からないけど、僕にとっては、かなり重要な意味を持つ人物なんだ。彼は」

「私もそう考えているけど……そっちからどうぞ?」

 長い夜に成りそうなので、長話をするのも悪くは無い。そう考えて、タクミはテントの準備をついでにしながら話を始める。

「加藤・義弘は、僕の世界での天才だった。若い……確か年齢は三十代後半だったかな? その年齢で、何かこう……すごい発見をしたらしい」

 既存の物理法則とか、一般的常識を覆す様な発見であるという話だった。当時も今も、そう専門的知識に富むタイプでは無いため、詳細は分からない。だが、連日テレビから彼関連の話題が途絶えた事が無かった気がする。

 だからこそ、赤の他人だというのにタクミもその顔を憶えていたのだ。そうして……タクミがこの世界に来る事になった日にも、何か凄い事を行う予定だったという話だ。

「彼はその……時空を超える様な装置を開発したとか、そういう話だった。馬鹿げた話に聞こえるだろう? 僕もそう思った。けど、僕の世界の偉い人達のだいたいは実際に可能だみたいな顔をしてたから、もしかしたら……」

 その発見や発明が、タクミがこちらの世界にやってきた切欠になったのでは? ふと、加藤・義弘の顔を見た時にそう思った。叫び出しそうにもなった。

 だが、それに先を越したのはマナの方だった。つまり彼女も、タクミと同じ感情を持っているという事だろうか。

「こっちの話は、もっと具体的よ。私、これでも魔法の知識は豊富なの。この世界よりもっと魔法の技術が発達した世界だったから」

「そりゃあ頭が良いんだろうね。この世界じゃあ半分くらいは役に立たなくなったろうけど」

「魔法に関しては、ここはまだ未発達なんだから、凄い魔法使いで名を通らせる事くらい出来るわ」

「杖の先端は奪われたけど」

「それは言わないでちょうだい」

 こうやって嫌な思い出を冗談に出来るくらいには、既にこの世界で時間を過ごしているる。タクミもマナも。そうして、あの加藤・義弘も……?

「で、そっちの世界の……ミスター・カトーだっけ? 彼はどうだったの?」

「さっき時空って言ったけど、その意味は知ってる?」

「そりゃあ、時間と僕らがいるこう、こういう空間すべてをひっくるめての意味だろう」

「なら話が早い。ミスター・カトーは、私達の世界ですら夢のまた夢だった時空魔法の理論を確立した人物よ。時間と空間のルールに介入出来るみたいな触れ込みだった」

「……何だか、似た話になってる」

「そうね。あなたの世界と概略は同じかもしれない。驚かないでね。そこからもあなたと同じ。理論化したその時空魔法を、彼が実践する時が来たのよ。それが……」

「君がこっちの世界に来る事になった日ってわけだ。これって、奇妙な偶然で片付けるには符合する事が多すぎる」

 時間に関わる技術。それが実践される日の世界の移動。

 そうして、加藤・義弘とミスター・カトー。

「例え、この巨人が動かなくても、やるべき事があるんじゃないかしら。私達」

「ああ。そうだね。確か奴は、ゲイル国の兵士の恰好をしていた」

 まだ結論を出すには早いだろう。自分達の事すらタクミ達は良く分かって居ない。

 だがしかし、こう思うのはただの妄想ではあるまい。加藤・義弘こそが、自分達をこの世界に移動させた原因であると。

 故に次に向かう場所は決まった。今居るワンザーラント王国の隣国。ゲイル国へ向かうのだ。

「こいつが動かないとなると、置いて行く必要があるか……って、おい、ジャーイング! 何してる!」

「何って、お前達がさっきからこいつを動かそうと色々してるからよ。俺も手伝ってやろうと持ったわけよ。っていうあれだろ? 腹空かせてるだろうから餌与えるって話だろう? なんで石やら飲めもしない水入れてるって話だ」

 タクミとマナが話している間中、視界の端の方で暇そうにしていたはずのジャーイングが、何時の間にか夕食用の果実を手に持って、巨人の脇腹付近に立っていた。

 さっきまでタクミ達が様々な物を入れて、空振りに終わったその燃料口の近くにだ。

「あのなぁ、ジャーイング。お前は分からないかもしれないけど、このロボ……巨人は、そう単純な物じゃあないんだって……聞けよ!」

 ジャーイングはタクミの制止も聞かず、手に持った果実を丸々一つ燃料口に捻じ込んだ。

 無理をして壊れないかとは今更タクミも言えないが、そんな果物一つでなんとかなるのであれば苦労は―――

『糖分の補給を確認。これより燃料変換装置を起動し、再稼働プロセスを開始します』

 巨人の目の部分。アイカメラと言えば良いのか、そういう部分が輝き、これまでうんともすんとも言わなかったロボットから、無機質な音声が聞こえ始めた。

「なー?」

 驚くタクミであるが、一方で何やらどうだ見たかというジャーイングの表情を見れば、驚きよりも腹立たしさが先立つ。

 だが、実際に巨人は動き出し、その上半身を動かしながら、砂漠から自らの下半身を引き出していく。

「ねえ、あの巨人。なんだかあなたを見てない?」

「え? なんでそんな不吉な事を言うんだよ。確かに顔だけこっちを見て……うわぁ! 本当に来た!」

 下半身の自由を取り戻したロボットは、その足でタクミの方へ向かっていく。

 数歩後ずさりするタクミであったが、ロボットの大きさを考えれば、誤差程度の移動でしかなく、すぐに追いつかれてしまう。

 だが、踏み潰されはしなかった。

『操縦者を確認。名前の登録をお願いします』

 まるでタクミの前に跪く様に膝を折ったロボット。それでもタクミよりも遥かに大きいため、こちらが見上げる形になるのだが。

「えっと……タクミ。僕はタクミ・カセ……で良い?」

 力関係はまだ向こうが上。なので下手に逆らわずに名乗って見るタクミ。

 一方でロボットの方は特に反応があったわけでは無い。その無機質な声以外は。

『名前が登録されました。タクミ・カセ。あなたは正式に私、アークハイトの操縦者となりました。よろしくお願いします』

「え? えっと……よろしく……お願いされた?」

 近くのマナと、そうして突然動き出したロボット、アークハイトの動きに巻き込まれ、砂に半ば埋もれているジャーイングを見る。

 だが、何か答えが返ってくるはずも無い。

 ただただ全員が困惑したまま、アークハイトを皆で見つめる。

 今夜に限っては未来や過去の事などすべて置いて、この困惑をどうにかする必要がありそうだった。




「いやまあ、良い事ではあったと思うんだよ、昨日の事はさ」

 やや狭い印象のあるロボット、アークハイトのコックピットは、一方で周囲に外の景色が見えるおかげと備え付けられた空調もあってか、息苦しさとは無縁であった。

 そんなコックピットの操縦席に座りながら、タクミはふと呟く。

 そんな呟きを聞いてくれているのは、操縦席の後方の壁に背中を預けているマナであった。

「世の中、色んな事があるものだけど、相次いで大変な事が起こると、良い印象のあるはずの事だって混乱に繋がりがちだけど……なんでしょうね。こうやってあなたがこのアークハイトを動かせているのも、なんでかって考えて混乱してる」

「僕だってそうだよ。こういう風に出来る事を期待はしていたけど、実際、なんで僕、こいつを動かせてるんだ?」

『何らかの原因で長期の訓練が不可能と判断された場合、操縦席からの電気信号を介して操縦者には当機の操縦方法を最低限インストールする事になっています』

 無機質な声が、タクミが座る操縦席の前から聞こえて来る。

 これがアークハイトの声であり、このロボットについて何も知らないタクミ達に色々と固い言葉で説明してくれる。

「って、ちょっと待った。聞き捨てならない事を言ったな? 僕の頭になんだって? 電気信号でインストール?」

『安全性は確保されています。ご安心を』

「仕組みが分からない以上はぜんぜん安心出来ないんだけどなー」

「まあまあまあ。良いじゃない。要するに手っ取り早く動かせる様になったって事なんだから。時間の節約になるわ」

 自分は怪しい事をされていないのだから、そりゃあ良い事に聞こえるだろうさ。このあと、おかしな後遺症が無ければ良いのだが。

 今後、タクミがこのアークハイトを動かす事になるのだし。

「うん? あれ? そもそも何で僕が操縦者って事になってるんだ?」

「そりゃあ、あの遺跡であなたが真っ先に乗り込んだからでしょう? 初めての相手への特典的な感じじゃないの?」

「い、いや。そういう理由があるんだろうか?」

 タクミだってこんなロボットの事なんてさっぱり知らないが、それでもかなり高度な技術が使われている事は分かる。

 何も接点が無い人間が乗り込んで、そのまま親切に操縦方法を教えた挙句、正式な操縦者にしてしまえるものだろうか?

