【コミカライズ】忠告はしましたよ?
「エレノア様! 新しい髪飾り、とても素敵ですね!」
「どちらでお求めになりましたの?」
「もしかして、香水を新しくなさいましたか?」
「お手入れ方法を教えていただきたいです!」
それは貴族ばかりの通う王立学園の一室で毎朝繰り広げられる光景。入学から半年、女生徒たちの間には侯爵令嬢であるエレノア・シルフィアを頂点としたヒエラルキーができあがっていた。
「ありがとう、皆さん。それよりね、わたくし昨夜、父と参加した夜会で王太子様とお会いしましたの。殿下はとても素晴らしい方で、わたくしの容姿やドレスを褒めてくださったのよ?」
「まあ、殿下と……? 素敵! さすがはエレノア様ですわ!」
集まった少女たちが口々に褒める。エレノアは満足気に瞳を細めた。
「お会いしたのは殿下だけではございませんのよ? 未来の宰相と噂されるフレッド様や若手騎士のホープであるロバート様にもご挨拶させていただきましたの。本当に素晴らしいひとときでしたわ」
「羨ましい! わたくしたちも早く夜会に行ってみたいです」
学園は学問もさることながら、社交界で上手く立ち回っていくための練習の場でもある。誰と、どのように付き合っていくのか……誰につくのが正解なのか見極めることが必須スキル。エレノアのようにすでに社交界デビューを果たしていて影響力を持つ令嬢といかに仲良くなるかが重要なのだ。
とはいえ、すべての生徒が他者と積極的に交流を持っているわけではない。
「おはようございます、アルフィー様」
「……おはよう」
エレノアが一人の男子生徒……アルフィー・ドラスティルに声をかける。金の髪に緑色の瞳を持つ人形のように整った顔立ちの男性だ。彼はエレノアをチラリと見上げて挨拶を返すと、再び読書をはじめた。
(相変わらず無愛想だなぁ……)
エレノアの取り巻きの一人――子爵令嬢メイジー・アンダーソンは幼馴染であるアルフィーを見つめつつ、心のなかでため息をつく。
公爵令息であるアルフィーにはエレノアに取り入る必要などない。けれど、今からお付き合いをしておいて損のない人間だとメイジーは思う。学園を卒業したあとで領地や仕事で絡みがあるかもしれないし、社交界でも何度も顔を合わせることになるだろうから。
「アルフィー様、今度ぜひ我が家に遊びにいらっしゃってください。あなたのお父様もご一緒に」
「……機会があれば」
「ですから! その機会を作っていただきたいと申しあげているのですわ。先日とても珍しい美術品を入手しましたの! アルフィー様もきっと気に入ると思いますわ」
アルフィーの冷たい態度にもめげずエレノアは会話を投げかけていく。エレノアにとっては彼のこのつれない態度もツボらしく、アルフィーのいないところで『素敵!』だとしきりに話している。
「約束ですわよ!」
やがてエレノアは強引に約束を取り付けると、自分の席へと戻っていった。
「……もう少し上手く立ち回ればいいのに。社交的なほうが将来きっと得をするわよ?」
メイジーがこっそりとアルフィーに話しかける。彼は読んでいた本をパタンと閉じ、じっとメイジーを見た。
「実益のない会話は嫌いだ。それに、社交的って? ……メイジーみたいに他人に合わせるってこと?」
「そう。褒めたり共感することって大事だと思うのよね。あとはもう少し話すときの声のトーンを上げてみるとか? 冷たい人だって思われちゃうでしょう?」
誰かやなにかを褒めそやし、意見に同意し、行動をともにする。そうしていれば大抵のことは上手くいく。わざわざ進んで敵を作る必要はない。他人と関わるほんの少しの間だけ、自分を変えればいいだけなのに。
「共感ね……本当は髪飾りになんて興味ないくせに」
アルフィーはそう言って、チラリとエレノアのほうを見る。
「ドレスや髪型、化粧や香水の話をしていて楽しいのか? 社交界の噂話をしたいと本気で思ってる?」
「……思ってる、思ってる」
メイジーの返答に、アルフィーはほんの少しだけ目元を和らげる。
「以前のように政治や経済の話をしたいなら付き合おう。僕以外にも話が合いそうな人間を何人か紹介できる」
「……そうしたいのは山々だけど、私は女だもの。このままエレノア様と一緒にいたほうがいいでしょう?」