(なんだろう? むしろ僕が乗せられた? そんな気もして―――

『操縦者、タクミ・カセは、当機に対する遺伝子的優先権が存在しています』

「え? 何て言ったのこの子、遺伝……?」

 大きなロボットに対してこの子という表現もおかしいが、遺伝子の様な言葉をマナは知らないらしい。

 そういう知識の無い世界から来たのか、それとも一般的では無いだけか。

(もしくは、僕の世界の方が異質なのか。何にせよ、それぞれの世界にそれぞれのルールがあって……僕の遺伝子が何か優先されてる……? このロボットがやってきた世界では?)

 アークハイトに確認しても要領を得ない答えが返ってくるのみなのだが、このアークハイトとて、タクミやマナと同じく、何かが原因となって、この世界にやってきた事は確実だろう。

 こんなロボット、この世界にも、マナやタクミの世界にも存在しないのだから。

「僕達は僕らがどうしてこうなったかの謎を解き明かしたいのに、ここに来て謎は増える一方だ。これって、進展と言えるんだろうか?」

「進展はしていると思いたいわね。今だって、目的地に進んでる」

 マナは操縦席の壁に映る外の景色に対して言っているのだろう。

 別にアークハイトの試運転で動かしているわけでは無いのだ。

 昨夜、マナとも話し合ったが、ゲイル国には気になる男がいる。それを探すために、アークハイトで国境を越えようとしているのである。

「こいつが移動手段として優秀なのは良い事だけどさ。関所をこいつで通るわけには行かないから、主要街道から大きく外れなきゃいけないってのは面倒だ」

 アークハイトはどうにも糖分を補給してやれば動くらしく、大した量で無くともかなりの距離を移動できる。凸凹の道もその二本の足で踏み越えて行けるため、関所が用意されていない山や谷を通れば、ゲイル国へ辿り着く事は困難では無い。

 一方で、遠回りは遠回りである。すぐにでもゲイル国に向かいたい気分なのだが、もう少し、心を落ち着かせる必要はありそうだった。

「乗り心地に関しては随分と良いから、私の方に文句は無いわよ。出来ればこの壁の部分にも椅子か身体を支える取っ手があれば快適だけども」

『操縦席内部の改修は搭乗者が行ってください。当機独自の権限では、外装及び駆動用の機関の修繕のみが許されています』

「あらそう。怪我なんかは勝手に治ってくれそうでとっても助かる」

 マナの方は何気なく受け取ったアークハイトの言葉であるが、タクミにとってはとんでもない話に聞こえた。

(自動修繕機能? 機械にそんなものがあるのか? いったいどれだけ技術レベルの高い世界から来たんだこいつ……)

 例えば、その世界には別の世界移動できる発明なんかも存在するのだろうか。そもそもタクミ達が今、こうなっている原因も、このロボットにあるのか……。

「なあ、アークハイト。君は自分達の世界やこの世界について、どれだけの事が説明出来る?」

『質問が不明瞭かつ広範囲のものである事に注意してください。当機に答えられる内容ではありません』

「そうかい」

 ずっとこれだ。とりあえず、また別の手掛かりを探す必要はやはりあるのだ。

「ま、ゲイル国までこの山を越えればすぐだ。そっちでもっと分かりやすい話でも見つけてやるさ」

「そうね。前向きが大事。ほら、アークハイトの手にしがみついてるジャーイングを見習いなさい」

「あれは前向きって言うのか?」

 マナとタクミの視線は、操縦席の外。アークハイトが上に向けた手のひらに乗っているジャーイングへ向かう。

 狭いところより広いところが良いとの話であったが、どう見ても悲鳴を上げながらしがみ付いている姿を見るに、そろそろ後悔し始めている頃合いだろうか。

(いや……後悔し始めるのは今からか……!)

 タクミは咄嗟にアークハイトを止めた。その場で棒立ちになるはずだったアークハイトであるが、走っている様な挙動の状態からの緊急停止だったせいか、人間で言えば構えの様な姿勢になった事だろう。

 好都合である。何せこれから、こういう構えからの動きが必要になってくるのだから。

「街道を外れるのが嫌なのは、こういう危険性があるからなんだよな!」

「まあ、これまで遭遇していなかった事が幸運よね」

 アークハイトの前方。山地の砂色の地面から、灰色の岩塊が動き出す。いや、それは岩塊では無く背びれだ。

 それは背びれを大きく揺らし、地面に埋もれた身体を揺さぶりながら、アークハイトの前に姿を見せつける。這い出して来る。

「ロックドラゴン……普通なら逃げの一手だし、そもそも近寄らないんだが……」

 岩に見える背びれは擬態のそれだ。地面の中には無論、背びれより一回り大きな身体が隠されており、岩塊に近づいた生物を獲物とする習性を持つそんな竜をロックドラゴンと呼ぶ。

 岩の色をした肉体は見た目通りの頑強さ。分厚い鱗が冒険者の剣に傷つかぬどころか、逆に剣をへし折って来るそんなモンスター。

 一方で竜としては翼も無く火も吐かない、ただ大きなだけのトカゲとも表現出来る、そんな魔物でもある。

(いや、そのデカさが一番の脅威なんだけどな)

 ドラゴンと呼ばれる魔物の中でも比較的大きな体格をしたそれは、アークハイトとより二回り程大きくしたくらいだろうか。

 アークハイトを人間としたら、向こうは牛かサイか。人間が武装してこれに挑むとなれば、一個大隊でも持って来なければまともな戦いにすらならないそれ。

「アークハイトにしたところで、逃げの一手だろうな」

「そうね。ロックドラゴンって鈍重だもの。郊外の野生環境で生きてるなら脅威にもならない」

 ロックドラゴンの主な対処法の一つだ。街の近くで街に向かっているならともかく、そうで無ければ、人間が全力で走れば逃げられる。より速く動けるアークハイトであれば、もっと容易くそれが成せるだろう。

 ゴォオオオオオオ!

 ロックドラゴンの威嚇。叫びはアークハイトの操縦席にも聞こえて来る。こっちを敵として認識したらしい。というより餌か。

 予想通りにのそのそとした動きを見れば、逃げるだけなら脅威にならない。そう判断出来たのだが……。

『現地生物の敵対を確認。これより対象を敵性体と判断します。操縦者は早急な排除を』

「いや、排除をって……こっちよりデカいんだぞ向こうは」

『敵性体と当機の性能を比較。通常稼働状態において戦力比は敵性体が1で当機が3。脅威ではありません』

「本当に言ってるのか?」

 金属の巨人。アークハイトはそういう存在である事は見れば分かるが、巨大な竜相手にもその威容は通じるのか。タクミは怪しいと思うのだが。

『操縦者が戦力不足への懸念を提示。武装の使用を許可します。右腕部に謎の質量体があります。早急な投棄を提案しますが、拒否する場合は、左腕部に武装を展開しますがよろしいですか?』

「ジャーイングを投棄するのはさすがに可哀そうだから止めて欲しいけど……いや、武装って言ったか? 今?」

「ああもう! 悠長に話してる場合じゃないでしょ!?」

 マナの叫びにはっとする。ロックドラゴンは鈍重だが、それでもこっちが長話を続けた結果、すぐ近くまで奴は迫っていた。後ろを向いて逃げ出すにしても、もはや近過ぎる距離。

 一度くらいはロックドラゴンの体当たりを受け入れるべきか。そう考えて歯を食いしばる……が。

『腕部ブレード展開。早急な迎撃を』

 アークハイトのその言葉より前に、操縦桿を動かしていた。

 動かし方が分かる。もうすぐ目の前にロックドラゴンが居るのも分かる。そうして、アークハイトの左腕部の手の甲部分からそれそのままの幅をした刃が飛び出しているのも、視界に入れる前から何故か既に分かって居た。

(また頭の中に妙な情報を叩き込みやがったな!)

 何かしらの痛みや衝撃が無いというのが逆に恐ろしい。

 ごくごく自然な仕草でタクミはアークハイトを動かし、突進してくるロックドラゴンの脇へとアークハイトをズラし、そのまま左腕から伸びる剣でロックドラゴンの分厚いはずの鱗と、その先にある肉を切り裂いていく。

 ロックドラゴンの悲鳴は聞こえない。切り裂いた範囲は瞬時に致命へと至るものであり、突進の勢いが通り過ぎた後には、ロックドラゴンの切り身が地面に横たわっていた。

「なんだこれ」

「あ、それ、私が先に言いたかった」

 正面からぶつかるなぞ愚かな行為。そう言われるロックドラゴンが、アークハイトがただ腕とその先の刃を振るうだけで倒されていた。

 そんな光景を見て呆気にとられるタクミとマナ。

 このアークハイトというロボット。ただそれだけでも脅威的な存在には見えたが、実際の力を見せつけられれば、尋常のそれでは無い事に気が付く。

「こいつ……別の世界から来たんだろうけど、いったい何のために作られて―――

『警告。右腕部に所持している投擲物候補の口元より泡が発生中』

「ああ! ジャーイングの事を忘れていた!」

 慌てて身を乗り出すタクミ。実際、アークハイトの右手には、衝撃で気絶したあげく、すごい顔色をしているジャーイングの姿がそこにあった。




 ゲイル国。周囲からはだたそう呼ばれるその国は、明確な王を持たぬ都市国家の事である。

 国内における有力者が統治する形態である事は変わらぬが、その統治者が選挙等では無く、有力者同士の定期会議の中で決定される。

 さらに有力者と言っても、それが兵力を委任された軍団長であったり、国内にもっとも利益をもたらした商人であったり、農業組合のトップであったりと様々であり、その時々の統治者に寄って国の性格自体が変わるという特異な国家として認識されていた。

「ちなみに、今の統治者は確か球技団体連合の連合長がやってるって話」

「私、政治とかには無知な方だけど、それってどうかと思うの」

 マナはそう言うが、実際そうなっているのだから仕方ない。

 タクミはそんな事を思いながら、あちこちに穴が開いている廃屋の、今にも潰れそうな椅子にゆっくりと座った。

(あれだね。ゲイル国内の拠点にしても、もうちょっと良い場所を選ぶべきだったか?)

 ワンザーラント王国からゲイル国へと国境を越えてから数日。

 郊外にアークハイトを隠してからゲイル王国の首都へとやってきたタクミ達は、街の中にある廃屋を拠点として活動を始めていた。

 ちなみに家を借りたわけでも、ましてや購入したわけでも無い。そもそも宿を長期に取る資金すら無い状況であるため、空いている家を勝手に使用しているのだ。

「ま、贅沢は言えない。僕らは勝手にこの家を使ってるわけだけど、それはゲイル国の政治のおかげで、街中にデカいスラム街が存在してるからだ。こういう今にも潰れそうな家が幾つもそのまま放棄されているっていうのはすごく都合が良いしね」

「私、それでも繁華街のお洒落な宿の一室借りたかったわぁ」

「お互い、金の無い冒険者だろうに。夢なんて見るなよ」

 こっちの世界に来てからずっと、困窮した生活に慣れた身同士だ。それに、こういう廃屋ではあれど、とりあえずの安全は保たれている。

「ほら、玄関口に警備がずっと立ってる宿なんて他に無いだろう?」

「ずっと立ってるっていうか、ずっと寝てるわね、あの髭面」

 マナに釣られてタクミも彼女が向く方を見れば、ジャーイングが玄関あたりでごろごろと転がっていた。

「仕方ないだろう。アークハイトの乗り心地が酷く悪くて、まだ酔ってるんだ」

「そりゃああれの手の平の上なんて酷いもんだったでしょうけど、何日経ってると思ってるのよ!」

「以前、船で海を越えた時は十日くらい地面に埋もれたい。頭だけで出して大地に根差したいって言い続けてたからなぁ……」

「本格的に碌でも無いわね、あなたの仲間って」

 その仲間の一人になってるのが君だろうとは言わないで置く。仲間内で争っている場合では無いのだから。

「兎に角、この廃屋に居るは正解だろうし、ジャーイングがあそこに居るのはマスコット代わりだし、ゲイル国に来たのも正解ではあった。だろう?」

「ま、そうね。私達の目的地はここなのは間違いない」

 言いつつ、二人してガタついた……というか足が一本折れている机の上に乗せられた皺だらけの紙を見る。

 それはゲイル国内の官報であるらしく、国民皆に配られている……というか今は大々的にばら撒かれており、国外から来たばかりのタクミ達も拾う事が出来たのだ。

「歴史の文字通りの転換。君もまたその当事者になろう……か」

 官報は兵士……とはまた違う書き方で、何か人材を募集している風な事が書かれていた。

 幾らかの訓練とある実験に参加する事で、ゲイル国のさらなる発展に貢献できるというような内容が書かれていた。

 いったい誰がこんな怪しげな広告に釣られるのかと思うものの、その宣伝文句にタクミ達は引っ掛かった。

「他にも時代の常識を変えるとか、君だけの新しい時間軸を生きる瞬間が来るとか……これ、間違いなく私達の世界でもあった事よね?」

 つまり、時間だの時空だのに関わる実験や発明、発表があり、その後で、タクミやマナの様に世界を移動する現象が発生する。

 その前段階がゲイル国でも起こっているのだと考えていた。

「まだ結論を出すには早いだろうけど、調べて見る価値はあるって事だ。問題は、どうやって調べるかだ」

 どうにもゲイル国の重要事であるらしく、こればっかりは廃屋を勝手に借りる様に、気軽に調べる事が出来ない。

「案なら最初から一つあるじゃない。いきなりそれはどうだろうって言われた案が」

「そりゃあね。もうそれを選ぶしかないなら、そうするしか無いだろうみたいなのはあったさ。あったけど、それって選びたくないって事じゃないか」

「で、他に何か出来る事が見つかった?」

 見つかってはいない。だから選びたく無い案を選ぶ事になるだろう。

 それがどういう物かは既に答えは出ていた。

 拾った官報に既に載っている。実験参加希望者の募集が。

「碌な事が待ってないだろうっていうのは、もうこの記事だけでも分かるんだよなぁ……」

「まあ、具体性に欠ける内容で、それでも人不足だから掲載せずには居られないって感じがひしひしと伝わって来るものねぇ」

 何故、そんなに人間の実験体が必要なのか。色々と想像力が搔き立てられるものの、そのどれもが嫌な予感しかして来ない。

「問題はまだある。誰かが行くとして、どっちが行くかだ。ジャーイングはあのザマだし、無事の状態であっても、潜入とかスパイとか、そういうのにまったく、これっぽっちも向かないタイプの人間だ」