女性は女性らしく。オシャレや好みの男性の話をしたりつるんだりするのが『普通』であって、そこから決してはみ出してはならない。貴族なのだから社交的に生きていかなければ――それがメイジーの考えだ。
「強要はしない。だが、以前の君はそんな笑い方をしていなかったと思うのだがな」
「そんな笑い方……ってどんな?」
アルフィーはメイジーの質問にはこたえぬまま再び読書をはじめてしまう。メイジーは己の頬に触れながら、そっと首を傾げた。
***
けれど、それから数日後のことだ。
「実は週末、私の誕生日なのです。それで、ぜひとも皆さまを屋敷に招待したいと思ってまして……」
昼食の席でそう切り出したメイジーに向かって、エレノアは静かに首をひねった。
「どうしてわたくしがメイジー様の誕生日を祝わなければなりませんの?」
「……え?」
驚きのあまりメイジーが瞳を数回瞬く。自分がなにを言われたのか理解がちっとも追いつかない。けれど、エレノアの嘲笑に心がずんずん沈んでいった。
「どうしてって……先日カーナ様の誕生日はお祝いしていらっしゃったじゃありませんか? ですから私も」
「カーナとあなたは違うでしょう? 誰を祝うかはわたくしが決めることだもの。強要されるいわれはなくってよ」
「それは……そうかもしれませんが」
メイジーはエレノアの誕生日に彼女が欲しいと言っていたスカーフをプレゼントしたし、当然お祝いの席に駆けつけた。他にも、彼女が望むことならなんでも叶えてきたし、他の誰よりも親しくしてきた自負がある。けれど、そう思っていたのはメイジーだけでエレノアのほうは違ったらしい。メイジーは呆然とエレノアを見上げた。
「メイジー様のお屋敷って郊外でしょう? 遠いし、時間がもったいないじゃない? プレゼントもなにも思いつきませんし。……そうそう。その日はわたくし、芝居を見に行く予定でしたの。皆様もご一緒にいかがかしら? お父様がとてもいい席を用意してくれるはずよ」
エレノアはそう言って、周りで二人の会話を見守っていた級友たちに微笑みかける。
「え? だけど、メイジー様が……」
「行きますわよね?」
エレノアの言葉に、一人、また一人と令嬢たちがうなずいていく。どうやら自分以外の人間にもメイジーの誕生日を祝わせる気はないらしい。メイジーは小さく息をついた。
(上手くやれてると思っていたのにな……)
どうやらそう思っていたのはメイジーだけだったらしい。
一体どこでどう間違ったのか……尋ねたところであまり意味はないだろう。
(これからどうしよう)
彼女たちの輪から離れ一人ぼっちで過ごすのはあまりにも格好が悪い。けれど、これまでのようにエレノアについて回るのも難しいだろう。下手すれば相手から拒否されるかもしれない。
とはいえ、授業のなかで会話が必要なタイミングというのは存外多いもので。
「あの、カーナ様」
勇気を出して話しかけてみたものの、級友たちは申し訳無さそうな表情を浮かべつつ、メイジーの声が聞こえないかのように振る舞った。エレノアの意向に背くことはできない、ということなのだろう。
(ついこの間まで仲良くしていたのに)
人間関係なんてもろく儚い。些細な出来事をきっかけに、あっという間に壊れてしまう。
沈んだ気持ちのまま迎えた誕生日当日、両親や使用人たちはメイジーのことを祝ってくれた。
「おめでとう、メイジー」
「……ありがとう」
本当はもっと喜ぶべきだとわかっている。けれど、エレノアや級友たちが互いの屋敷を行き来して誕生日を祝ってもらえていたことを思い出し、胸がズキズキと痛くなる。自分がひどくダメな人間に思えてくる。メイジーはひとりため息をついた。
「お嬢様、お嬢様にお客様がいらっしゃっていますよ」
とそのとき、侍女がメイジーに声をかける。メイジーは思わず顔を上げた。
「誰!? エレノア様!?」
あんなことを言っていたがお祝いに来てくれたのだろうか? メイジーは急いで応接室と向かう。
「……エレノア嬢じゃなくて悪かったね」
「アルフィー?」
けれど、メイジーの予想に反し、そこにいたのはアルフィーだった。
「どうしたの? なんで家に?」
「どうしてって……今日、誕生日だろう?」