「そこは分かってる。だから私があなた。どっちかが犠牲になるわけね」

 犠牲と言ったなこの女は。

 こっちは出来るだけ使わない様に気を使っているというのに。

 だが、危険が待っている可能性が高い事に対して、二人とも挑むというのも馬鹿らしい話だ。

 だから一人、タクミかマナかが募集されている実験に挑むのである。それがゲイル国外の人間がこの国で何かを調べるための手段。

 だから二人して、お互い腕を振り上げた。

「じゃん! けん!」




 敗北者がわざわざ運の絡む危険事に挑むというのは、良く考えれば理屈に合わないのでは無かろうか。

 そんな事を考えるタクミであるが、今は空しく、ゲイル国首都にある庁舎の一つへとやってきていた。

 あからさまにこの国の人間では無いタクミであったが、無事、実験動物としてこの場所へ連れて来られたのである。

 お金に困っている。何か手軽に稼げる手段は無いか。この募集記事では給料云々は書かれていないが、無償での事か確認したい。などと意地汚い仕草をしながら募集所の窓口に相談に向かってみれば、ニコニコしながら、ええ、作業中は衣食住には困りませんよという返答と共に、都合の良い獲物が見つかったという様な視線を向けられた事をタクミは忘れられない。

(いや、いきなりどこかも分からない地下室に連れて来られたりしなかったのは好都合だけどさ)

 庁舎内の中庭。広くは無いが狭くも無いその空間に、タクミも含めて何人かの人間が並んで立っている。

 ゲイル国の伝統なのか、それとも単純に金が掛っていないのか、観葉植物の一つも無い殺風景なその庭で、男連中がズラっと並んでいるのは異様な光景に見えなくも無い。

(僕みたいな外来人でも目立たないってんだから、そっちもやっぱり良い事なのか? いや、何にせよ、この後に待っている事次第だな)

 いい加減、それが早く始まって欲しくもあった。というか、ずっと立たされたままなのだから、周囲が苛立ち始めている。

「くそっ。とりあえず飯の一つでも食べさせてくれるんじゃないのかよ」

「ここでずっと立ちっぱなしが実験だって? 碌なもんじゃねえな」

 タクミに代わってくれているかは知らないが、周囲の男達から愚痴が聞こえ始めた。これが言葉だけじゃなく実際の行動にも繋がるまでに、あと十分くらいだろうか。

 タクミがそんな予想を立ててから三分後に、中庭に何人かの人影が入って来た。

 全員が黒い制服に身を包んだ、ゲイル国の官吏だろうが、悪趣味なその制服の中でももっとも目立つ人間が、並ぶタクミ達の正面に立ち、他を横に並べる。

「全員、待たせた様だな!」

 正面に立った人間が中庭に響く声を発する。

 その声に誰しもが驚いた。その声量もそうだが、声質のとげとげしさが身に刺さりそうな程だったのだ。

 いや、驚いた理由はもっと別にあった。

(恐らくは幹部の一人なんだろうが、女性か……さすがに加藤がいきなり出て来るなんて事は無いみたいだ)

 成人には達しているだろうが、それでも横に並ぶ他の官吏よりは若く見える、スタイルの良さが制服の上からでも分かる女。

 ここに居る男連中ならそれだけで喜びそうな外見をしているが、誰もが喜んでいないのは、女の雰囲気が声と同じで、全体的にざくざく突き刺して来そうな凶悪さがあるからだ。

 そんな女が、次の言葉を発してくる。

「さっそく、諸君にはして貰いたい事を説明するが、その前に少しやって欲しい事がある」

 女は名乗りもせず、早々に事を始めるらしい。タクミ以外にここに並ぶ男達の内、何人かはそれに苛ついた様で、許可も得ずに言葉を返し始めた。

「やって欲しい事? 何かやらせる前に、用意するもんがあるんじゃねえか!」

「そうだそうだ! ここに来たら、報酬を貰えるって聞いてるぜ!」

 男達の罵倒に近い声を聞いて、女は苛立ち……はしていない様子だった。むしろ小首をかしげ、隣に立っている部下らしき官吏に尋ね始めた。

「ふむ? どうした? まだ始めないのか?」

「はい。もうすぐです」

 その声と同時だった。

 タクミの両隣に立つ男がそれぞれ、叫び始めた。

「あああああああ!」

「うぐっ……ぐうううう!」

 膝を折り、頭を抱えて、地面に転がる。何かが起こっている。それは分かるが、いったい何であるかがタクミには分からない。

 何故ならタクミはその光景を見下ろしているからだ。

 他の人間が苦しみ、倒れているというのに、タクミだけが無事のまま、その光景を見下ろしている。

 他人がどれだけ苦しんでいたとしても、それが自分に及ばないなら、どうやって理解を進めるというのか。

 いや……。

「無事な人間と、そうじゃない人間がいる……?」

 この中庭に集められた人間の内、一割程が無事のまま、タクミと同じ様に周囲の光景に困惑している風だった。

「よろしい。予想通りの結果と言えるな。倒れた人間達は目障りだ。さっさと退去させろ。そうして未だ立ったままの諸君。諸君らは合格だ。これより、我々が行う実験に付き合って貰う。既に契約書にサインはしたな? 逃げる事は不可能だ。暴れるにしても、もう人数も少ないだろう?」

 黒い制服の女が攻撃的な口調と笑みで無事なままのタクミ達に話し掛けて来る。

 蛇に睨まれたとはこういう事を言うのだろう。端から彼女らの実験台になる予定でここまで来たタクミであるが、今さらながら後悔し始めていた。

(な? やっぱり取りたくない選択なんだよ。こんなのはさぁ)




 タクミが絶賛後悔の中で頭を抱えている頃、マナ・ウィーンザントはゲイル国の首都を出歩いていた。

 一人では無く、髭面の小男と。

「なー、この国、何か変じゃねえか? ずっと地震が起きてやがる」

「揺れてるのはあなただけよ、ジャーイング」

 髭面のジャーイングはその髭を自身でもしゃりながら、左右にゆらゆらしている。これで小男で無ければ、すれ違う人間とぶつかり過ぎる事になるだろうが、この街の道がやや広めである事も幸いして、他人に無用に喧嘩を売る事は無くなっていた。

「しっかし、殺風景な街なのは実際だろう? 出歩くにしたって観光にゃあ向かねえよな」

「確かに。首都なんだから、もっと豪奢な建物が並んでるべきだって思うけど、こー……性格の悪い人間が作った街みたいな雰囲気よね」

「その感想は良く分からねぇけどさぁ」

 街そのものに活気が無いとも言える。マナ達が拠点にしているスラム街がある時点で良い街とは言えないのだが、それ以外の部分でも良い街とはとても言えない。

 景気が悪いのか、空気が悪いのか。タクミは国の統治者が誰かに寄って性格の変わる国だと言っていたが、その統治者とやらは、やはり相当に性格が悪いのだろう。

(っていうか、国の色も問題よね。兵士の装備も、官吏の制服も、黒って大分趣味が悪いっての)

 そんな事を思いながらも、街を出歩く足は止めなかった。

 観光目的では無いからだ。

「とりあえず、仲間を一人、生贄に捧げている以上、私達が暇してるのも罪悪感しか無いじゃない? だから兎に角、出来る事をしないと」

「タクミの奴がそれを聞いたら絶対怒る発言だよなぁ。っていうか俺はまださっぱり分かってないんだがよ。そもそもこのゲイル国でお前ら何がしたいんだ」

「ああ、そう言えば詳しい話ってあなたにした事無かったわね……っていうか何でそれで付いて来てるの」

「なんか面白そうだったからな! タクミ絡みの仕事ってのは何時もそうだ!」

 この能天気さが種族に寄るものか個人に寄るものか。

 どちらかは分からないが、このジャーイングという男は独特の感性をしているらしい。幸先は良く無さそうだが、総じて人生は楽しめそうなタイプ。

(この世界の、冒険者って職に就いてる人間って、だいたいがこうなのかしら? それとも彼だけが特別? 何にしても、私達みたいなのより、余程、この世界を生きてる)

 ジャーイング自身、この世界の出身なのだから当たり前だ。彼らは当たり前にこの世界に生まれ、当たり前に生きて行く。突然別の世界に行く事になるなんて思いも寄らないし、自分の世界で自分を適応させていくのだ。

「もうタクミと目の前で何度か話をしたから分かってるだろうけど、私とタクミは、元々このお世界の人間じゃあないの」

「そうだったのか!?」

「分かってなかったのね……」

 こっちの世間話は興味無く、日頃蝶々でも追いかけているのだろうか、この男。

「いやぁ……別の世界? そういうの、俺、良く分かんねぇんだよなぁ。別の国とか別の大陸とか、そういうのか?」

「ううーん。そっちからの理解としてはそれで良いのだけれど、細かいニュアンスがねぇ……」

 マナ自身やタクミは、それとはまた違うと感じ取れるかもしれないが、ジャーイングの様な男にとってはその違いは分かるまい。

 実際問題、こうやって会話し、身振りが出来ている以上、彼らにとっては別の国の人間程度の存在でしか無いのだから。

「ま、何にせよ、故郷に戻りたいって話で良いのか?」

「そう。それよ。結局のところそこよね。この国には、戻るための方法があるかもしれなくて、私もタクミもそれを探してる」

「ホームシックが極まってるってわけだな。そりゃあ深刻だ」

 やはりニュアンスの違いを感じるが、ジャーイングに理解は求めない。この髭面はこういう無神経さがむしろ良い点と言えるのかもしれない。

(何事も、深刻にはならないというかなれない。ああ。こういう気分になれるから、この髭面と一緒に冒険者してるのね、タクミは)

 元の世界に戻るという強い思いは、時に毒にもなるだろうし、何より、彼と付き合っていると、一番嫌な事を考えずに済みそうだ。

 彼とマナ。二人に共通の嫌な事。

「それは……」

「あん? どった?」

 首を傾げてこちらを見上げて来るジャーイング。そんな彼の顔は長時間見ずに、マナはゲイル国の街並みを見つめる。

 いや、眺めて睨む。

「えっと、何かしら。すごい気になる事があった」

「はーん。あれだな? もう少しで昼時だから……ってやつだな?」

「全然違う」

 全然違うが、さりとて似た気分にはなるかもしれない。何だこの感覚だ。さっき、自分は何を見た?

 寂れた屋台? くすんだ建物? 道を歩く下向きな人々?

 この街じゃあ商売上がったりだなみたいな顔をして荷馬車を進ませる商人? その商人が運んでいる商品らしき物品の山!

「あー! ちょっと、ジャーイング! 行くわよ! 走って!」

「は!? いきなりなんだよ! オレはあれだぞ!? 走るのは見ての通り苦手なんだぞ!」

「じゃあ置いて行くわよ! 待って! そこの馬車! 待って!」

 もう随分と離されているが、周囲の目も気にせずにマナは叫んでいた。

 何と言う偶然。何かの必然すら感じられる運命。

 通り過ぎた馬車の荷物の中には、かつてマナは売り払った魔法の杖の先端部分が入っていたのだ。




 志願して何事かの実験台になった身であるタクミであるが、庁舎の庭でさっそく妙な現象に付き合わされた後、今度は随分と暇な時間を過ごす事になった。

 既に一夜が過ぎており、兵士達の監視下の元という条件付きであったが、服と食事を与えられ、今は机と椅子が幾つか置かれた広間で、ただぼんやりと過ごす事になっている。

「……新手の拷問か?」

 あまりにも暇であるせいか、そんな事を呟きたくもなった。

 広間の色は白に近い灰色で、窓からは日の光が入って来ているが、部屋の中だというのに殺風景という言葉が頭に浮かんでくる。もっと正確な表現で言えば、無個性な部屋だろう。

 並ぶというより置かれているみたいな印象の椅子の一つに座り、部屋の壁を眺める。そんな事をタクミはずっと続けていた。そろそろ耐えられなくなる頃合いだ。

 だが、広間に居るのはタクミだけは無く、似た様な気分になったのか、一人、タクミに話し掛けて来る影があった。

「よー、あんた。あんた、この国の人間じゃないだろ?」

 そんな風に話し掛けて来るという事は、相手はゲイル国の人間なのだろう。

 そんな風に思ってそちらを見れば、青髪に頬に切り傷の痕が目立つ顔が見えた。

 いや、もっと印象深い物もある。その声と顔立ちは、女性のそれだった。

「えっと……知り合いだっけ?」

「いいや? だからこそ分かんのさ。あたし達の国の人間じゃないってね」

 そういうものだろうか。自分の頬を撫でながら考える。

 確かにこの国の人間では無い。この世界の人間ですらなかった。

「で、そっちはこの国でずっと生きて来た人間ってわけだ」

「その通り。あたしはザヌカ・ミオノック。ゲイル国じゃあ有名な義賊ってところだ」

「自分から名乗る義賊ってのも初めて見たね。僕はタクミ。タクミ・カセ。一般的な冒険者ってところ」

「一般的な冒険者なんてのも、初めて見たよ」

 ま、ヤクザな生き方をしている人間に一般人なんざいないだろう。そんな事は分かって居るが、義賊とやらにそう言われるのは心外だ。

「それで? 義賊を名乗る泥棒あたり……と見ているんだけど、違う?」

「違うね。強盗だってしてるさ。極力一般人は傷つけない方向で。随分とした義賊だろう?」

「まったくだ。って、じゃあなんでこんな場所でこんな事してるのさ。はっきり言って、碌でも無い状況だろう? 今」

 盗賊なんて汚れ仕事をしている以上は、まともな生活が出来ない身であろう事は簡単に分かるが、だからと言って国がやっている怪しい実験に参加するなんてのも嫌だから、汚れ仕事をしているのだろう。

「ま、ここだけの話、この実験、何かすごくデカいヤマな気がするのさ。あたしは要するに、その潜入任務中って事。他の仲間は……あんた、初日にあの洗礼を受けただろう?」

「ああ。僕以外の数人だけ立って、倒れた連中を眺めてたよ」

「そ。あたしの時もそうで、あたしだけが最後の希望ってわけ」

 そう語るザヌカを見つめつつ、タクミは溜息を吐いた。

「それで? そういう感じの話に僕が乗ったら、不真面目な実験台が居たぞって管理してる人間にでも報告して点数稼ぎをする手筈だったり?」

「ははっ。言うねぇ。そういう疑い深そうな顔してたから話し掛けたのさ。そういう人間なら、あたしの方は売らないだろう?」

 さて、どうだろうか? 確かに、わざわざ他人を告げ口する程、ゲイル国側から点数を貰いたいわけでも無い。

 そうして、ザヌカという女は、嘘は吐いていない様にも見えた。

(もっとも、僕個人の感性なんて役になんて立たないさ。心は許せない。ついさっき会っただけの相手には特に)

 だから考える。ザヌカという女は何を考えているか。

「……近々、何か始めるつもりだったり?」

「おっと鋭いねぇ。その通りさ。詳細は伝えないよ。あんたは味方じゃない。けど、聡そうな顔してるから猶更言っておく。その時、邪魔しないで欲しいんだ。分かるだろう?」

 こういう話というわけだ。タクミを味方にはしないが、敵にもしない。見ず知らずの他人を敵に回す人間ほど、危険に巻き込まれる可能性が高いのだから。

「別にそれで構わないよ。僕の方も、他人に構う余裕は無いし……そっちがこの施設で増やした仲間に、これから殴られたくない」

 周囲を横目で見る。ザヌカ以外にも、タクミに近い人間が居て、余所を見ている様でいて、定期的にこっちを観察している風だった。

 数は三人程だ。ザヌカを含めて四人。この施設で何かをするつもりらしい。

「へぇ、良い勘してるね。もう少し時間があったら、仲間に引き入れて良かったかもしれない。が、その時間も無い。あたしらには関わらない。それだけ聞ければ良いさ」

「僕以外にも、まだ数人、ここへ新しくやってきた人間がいるけど、そっちへの注意はしないのかい?」

「する必要は無いね。ゴロツキやら食うに困ってる奴やらで、いちいち警戒する必要が無い。あたし達と一緒で、何か狙ってる顔をしてるのは、今回じゃああんただけ」

 ザヌカからそう見られていたという事は、他からもそう見えているかもしれない。もう少しばかり、愚鈍な態度を周囲に見せられる様にしなければ。

「だから今日、あたしがする事はこれで終わりさ。こっちからはただの好奇心でね。あんたの方は、ここに何があると思ってる?」

 ザヌカの問いかけは、確かに興味からのそれでしかない。昨日、ここへやってきたばかりのタクミより、ザヌカの方は余程施設に何があるかについては詳しいはずだからだ。

 それでも聞くのは、タクミが何を期待してここに来たのかを、ただ尋ねたいからだろう。

「表現が難しいけど……何か、大きな変化がここで起こってる気がする。その当事者になるためにここに来た……みたいなところかな」

「はん! 小難しい事を言うタイプと見たね。世間話すると相手が苛ついてくるタイプと見た」

「そういう感想になるかー」

 この世界の人間と比べて、タクミの世界の人間はそういう人種になるのかもしれない。

 妙な勘の鋭さと、何事も難しく考えがちな性格。

 矯正する必要もあるのだろうが、他に無い特徴として活かす方法もあるだろう。

「ま、何にせよ、やっぱりそっちにも色々狙いがあるみたいだねぇ。これは親切心で一つ教えておいてやるけど、この施設で働いている連中も、あんまり多く分かって無いみたいだ。調べるつもりなら、相手を選ぶ事をおすすめするよ。じゃあね」