おめでとうと言ってアルフィーは小さな花束を差し出す。メイジーは思わず目を見開いた。
「覚えていてくれたの?」
二人は幼馴染ではあるが、ここ数年は顔を合わせていなかった。しかも、アルフィーは他人にとんと興味がなさそうに見えるため、こんなふうに祝ってもらえるなんて夢にも思っていなかったのである。花束に顔を埋めつつ、メイジーは泣きそうになってしまう。
「会っていない間も父がしょっちゅうメイジーやメイジーの父親の話をしていたからね。それで覚えていただけだ」
アルフィーがメイジーの頭をポンと撫でる。ぶっきらぼうな手付き――けれど、メイジーの荒んだ心を癒やすには十分だった。
「ありがとう、覚えていてくれて。それから……ごめん。社交的になったほうが得だなんて言って。馬鹿だよね。社交的に振る舞ってきたつもりが、結果的に誰からも祝ってもらえなかったんだもん」
「……」
誰かに嫌われないよう、好かれるようにと頑張ってきた。そのために自分を押し殺してきたがうまくいかなかったようだ。こんなことなら、最初から一人でいたほうがよかったとすら思ってしまう。
「ねえ、私のなにがいけなかったんだと思う?」
「全部」
「えっ、ひどい! 私、誕生日なんですけど」
アルフィーから言い放たれたひとことに、メイジーは唇を尖らせる。アルフィーは一瞬だけ肩をすくめたのち、小さく首を横に振った。
「……言い方を間違えた。メイジーが悪かったというより、君と彼女たちとじゃ根本的に合わなかったんだろうと言いたかったんだ。無理して話を合わせているのが伝わってきたし、楽しくなさそうだったから」
(そっか。『以前の君はそんな笑い方をしていなかったと思うのだがな』……って、そういう意味だったんだ)
数日前の会話の内容を思い出しつつ、メイジーはそっと胸を押さえる。
「そうだね。……そうかもしれない」
ドレスや化粧、社交界にまつわる噂話は貴族の令嬢としては『正解』だったと思う。けれど、メイジーは本当の意味でそれらの話に共感してはいなかったし、正直言って興味もなかった。うまくいかなかったのは当たり前なのかもしれない。
「それから、エレノア嬢は僕を結婚相手にと思っているみたいだからな」
「知っていたの?」
「当然だ。他人と接するのが好きではなくとも、そういう空気ぐらいは察せられる」
メイジーはふと目元を和らげた。
「そっか……気づいてたんだ」
「君は僕をなんだと思っているんだ? 父と一緒に屋敷に来てほしいなんて誘われれば嫌でもその意図に気づくだろう?」
「鈍感そうに見えるんだもん。教室じゃいっつも無表情だし」
「それだって立派な社交術の一つだろう?」
アルフィーはそう言ってふいと顔を背けてしまう。照れくさいのだろうか? メイジーはクスクスと笑い声を上げる。すると、先ほどまでよりも真剣な顔つきで、アルフィーはメイジーへと向き直った。
「すまなかったな、メイジー。僕のせいで友人を減らしてしまって」
「え?」
頭を下げるアルフィーに、メイジーは慌てて「違うよ!」と否定した。
「アルフィーのせいじゃない。私がもっとうまく立ち回れていたら、こんなことにはならなかったと思う」
「しかし……」
「というか、これでよかったんだよ。実際問題みんなの会話についていくのが大変だったし、潮時だったんだと思う。かえって気が楽になったよ。これからは、流行りのブランドや貴族たちの噂話を調べていた時間でお父様の仕事を手伝ったり勉強したりできるし、アルフィーとももっと会話ができるでしょう?」
それはまごうことなきメイジーの本心だった。教室で一人になるのは少しだけ心細いが、自分を偽り続けるよりずっといいかもしれない。
(だけど、そんなふうに思えるようになったのはアルフィーのおかげなんだろうな)
もしも彼が誕生日を祝いに来てくれていなかったら、メイジーは今頃悲しみに暮れていただろう。自分のなにが悪かったのかくよくよ悩んで、しばらくは立ち直れなかったかもしれない。
「そういえば、アルフィーはエレノア様のお屋敷には行かないのに、私のところには来てくれるんだね」
「……そうだな」
「お花まで用意してくれちゃってね」
「君は僕からのプレゼントがそれだけだと思っているのか?」
アルフィーはムッとしながら侍女たちにプレゼントを持ってくるよう合図をしている。
「……ありがとう、アルフィー。おかげでいい誕生日になった」
メイジーが微笑めば、アルフィーは嬉しそうに目を細めた。
***
「おはよう」
翌日のこと、教室に着いたメイジーが言う。待つこと数秒。女子生徒はやはり誰も返事をしてはくれない。
(無視ですか)
小さくため息をつきつつ、メイジーはチラリとエレノアを見る。彼女はメイジーの視線に気づかぬふりをしながら、アルフィーの元へと向かった。
「おはようございます、アルフィー様」
「……」
アルフィーは無言で本を読み続ける。まるでエレノアの存在に気づいていないかのような反応だ。
(変なの。いつもなら返事ぐらいは返すのに)
荷物を整理しながらメイジーは小さく首を傾げる。
「アルフィー様」
エレノアが呼ぶ。アルフィーの顔を覗き込むが、彼は眉一つ動かさない。
「おはようございます、アルフィー様」
「…………」
「……どうして返事をしてくださいませんの?」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ。せめて挨拶ぐらい返したらどうだ? 気に入らない相手を無視するなんて、子どものすることだろう?」
その途端、エレノアの頬が真っ赤に染まる。次いで、取り巻きの令嬢たちが一斉にエレノアから顔を背け『見てません! 聞いてません!』と主張をした。
プライドの高いエレノアはアルフィーの言葉を受け入れられないのだろう。無言で席へと戻っていく。入れ替わりでメイジーがアルフィーの元へと向かった。
「アルフィー、あんな言い方しなくても……」
「だって本当のことだろう?」
アルフィーはチラリと視線を上向け、いたずらっぽく笑う。先ほどまでの無表情っぷりとのギャップにドギマギしつつ、メイジーは小さく息をついた。
「私のためにアルフィーが悪者になっちゃダメだよ。エレノア様の家とは今後もなにかとやりとりがあるだろうし」
「前に言っただろう? 僕は実益のない会話は嫌いだ。彼女と話すつもりはない。……というか、君に対してあんな仕打ちをする女性と親しくする気はない。平気だよ」
「だけど……」
ふとエレノアを見れば、彼女は眉間にしわを寄せて二人のことを睨んでいる。
(怖っ)
メイジーは思わず縮み上がってしまった。
自業自得、完全に逆恨みなのだが、そんなことを言ったところで彼女の怒りがおさまるわけでもない。
アルフィーはできる限りメイジーの側にいてくれるようになった。それが火に油を注ぐ結果になるとわかっていたが、一人でいるよりずっといい。なにより、アルフィーと話しているときは自然体でいられるし楽しかった。
「男好き」
「子爵令嬢風情が」
「身の程知らず」
しかし、悪口というのは防ぎようがない。相手が『聞かせる気』ならばなおさらだ。
「あんなふうにつけあがっていられるのも今のうちですわ。アルフィー様とメイジー様とじゃ身分がつり合いませんもの。少し仲がいいからって思い上がっていると、痛い目を見るのはメイジー様のほうですのに」
「わたくしたちはメイジー様のためを思って忠告しているのに、あんな態度をとられるなんて」
「そうですわ。少しぐらい『申し訳ない』って態度を見せたら、エレノア様だってきっとお許しくださるはずですのに」
こういうときの女性の団結力というのはすさまじいもので、まるで事前に打ち合わせていたかのようにスラスラと言葉が紡がれていく。
(私のためを思って、ね……)
メイジーは聞き耳を立てつつ、小さくため息をつく。
「ご忠告ありがとうございます」
「……君が言うと嫌味がすごいな」
アルフィーが笑う。メイジーは「まあね」と言いながらそっと瞳を細めた。
「ところでさ、昨日うちに新品のドレスが届いていたんだ。……アルフィーの名前で」
メイジーが話を切り出せば、アルフィーは少しだけ目を瞠る。彼は「それで?」と先を促した。
「質問したいのは私のほう。あれは? どういう意味?」
「今度の夜会で着てもらおうと思って贈った」
アルフィーは本に視線を落としたまま淡々と言う。彼の言う夜会とは、王宮主催のパーティーのことだろう。招待状が来たと父親が話していたのを覚えている。