 言うだけ言って、ザヌカはタクミから離れて行った。

 伝えられた話については、役に立つか立たないかをまず検証する必要があるだろう。だが、確実に話をして良かったと思える事はあった。

(やっぱり、何かしていた方が、時間が流れるのは早いらしい。ぼーっとしてるより、僕もここで何かを初めてみるかな?)

 まずはこの施設がいったい何を目的として、タクミ達を集めているのか。それを調べてみようとタクミもまた行動を始める事にした。




「だー! じゃあどうしろって言うのよ!」

 マナの心からの叫びは、拠点にしている廃屋に鳴り響いた。

 鳴り響くだけ鳴り響き、廃屋の隙間から抜け出して行く。つまり空しい叫びになってしまったわけであるが。

「さっきから怒ってばかりだが、しゃーねぇーじゃねえか。あれだろう? 買いたい物を金が無くて買えなかったってだけだ」

「だけじゃないのよだけじゃ! そりゃあこんなところを宿にしてる身なんだから、お金が無い事は重々自覚しているわよ? けど、あれは昔、私が泣く泣く騙し取られる事になったものなの! 思い出の品以上に途轍もない価値があるのよ、私には!」

「あの商人がその騙し取った奴なのか?」

「ち、違うけど……」

 恐らくは本当に単なる巡り合わせなのだ。マナの手から流れ流れ、そうしてあの馬車に乗った商人の元へと辿り着いた。いったいそれがどの様なルートで商品として仕入れられたのかは分からない、マナの魔法の杖の先端部分。

 それがあれば今の魔法の杖の性能は元通りの、現状から各段に便利な性能を持つ事になるのだ。

 さらに言えば、マナにとっては元々住んでいた世界から持ち込めた数少ない道具の一つ。

 どんな手段を使ってでも、取り戻したいと言える一品なのである。

「お前さんが大事なもんを騙し取られて悔しいってのは良くよーくわかるぜ? けど、その商人ってのは普通に商品を売ってるだけの男だ。文句言われたって向こうが困惑しちまうよ。幸運な事に、暫くはこの街に滞在してるって話だし、その間に、どうにか取り戻す方法を見つけ出せば良いんじゃねえの?」

「方法……スリ、置き引き、窃盗、強盗……」

「いや、その方向は止めとけって……」

 しかし、まっとうな方法で購入するとなれば、まとまった金銭が必要だ。となれば短期間でまとまった額を稼ぐための仕事を探す必要がある。

(そんな仕事がそこらに転がってるなら、景気の悪そうな顔してないわよね、この街の住民は)

 考えてみれば、ゲイル国のこの有様はいったい何なのだろうか。

 統治者の政治方針が随分と無能なのか。いやしかし、その時々の有力者が就くなどという制度である以上、最悪な状況になるというのも珍しいのでは無いか。

(そこに関しては私の買い被り? 誰だって、どんな場所だって、国のトップに最悪な人間を選ぶ可能性はあるかしら?)

 何にせよ、今のゲイル国の様子はそういうトップを選んでしまった結果にも見える。なら、その不満はどこに行っているのか。街が不況だと言うのなら、失った分のそれはどこへ向かっているのか。

「地下……反乱分子……革命……テロリズム……」

「なんか知らねぇが、そっち方向に話進むのも止めといた方が良いんじゃねぇか?」

「だーかーらー、だったらどうしろってのよ!」

「どうしろつっても、金が無いなら、物々交換とかか? 何か珍しいもんでも持って無いのかよ」

「そもそも、あの杖の先端部分だって、他に売るものが無かったから売った形で……あ、けどけど、ちょっと待って?」

「……いや、待たねぇ。俺は待たねぇぞ。また変な考えが頭の中にあるな?」

 全然変じゃない。まったくもって理性的かつかなりの名案が脳裏を過ぎったのだ。ジャーイングも聞けば納得するはず。

「郊外にあれを置いてるじゃない! アークハイト! あの一部でも持って来れたら、物々交換用にすごく役に立つって思わない?」

「あー……」

 ほら見ろ、納得してくれたじゃないか。そう。あの金属の巨人は一応、タクミの所有物になっているかもしれないが、今は緊急事態。ちょーっとばかり、部分だけ売り払うくらいは出来る名分があるはずだ。

「今のあーってのは、本気でこいつはって飽きれた声だからな」

「どうして! こんなにも唯一残された手段なのに!」

「だから駄目なんじゃねぇかなぁ」

「うう……確かに、勝手に売り払うとか駄目な予感が八割くらいしていたけれども」

「なら止めとこうぜ!」

 そうは言うが、やはり諦めきれるものでは無い。何か方法、何か方法が無いものか。

「と、とりあえず、アークハイトの様子を見に行ってみない? ほら、アークハイト自体にはどうこうしないけれど、何か金目の……いえ、貴重な物があるかもしれないし」

「ぜんぜん諦める気がねぇでやんの」

 当たり前だ。こっちだって必死なのだ。安穏としている髭面に分かってたまるものか。

「まあ、女一人で行かせたとかになれば、タクミあたりにぐちぐち言われそうだし? 付いて行く事にするけどな」

「あら! 乗ってくれるのね! あなたの評価に対して手のひらを反すわよ、髭面!」

「お前が大変な事しない様に見張るのも兼ねてだからな?」

 まったく。そんな事をするものか。ちょっとだけやんちゃしてやろうという気分になっているだけの事なのに。

「けど、あれよね。やっぱり、色々動いて来てるって気がして来たわ。これも単なる偶然の繋がりなのかしら?」

「どうだろうなぁ。神様なんかが居たなら、碌な登場人物が居ないって文句を言ってくるだろうさ」

 ふんっ。そんな神様なら言うだけ言わせているが良い。漸く回って来た好機に、動かぬ女では無い事を見せつけてやる。




「無茶な事しなければ良いけどな」

 ふと、そんな事を呟いてみる。

 小さな窓から見える夜空を見つめて、タクミは呟いた。

 薄いシーツ。並ぶ三段ベッドから聞こえて来るいびき。そうして狭い部屋。

 到底良い場所とは言えないが、少しばかり感情が動かされる夜を、タクミはゲイル国庁舎内に宛がわれた部屋で過ごしていた。

 別にこの部屋がロマンティックな雰囲気だからでは無い。どうにも今日、同じ実験台としてここに集められた一人であるザヌカという女が行動を始めるそうなのだ。

 と言っても、タクミがそれに対して何かするわけでも無かった。というより、何もするなと厳命されている。

(勿論、誰かに話を漏らすなんて事は無いけどね)

 余計な厄介事は荷物にしかならない。タクミだって彼女らとは違う目的でここへやって来たのだ。

(いや、どうなんだろうね。同じだったりするのか? この施設で何が行われているか。それを知りたいのは彼女らも同じだし……)

 もし、もう少しここへ来るのが早かったら、ザヌカ達と手を組む可能性だってあったかもしれない。

 だが、それはもしの話だ。現実はそうでは無い。だからタクミは、漁夫の利を得る事に決めた。

「よしっ……そろそろ施設で何か起こる頃だろうし、僕一人の行動なんて誰も気にはしなくなるタイミングだ」

 誰にも聞こえない独り言を呟きながら、ベッドから身体を起こす。

 ベッドと同じく固くなった身体をほぐしつつ、こっそり部屋を出る。案の定と言えば良いのか、廊下が騒がしい。

 夜の静けさの中、怒号や誰かの走る音が響くなんて事は無いが、どこかで誰かが動き回る音はしていた。

(ザヌカ達は……この施設の物品を狙っているはずだ。手に入れて売り払えばそれなりの物になる。多少の監視は、強行かつ速やかなら、なんとかなるだろう。みたいなところかな?)