(だけどまだ、肝心なことを聞いてない)
メイジーはムッとしつつ、彼の手から本を取り上げた。
「それって夜会に一緒に行こうってこと? 私と?」
「……そういうことになる」
アルフィーの物言いはどことなく歯切れが悪い。
「実益のない会話は嫌いだなんて言っておきながら、随分まどろっこしい誘い方だね」
「仕方がないだろう? 僕だって多少は慎重になる。……断られたくない」
そう言ってアルフィーはメイジーから本を奪い返す。それから、ちらりと彼女のことを見上げた。それはいつもどおりの無表情――けれど、どこか期待の入り乱れた瞳だ。
「断らないよ」
メイジーが言う。アルフィーは誰にも気づかれないよう、ほんの少しだけ口角を上げた。
***
数日後、アルフィーの寄越した馬車に乗って二人は夜会会場へと向かっていた。ドレスアップした互いの姿にドギマギしながら、ポツリポツリと会話を交わす。
「ねえ、今夜ってエレノア様もいらっしゃっていると思う?」
「……その可能性は高いだろう。侯爵家の令嬢だし招待状は来ていると思う。それに、大の夜会好きのようだから」
「そうだよね」
とすれば、上手に接触を避けなければならないだろう。学園内ならまだしも、王宮で変なトラブルを起こされてはたまらない。
メイジーはグッと気を引き締めた。
会場にはすでにたくさんの人が集まっていた。メイジーたちのような年若いものもいるが、年配の貴族たちも多い。会場を回り、ときに談笑をしながら、アルフィーはとてもスマートにエスコートをしてくれた。
「アルフィーって案外社交的だよね」
「……変だな。以前、真逆のことを言われた気がするのだが」
アルフィーの皮肉に、メイジーはニッと笑ってみせる。
「知ってる。つまり、私の考え方が変わったってこと」
会場を歩きながら、メイジーとアルフィーは顔を見合わせる。とそのとき、唐突に進路が塞がれ二人はゆっくりと視線を上げた。
「ごきげんよう、アルフィー様」
「エレノア嬢……こんばんは」
やはり接触は避けられなかったか――メイジーがそう考えている横で、アルフィーが丁寧に挨拶を返す。
「まさかメイジー様をエスコートされているとは思いませんでしたわ。……というより、彼女が招待されているだなんて思わなかったものですから」
「そうですか。あなたのほうはエスコートをしてくれる男性が見つからなかったようですが……」
「まあ! わたくしお父様を通じてアルフィー様にエスコートをお願いしておりましたのよ? けれど、先約があるからとお断りされてしまいまして」
強烈な嫌味の応酬。けれど、この程度ならあちこちで見受けられるレベルだ。下手に参加して事態が大きくならないよう、メイジーはアルフィーに応答を任せる。
「それでアルフィー様、わたくしと一曲踊ってくださいませんか?」
エレノアはこれまでよりも大きな声でそう言うと、メイジーのほうをチラリと見やる。
(これは……さすがに断れないだろうな)
相手は侯爵令嬢のエレノアだ。恥をかかせる訳にはいかない。そうとわかっているからこそ、彼女はこういう手立てに出たのだ。
「……構いませんが、メイジーが先です。エレノア嬢にはあとからお声掛けしますから」
「まあ、わたくしではなくそちらの子爵令嬢を優先なさるの? エスコートはメイジー様にお譲りしたのですから、ダンスぐらいわたくしが先でもいいではありませんか」
少しずつ人々の注目が三人に集まりはじめている。途中から話を聞いたものは『メイジーが駄々をこねたせいでエレノアが割りを食った』ようにも聞こえるだろう。
「アルフィー、私はあとでもいいから」
「それじゃ僕が嫌なんだよ」
他の人には聞こえぬよう、メイジーとアルフィーはこっそり会話を交わす。すると、
「内緒話をなさるなんて悲しい。見ていていい気がしませんわ」とエレノアが大げさに声を上げた。
(エレノア様のことも考えてのことだったのに)
いい加減うっとうしい。そろそろひとことぐらい言ってやってもいいのではないだろうか? ……メイジーがそう思ったそのときだった。
「人だかりがあるから誰かと思えば……久しぶりだね」
三人に向かって一人の男性が声をかける。夜会の主催者の一人……王太子だ。
「殿下……!」
エレノアが王太子を熱く見つめる。けれど彼はエレノアの前を素通りすると、まっすぐメイジーのほうへと向かった。
「ご無沙汰しております、殿下」
「本当に。こうして二人に会うのは何年ぶりだろう? メイジーもアルフィーもちっとも顔を見せてくれなくて寂しく思っていたんだよ」
王太子が微笑む。エレノアは「え……?」と瞳を瞬かせた。
「久しぶりって……」
「二人は私の幼馴染だからね。あなたは……たしか先日の夜会でお会いした――」
「エレノア嬢ですわ、殿下。シルフィア侯爵家のご令嬢です」
「ああ、そうだったね」
まさか名前を忘れられているとは思っていなかったのだろう。恥ずかしさのあまりエレノアの頬が真っ赤に染まっていく。彼女は眉間にしわを寄せつつ、扇で己の顔を覆い隠した。
「ところでメイジー、父から聞いたのだけど、君のお祖父様がようやく代替わりを決意したそうだね」
「ええ。年齢的にそろそろ領地をおさめるのが厳しくなってきたらしく、父に侯爵位を譲ることになりました」
「侯爵!?」
エレノアがまたもや声を上げる。
「……なにか?」
「い、いえ……ただ、驚いたものですから」
王太子の問いかけに、エレノアは気まずそうに視線をそらす。
「よかったな、アルフィー。これで大っぴらにメイジーとの婚約を正式に進められる」
「……そうですね」
「お聞きになった? メイジー様のお父様、侯爵になられるそうよ?」
「まあ、子爵どまりではなかったの?」
「殿下とは幼馴染だそうだし、エレノア様よりずっと覚えがめでたいじゃない」
「アルフィー様もメイジー様と懇意になさっていますもの。まさか婚約をなさる予定だったなんて……。ねえ、エレノア様よりメイジー様と仲良くしていたほうがいいのでは?」
「どうしましょう……あんな失礼な態度をとったこと、今からでもお詫びしなければ」
会場内からヒソヒソと話し声が聞こえてくる。この夜会に参加しているエレノア以外の女生徒たちだ。
「……一体どういうことですの?」
エレノアが愕然とする。このままでは彼女の周りには誰もいなくなってしまう。ワナワナと震えるエレノアを見つめつつ、アルフィーは小さく息をついた。
「君が嫌がらせをしてきた相手は格下なんかじゃないってこと。だから、子どもみたいな真似はやめろと僕は忠告しただろう?」
返答を聞くやいなやエレノアはギュッと拳を握りしめた。
「けれど、メイジー様はちっともそんなことおっしゃいませんでしたし」
「メイジーは地位や権力、ツテをひけらかそうなんて思ってないからね。君たちといいお付き合いができるように、ただただ話を合わせていたんだよ。まあ、うまくはいかなかったけどね。……それで? これでもまだメイジーより先に僕と踊りたいと思う?」
アルフィーが問いかける。周囲のヒソヒソ話が次第に大きくなっていく。エレノアに視線が集まり、彼女の顔がみるみる青ざめていく。
「……いいえ」
人々の合間を脱兎のごとく駆け抜けるエレノアを見つめつつ、アルフィーは小さく息をついた。
***
メイジーとアルフィーは夜会会場を抜け出し、二人で夜の庭園をゆっくりと歩いていた。
「さっきの――殿下をけしかけたのってアルフィーでしょ?」
「……なんのことだ?」
アルフィーが首を傾げる。メイジーはクスクス笑いながら、グッと大きく伸びをした。
「とぼけなくていいよ。アルフィーはそういう根回しが得意だよね。……本当、私なんかよりずっと社交的だと思う」
「そうか」
「だけどさ、結婚についてはなにも約束していないし、殿下にあんな嘘をつかせなくてもよかったんじゃない?」
メイジーが尋ねる。早まる鼓動をなだめつつ、メイジーはアルフィーをそっと見上げた。
「僕に向かって鈍感そうだと言ったくせに……」
アルフィーはこめかみを押さえつつ、ほんのりと頬を赤く染める。それからややして、メイジーの両手を握り彼女の顔を覗き込んだ。
「僕は君と結婚したいと思っている」
「……うん」
知ってた、と付け加えつつメイジーは笑う。
アルフィーは少しだけ目を見開くと「やっぱり君のほうがうわてだと思う」とつぶやくのだった。