 そうやって派手に動いてくれるなら、やはりタクミにとっては助かる事だ。彼女らの足を引っ張りはしない。彼女らが動いて施設員の監視を乱している間に、タクミはこっそり、この施設の情報を得るだけの事。

(さて……向かうのはどこが良い? 残念ながら僕はこの施設の構造自体、まだ良く分かって居ない)

 中庭と広間と自分に宛がわれた部屋。そうしてそこを移動する間に見た幾つかの部屋。

(そうだ……一つだけ、資料庫みたいに棚と紙が並んでいる部屋があった。そこに行ってみるか?)

 安易な考えに思われるかもしれないが、他に案も無いのだから仕方あるまい。

 鍵が掛かっていない事と人に出会わない事を祈りつつ、薄暗い廊下を歩いていく。まだ、夜の闇の向こうから聞こえて来る騒がしさは、タクミの居る場所からは遠くあった。

(確かここら辺りに……うん。この部屋だ)

 ゆっくりと、音を立てぬ様に、廊下に面したその部屋の扉を開く。第一の幸運として、その部屋に鍵は掛かっていない。

(まあでも、その程度の部屋の資料って事でもある)

 部屋の中に入り、並ぶ資料を見つめれば、どれも乱雑に詰め込まれており、どう見たって大切に扱われては居なかった。

 施設の根幹に関わるものはさすがに期待できまい。

(ま、僕にとっては新しい情報ってだけでも得難いものさ。例えばこの施設宛ての食事配達のチラシにしたって、施設の人間はこってりとした食べ物はあまり好きじゃなくて、こんな資料室に放り捨てられたって事が分かるんだ。うん)

 その情報が何の役に立つかは分からないが、どんな知識でも活かす人間次第だろうと自分を元気づけて置く。

 資料はまだまだ沢山並んでいる。その中のどれか一つくらいは、タクミにとって重要な知識になるかもしれない。

 そうでない可能性も十分にあるが、ここまで来てしまったのだから仕方ない。

「さて……じゃあ手っ取り早くこれとか……ふん?」

 軽い板に挟まれ纏められた資料を一つ取り出す。

 ざっと眺めてみるのであるが、これは幸運と呼べば良いのかとタクミはさっそく首を傾げた。

(システム・カトーの概略……? これ、欲しい情報がそのまま手元に来たって事か? いや、期待するのは早い……?)

 だがしかし、資料を読み、捲り、理解を進めて行く度に、それが期待外れでは無い事が分かって来る。

 システム・カトー。ゲイル国が莫大な国費を投じて実現しようとしている、技術の総体を指す言葉であるらしい。

 魔法、絡繰り、貴重な資源。それらを組み合わせる中で、それは実現可能な技術として存在するらしい。

 現時点での完成度は八割程度であり、とある壁にぶつかっているそうだ。

(なんて、ゲイル国内部の事情については後回し。そもそもこのシステム・カトーっていうのは何なのか……あった。これか)

 システム・カトー。事象改変技術。端的に表現するならば、時間が積み重ねた因果を操作出来る……未来と過去の改変技術。そんな風に史料内部では表現されていた。

(タイムマシン……そうだ。つまり、その言葉が無いこの世界では、それを小難しく、なんとか表現している……けど、これは要するに、タイムマシンって事だろう?)

 資料全体では、概略ではあれど、それとそれを実現するための技術を説明していた。

 技術や知識方面についてはタクミは不得手であるが、それでも、今居る施設の目的くらいはこの資料から読み解ける。

 このシステム・カトーと呼ばれるタイムマシンの完成にとって壁になっているのは、そのタイムマシンに対する適正者が必要という物があるらしい。

 現代と過去と未来。タイムマシンはそれら時間の波を渡る船だとするならば、船に酔わない様な人間が、それを操作する労働力として必要になってくるとの事。

(この施設に集まった時……僕を含め、倒れなかった連中がそれか! じゃあ、労働力に関しては、ある程度集まって来てる段階で……じゃあ何で、まだこのシステム・カトーは完成していない?)

 恐らく、システム・カトー完成への進捗は、得られる対価に対して順調に進んでいると思われる。未来は兎も角として、過去を変えられるなんていうのは、どれほど魅力的だろうか。

 それが既に八割。もしかしたらこの資料が作られた後にさらに進んでいる可能性がある。だがそれでも、それは実現していないとタクミは考える。

(多分……そうだ。これが、僕が世界を移動する事になった原因と同じ物だとするなら、まだその引き金は引かれていない。もし実際に起こっていたら、あの時と同じ様な……まてよ? あの時と同じ? だったら……)

 自分の中で考えが膨らみ、資料を読み進める手が一旦止まる。

 だから気が付けた。音が近づいている。

(不味い! とりあえず隠れないと!)

 遠くから聞こえていた騒がしさが、何時の間にかタクミがいる資料庫から近くなってきていた。

 この騒がしさが部屋の中までやってくるかは分からないが、過ぎ去るまでは身を隠す必要がある。

 そう考え、資料を抱えたまま、手頃な長机の下に身を屈める。

 今のところ幸運な事に、近づいて来た音は部屋へとやってくる前に止まった。

 不運な事として、部屋のすぐ前で止まったので、部屋から逃げる事も出来なくなった。

(参ったな。いったいこんなところで立ち止まって何の用だ?)

 複数の足音。それが部屋の前でばらばらと近付き、そうして一点で止まっていた。もしや部屋への侵入者に気が付いて、一気に攻め込んで来る気か。

 などと考えて居たが、そうでも無いらしい。

「まったく。すばしっこくて参るな、小娘」

 廊下の向こうから声が聞こえる。タクミ相手では無いらしく、やはり部屋の中では無く、外側に居る誰かに話し掛けている様子。

(この声……確かこの施設にやって来た時に会った、無駄に偉そうな黒い服の女の……)

 恐らくは施設を運営している組織の幹部らしき女だ。彼女が話しかけている相手とは……。

「はっ。あんたら偉そうな風で、案外どんくさかったんでね。ついつい遊んじまったのさ」

 ザヌカ・ミオノック。彼女の声も聞こえた。

(ああ。彼女、失敗したんだな……)

 この騒がしさの原因は、逃げ回るザヌカと、それを追う施設員達が走り回る音であったらしい。

 そうして、そのゴールが偶然に、タクミが今居る部屋の前だったのだろう。

「遊んでいて掴まったというのならば、随分と間抜けな姿だ。子どもだってそこらは弁えているものだろう?」

 罵倒をし合うその声で様子を想像していくタクミ。

 足音、息遣いから考えて、ザヌカ側は一人。彼女と敵対している黒い服の女は、他に大勢の味方。

 きっと囲まれている。逃げる隙間も無く、何時か取り押さえられる。今はそれまでの、それこそ遊びみたいな猶予期間。

「子どもが遊びたくなる様な状況を作ってたあんた達も悪いんだぜ? 警備に隙があって、ついつい手を出したくなるってもんだ……何を笑ってる?」

「いや、なに……それを、わざとだとはここまで一度も考えなかったのかとな?」

「何?」

(何……?)

 ザヌカと一緒に、話をこっそり聞いているタクミも疑問に思った。

 わざわざ施設に隙を作っているというのか? この施設の警備は?

「悪い冗談だ。いったい何でわざわざそんな事を……」

「暇だったろう? この施設に居る間、ずっと放置されていた。だから悪さの一つもしたくなる。我々の狙いは一体何なのか。それを追求したくなる。不正な方法で」

 それはまるで猟師が罠の構造を説明する様な口調。罠に捕らえられた側にとっては、舌なめずりにも聞こえるそんな話し方だった。

「目的は何だってんだ。あたしらにこんな真似をさせる理由が無いだろうが!」

「それが目的だ」

「あん?」

「好きにさせ、まんまと上手く行く事を期待している。わざわざ隙を作っているのだから当たり前だろう? その隙を掻い潜ってみせる連中を期待しているんだ。が……期待は外れた。隙だらけとお前は言うが、その隙すら上手く使えなかったのがお前だ」

「人を嘲るために、そんな事をしてるってのか!」

「いいや違う。これだ。これこそが我々の目的だ。お前では無く、もっと上手くやれる奴を、我々は望んでいるのさ! 連れて行け。彼女は失格だ」

「なんだ! やめろ! 何をするつもりだ!」

 黒い服の女の合図と共に、ザヌカがどこかへ連れて行かれようとしている。声だけでそれが分かる。

 黒い服の女はいったい何が狙いなのか。それはまだいまいち分からないが、何となく、この施設の目的。その輪郭の様な物が分かり掛けて来たかもしれない。

 だから今回、タクミの行動に収穫はあったのだ。それで満足するべきだ。今、施設の連中はタクミの存在に気が付いていない。このままこの部屋でじっとしていれば、無事に自分の部屋に帰る事が出来るだろう。

(それで良いじゃないか。それが順調って事だ。それ以上を望むのは―――

 贅沢。間違っている。何をしたって無理に決まっている。

 そんな理性の訴えを、タクミの直感は無視していた。いや、この場合、矜持という物だろうか。

 危機に陥っている、たった一度顔を合わせただけの相手を、助けてみたいと思う、そんなくだらない矜持がタクミを動かす。

 タクミは手に棚に入れられた資料を持てるだけ持って、部屋の前へと飛び出した。

 まだそこには、黒い服の女と、その部下たちが数人居て、さらにその数人にザヌカが捕まえられている。

 考えるよりも行動をより素早く。タクミはそんな連中がいる方に抱えた資料すべてを投げつけた。

「何!?」

 黒い服の女の驚愕の声。

 だが、その声に反応するよりなお素早く、タクミは駆け出していた。捕らえられているザヌカの方だ。

 数人の男達の間を、姿勢を低くして掻い潜り、ザヌカの腕を取って引く。

「こっちだ!」

 驚く程簡単に、ザヌカはタクミの方へと進んできた。いきなり虚を突かれたのからだろうか。

「あ、あんたは。何で!?」

「話は後! とりあえず逃げよう!」

 やるべき事は安全の確保。自分から危険に飛び込んで置いて何を言っているのかと思われるかもしれないが、出来る事を高望んだって、せいぜい今の状況を脱する事くらいだ。

「もしかして、あたし達を囮にしてたのか!?」

「そういう事になるかもしれないけど、邪魔だってしてなかったろう!」

 ザヌカと言い合いつつ、廊下を走る。内部の構造なんて良く知らないため、ほぼ勘で、行き止まりにならない場所を目指し続ける。

 ゴールも分からない。この施設の出入口はそもそもどこだろうか?

「ああ、迷ってそうな顔してるね! こっちさ!」

 今度は逆にザヌカが手を引っ張って来る。

 足が転びそうなくらいの速度で、それでもバランスを取りながら走り続ける。

 こういうのは結構得意だ。この世界に来てからこっち、必死に逃げる様に走る事には慣れきって居た。

「って、ちょっと待った……ここって……行き止まりじゃないか!」

「しっ! 大声出すんじゃない!」

 幾つかの曲がり角を曲がった先にある突き当り。薄暗い廊下がさらに暗くなるその空間に、タクミはザヌカに釣られた様にやってきた。

 ここに逃げ場は無い。そんな風に緊張するも、ザヌカの言う通りに一旦は黙る。

 迫って来る足音。心に留まり続ける緊張。だが、足音は通り過ぎて行く。

「なんだ……こっちを見失った?」

「ここは、行ってみれば盲点なのさ。あたし達が来た方向から走ってると、見逃しがちな端から道が続いてる。あたし達が見つけた、緊急避難用の場所候補だったんだけどねぇ」

 残念ながら、ザヌカの他の仲間とやらはそれを利用出来ずに、既に捕まったのだろう。

 残されたザヌカも、タクミが助けなければ同じ立場だったはずだ。

「運が無かったね。ま、そういう事もある。用意周到に準備が出来ていても、ちょっとした事で失敗する。これに懲りずに色々と挑戦する事をおススメするよ」

「そうしたいところだけどねぇ。今回はさすがに堪えたところさ。まさか最初から向こうの手の平の上だったなんて」

 静かに、しかし大きく溜め息を吐くザヌカ。先ほどの黒服の女との会話をタクミも思い出す。

 わざとザヌカの様な人間を泳がせた……むしろ生み出そうとしていた節すらあるという彼女の言葉は、いったい何を意味しているのか。

「なんとなーく。この施設の構造は見えて来た気がするけど……そういえば、そもそもそっちは何を狙ってこんな結果に至ったんだっけ?」

「こんな結果って……ま、そうだけどね。あんた新参だから分からないかもしれないけど、この施設でのあたしらの行動範囲っていうのは、だいたい法則がある。こう、ある地点を中心に、ぐるっと円を描く様な範囲に、あたし達はごろごろさせられてるってのが分かって来るんだ」

「円って事は……中心があるって事?」

「そ。けど、そこには一度だってあたしらは足を踏み入れた事が無い。という事はだ。そこに何か、重要な物があるって考えるだろう?」

 考えて、正体を暴き、盗めるものなら盗んでやろうと結論を出したと言ったところか。

 だが、それもすべて罠だった。ザヌカの方はそう考えて居る様子だが……。

「多分、あの女はそこだけ警備を強化するかしてたのさ。で、まんまとやってきた奴を嘲るって、そういう意地の悪い寸法がこの施設にはあるってあたしは見たね」

「僕は違う」

「何だって?」

「僕はそう思わない。多分、その中心部に向かう場所も、警備は薄くされているはずだ。ただ、運が悪ければそれでも見つかる。その程度の警備が、施設のあちこちで存在しているんだ。運さえ良ければ……」

 ただの素人でも、誰にも見つからずに施設を移動出来たりもする。そんな匙加減。

「あんたが言おうとしているのば、馬鹿な話さ。そんな無駄な事をして、奴らは何を求めてるって言うんだい」

「その答えが、これから行く場所にあるかもしれない」

「これから行くって……何かするつもりかい?」

「今、警備は僕らを追っている。ひたすら逃げようとしている僕らをね。ここで、施設の中心に向かうなんて予想外も予想外だろう?」

「ちょっ……正気とは思えないよ!?」

「じゃあ、君は逃げても良い」

 タクミには、もはや逃げる場所は無い。この世界に逃げ込める場所など、タクミにはどこにも無い。

 今は挑む時だ。いや、もう挑む以外の選択が無い状態だ。

(そうだ。今、出揃っている状況と情報は、偶然揃ったものかもしれないけど、偶然じゃあ無いかもしれない。それを確認するまでは、僕は止まれない)

 まだ、心に望みがある。元の世界に戻るという望み。その望みに関わる事を確かめるまでは、タクミは退くつもりが無かった。

 だから歩き出す。隠れて居れば暫くは安全なはずの場所を抜け出し、施設の中心を目指す。

「ああもう! こっちは助けられた側だからね。そこまでは安心してやるよ。それ以上は無茶だから、あたしは逃げるよ」

「うん。それをしてくれると、僕は凄い助かる」

 そもそも施設の中心とやらに向かう道もタクミはまだ知らないから。

 ザヌカの方も、いろいろ意地があるのだと思う。二人して薄暗い廊下を歩き出した。

 その先に何が待っているか。やはりまだ、タクミには分からない事だらけである。

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